『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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もう少しだけ2章続きます…
今回はいぬさんチームの個別回です。


いぬさんチーム幕間①「火加減と照準」

 サンダース戦から数日後。大洗女子学園の調理実習室には、戦車道の練習場とは違う音が響いていた。

 

 包丁がまな板を叩き、鍋の中ではソースが小さな泡を立てている。オーブンの扉が閉まり、その中央で火野まどかは、小さな鍋の表面をじっと見つめていた。

 

「火、少し弱めます」

 

 つまみが、ほんのわずかに回る。見ている側にはほとんど違いが分からないが、まどかの視線は鍋から離れない。泡の大きさ、色、木べらを動かした時の粘り。少し詰めすぎれば、味が重くなる。

 

「まどか、そこまで細かく見る?」

「見ます。少し詰めすぎると、後味が重くなります」

「戦車より繊細だね」

「戦車も繊細です」

 

 まどかは即答した。

 

 米倉ちとせはソーセージを温め、呼子かなえが材料表と分量を確認する。小走すずは作業台の端で、完成した皿を置く場所を確保していた。

 

 いぬさんチームは戦車道チームだが、こうして並ぶと、給食部の調理実習にしか見えない。

 

 そこへ、戸郷灯里がやってきた。

 

「火野さん」

「はい」

「本日のTOGドッグは、どのような方向性でしょうか」

「戦車道の練習前に確認することですか」

「補給は士気に関わります」

「その理屈は正しいですが、目がTOGⅡの話をしたそうです」

 

 まどかは鍋を見たまま言う。灯里は一度口を閉じた。

 

「……分かりますか」

「分かります」

「さすが火野さんです」

「褒められている気がしません」

 

 灯里が鍋を覗き込む。

 

「この濃度。TOGⅡの長い履帯を思わせます」

「違います」

「長いパンへ均等に乗るソース。長い車体を支える履帯のように――」

「戸郷さん」

「はい」

「ソースが煮詰まります」

 

 灯里はすぐに一歩下がった。

 

 まどかは火をさらに弱め、泡の立ち方が落ち着くのを待つ。木べらを持ち上げると、ソースが細く繋がりながら鍋へ戻った。

 

「火加減は、強ければいいわけではありません」

「名言ですね」

「料理の話です」

「戦車道にも通じます」

 

 まどかは少し考え、火を止める。

 

「少しだけ、分かります」

「え、もう止めるの?」

 

 りんが目を丸くした。

 

「今です」

「もう少し煮た方が濃くならない?」

「濃くはなります。でも、香りが飛びます。パンとソーセージへ乗せた時は、このくらいがちょうどいいです」

 

 灯里が真剣な顔で頷く。

 

「つまり砲撃も、香りが飛ぶ前に撃つ」

「言い方は独特ですが、だいたい違います」

「違いましたか」

「ただ、早すぎても遅すぎても駄目という点は同じです」

 

 そこで、まどかは初めて灯里を見た。

 

「砲撃も、火加減と似ているのかもしれません」

 

 灯里の目が、わずかに明るくなる。

 

「では、今日の練習はそれでいきましょう」

「何がですか」

「火加減と照準です」

「今、思いつきましたね」

「はい」

「正直ですね」

 

 まどかは小さく息を吐いたが、嫌そうではなかった。

 

* * *

 

 午後の練習場には、TOGⅡがいた。

 

 長い。いつ見ても長い。

 

 まどかは砲手席へ座り、照準器を覗き込む。正面には三つの練習標的。距離はそれほど遠くなく、動きもしない。

 

 だが、TOGⅡの砲で狙うとなれば、単純な話ではなかった。長い車体は停止してもすぐには落ち着かず、砲塔の動きも軽くない。すずが車体を少し動かすだけで、砲手席には微妙な揺れが伝わってくる。

 

「火野さん、どうですか」

「揺れます」

「TOGⅡですので」

「理由になっていますか」

「なっています」

「便利ですね、TOGⅡ」

 

 まどかは照準線を標的の中心へ重ねた。だが、わずかに動く。車体が止まったように見えた後、重さが遅れて沈み、また戻ってくる。

 

 火を止めた鍋に、余熱が残るのと同じだった。

 

「中心へ合わせるだけでは、遅れますね」

「TOGⅡは余韻のある戦車です」

「褒めていますか」

「かなり」

 

 まどかは照準器から一度目を離す。

 

「戸郷さん」

「はい」

「砲撃前にTOGⅡを褒める必要はありますか」

「士気が上がります」

「照準は下がります」

「それは問題ですね」

 

 灯里が真面目に口を閉じると、かなえが無線席から情報を伝えた。

 

「正面標的が最も近く、右はやや遠め。左は木陰に半分隠れています。風はほとんどありません」

「ありがとうございます」

 

 ちとせとりんも、装填位置で次弾を準備する。

 

「砲弾、いけます」

「受け取りも大丈夫です」

 

 すずが操縦席で息を整えた。

 

「止まります。三、二、一……停止」

 

 TOGⅡが止まる。しかし長い車体は、そこからさらに沈んだ。

 

 まどかは照準の動きを追う。

 

 まだ。もう少し。

 

 照準線が標的の中心へ戻りかける。

 

「……撃ちます」

 

 砲声。

 

 車内を衝撃が抜け、砲弾は標的の少し下へ着弾した。土が跳ね、的は大きく揺れたものの、直撃ではない。

 

「外れました」

「惜しいです」

「惜しいではなく、外れです」

「ですが、次へ繋がる外れ方でした」

「外れ方に種類があるのですか」

「TOGⅡにはあります」

「励ましてくれているのは分かります。ただ、説明が少し長いです」

 

 車内へ小さな笑いが広がる。

 

 まどかはすぐに照準器へ戻った。焦りはない。外れた理由も分かっている。

 

 早かった。

 

 車体が沈みきる前に撃ってしまった。料理でいえば、余熱を見ずに皿へ移したようなものだ。表面が整っていても、まだ中は落ち着いていない。

 

「もう一度、同じ標的でお願いします」

「了解です」

 

 ちとせからりんへ砲弾が渡る。

 

「装填完了!」

「次は、車体の戻りまで待ちます」

 

 灯里が嬉しそうに頷いた。

 

「TOGⅡの呼吸を読み始めましたね」

「呼吸ではなく揺れです」

「揺れは呼吸です」

「物理です」

 

 まどかは即答する。

 

 すずが笑いをこらえながら、TOGⅡを少し前進させた。

 

「もう一度止めます。三、二、一……停止」

 

 車体が止まり、揺れ、沈み、戻る。

 

 まどかは照準線が標的の中央を一度通り過ぎるのを見送った。

 

 まだ。

 

 少し。

 

 ここ。

 

「撃ちます」

 

 砲声。

 

 今度の砲弾は、標的の中央からわずかに右下を捉えた。

 

「命中です!」

「やりました!」

「焼き上がり!」

 

 かなえ、ちとせに続き、りんが勢いよく叫ぶ。

 

「焼き上がりは料理です」

「あ、そっか!」

 

 灯里は満足そうに頷いた。

 

「TOGⅡの一撃が、火野さんの火加減で完成しました」

「言い方は変ですが、ありがとうございます」

 

 まどかは照準器から目を離す。

 

 当たった。ただし、偶然ではない。

 

 待った。合わせた。撃った。

 

 その順番が、少しだけ自分の中へ入ってきた。

 

「次は、右の標的です」

 

 まどかの言葉に、灯里が目を瞬かせる。

 

「続けますか」

「はい。今の感覚を、冷める前に確認したいです」

「火加減ですね」

「はい」

 

 右の標的は少し遠く、下半分が木陰へ隠れている。見えている中央だけを狙えば、弾は高く外れる可能性があった。

 

「右標的、距離やや遠め。下側は木の影で見えません」

「了解しました」

 

 すずが車体の向きを微調整する。

 

「停止位置、少し右へ寄せます」

「お願いします」

 

 ちとせとりんも次弾を装填した。

 

「砲弾、渡します」

「受け取りました。装填完了です」

 

 それぞれの声が、車内で一つずつ重なる。

 

 料理も一人では仕上がらない。下ごしらえ、火入れ、盛り付け、提供。砲撃も同じだった。

 

 すずが車体を止める。かなえが距離と状況を伝える。ちとせとりんが砲弾を運び、灯里が撃つべき場面を判断する。

 

 まどかが担うのは、最後の一点。

 

 料理なら、皿の上へソースを落とす位置だ。そこがずれれば、全体の形まで崩れてしまう。

 

「……中心ではなく、少し右下」

「なぜですか」

 

 灯里が尋ねた。

 

「見えている部分だけを中心にすると、上へ外れます。隠れている下半分まで想像して、標的全体の中心を取ります」

「仕上がりの中心」

「はい。撃つ位置は、今見えている中心ではありません。全部見えた時に、一番きれいに収まる場所です」

 

 車内が一瞬、静かになる。

 

「火野さん」

「はい」

「それは、かなり砲手の言葉です」

「料理の言葉でもあります」

「では、両方ですね」

「はい」

 

 すずがTOGⅡを停止させる。

 

 揺れ。沈み込み。わずかな戻り。

 

 まどかは待ち、照準を合わせ、最後の一点を選んだ。

 

「撃ちます」

 

 砲声。

 

 右の標的が大きく揺れ、砲弾は先ほどより中央に近い位置へ命中していた。

 

「命中です!」

「今の、かなり良かったです!」

 

 かなえとりんの声が重なる。

 

「すごいというより、手順が合いました」

 

 まどかは淡々と答えたが、その口元は少しだけ緩んでいた。

 

「TOGⅡも喜んでいます」

「それは分かりません」

「喜んでいます」

「戸郷さん」

「はい」

「TOGⅡへの愛は分かりました。次の照準がずれます」

 

 灯里はすぐに口を閉じ、今度は車内の全員がはっきりと笑った。

 

* * *

 

 練習が終わる頃には、空が赤く染まり始めていた。

 

 TOGⅡは練習場の端で長い車体を休ませている。すずは停止位置の跡を確認し、かなえは命中記録をまとめ、ちとせとりんも装填の受け渡しについて話し合っていた。

 

 一発を当てるために、全員が動いている。

 

 まどかは砲手席へ残り、照準器の周辺を丁寧に拭いていた。

 

「火野さん」

「はい」

「今日は、かなり良かったです」

「ありがとうございます。でも、まだ遅いです」

「TOGⅡも遅いので、お揃いですね」

「それは励ましですか」

「かなり」

「では、受け取っておきます」

 

 まどかは少しだけ笑い、布を畳んだ。

 

「砲手は、最後に撃つ係だと思っていました」

「違いましたか」

「はい。撃つ前に、ほとんど決まっています」

 

 まどかは砲塔の内側へ手を置く。

 

「停止位置、装填、情報、車長の判断。私は最後の仕上げをするだけです」

「それは、謙遜ですか」

「事実です」

「でも、仕上げを間違えれば全部崩れます」

「はい。だから、丁寧に撃ちます」

 

 いつも通り落ち着いた声だったが、その言葉には以前より少し強い芯があった。

 

「火野さんは、TOGⅡの火加減担当ですね」

「砲手です」

「TOGⅡの火加減砲手」

「長いです」

「TOGⅡですので」

「それを理由にしないでください」

 

 いつもの掛け合いに戻りながらも、まどかの視線は前方の標的へ向いている。

 

 中心を狙うだけではない。見えているものだけを見るのでもない。全体の形を想像し、最後に一番きれいに収まる一点を選ぶ。

 

 料理の仕上げと同じ。

 

 砲撃の照準も、きっと同じだった。

 

「戸郷さん」

「はい」

「次は、動く標的も試したいです」

 

 灯里が少し目を見開く。

 

「いいのですか」

「はい。動かない標的だけでは、本番の火加減は分かりません」

「火野さん」

「はい」

「それは、かなり戦車道の言葉です」

「料理の言葉でもあります」

 

 まどかは淡々と返した。

 

「では、次は動く標的です」

 

 灯里が決めた瞬間、操縦席からすずの声が飛んでくる。

 

「動く標的って、私も動くんですよね!?」

「はい」

「TOGⅡで!?」

「TOGⅡで」

「先に曲がる練習をください!」

 

 かなえはすでにメモを取っていた。

 

「次回練習項目。操縦停止位置、動的標的、砲撃タイミング」

「増えましたね」

 

 ちとせが穏やかに言う。

 

「その前に、補給も必要です」

 

 りんがトレーを持ち上げた。

 

「さっきのソース、試食できます!」

 

 灯里の表情が真剣になる。

 

「では、TOGドッグ試食会へ移行しましょう」

「戦車道から戻るのが早いです」

「補給までが戦車道です」

 

 まどかは少し考え、頷いた。

 

「それは、少しだけ分かります」

 

 調理実習室へ向かう仲間たちの後ろを、まどかも歩き出す。

 

 火加減。余熱。仕上げの一点。

 

 その三つが、砲撃の感覚と少しだけ繋がった日だった。

 

 TOGⅡは長く、重く、遅い。その一発を仕上げる砲手も、まだ発展途上だった。

 

 だからこそ、いぬさんチームの火力は、これからもっと強くなれる。

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