サンダース戦の勝利から、数日が経った。
大洗女子学園の廊下には、いつもと少し違うざわめきがある。朝のホームルーム前、食堂へ向かう通路、購買前の掲示板、船舶科の実習棟へ続く渡り廊下。
そこかしこに、学園新聞の号外が貼り出されていた。
『大洗、強豪サンダースに勝利!』
『戦車道チーム、全国大会一回戦突破!』
『西住隊長、仲間と掴んだ一勝』
『長すぎる新戦力TOGⅡ、壁となり勝利を支える』
大きな見出しの前で、生徒たちが足を止めている。
「え、勝ったの?」
「サンダースって強いところでしょ?」
「この長い戦車、何?」
「TOGⅡって読むらしいよ」
「いぬさんチームって何?」
昨日まで戦車道に興味のなかった生徒まで、号外を覗き込んでいた。
全国大会。強豪校。一回戦突破。
普段の学園生活から少し遠かった言葉が、掲示板へ貼り出されたことで、急に身近なものへ変わっていく。
大洗女子学園の戦車道チームが、本当に勝った。
その実感が、学園艦の中を走り始めていた。
「……すごいことになってるね」
廊下の隅で、沙織が号外を見上げる。隣のみほは、少し困ったように笑っていた。
「う、うん。なんだか恥ずかしいね」
「みぽりんは隊長なんだから、もっと堂々としていいんだよ!」
「そ、そうかな」
優花里は紙面へ顔を近づけている。
「写真も載っているであります! 勝利後の整列場面ですね。八九式もIII号突撃砲も、しっかり写っています!」
「皆さんの頑張りが、こうして形になるのは嬉しいですね」
華が穏やかに微笑む。
麻子は眠そうに号外を見た。
「文字が多い」
「麻子、そこ?」
「読むと眠くなる」
「もう眠そうだよ!」
少し後ろでは、灯里といぬさんチームも紙面を確認していた。
号外の端には、傷だらけのTOGⅡが大きく写っている。長い車体を斜めに置き、カメさんチームへの射線を塞いでいた場面だった。
「TOGⅡの長さが、写真でも伝わっています」
「記事の中心は勝利です」
まどかが冷静に返す。
「もちろんです」
「でも、最初に見ているのはTOGⅡですね」
「はい」
かなえは記事の分量を確認した。
「思ったより扱いが大きいですね」
「長いので」
「紙面上の面積の話ではありません」
すずは写真を見て、少し複雑そうな顔をする。
「これ、TOGⅡが曲がり角で詰まりそうに見えませんか」
「実際、その可能性は常にあります」
「そこは否定してください」
ちとせが穏やかに笑い、りんは号外の見出しを指した。
「いぬさんチームの名前も出てる!」
「少しずつ知られてきましたね」
灯里は、ほんの少しだけ満足そうに頷いた。
その時、廊下の向こうから足音が近づいてくる。
「戦車道チームの皆さん!」
学園新聞の王大河だった。腕にはノート、首からはカメラ。表情には隠しきれない興奮がある。
「強豪サンダースを撃破した、大洗戦車道チーム。その勝利の裏側に迫ります!」
「なんか本格的だね」
沙織が少し身を引く一方、優花里は目を輝かせた。
「新聞部の取材であります!」
「寝ていいか」
「麻子、取材中!」
王大河はすでにノートを開いている。
「号外だけでは足りません。全国大会で強豪校を破ったことは、単なる部活動の結果ではなく、学園全体のニュースです」
みほは少しだけ目を丸くした。
戦車道チームだけの勝利ではない。
大洗女子学園全体のニュース。
そう言われると、胸の奥に少しだけ重さを感じる。
けれど、それは嫌なものではなかった。
「まずは、生徒会の皆さんからお話を伺います」
王大河はそう言うと、足早に生徒会室へ向かった。
* * *
生徒会室では、杏がいつものように机の上で干し芋を食べていた。柚子は書類を整理し、桃はなぜか最初から姿勢を正している。
「いやー、みんな頑張ったねー。これで戦車道も、ちょっとは注目されるかな」
「今回の勝利は、生徒会としても大きな意味があると?」
王大河の質問に、杏は干し芋を片手に頷いた。
「まあね。大洗の戦車道は、まだまだこれからってことだよ」
のんびりした口調の奥で、その目だけは少し鋭い。
柚子が続ける。
「戦車道チームの努力だけでなく、整備班や関係者の協力もあっての勝利です。次の試合へ向けた準備も始めています」
「支援体制を含めた勝利、と」
王大河が素早く書き込む。
桃は待っていたように胸を張った。
「つまり、我々生徒会の指導と作戦が――」
「桃ちゃん、作戦立てたっけ?」
杏が首を傾げた。
「河嶋さんは、フラッグ車として最後まで頑張りました」
柚子の補足に、桃が勢いよく頷く。
「そ、そうだ! 我々カメさんチームが無事だったからこその勝利だ!」
「フラッグ車としての重圧に耐えた河嶋桃副会長、と」
「おお、いい記事になりそうだな!」
桃の表情が明るくなる。
「撃った砲弾が当たったとは書いてないけどねー」
「会長!」
生徒会室に、いつもの声が響いた。
王大河は、そのやり取りまできっちり書き留めている。
「生徒会の親しみやすい雰囲気も記事にできますね」
「そこは書かなくていい!」
「いいんじゃない? 親しみやすい生徒会ってことで」
杏が楽しそうに笑い、柚子は小さくため息をついた。
* * *
次の取材場所は、戦車倉庫前だった。
あんこうチームといぬさんチームのほか、何人かの見物生徒も集まっている。
「西住隊長。強豪サンダース撃破の決め手は、何だったのでしょうか」
王大河にマイクを向けられ、みほは少し緊張した顔で考え込む。
「私一人の力ではありません」
最初の一言に、沙織が小さく笑った。
みほらしい答えだった。
「みんなが、それぞれの役割を最後まで果たしてくれたからです。アヒルさんチームとウサギさんチームは、最後まで諦めずに動いてくれました」
みほは、一つずつ思い出すように言葉を続ける。
「カメさんチームはフラッグ車として逃げ切ってくれました。カバさんチームといぬさんチームも、最後まで守ってくれました。華さんの最後の一撃も、みんなが繋いでくれたから撃てたんだと思います」
王大河のペンは止まらない。
「かなり謙虚ですね」
「えっ、そ、そうでしょうか」
「みぽりんは、いつもこうなんだよね」
沙織が胸を張る。
「そこが西住殿の素晴らしいところであります!」
「みほさんは、皆さんのことをよく見ていらっしゃいますから」
優花里と華も続いた。
麻子は眠そうなまま、短く言う。
「隊長だからな」
「麻子、それ褒めてる?」
「褒めてる」
みほは少し照れたように笑った。
「今回の勝利は、大洗全体の連携によるものだと?」
「はい。まだ足りない部分はありますけど、みんなで勝てた試合だと思います」
その言葉に、周囲の空気が少し柔らかくなる。
見物していた生徒たちの間から、小さな声が聞こえた。
「隊長って、あんな感じなんだ」
「もっと怖い人かと思ってた」
「優しそう」
みほは声に気づき、さらに顔を赤くする。
「あ、あまり大きく書かなくても……」
「そこは大きく書いてもらおうよ!」
沙織がすぐに返した。
「仲間全体を立てる隊長。興味深いです」
「そ、それも大きく書かなくていいです」
「大きく書きます」
王大河は、きっぱりと言い切った。
* * *
最後に、王大河は灯里へ向き直った。
その瞬間、いぬさんチームの空気が少し変わる。
まどかが一歩前へ出て、かなえもメモ帳を構えた。
「なぜ二人とも警戒しているのですか」
「戸郷さんが、TOGⅡの話を長くしすぎないためです」
「記事にも文字数制限があります」
二人が淡々と答える。
王大河は、むしろ興味深そうに目を輝かせた。
「今回の勝利における、TOGⅡの役割を教えてください」
「一言では足りません」
「興味深いです」
「興味を持たせてはいけません」
まどかがすぐに止める。
「では、まずTOGⅡの長さから――」
「役割からお願いします」
かなえが修正した。
灯里は少しだけ残念そうな顔をした後、咳払いする。
「TOGⅡは速くありません。しかし、速くないことが、必ずしも弱点になるとは限りません」
王大河のペンが動き始めた。
「必要な場所へ間に合わないなら、先にその場所へ向かえばいい。今回の試合では、カメさんチームを守るために後方へ入り、敵の射線を塞ぎました」
見物していた生徒たちも、少し静かになる。
「撃破だけが戦車の仕事ではありません。味方が撃つ時間を作ること。味方へ砲弾を届かせないこと。それも戦車の役割です」
いつものTOGⅡ愛だけではない。
サンダース戦で、自分たちが何をしたのか。
灯里は、きちんと理解していた。
「長い車体を、味方を守る壁として活用したのですね」
「はい。長いことには、戦術的価値があります」
「最後はいつもの灯里ちゃんだ」
沙織が苦笑する。
「しかし、実際に見事な運用でありました!」
優花里が力強く言った。
「褒めると長くなります」
「TOGⅡの話は、長いほど良いです」
「記事まで長くなります」
まどかとかなえが、すぐに止める。
王大河はノートへいくつかの見出しを書き込んだ。
『長すぎる新戦力、強豪校相手に壁となる』
『TOGⅡ、遅さを逆手に大洗を支える』
『大洗の長い守護犬、いぬさんチーム奮戦』
「守護犬って可愛い!」
沙織が目を輝かせる。
「いぬさんチームの宣伝にはなりますね」
かなえは現実的だった。
そこへ、杏がひょいと顔を出す。
「ついでに、TOGドッグの広告も載せようか」
「会長、学園新聞に広告枠は……」
柚子が慌てて追ってきた。
「勝利記念販売ってことで」
「勝利記念版を検討します」
灯里もすぐに反応する。
「また商売の話になりました」
まどかがため息をついた。
「戦車道の勝利を、食べ物へ繋げるな!」
桃が腕を組む。
「でも河嶋さん、TOGドッグ食べていましたよね」
りんの一言に、桃が詰まった。
「そ、それは補給としてだ!」
「補給は大事です」
灯里が真顔で頷く。
桃は、それ以上反論できなかった。
* * *
号外が出てから、学園内の反応は少しずつ変わっていった。
食堂では戦車道チームの話をする生徒が増え、廊下では、みほへ直接声をかける者も現れる。戦車倉庫の近くには、TOGⅡを見ようと足を運ぶ生徒もいた。
「西住さん、サンダース戦すごかったね!」
「あ、ありがとうございます」
「次も応援してるから!」
「はい。頑張ります」
慣れない様子で頭を下げるみほを、沙織が少し離れた場所から見ていた。
「みぽりん、人気者だね」
「そ、そんなことないよ」
「でも、皆さんが応援してくださるのは嬉しいですね」
華が穏やかに言う。
「大洗の戦車道が、認められてきた証であります!」
優花里は感激していた。
「応援が増えると、寝づらくなる」
「麻子はそこ?」
壁へ寄りかかる麻子へ、沙織が突っ込む。
一方、TOGⅡの前では、灯里が見学に来た生徒へ説明をしていた。
「TOGⅡって、本当に長いんですか?」
「はい。見れば分かります」
「今度、近くで見てもいいですか?」
「見学は歓迎します。ただし、TOGⅡへの敬意を持ってください」
「敬意?」
「長さへの敬意です」
困惑する生徒の横から、まどかが口を挟む。
「普通に見学して大丈夫です」
「普通でいいんだ」
「はい」
かなえは、すでに希望者の人数を数えていた。
「一度に集まると危ないので、時間を分けましょう」
「さすが呼子さんです」
「見学者の整理も、注文整理と似ています」
「似ていますね」
かなえは淡々と答えた。
別の生徒たちは、いぬさんチームの調理担当へ集まっている。
「勝利記念TOGドッグって出るの?」
「まだ試作中です」
ちとせが穏やかに答えた。
「マスタード増量案があります!」
「辛すぎると苦情が来るので、調整中です」
りんの提案を、かなえがすぐに補足する。
「アンツィオ戦前なら、イタリア風も良いかもしれません」
まどかが考える。
「トマトソース、チーズ、バジルなら、味はまとまりそうです」
「もう料理研究が始まってる」
沙織が笑った。
「試合より先に、屋台の話になっていませんか?」
みほが少し不安そうに言う。
「両方やるのが、大洗らしさだよー」
いつの間にか杏が混ざっていた。
「会長、また自然に入っていますね」
柚子も後ろから追いつく。
杏は掲示板の号外を見上げ、にやりと笑った。
「でもさ、こういうのって大事だよ。戦車道チームだけが勝ったんじゃなくて、学園のみんなが『大洗が勝った』って思えるようになるから」
みほが少しだけ顔を上げた。
号外が学園艦の風に揺れている。
そこには、大洗女子学園の名前が大きく載っていた。
戦車道チームだけではない。
大洗の勝利として。
「西住さんの戦車道が、少しずつ大洗の中へ広がっていますね」
灯里の言葉に、みほは首を横へ振る。
「私だけじゃないよ。みんなの戦車道だと思う」
少し照れた声だった。
「はい」
灯里は静かに頷き、少しだけ真面目な顔になる。
「では、TOGⅡもその一部ですね」
「もちろん」
みほは迷わず答えた。
灯里は、満足そうに頷く。
その返事だけで、倉庫の前に停まるTOGⅡの長い車体が、少し誇らしそうに見えた。
もっとも、そう見えているのは灯里だけかもしれない。
* * *
放課後になっても、掲示板の前には号外を読む生徒が残っていた。
王大河は続報記事の下書きを抱え、何度も修正した見出しを確認している。
『大洗、強豪サンダース撃破!』
『西住隊長、仲間と掴んだ一勝』
『長すぎる新戦力TOGⅡ、壁となり勝利を支える』
そして、紙面の隅には小さな囲み記事。
『いぬさんチーム、勝利記念TOGドッグ試作中?』
「結局、載ったんですね」
まどかが額へ手を当てる。
「広告ではなく、関連記事です」
かなえが冷静に答えた。
「勝利記念という言葉には力があります」
「味は普通においしくしてください」
灯里へ、まどかが釘を刺す。
そこへ、あんこうチームもやってきた。
「次の相手、アンツィオだって書いてあるね」
沙織が号外の下部を指す。
『次戦の相手はアンツィオ高校』
『大洗戦車道チーム、二回戦へ』
「アンツィオ高校! イタリア系の学校でありますね!」
優花里の目が輝く。
「小型で素早い車両を多数運用しています。サンダースとは、かなり違う相手であります」
「お料理もおいしそうですね」
華が少し楽しそうに微笑んだ。
「食べ物の話になった」
麻子が眠そうに呟く。
灯里は腕を組み、少し真面目な顔で号外を見た。
「素早い小型車両は、TOGⅡでは追えません」
「珍しく、すぐ戦車の話ですね」
まどかが言う。
「ですが、追えないなら、追わなくてもよい場所を選ぶ必要があります」
灯里は記事の横に載るアンツィオ高校の校章を見る。
「アンツィオとTOGドッグの相性も研究が必要です」
「やっぱり屋台の話へ戻りました」
まどかが小さく息を吐いた。
「アンツィオ相手なら、屋台対決も面白そうだねー」
杏が、どこからともなく現れる。
「会長、試合です!」
桃がすかさず突っ込んだ。
「分かってるって」
杏は軽く手を振る。
みほは掲示板の号外を見上げた。
風に揺れる紙面。そこへ書かれた、大洗の勝利。それを読み、立ち止まる生徒たち。
まだ、この注目には慣れない。
けれど、嫌ではなかった。
「次も、頑張らないとね」
みほが静かに言う。
「うん!」
「もちろんであります!」
「皆さんで、また頑張りましょう」
「眠くない時間なら」
麻子の一言に、みんなが笑った。
灯里は、TOGⅡの写真が載った号外へ目を向ける。
「大洗は勝ちました」
それは、ただの試合結果ではなかった。
戦車道チームだけの一勝が、大洗女子学園全体のニュースへ変わり始めている。
その紙面の端には、味方を守り抜いた長すぎる戦車が、静かに写っていた。
次の相手は、アンツィオ高校。
速く、小さく、サンダースとはまったく違う戦車たちが待っている。
大洗の全国大会は、まだ始まったばかりだった。