試合終了のアナウンスが流れてからしばらく経っても、会場には歓声の余韻が残っていた。
大洗女子学園は勝った。
全国大会一回戦。相手は、強豪サンダース大学付属高校。
その事実だけでも、本来なら大事件だった。
興奮が少しずつ落ち着くにつれ、今度は傷だらけの戦車たちが目に入る。牽引される八九式。白旗を上げたⅣ号。黒い着弾跡の残るIII号突撃砲。そして、白旗こそ上がっていないものの、車体のあちこちに煤と擦り傷を残したTOGⅡ。
サンダースの生徒たちは、その長い車体を見て足を止めていた。
「なにあれ、まだ白旗上がってないの?」
「長い……」
「すごくボロボロなのに、動いてる……」
その視線を受けながら、戸郷灯里はTOGⅡの側面へそっと手を当てる。
「よく頑張りました」
「戸郷さん、完全に戦車を労っていますね」
小走すずが横から言うと、火野まどかは特に驚く様子もなく頷いた。
「いつものことです」
灯里は真剣な顔で、傷だらけの車体を見上げる。
「TOGⅡは守るための戦車です。今日は、よく耐えてくれました」
「戦車って、褒められて伸びるんですか?」
「伸びます。主に私の中で」
「それ、TOGⅡではなく戸郷さんが伸びていませんか」
そこへ、明るい声が飛んできた。
「ビッグでロングでタフ!」
ケイだった。
長い車体を見上げながら、大きく笑っている。
「あなたたち、よく最後まで守ったわね!」
「ありがとうございます。TOGⅡは遅いですが、先にいれば守れます」
「いいわね、その考え方! サンダースにも欲しいくらいだわ!」
「TOGⅡをですか?」
「置き場所には困りそうだけどね!」
負けた直後とは思えないほど、その表情は晴れやかだった。ケイの笑い声につられ、大洗側に残っていた緊張も少しずつ解けていく。
「せっかくだし、何か一緒に食べましょう! 勝っても負けても、楽しまなきゃね!」
両手を広げるケイに、灯里が静かに反応した。
「でしたら、TOGドッグの出番ですね」
「やっぱり出すんだ!?」
沙織が即座に振り向く。
「いいねー。サンダース相手なら、ホットドッグはぴったりじゃん」
杏もすぐに乗り、まどかが小さく息を吐いた。
「補給と商売の話になると、判断が早いですね」
その間にも、いぬさんチームは動き始めている。かなえが提供できる数を確認し、すずは回収車両の邪魔にならない場所を探す。ちとせとりんも、保温容器と材料箱を運び出してきた。
「大洗側とサンダース側、関係者も含めると、小さめに分けた方がよさそうです」
「屋台を置くなら、あそこですね」
「パン、あります!」
「ソーセージも温め直せます!」
灯里は全員の報告を聞き、深く頷く。
「いぬさんチーム、TOGドッグ提供準備」
「了解!」
戦闘中よりも、少しだけ明るい返事だった。
TOGⅡの横へ折りたたみ台が置かれ、保温容器、トッピング用の小皿、紙皿、ナプキンが並べられていく。その中心にあるのは、長いパンと長いソーセージ。
戦車の横でホットドッグを作る光景に、サンダースの生徒たちが次々と集まってきた。
「ワオ! ロングホットドッグ!」
ケイの目が輝く。
「TOGドッグです。長さに意味があります」
「いいわね! ビッグでロング! サンダース向きよ!」
灯里は静かに頷いた。
「TOGⅡは、国境を越えますね」
「ホットドッグの話です」
まどかがすぐに訂正する。
「ホットドッグもまた、文化です」
「話を大きくしないでください」
サンダースの生徒たちは、ホットドッグの扱いに慣れていた。
ケチャップ、マスタード、刻んだピクルスと玉ねぎ。チーズやチリソースも並び、すぐにトッピングの意見が飛び交い始める。
「もっとマスタードを多くしてもいいんじゃない?」
「チリを乗せたいわね」
「チーズも合うよ!」
「ピクルスは細かく刻んだ方が食べやすいわ」
「もっと自由でいいのよ! 好きなものを乗せて、楽しく食べるのが一番!」
ケイが楽しそうに言う横で、灯里は真剣な顔でメモを取っていた。
「サンダース式TOGドッグ……今後の商品展開に活かせます」
「商品展開、いい響きだねー」
杏がすぐに反応する。
「杏会長まで乗ると、止める側が足りません」
まどかの声には、早くも諦めが混じっていた。
少し離れたところでは、ナオミが静かにTOGドッグを見ている。やがて一つ受け取り、ひと口かじった。
ゆっくりと噛み、わずかに目を細める。
「……悪くない」
灯里の背筋が少し伸びた。
「ありがとうございます。ナオミさんの一言は、かなり重みがあります」
「長さも、味も」
「長さも評価対象ですか」
「ああ」
灯里の表情がわずかに明るくなる。
「分かってくださる方が、ここにも」
「戦車と食文化の国際交流でありますね!」
優花里が感動したように頷く。
「たぶん、そこまで大げさじゃないと思う」
沙織は苦笑した。
* * *
その一方、少し離れた場所では、アリサがケイの前に立っていた。
腕を組み、顔を背けている。
明らかに不機嫌だった。
「アリサ」
「……はい」
「情報を集めることは悪くないわ。でも、相手への敬意を忘れるやり方は、サンダースらしくない」
「……分かっています」
「本当に?」
「分かっています!」
返事は強い。
けれど、その強さは普段の自信とは違っていた。
負けたことが悔しい。自分の手を見破られたことも、ケイから正面切って注意されたことも悔しい。
それでも、ケイの言葉が間違っていないことは、アリサ自身にも分かっている。
ナオミが横から短く言った。
「次は、正面からやればいい」
アリサは答えず、唇を結ぶ。
そこへ、紙皿を持った灯里が近づいてきた。
「反省中、失礼します」
「何よ」
「補給です。反省にも、糖質と塩分は必要です」
「いらないわよ!」
「いいじゃない、アリサ。食べなさい。おいしいわよ」
ケイに促され、アリサは渋々TOGドッグを受け取った。
「……長いわね」
「TOGⅡですので」
「ホットドッグでしょ」
「TOGドッグです」
「そこ、違うの?」
「重要です」
不満そうな顔のまま、アリサがひと口かじる。
その表情が、ほんの少しだけ変わった。
「……まあ、悪くないじゃない」
「ありがとうございます。反省会用には、マスタードを少し控えめにしました」
「何その気遣い!」
「いいじゃない。反省会にも優しいホットドッグね」
ケイが笑う。
アリサは言い返そうとして口を開き、結局、そのままもう一口食べた。
様子を見ていた優花里が、少し緊張した顔で近づいてくる。
「あ、あの……その節は失礼したであります」
ケイの表情が、ぱっと明るくなった。
「そういえば、この前の偵察コンビね!」
「そ、その節は本当に……」
優花里が縮こまる横で、灯里も軽く頭を下げる。
「サンダースの補給体制、非常に勉強になりました」
「やっぱり、あんたたちがあの時の!」
アリサが目を見開く。
「第六機甲師団、オッドボール三等軍曹であります!」
「同じく、ロングドッグ補給兵です」
「まだそれ言う!?」
アリサの声が裏返り、ケイはお腹を抱えて笑った。
「いいじゃない! 偵察も戦車道のうちよ。でも次は、ちゃんと遊びに来てね」
「では、次回は正式に食堂を見学したいです」
「戸郷さん、そこですか」
「補給体制は重要です」
「オーケー! 歓迎するわ!」
ケイが親指を立てる。
アリサはまだ何か言いたそうだったが、TOGドッグを食べ終える頃には、少しだけ肩の力が抜けていた。
そこへ、みほが近づいてくる。
「今日は、ありがとうございました」
アリサは一瞬だけ目を逸らした。
「……次は、こんな負け方しないから」
「はい」
「次は、正面から勝つわ」
「その意気よ、アリサ!」
ケイが嬉しそうに笑う。
灯里も小さく頷いた。
「正面から来るサンダースは、とても強そうです」
「当たり前でしょ!」
アリサの声に、ようやく普段の調子が戻った。
少し離れた場所では、ナオミが華へ視線を向けている。
「次は、もっとよく狙う」
「こちらも、もっとよく狙います」
華は穏やかに微笑んでいるが、その目は真剣だった。
砲手同士の、静かな火花。
「なんか、あそこだけ空気が違うね」
沙織が小声でみほに囁く。
「うん。でも、いい空気だと思う」
みほも少しだけ苦笑した。
ケイは、大洗とサンダースの面々を見渡す。
「勝ったら嬉しい。負けたら悔しい。でも、終わったらこうやって笑える。それが戦車道よね」
「はい」
みほはしっかりと頷いた。
灯里も、TOGドッグの屋台の横から二校の生徒たちを見る。
「戦車道は、戦争ではありません。だから、終わったあとに同じものを食べられるんですね」
「その通り!」
ケイが笑顔で指を鳴らす。
すると、杏がすぐに手を挙げた。
「じゃあ、もう少し作ろうか」
「会長」
まどかが即座に止める。
「補給は大事です」
「戸郷さんまで」
ため息をつくまどかを見て、いぬさんチームの面々が笑った。
* * *
夕方が近づいていた。
サンダースとの交流も一段落し、大洗側は帰り支度を始めている。傷だらけのTOGⅡも、ゆっくりと回収の準備へ入っていた。
「……本当に、よく動きましたね」
すずが車体に残った傷を見て、ぽつりと言う。
「はい。今日のTOGⅡは、とても格好よかったです」
「戸郷さん、少し泣きそうですか?」
「泣いていません」
りんが笑うと、かなえがすぐに指摘した。
「泣いていますね」
「これは、勝利と補給の水分です」
「それを涙と言います」
少し離れた場所で、沙織が大きく伸びをする。
「今日は勝ったし、何か食べに行きたいね!」
「祝勝会でありますね!」
「皆さんで、ゆっくり食事をするのも良いですね」
「眠い」
「麻子、そこは食べようよ!」
灯里が真面目な顔で口を挟んだ。
「TOGドッグの残りならあります」
「それは、さっき食べたから!」
みほはそのやり取りを眺め、柔らかく笑う。
「じゃあ、戻ってから考えようか」
大洗の面々は、勝利の余韻を抱えたまま会場を後にする。
この時はまだ、誰も知らない。
間もなく、麻子の携帯電話へ一本の連絡が入ることを。
その着信が、いつもの眠そうな横顔から表情を消してしまうことを。
そして、勝利の余韻に満ちた一日の終わりへ、別の静けさを落とすことを。
楽しかった一日は、まだ完全には終わっていなかった。