戦車倉庫前には、朝からいつもより大きな声が響いていた。
サンダース大学付属高校に勝ったことで、大洗女子学園の戦車道チームには分かりやすい変化が生まれている。アヒルさんチームは以前にも増して声が大きく、ウサギさんチームはM3リーの周囲を何度も確認していた。カバさんチームは試合の流れを歴史上の戦いへ例え、カメさんチームもフラッグ車としての逃走経路を真剣に相談している。
勝ったから浮かれているだけではない。勝てたからこそ、次も勝ちたいと思い始めていた。
みほは皆の様子を眺め、少しだけ背筋を伸ばす。次の相手はアンツィオ高校。小型で軽快な車両を多数運用し、サンダースとはまるで違う戦い方をする学校だ。大洗は一回戦を突破したが、全国大会はまだ始まったばかりだった。
「一回戦を勝ったからといって、調子に乗るんじゃない!」
全員の前に立った桃が、いつも通り声を張り上げる。
「まあまあ、やる気があるのは良いことじゃん」
杏は干し芋を口にくわえ、のんびり笑っていた。
柚子が予定表を確認する。
「今日は隊列、射撃、整備確認の順に行います。無理な走行はせず、それぞれの車両の役割を確認してください」
「まず、各チームの現在の動きを見ます。そのあと、アンツィオ戦を想定して、相手を追うのではなく、通り道を読む練習をします」
みほが続けると、全員の視線が自然と集まった。その感覚にはまだ完全には慣れていないが、命令を待っているというより、自分の言葉を聞こうとしてくれているのだと思うと、少しだけ呼吸が楽になる。
倉庫の横では、灯里といぬさんチームがTOGⅡの準備を進めていた。砲弾、無線、操縦席、装填位置。給食部専攻らしい段取りの良さが、戦車の中にも馴染み始めている。
「追えないなら、根性で待つ!」
典子が拳を握った。
「待つのにも根性なのか」
麻子が眠そうに言う。
「待つ根性は大事です。TOGⅡも、基本的には待つことになります」
「待っているというより、間に合わないだけでは」
すずが操縦席から返す。
「表現の違いです」
「現実の違いでもあります」
まどかは砲手席から顔を出した。
「どちらにしても、撃てる場所へ先にいることが大事です。TOGⅡの場合は特に」
「火野さん、今日も冷静ですね」
「現実ですので」
かなえは無線機を確認しながら、手元のメモを三つに分ける。
「情報は『今すぐ必要』『次に必要』『記録だけ』で整理します。小さい車両が複数動くなら、優先順位が必要です」
「さすが呼子さんです」
「戸郷さんのTOGⅡ語りは欄外です」
「欄外にも価値があります」
「通信欄には入りません」
りんが砲弾の置き場を確認しながら笑った。
「今日は仕込みってことですね」
「はい。仕込みが良ければ、あとが楽になります」
ちとせも落ち着いて頷く。
みほは、そのやり取りを見て小さく息を吐いた。大洗の戦車道は、最初から整っていたわけではない。車両も人員も経験も足りない。それでも皆が、少しずつ自分にできることを見つけ始めている。
隊長は、それを見落としてはいけない。
* * *
練習は、Ⅳ号を中心とした隊列確認から始まった。
八九式は以前より粘り強く動くようになっている。速くもなく、火力も高くない。それでもアヒルさんチームは簡単に止まらず、味方の側面を支える位置を意識していた。
ウサギさんチームも逃げるだけではなく、敵役の位置や進行方向を報告しようとしている。まだ声は重なりやすいが、何も言わずに走っていた頃とは違った。
カバさんチームは、射線を意識しながらIII号突撃砲を動かしている。
「ここはテルモピュライのごとく!」
「いや、撃つならもう少し右だ」
「ならばアウステルリッツ的に――」
「だから右だ」
優花里が少し困った顔で補足した。
「射線は歴史的名称より、地形と角度を見た方がよいかと!」
「む、確かに」
カメさんチームはフラッグ車としての逃走練習を行っていた。杏は楽しそうに操縦し、柚子は地図と進路を見比べ、桃が後ろを振り返って叫んでいる。
「会長、もう少し慎重に!」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
「大丈夫ではありません! フラッグ車です!」
みほは各チームの動きを見ながら、必要な修正だけを短く伝えていく。言いすぎれば迷わせ、言わなければ危険になる。隊長の仕事は、思っていた以上に細かかった。
一方、いぬさんチームは後方通路の封鎖と待ち伏せ位置を確認していた。
「TOGⅡは追えません。追撃ではなく、止まる位置を確認します」
灯里の説明を、すずがすぐに言い換える。
「止まる場所を間違えない練習ですね」
「正解です」
「止まったあとで『やっぱり違いました』は困ります」
「TOGⅡでは、かなり困ります」
「分かっているなら、最初から正確にお願いします」
まどかは照準器を覗いたまま口を挟む。
「撃てる場所へ先にいる。撃てない場所に長くいると、ただ長いだけになります」
「ただ長いTOGⅡも魅力的ですが」
「戦術的には困ります」
かなえが周囲の情報を読み上げる。
「アヒルさんチーム、左へ移動中。ウサギさんチーム、後退しながら報告練習。カメさんチームは……かなり速いです」
「少しではないな」
Ⅳ号の操縦席から、麻子の声が入った。
「会長、逃げるの上手いね」
沙織が苦笑する。
練習は完璧ではない。八九式は待ちすぎて前へ出るタイミングを逃し、M3リーは情報を一度に伝えようとして無線を混雑させた。III号突撃砲も射線へ集中するあまり、味方の退避路を塞ぎかける。TOGⅡは停止位置を一度間違え、後退と修正に時間がかかった。
けれど、失敗の種類は変わっていた。
ただ逃げる。何となく撃つ。勢いだけで動く。
そこから、次に何をするべきか考える段階へ進み始めている。
「西住殿、ウサギさんチームの報告量がかなり増えているであります!」
「うん。あとは、何を先に伝えるかだね」
「はい!」
優花里が嬉しそうに頷いた。
みほは手元のメモへ目を落とす。隊列、射線、退避路、待ち伏せ位置、報告の優先順位。書くことは増え続けていた。
練度は上がっている。
それでも、アンツィオを相手にするには、まだ足りない。
* * *
夕方、練習が終わっても、誰もすぐには帰ろうとしなかった。勝利を経験したことで、皆の中に「もう少し上手くなりたい」という気持ちが生まれている。
「西住、戸郷。作戦会議だ」
桃が二人を呼んだ。
「はい」
「分かりました」
向かおうとしたところで、典子が勢いよく駆け寄ってくる。
「西住さん! さっきの動き、もう少し待った方が良かったですか?」
「八九式の場合、待ちすぎると次の位置へ入れなくなるから――」
「あの、待ち伏せする時は、どこを見ればいいんでしょう?」
あけびも続き、そこへウサギさんチームまで集まってきた。
「隊長、逃げる時は、どこを見ればいいですか?」
「報告は、いつ入れればいいですか?」
「撃たれそうな時は叫んでもいいですか?」
「叫んでもいいけど、必要な情報も一緒に言ってね」
さらに、カバさんチームが陣形の相談を持ち込む。
「我々の動きを歴史的に例えるならば――」
「例えはなくても大丈夫かも……」
みほは一つずつ丁寧に答えようとした。待つ位置、報告のタイミング、射線、退避路。どれも必要な相談で、簡単には切り上げられない。
そこへ、なぜか別の質問まで混ざった。
「戦車の話ばかりしていると、彼氏が逃げるって本当ですか?」
「それ、相談相手は私でいいの!?」
沙織が思わず声を上げる。
みほの周囲には、いつの間にか人だかりができていた。
少し離れた場所から見ていた灯里にも分かる。西住みほは、もう頼られている。黒森峰の名前だけではなく、サンダースに勝ったからだけでもない。皆が練習を見てもらい、指示を聞き、自然と質問を持ってくる相手になっていた。
けれど、このままでは、みほが全部を背負ってしまう。
「通信と恋愛相談なら、私が聞くよ!」
沙織が両手を上げて前へ出た。
「恋愛相談は武部殿の担当でありますな!」
「そこだけ決定しないで!? 通信も見るから!」
麻子も少し遅れて口を開く。
「操縦なら、少しは見られる」
その一言に、ウサギさんチームが一斉に振り向いた。
「冷泉先輩!」
「逃げる時のコツをお願いします!」
「起きている時に聞け」
「今です!」
「今か」
優花里も胸を張る。
「車両の構造、装填、戦車ごとの特徴ならお任せください! 必要なら資料も作るであります!」
「射撃でしたら、私でよければ」
華も静かに続けた。
「撃つ前に見る場所や、落ち着き方くらいでしたら、お話しできると思います」
みほは驚いたように仲間たちを見る。
「みんな……」
「みぽりんだけが全部やらなくていいんだよ」
沙織が笑った。
「隊長が倒れたら、作戦会議もできない」
麻子の声は眠そうだが、内容は真面目だった。
「西住殿の戦車道を、皆で支えるであります!」
「それが、私たちのチームですから」
優花里と華も頷く。
灯里も少しだけ手を上げた。
「TOGⅡのことなら、私に」
「限定的すぎない!?」
沙織がすぐに突っ込む。
「TOGⅡは広いです」
「長い、では」
まどかが隣から訂正する。
「広く、長いです」
「余計に広がった」
麻子が呟いた。
みほは困ったように笑い、少しだけ表情を和らげる。
「TOGⅡの相談が来たら、お願いしてもいいかな?」
「はい。全力で」
「それと、待ち伏せや盾になる位置、通路を塞ぐ時の相談も」
「得意分野です」
「追撃は?」
「不得意分野です」
「即答だね」
「追えませんので」
周囲に小さな笑いが起きた。
灯里は、みほから指揮を奪うつもりはない。大洗の隊長は西住みほだ。ただ、TOGⅡ、重車両、待ち伏せ、盾役、通路封鎖。その限られた範囲なら、自分も支えられる。
みほの肩から、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。
黒森峰では、隊長は強く、迷わず、一人で判断しなければならなかったのかもしれない。
けれど、大洗では仲間が隊長を支える。
西住さんは、もう一人ではない。
灯里は、静かにそう思った。
* * *
作戦会議は、戦車倉庫横の小さな会議スペースで行われた。机の上にはアンツィオ高校の資料、練習中のみほのメモ、柚子の備品表、優花里の戦車資料が並んでいる。杏は椅子へ浅く座り、桃は腕を組み、柚子と華は書類を整理していた。
「アンツィオ高校は、サンダースとは違う相手だ」
桃が言う。
「小型で軽快な車両が多く、複数方向から動かれると厄介です。CV33のような小型車両は火力が高くなくても、見失いやすいと思います」
みほが資料を指す。
「TOGⅡとは相性が悪いです」
灯里は即答した。
「戸郷ちゃん、毎回そこは早いねー」
杏が笑う。
「追えませんので」
「そこまで潔いと、逆に安心するな」
桃は複雑そうだった。
「今日の練習で、皆が少しずつ役割を意識できるようになりました。アヒルさんチームは待つ位置、ウサギさんチームは報告、カバさんチームは射線、カメさんチームは逃走経路。いぬさんチームも、通路封鎖と後方警戒が安定してきています」
みほの説明を受け、灯里も資料を見る。
「ですが、今の大洗は車両数も役割の幅も少ないです。一両に複数の役割を持たせているので、どこかが崩れると一気に苦しくなります」
「サンダースには勝ったけど、プラウダも黒森峰も残ってるしね」
杏が干し芋を揺らした。
「聖グロリアーナもです」
灯里が静かに付け足す。
その名前を口にした時、声がほんの少しだけ変わった。みほは気づいたが、何も聞かなかった。
「車両が、もう少し欲しいですね」
資料を見つめたみほが言う。
「役割の幅が広がれば、作戦にも余裕ができます」
「だが、新しく戦車を買う予算などないぞ」
桃の言葉に、柚子も小さく頷いた。
「予算があるなら、最初から苦労していません」
隣で資料を整理していた華が、古い紙へ目を止める。
「あの、こちらの台帳ですが……」
「どうしました?」
柚子が覗き込んだ。
「昔の備品記録に、未確認の戦車関連部品が残っています。砲、履帯、車両部品、車体らしき記述もあります」
「えっ」
柚子の声が裏返る。
「なに!?」
桃が身を乗り出した。
「場所は曖昧ですが、学園艦内の複数箇所へ保管、または放置されている可能性があるようです」
「戦車を放置するな!」
桃が叫ぶ横で、杏はにこりと笑った。
「じゃあ、探してみよっか」
その一言で、作戦会議は探索会議へ変わった。
* * *
探索は手分けして行うことになった。
一年生チームと沙織は、人数と勢いを買われて船底方面。カバさんチームと優花里は、古い記録に残る森。アヒルさんチーム、みほ、麻子は、離れた場所にある古い木造部室へ向かう。
生徒会と華は資料の確認を続け、灯里は倉庫で探索用の端末を準備した。
「TOGパピー?」
みほが聞き返す。
「小型探索支援用のTOGⅡ型端末です」
灯里が箱から取り出したのは、小型カメラを載せた、細長い小さなTOGⅡだった。
「また増えた」
麻子が言う。
「狭所確認、簡易マッピング、迷子捜索に使えます。TOGⅡ本体が入れない場所用です」
「本体が入れない場所、多そうだね」
「はい。とても多いです」
「そこは自信満々なんだ」
灯里は真面目に頷く。
「小さくなっても長いのですね」
華が微笑んだ。
「概念は必要です」
「概念なんだ……」
沙織は呟きながら、一年生チームと船底へ向かった。
学園艦の各所へ散っていく生徒たちの声が、普段の訓練とは違う賑やかさを作る。
戦車を探す。
言葉だけなら大げさだが、この学校では本当に起こる。大洗は、そういう場所だった。
* * *
アヒルさんチーム、みほ、麻子が向かった木造部室は、長い間使われていないようだった。木の壁は所々剥がれ、窓には埃が積もっている。扉を開けると、古い紙と木材の匂いが流れ出した。
中には壊れたロッカーや使われなくなった道具、古い備品が雑然と置かれている。
「根性で探します!」
典子が張り切って踏み込んだ。
「埃には根性で勝てない」
麻子が鼻を押さえる。
「あけびは右、妙子は奥、忍は上の棚!」
「はい!」
四人が手分けして調べ始め、みほも古い備品を一つずつ確認する。麻子は半分眠そうな顔のまま、壁際に置かれた長いものへ視線を向けた。
「これは何だ」
典子が奥から声を上げる。
「西住さん、物干し竿にしては太すぎませんか?」
みほが近づき、表面の埃を払った。
そこには、長い砲身が横たわっている。
「これは……Ⅳ号戦車用の長砲身75mm砲だと思います」
「物干し竿にするには物騒だな」
麻子が言う。
「根性で干していたんですね!」
「それは違うと思う」
今すぐ使える状態ではない。劣化の確認が必要で、搭載には自動車部の整備も欠かせない。それでも、Ⅳ号の強化へ繋がる可能性がある大きな発見だった。
「生徒会と自動車部へ連絡しましょう」
「はい!」
典子が大きく頷いた。
* * *
一方、カバさんチームと優花里は森の中を歩いていた。
「本当に、この方法で戦車が見つかるのでありますか?」
優花里は、カエサルが手にした棒を見て困惑している。
「古の兵法には、時に理屈を超えた導きがある」
「つまり、勘だな」
エルヴィンが答える。
「いや、これは八卦である」
左衛門佐は真剣だった。
「戦車探索に八卦……奥が深いであります」
優花里は困惑しながらも、戦車発見の可能性に目を輝かせる。
しばらく進んだところで、おりょうが池の方を指した。
「あれは何ぜよ?」
泥と草の中から、金属の一部が覗いている。
優花里が駆け寄り、手で泥を払った。
「こ、これは……!」
「見えたぞ!」
左衛門佐が叫ぶ。
重厚な車体の一部と、独特な形状が少しずつ姿を現した。
「ルノーB1 bisであります! フランスの重戦車で、独特な砲配置と――」
「まずは報告だな」
カエサルが手を上げる。
「はっ、そうであります!」
報告を受けた生徒会は、すぐに自動車部へ連絡した。
「新しい乗員も探さなきゃねー」
杏は楽しそうだった。
「また人員の問題か……!」
桃は頭を抱えた。
* * *
夕方には、探索組の多くが戦車倉庫前へ戻っていた。
Ⅳ号用長砲身75mm砲と、ルノーB1 bis。どちらも発見しただけで、すぐに使えるものではない。自動車部は状態確認と回収方法を検討し、柚子は必要な書類を整理している。
「戦力が増える可能性はありますね」
みほが言う。
「でも、整備と乗員探しが先だねー」
杏が頷いた。
「アンツィオ戦には、間に合わないと思います」
「やはり無理か」
桃は残念そうだった。
「状態も分からず、乗員もいない車両を投入するのは危険です」
「その通りです。新戦力は、見つけただけでは戦力になりません」
灯里も頷く。
「TOGⅡも?」
「TOGⅡは、存在することに価値があります」
「今の流れでそれを言うのか」
麻子が呟いた。
その時、麻子の携帯電話が鳴る。画面を見て、少し眉を動かした。
「……沙織だ」
通話に出ると、向こうから弱々しい声が届く。
『麻子ぉ……助けて……』
「何をしている」
『船の底の方で、迷った……』
「なぜ私にかける」
『一番出そうだったから……』
「判断は間違っていない」
電話の向こうでは、一年生たちの不安そうな声も重なっていた。
『暗いし、道が分からないし、なんか音するし……』
「生きているか」
『生きてるけど、心が折れそう!』
「何をしているんだ、あいつらは!」
桃が声を荒らげる。
「じゃあ、あんこうチームと戸郷ちゃんで迎えに行ってきて」
杏はあっさり言った。
「了解しました。TOGパピーを使います」
灯里が端末を持ち上げる。
「本当に出番が来た」
「迷子捜索用ですので」
「沙織向きだな」
『聞こえてるからね!?』
携帯電話の向こうで、沙織が抗議した。
* * *
船底へ続く通路は、階段を降りるたびに暗さを増していった。
学園艦の上では、まだ生徒の声や生活音が聞こえている。けれど、下へ進むほど声は遠ざかり、代わりに金属の軋みや、配管を抜ける風の音が耳へ残った。
みほが地図を持ち、優花里と華がライトで足元を照らす。麻子も眠そうではあるが、普段より目を開けていた。灯里はTOGパピーの操作端末を確認しながら、先頭の少し横を進む。
船底は昼でも暗く、空気も冷たい。似たような扉と配管が続き、少し歩くだけで方向感覚が曖昧になる。壁へ触れると、冷えた金属の感触が手に残った。
「な、なんだか、お化け屋敷みたいですね」
優花里が小さく言う。
遠くで、何かが落ちる音がした。
「ひゃっ」
みほの肩が跳ねる。
「い、今のは何でありますか!?」
「風でしょうか」
華は落ち着いて見えたが、歩幅がわずかに小さくなっていた。
麻子が立ち止まる。
「冷泉さん?」
「……朝より怖い」
「お化けは、朝より強いのですね」
「かなり強い」
灯里は端末を操作した。小さなTOGⅡ型端末が床をゆっくり進み、先端のライトで暗い通路を照らす。
「TOGパピー、前進します」
「遅い」
麻子が言う。
「本家に忠実です」
「そこは忠実でなくていい」
端末には通路の形と障害物、音の反響が簡単に表示されている。灯里は、沙織から送られた曖昧な説明と照らし合わせた。
「この先に広い空間があります。声の反響も、そちらからです」
「行ってみましょう」
みほが頷いた。
ライトの中へ、配管の影、錆びた扉、古い工具箱が浮かんでは消えていく。学園艦は学校であり、街であり、人々が暮らす場所でもある。その底には、普段の明るさや生活から切り離された空間が残っていた。
灯里は、ふとTOGⅡの車内を思い出す。
長く、狭く、金属と油の匂いがする空間。最初はただ好きな戦車だったが、今はそこに仲間の声がある。まどかの冷静な返答、すずの現実的な報告、かなえの整理された通信、ちとせとりんの装填の掛け声。
無機質な鉄の中へ、人の生活が入り込んでいく。
この船底にも、長い間忘れられていた何かがあるのかもしれない。
「みぽりーん!」
通路の先から、沙織の声が届いた。
「沙織さん!」
曲がり角の先にある広い空間で、沙織と一年生チームが固まっている。一年生たちは半分泣きそうな顔で、こちらを見た。
「助かったー!」
「怖かったですー!」
「もう出られないかと思いました!」
「沙織先輩がいてくれて良かったです!」
沙織は疲れた顔で笑う。
「私も怖かったけどね……」
「遭難しても賑やかだな」
麻子が言った。
「皆さん、無事で何よりです」
華も、ほっとしたように微笑む。
「TOGパピー、任務完了です」
灯里が端末を止める。
「小型TOGⅡによる捜索とは、素晴らしいであります!」
優花里の目が輝いた。
「TOGⅡは、小さくしても役に立ちます」
「小さくしたら、TOGⅡなのか?」
「概念は残ります」
「便利な概念だ」
麻子は首を傾げた。
沙織は、みほへ抱きつきそうな勢いで近づく。
「みぽりん、本当にありがとう……!」
「無事で良かった」
みほも少し笑った。
全員で戻ろうとした時、みほが奥の暗がりへ目を止める。
「……あれ」
小さな声だったが、全員が同じ方向を見た。
ライトの届きにくい通路の奥に、大きな影がある。最初は壁の一部か、古い機械の塊に見えた。
優花里がヘッドライトを向ける。
埃に覆われた巨大な車体。太い履帯。大きな砲塔。
長い間、船底で眠っていた鉄の塊が、暗闇の中から少しずつ姿を現した。
「こ、これは……!」
優花里の声が震える。
「また戦車!?」
沙織が叫んだ。
一年生たちも、次々に声を上げる。
「どうして、こんなところに!?」
「大きい!」
「怖い!」
「でも戦車だ!」
灯里も、端末の画面と目の前の巨体を見比べる。
「戦車です」
「見れば分かる」
麻子が言う。
「しかも、かなり問題のありそうな」
「大洗らしいな」
みほは黙ったまま、その車体を見上げた。どうやってここへ運び込んだのか分からないほど、不自然な場所に置かれている。埃をかぶり、動くかどうかも分からない。
それでも、確かに戦車だった。
優花里が一歩前へ出る。
「ポルシェティーガーであります……!」
「また、すごそうなのを見つけちゃった……」
沙織が呆然とする。
「動くのか?」
麻子が尋ねた。
灯里は少し考え、首を横へ振る。
「分かりません。見つけただけでは、戦力にはなりません」
みほも頷いた。
「うん。まずは皆で戻ろう。生徒会と自動車部へ報告して、安全に調べてもらわないと」
一年生たちが一斉に頷く。
ライトが離れると、ポルシェティーガーの巨体は再び船底の暗がりへ沈んでいった。
大洗の次の戦いへ向けて、まだ動かず、誰が乗るのかも決まっていない新しい戦力が、静かに発見された。