『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第3話「戦車道、始まります」

 体育館の扉が開くと、ざわめきが一気に大きくなった。

 

 全校生徒集合。

 その言葉通り、体育館にはすでに多くの生徒たちが集まっていた。普段の集会とは少し違う空気がある。

 何かが始まる。

 誰もがそう感じているようだった。

 

「何の集会だろうね」

 武部沙織が、隣を歩く西住みほに小さく声をかける。

「……うん」

 みほは小さく頷いた。

 けれど、その声は弱い。顔色もまだ良くない。さっき保健室で少し休んだとはいえ、戦車道という言葉が消えたわけではない。

 五十鈴華は、そんなみほの様子を気遣うように少し横へ並んでいた。

「西住さん、無理はなさらないでくださいね」

「ありがとう、五十鈴さん」

 みほは笑おうとした。

 けれど、うまく笑えていなかった。

 

 灯里は、三人の少し後ろを歩いていた。

 近すぎず、遠すぎず。何かあったら声をかけられる距離。

 体育館の中を見渡すと、生徒たちは思い思いに話していた。

「戦車道って本当なの?」

「うち、戦車なんてあったっけ?」

「選択科目って言ってたよね」

「何か面白そうじゃない?」

「戦車って乗れるのかな」

 

 期待。

 戸惑い。

 好奇心。

 その全部が混ざった空気だった。

 

 灯里は、ステージの方を見る。

 そこにはすでに生徒会の三人がいた。

 角谷杏はいつも通り軽い雰囲気で立っている。小山柚子は資料を抱え、河嶋桃はマイクの前で真面目な顔をしていた。

 

 やがて、桃が一歩前に出る。

「静粛に!」

 

 体育館のざわめきが、少しずつ収まっていく。

 桃は胸を張り、マイクを握った。

「本日は、今年度から新たに復活する選択科目について説明する」

 

 生徒たちが一斉に反応した。

「復活?」

「やっぱり戦車道?」

「本当に?」

 

 桃は、その反応を待っていたように声を張る。

「そうだ。本年度より、大洗女子学園では選択科目として、戦車道を復活させる!」

 

 体育館が大きくざわついた。

 

 戦車道。

 

 その言葉が、改めて体育館全体へ広がっていく。

 灯里は、隣の方へ視線を向けた。

 みほは、じっとステージを見ている。

 表情は固い。

 

 戦車道。

 西住みほが逃げてきたもの。

 戸郷灯里が追いかけてきたもの。

 

 同じ言葉が、二人にとってまるで違う意味を持っている。

 

* * *

 

 ステージでは、柚子がプロジェクターの準備を進めていた。

 杏は桃の横で、にこにこしながら手を振る。

「まあまあ、みんなそんなに固くならないでさ。まずは戦車道ってどんなものか、見てもらおっか」

「会長、軽すぎます」

「説明は映像の方が分かりやすいって」

 

 桃は咳払いをした。

「では、戦車道紹介映像を流す!」

 

 照明が少し落ちる。

 体育館前方のスクリーンに映像が映し出された。

 

 華やかな音楽。

 整備された戦車。

 優雅に敬礼する女子生徒たち。

 競技場を進む車列。

 砲撃、旗、歓声。

 

 映像の中の戦車道は、明るく、美しく、誇らしいものとして紹介されていた。

「すごい……」

「かっこいい」

「戦車って意外と綺麗なんだね」

「制服かわいい」

 

 生徒たちの声が、あちこちから聞こえる。

 沙織も少し身を乗り出した。

「なんか、思ってたより華やかだね」

「戦車というと、もっと荒々しいものを想像していました」

 華も穏やかに言う。

「でも、礼儀や所作も大事にされているのですね」

 

 灯里は映像を見ていた。

 確かに、映像は綺麗だった。

 戦車道を知らない生徒には、魅力的に見えるだろう。安全で、華やかで、伝統ある乙女のたしなみ。

 

 けれど、灯里の視線は自然とみほへ向かう。

 

 みほは、映像を見ている。

 でも、その目は画面の華やかさを追っていなかった。

 きっと、別のものを見ている。

 

 試合。

 黒森峰。

 雨。

 川。

 助けに向かった先。

 そして、その結果。

 

 灯里はそこまでを知っている。

 知ってしまっている。

 

 けれど、それをここで口にすることはできない。

 

 映像は綺麗だ。

 でも、西住さんにとって戦車道は、こんなに綺麗なものだけじゃない。

 

 灯里は、みほの手を見た。

 指が、少し震えていた。

 

* * *

 

 紹介映像が終わると、桃が再びマイクを取った。

「戦車道は選択科目である。履修を希望する者は、配布された履修届に記入し、指定の期日までに提出するように!」

 

 杏が横から軽く付け加える。

「まあ、興味ある子はどんどん来てねー。初心者歓迎だからさ」

 

 柚子が資料をめくる。

「初心者向けの説明や見学も予定しています。経験がない人でも大丈夫です」

 

 その言葉に、生徒たちのざわめきはさらに大きくなった。

「初心者でもいいんだ」

「見学だけでも行ってみようかな」

「戦車って乗れるの?」

「選択科目なら単位も出るんだよね?」

 

 その流れに乗るように、杏がにこにこしながら言った。

「それと、成績優秀者には特典も検討中でーす」

 

 桃がぎょっとする。

「会長、それはまだ正式には――」

「たとえばー」

 

 杏は指を折りながら数えた。

「食堂の食券百枚とか」

 

 体育館がざわついた。

「百枚!」

「え、食券!」

「本当に?」

「それから、遅刻見逃し二百日とか」

 

 桃がマイクを奪いかける。

「会長!」

 

 しかし生徒たちは別の方向でざわついていた。

「遅刻見逃しって何!」

「二百日は多くない?」

「誰向けの特典?」

 

 灯里は無表情のまま、心の中で呟いた。

 

 まるで誰かのための特典だぁ……。

 

 まだその誰かは、この場にはいない。

 少なくとも、灯里の視界にはいない。

 だが、低血圧で朝に弱い誰かに向けられたような露骨さを感じる。

 

 杏はさらに続けた。

「あと、通常授業の三倍の単位とか」

「会長! 確定事項のように言わないでください!」

 

 桃がついに止めに入る。

 柚子が慌ててフォローした。

「え、ええと、詳細は今後正式にお知らせします!」

 

 体育館は笑いとざわめきで少し明るくなった。

 緊張していた空気が、少しだけ緩む。

 

 沙織は目を輝かせていた。

「食券百枚ってすごくない?」

「それほど期待されているということなのでしょうか」

 華も静かに頷く。

 

 みほは困ったように笑った。

 でも、その笑顔はまだ弱い。

 灯里は、それを見落とさなかった。

 

* * *

 

 説明会が終わると、体育館の中はさらにざわついた。

 

 戦車道に興味を持った生徒。

 食券に反応した生徒。

 単位に反応した生徒。

 遅刻見逃しという言葉に首を傾げる生徒。

 

 理由はばらばらだったが、戦車道という言葉は確かに全校生徒の中へ投げ込まれた。

 

 みほは、履修届を握ったまま立ち尽くしていた。

 沙織と華がそばにいる。

「みほ、大丈夫?」

「……うん」

 

 大丈夫ではない。

 けれど、みほはそう答えるしかないのだろう。

 

 沙織は少し考えてから、明るい声で言った。

「ねえ、みほ。やっぱり嫌なら断ろうよ」

「沙織さん……」

「一人で言いにくいなら、一緒に行くって言ったでしょ」

 

 華も静かに頷いた。

「はい。西住さんが望まない選択をする必要はないと思います」

 

 みほは、二人を見た。

 その目が少しだけ揺れる。

 

 灯里は、少し離れた場所でそれを見ていた。

 

 沙織と華は、みほの背中を押しているわけではない。

 無理に戦車道へ戻そうとしているわけでもない。

 ただ、みほが自分で選べるように、そばにいる。

 

 その距離感が、灯里にはとても眩しかった。

 

 自分が何かを言う必要はない。

 少なくとも、この場では。

 

 みほの選択は、みほのものだ。

 

 その時、沙織がこちらを振り返った。

「そういえば、戸郷さんは?」

「はい?」

「戸郷さんは戦車道やるの?」

 

 灯里は、履修届を少し持ち上げた。

「私の履修届には、最初から丸がついていました」

「最初から?」

「はい」

 

 沙織が目を丸くする。

「それっていいの?」

「分かりません」

「分からないんだ」

「ですが、どのみち私は戦車道を選ぶつもりでした」

 

 みほが、少しだけ灯里を見る。

 

 灯里は、静かに言った。

「私には、私の理由があります」

 

 TOGⅡがある。

 自分の車長席がある。

 そして、見届けたいものがある。

 

 それは、みほに戦車道を強いる理由にはならない。

 

「だから、西住さんには西住さんの理由があっていいと思います」

 

 みほは、少しだけ目を伏せた。

「……ありがとう」

 

 それだけだった。

 でも、今はそれでよかった。

 

* * *

 

 その少し後。

 

 体育館の端に、一人だけ明らかに様子の違う生徒がいた。

 

 秋山優花里。

 

 紹介映像の時から、目の輝きが違っていた。戦車が映るたびに身を乗り出し、車両名らしき言葉を小さく呟いている。

 灯里は、思わずその様子を見てしまった。

 

 戦車が好きな人間の目だ。

 

 分かる。

 とても分かる。

 

 優花里は履修届を握りしめたまま、何度も戦車道の欄を見ていた。

「戦車道……本当に……」

 

 その声は震えている。

 怖さではない。

 期待と興奮で。

 

 灯里は少し迷ってから、声をかけた。

「秋山さん」

「は、はい!」

 

 優花里は驚いたように振り返った。

「戸郷殿……ですよね?」

「はい。戸郷灯里です」

「秋山優花里であります!」

 

 勢いよく名乗られた。

 灯里は少しだけ瞬きをする。

「……であります」

「あ、す、すみません。つい」

「いえ。良いと思います」

 

 優花里は少し照れたように笑う。

 だが、その視線はすぐに灯里の履修届へ向いた。

「戸郷殿も、戦車道を?」

「はい」

「経験がおありなのですか?」

「少しだけ」

 

 聖グロリアーナ。

 その記憶は、まだ完全ではない。

 ただ、自分が戦車道と無縁ではないことだけは分かる。

 

 優花里は、さらに目を輝かせた。

「もしかして、何か乗られていたのでありますか?」

「今は、TOGⅡがあります」

 

 優花里が固まった。

 

 数秒。

 本当に、数秒止まった。

 

「……TOGⅡ、あります、とは?」

「TOGⅡがあります」

「TOGⅡが……」

「はい」

「実物で?」

「はい」

「大洗に?」

「はい」

 

 優花里の瞳が、みるみるうちに輝いていく。

「そ、それは、イギリスの試作超重戦車、あの長大な車体で有名なTOGⅡでありますか!?」

「はい。長い戦車です」

「長い戦車!」

 

 優花里は胸の前で両手を握りしめた。

「素晴らしいであります……!」

 

 灯里は静かに頷いた。

「秋山さんは、分かる人ですね」

「分かります! 分かりますとも! あの長大な車体、試作車両ならではの存在感、時代に取り残されたようでいて、しかし確かにロマンの塊であるあの英国戦車を――」

 

 そこまで言って、優花里ははっとした。

「す、すみません。つい」

「大丈夫です。続けてもいいです」

「よろしいのですか!?」

「はい。ですが、移動しながらでお願いします」

 

 灯里は生徒会の方へ目を向けた。

 角谷杏が、にこにこしながらこちらを見ている。小山柚子は書類を確認し、河嶋桃は腕を組んで厳しい顔をしていた。

 

 杏が軽く手を振る。

「戸郷ちゃん、例のやつ、よろしくねー」

「分かりました」

 

 桃は真面目な顔で言った。

「くれぐれも校内で事故を起こすなよ」

「TOGⅡは長いですが、安全運転はできます」

「その“長いですが”が不安なのだ」

「長さは事実ですので」

「そこは否定しないのだな」

 

 柚子が少し不安そうに聞く。

「本当に大丈夫? 誘導する人、必要なんだよね?」

「はい。上から周囲を確認してくれる人がいると助かります」

 

 灯里は、そこで優花里を見た。

 

 戦車に詳しい。

 TOGⅡという名前に即座に反応した。

 そして、おそらく上に乗って周囲確認を頼んでも、怖がるより興奮する可能性が高い。

 

 適任だった。

 

「秋山さん」

「はい!」

「少し付き合ってもらえますか」

「はい? 何にでしょうか?」

 

 灯里は、当たり前のように言った。

「TOGⅡを出します」

 

 優花里は、数秒固まった。

 

 そして、震える声で聞き返す。

「……今、なんと?」

「TOGⅡを出します」

「TOGⅡを……出す……?」

「はい。実物を」

 

 優花里の瞳が、さらに輝いた。

「じ、実物……実働……?」

「たぶん動きます」

「たぶん!?」

 

 沙織が目を丸くする。

「え、戸郷さん、戦車持ってるの?」

 

 華も驚いたように口元に手を添えた。

「それは、また……大きなお話ですね」

 

 みほも、信じられないように灯里を見ていた。

「戸郷さん……TOGⅡって……」

 

 灯里は静かに頷く。

「長い戦車です」

 

 説明としては、あまりにも足りなかった。

 だが、灯里にとってはそれが最重要だった。

 

 杏が楽しそうに笑う。

「じゃ、説明会の次は実物見学ってことで」

 

 桃が頭を抱えた。

「会長、段取りが雑です!」

「インパクトは大事だよー」

 

 柚子は苦笑しながら、資料に何かを書き足していた。

 

 灯里は、体育館の出口の向こうを見た。

 その先には校舎があり、広場があり、さらにその先に自宅がある。

 地下ガレージには、TOGⅡが待っている。

 

 映画館の席は、もうない。

 けれど、車長席はある。

 

 そして今、その長すぎる戦車が、大洗女子学園の前に姿を現そうとしている。

 

 灯里は、小さく息を吸った。

「行きましょう、秋山さん」

 

 優花里は、感極まったように敬礼した。

「はい、戸郷殿!」

 

 その日の放課後。

 

 大洗女子学園の広場に、誰も予想していなかった長すぎる戦車が姿を現すことになる。

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