『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

52 / 58
第34話「隊長の仕事と、船底の影」

 戦車倉庫前には、朝からいつもより大きな声が響いていた。

 

 サンダース大学付属高校に勝ったことで、大洗女子学園の戦車道チームには分かりやすい変化が生まれている。アヒルさんチームは以前にも増して声が大きく、ウサギさんチームはM3リーの周囲を何度も確認していた。カバさんチームは試合の流れを歴史上の戦いへ例え、カメさんチームもフラッグ車としての逃走経路を真剣に相談している。

 

 勝ったから浮かれているだけではない。勝てたからこそ、次も勝ちたいと思い始めていた。

 

 みほは皆の様子を眺め、少しだけ背筋を伸ばす。次の相手はアンツィオ高校。小型で軽快な車両を多数運用し、サンダースとはまるで違う戦い方をする学校だ。大洗は一回戦を突破したが、全国大会はまだ始まったばかりだった。

 

「一回戦を勝ったからといって、調子に乗るんじゃない!」

 

 全員の前に立った桃が、いつも通り声を張り上げる。

 

「まあまあ、やる気があるのは良いことじゃん」

 

 杏は干し芋を口にくわえ、のんびり笑っていた。

 

 柚子が予定表を確認する。

 

「今日は隊列、射撃、整備確認の順に行います。無理な走行はせず、それぞれの車両の役割を確認してください」

「まず、各チームの現在の動きを見ます。そのあと、アンツィオ戦を想定して、相手を追うのではなく、通り道を読む練習をします」

 

 みほが続けると、全員の視線が自然と集まった。その感覚にはまだ完全には慣れていないが、命令を待っているというより、自分の言葉を聞こうとしてくれているのだと思うと、少しだけ呼吸が楽になる。

 

 倉庫の横では、灯里といぬさんチームがTOGⅡの準備を進めていた。砲弾、無線、操縦席、装填位置。給食部専攻らしい段取りの良さが、戦車の中にも馴染み始めている。

 

「追えないなら、根性で待つ!」

 

 典子が拳を握った。

 

「待つのにも根性なのか」

 

 麻子が眠そうに言う。

 

「待つ根性は大事です。TOGⅡも、基本的には待つことになります」

「待っているというより、間に合わないだけでは」

 

 すずが操縦席から返す。

 

「表現の違いです」

「現実の違いでもあります」

 

 まどかは砲手席から顔を出した。

 

「どちらにしても、撃てる場所へ先にいることが大事です。TOGⅡの場合は特に」

「火野さん、今日も冷静ですね」

「現実ですので」

 

 かなえは無線機を確認しながら、手元のメモを三つに分ける。

 

「情報は『今すぐ必要』『次に必要』『記録だけ』で整理します。小さい車両が複数動くなら、優先順位が必要です」

「さすが呼子さんです」

「戸郷さんのTOGⅡ語りは欄外です」

「欄外にも価値があります」

「通信欄には入りません」

 

 りんが砲弾の置き場を確認しながら笑った。

 

「今日は仕込みってことですね」

「はい。仕込みが良ければ、あとが楽になります」

 

 ちとせも落ち着いて頷く。

 

 みほは、そのやり取りを見て小さく息を吐いた。大洗の戦車道は、最初から整っていたわけではない。車両も人員も経験も足りない。それでも皆が、少しずつ自分にできることを見つけ始めている。

 

 隊長は、それを見落としてはいけない。

 

* * *

 

 練習は、Ⅳ号を中心とした隊列確認から始まった。

 

 八九式は以前より粘り強く動くようになっている。速くもなく、火力も高くない。それでもアヒルさんチームは簡単に止まらず、味方の側面を支える位置を意識していた。

 

 ウサギさんチームも逃げるだけではなく、敵役の位置や進行方向を報告しようとしている。まだ声は重なりやすいが、何も言わずに走っていた頃とは違った。

 

 カバさんチームは、射線を意識しながらIII号突撃砲を動かしている。

 

「ここはテルモピュライのごとく!」

「いや、撃つならもう少し右だ」

「ならばアウステルリッツ的に――」

「だから右だ」

 

 優花里が少し困った顔で補足した。

 

「射線は歴史的名称より、地形と角度を見た方がよいかと!」

「む、確かに」

 

 カメさんチームはフラッグ車としての逃走練習を行っていた。杏は楽しそうに操縦し、柚子は地図と進路を見比べ、桃が後ろを振り返って叫んでいる。

 

「会長、もう少し慎重に!」

「だいじょぶ、だいじょぶ」

「大丈夫ではありません! フラッグ車です!」

 

 みほは各チームの動きを見ながら、必要な修正だけを短く伝えていく。言いすぎれば迷わせ、言わなければ危険になる。隊長の仕事は、思っていた以上に細かかった。

 

 一方、いぬさんチームは後方通路の封鎖と待ち伏せ位置を確認していた。

 

「TOGⅡは追えません。追撃ではなく、止まる位置を確認します」

 

 灯里の説明を、すずがすぐに言い換える。

 

「止まる場所を間違えない練習ですね」

「正解です」

「止まったあとで『やっぱり違いました』は困ります」

「TOGⅡでは、かなり困ります」

「分かっているなら、最初から正確にお願いします」

 

 まどかは照準器を覗いたまま口を挟む。

 

「撃てる場所へ先にいる。撃てない場所に長くいると、ただ長いだけになります」

「ただ長いTOGⅡも魅力的ですが」

「戦術的には困ります」

 

 かなえが周囲の情報を読み上げる。

 

「アヒルさんチーム、左へ移動中。ウサギさんチーム、後退しながら報告練習。カメさんチームは……かなり速いです」

「少しではないな」

 

 Ⅳ号の操縦席から、麻子の声が入った。

 

「会長、逃げるの上手いね」

 

 沙織が苦笑する。

 

 練習は完璧ではない。八九式は待ちすぎて前へ出るタイミングを逃し、M3リーは情報を一度に伝えようとして無線を混雑させた。III号突撃砲も射線へ集中するあまり、味方の退避路を塞ぎかける。TOGⅡは停止位置を一度間違え、後退と修正に時間がかかった。

 

 けれど、失敗の種類は変わっていた。

 

 ただ逃げる。何となく撃つ。勢いだけで動く。

 

 そこから、次に何をするべきか考える段階へ進み始めている。

 

「西住殿、ウサギさんチームの報告量がかなり増えているであります!」

「うん。あとは、何を先に伝えるかだね」

「はい!」

 

 優花里が嬉しそうに頷いた。

 

 みほは手元のメモへ目を落とす。隊列、射線、退避路、待ち伏せ位置、報告の優先順位。書くことは増え続けていた。

 

 練度は上がっている。

 

 それでも、アンツィオを相手にするには、まだ足りない。

 

* * *

 

 夕方、練習が終わっても、誰もすぐには帰ろうとしなかった。勝利を経験したことで、皆の中に「もう少し上手くなりたい」という気持ちが生まれている。

 

「西住、戸郷。作戦会議だ」

 

 桃が二人を呼んだ。

 

「はい」

「分かりました」

 

 向かおうとしたところで、典子が勢いよく駆け寄ってくる。

 

「西住さん! さっきの動き、もう少し待った方が良かったですか?」

「八九式の場合、待ちすぎると次の位置へ入れなくなるから――」

「あの、待ち伏せする時は、どこを見ればいいんでしょう?」

 

 あけびも続き、そこへウサギさんチームまで集まってきた。

 

「隊長、逃げる時は、どこを見ればいいですか?」

「報告は、いつ入れればいいですか?」

「撃たれそうな時は叫んでもいいですか?」

「叫んでもいいけど、必要な情報も一緒に言ってね」

 

 さらに、カバさんチームが陣形の相談を持ち込む。

 

「我々の動きを歴史的に例えるならば――」

「例えはなくても大丈夫かも……」

 

 みほは一つずつ丁寧に答えようとした。待つ位置、報告のタイミング、射線、退避路。どれも必要な相談で、簡単には切り上げられない。

 

 そこへ、なぜか別の質問まで混ざった。

 

「戦車の話ばかりしていると、彼氏が逃げるって本当ですか?」

「それ、相談相手は私でいいの!?」

 

 沙織が思わず声を上げる。

 

 みほの周囲には、いつの間にか人だかりができていた。

 

 少し離れた場所から見ていた灯里にも分かる。西住みほは、もう頼られている。黒森峰の名前だけではなく、サンダースに勝ったからだけでもない。皆が練習を見てもらい、指示を聞き、自然と質問を持ってくる相手になっていた。

 

 けれど、このままでは、みほが全部を背負ってしまう。

 

「通信と恋愛相談なら、私が聞くよ!」

 

 沙織が両手を上げて前へ出た。

 

「恋愛相談は武部殿の担当でありますな!」

「そこだけ決定しないで!? 通信も見るから!」

 

 麻子も少し遅れて口を開く。

 

「操縦なら、少しは見られる」

 

 その一言に、ウサギさんチームが一斉に振り向いた。

 

「冷泉先輩!」

「逃げる時のコツをお願いします!」

「起きている時に聞け」

「今です!」

「今か」

 

 優花里も胸を張る。

 

「車両の構造、装填、戦車ごとの特徴ならお任せください! 必要なら資料も作るであります!」

「射撃でしたら、私でよければ」

 

 華も静かに続けた。

 

「撃つ前に見る場所や、落ち着き方くらいでしたら、お話しできると思います」

 

 みほは驚いたように仲間たちを見る。

 

「みんな……」

「みぽりんだけが全部やらなくていいんだよ」

 

 沙織が笑った。

 

「隊長が倒れたら、作戦会議もできない」

 

 麻子の声は眠そうだが、内容は真面目だった。

 

「西住殿の戦車道を、皆で支えるであります!」

「それが、私たちのチームですから」

 

 優花里と華も頷く。

 

 灯里も少しだけ手を上げた。

 

「TOGⅡのことなら、私に」

「限定的すぎない!?」

 

 沙織がすぐに突っ込む。

 

「TOGⅡは広いです」

「長い、では」

 

 まどかが隣から訂正する。

 

「広く、長いです」

「余計に広がった」

 

 麻子が呟いた。

 

 みほは困ったように笑い、少しだけ表情を和らげる。

 

「TOGⅡの相談が来たら、お願いしてもいいかな?」

「はい。全力で」

「それと、待ち伏せや盾になる位置、通路を塞ぐ時の相談も」

「得意分野です」

「追撃は?」

「不得意分野です」

「即答だね」

「追えませんので」

 

 周囲に小さな笑いが起きた。

 

 灯里は、みほから指揮を奪うつもりはない。大洗の隊長は西住みほだ。ただ、TOGⅡ、重車両、待ち伏せ、盾役、通路封鎖。その限られた範囲なら、自分も支えられる。

 

 みほの肩から、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。

 

 黒森峰では、隊長は強く、迷わず、一人で判断しなければならなかったのかもしれない。

 

 けれど、大洗では仲間が隊長を支える。

 

 西住さんは、もう一人ではない。

 

 灯里は、静かにそう思った。

 

* * *

 

 作戦会議は、戦車倉庫横の小さな会議スペースで行われた。机の上にはアンツィオ高校の資料、練習中のみほのメモ、柚子の備品表、優花里の戦車資料が並んでいる。杏は椅子へ浅く座り、桃は腕を組み、柚子と華は書類を整理していた。

 

「アンツィオ高校は、サンダースとは違う相手だ」

 

 桃が言う。

 

「小型で軽快な車両が多く、複数方向から動かれると厄介です。CV33のような小型車両は火力が高くなくても、見失いやすいと思います」

 

 みほが資料を指す。

 

「TOGⅡとは相性が悪いです」

 

 灯里は即答した。

 

「戸郷ちゃん、毎回そこは早いねー」

 

 杏が笑う。

 

「追えませんので」

「そこまで潔いと、逆に安心するな」

 

 桃は複雑そうだった。

 

「今日の練習で、皆が少しずつ役割を意識できるようになりました。アヒルさんチームは待つ位置、ウサギさんチームは報告、カバさんチームは射線、カメさんチームは逃走経路。いぬさんチームも、通路封鎖と後方警戒が安定してきています」

 

 みほの説明を受け、灯里も資料を見る。

 

「ですが、今の大洗は車両数も役割の幅も少ないです。一両に複数の役割を持たせているので、どこかが崩れると一気に苦しくなります」

「サンダースには勝ったけど、プラウダも黒森峰も残ってるしね」

 

 杏が干し芋を揺らした。

 

「聖グロリアーナもです」

 

 灯里が静かに付け足す。

 

 その名前を口にした時、声がほんの少しだけ変わった。みほは気づいたが、何も聞かなかった。

 

「車両が、もう少し欲しいですね」

 

 資料を見つめたみほが言う。

 

「役割の幅が広がれば、作戦にも余裕ができます」

「だが、新しく戦車を買う予算などないぞ」

 

 桃の言葉に、柚子も小さく頷いた。

 

「予算があるなら、最初から苦労していません」

 

 隣で資料を整理していた華が、古い紙へ目を止める。

 

「あの、こちらの台帳ですが……」

「どうしました?」

 

 柚子が覗き込んだ。

 

「昔の備品記録に、未確認の戦車関連部品が残っています。砲、履帯、車両部品、車体らしき記述もあります」

「えっ」

 

 柚子の声が裏返る。

 

「なに!?」

 

 桃が身を乗り出した。

 

「場所は曖昧ですが、学園艦内の複数箇所へ保管、または放置されている可能性があるようです」

「戦車を放置するな!」

 

 桃が叫ぶ横で、杏はにこりと笑った。

 

「じゃあ、探してみよっか」

 

 その一言で、作戦会議は探索会議へ変わった。

 

* * *

 

 探索は手分けして行うことになった。

 

 一年生チームと沙織は、人数と勢いを買われて船底方面。カバさんチームと優花里は、古い記録に残る森。アヒルさんチーム、みほ、麻子は、離れた場所にある古い木造部室へ向かう。

 

 生徒会と華は資料の確認を続け、灯里は倉庫で探索用の端末を準備した。

 

「TOGパピー?」

 

 みほが聞き返す。

 

「小型探索支援用のTOGⅡ型端末です」

 

 灯里が箱から取り出したのは、小型カメラを載せた、細長い小さなTOGⅡだった。

 

「また増えた」

 

 麻子が言う。

 

「狭所確認、簡易マッピング、迷子捜索に使えます。TOGⅡ本体が入れない場所用です」

「本体が入れない場所、多そうだね」

「はい。とても多いです」

「そこは自信満々なんだ」

 

 灯里は真面目に頷く。

 

「小さくなっても長いのですね」

 

 華が微笑んだ。

 

「概念は必要です」

「概念なんだ……」

 

 沙織は呟きながら、一年生チームと船底へ向かった。

 

 学園艦の各所へ散っていく生徒たちの声が、普段の訓練とは違う賑やかさを作る。

 

 戦車を探す。

 

 言葉だけなら大げさだが、この学校では本当に起こる。大洗は、そういう場所だった。

 

* * *

 

 アヒルさんチーム、みほ、麻子が向かった木造部室は、長い間使われていないようだった。木の壁は所々剥がれ、窓には埃が積もっている。扉を開けると、古い紙と木材の匂いが流れ出した。

 

 中には壊れたロッカーや使われなくなった道具、古い備品が雑然と置かれている。

 

「根性で探します!」

 

 典子が張り切って踏み込んだ。

 

「埃には根性で勝てない」

 

 麻子が鼻を押さえる。

 

「あけびは右、妙子は奥、忍は上の棚!」

「はい!」

 

 四人が手分けして調べ始め、みほも古い備品を一つずつ確認する。麻子は半分眠そうな顔のまま、壁際に置かれた長いものへ視線を向けた。

 

「これは何だ」

 

 典子が奥から声を上げる。

 

「西住さん、物干し竿にしては太すぎませんか?」

 

 みほが近づき、表面の埃を払った。

 

 そこには、長い砲身が横たわっている。

 

「これは……Ⅳ号戦車用の長砲身75mm砲だと思います」

「物干し竿にするには物騒だな」

 

 麻子が言う。

 

「根性で干していたんですね!」

「それは違うと思う」

 

 今すぐ使える状態ではない。劣化の確認が必要で、搭載には自動車部の整備も欠かせない。それでも、Ⅳ号の強化へ繋がる可能性がある大きな発見だった。

 

「生徒会と自動車部へ連絡しましょう」

「はい!」

 

 典子が大きく頷いた。

 

* * *

 

 一方、カバさんチームと優花里は森の中を歩いていた。

 

「本当に、この方法で戦車が見つかるのでありますか?」

 

 優花里は、カエサルが手にした棒を見て困惑している。

 

「古の兵法には、時に理屈を超えた導きがある」

「つまり、勘だな」

 

 エルヴィンが答える。

 

「いや、これは八卦である」

 

 左衛門佐は真剣だった。

 

「戦車探索に八卦……奥が深いであります」

 

 優花里は困惑しながらも、戦車発見の可能性に目を輝かせる。

 

 しばらく進んだところで、おりょうが池の方を指した。

 

「あれは何ぜよ?」

 

 泥と草の中から、金属の一部が覗いている。

 

 優花里が駆け寄り、手で泥を払った。

 

「こ、これは……!」

「見えたぞ!」

 

 左衛門佐が叫ぶ。

 

 重厚な車体の一部と、独特な形状が少しずつ姿を現した。

 

「ルノーB1 bisであります! フランスの重戦車で、独特な砲配置と――」

「まずは報告だな」

 

 カエサルが手を上げる。

 

「はっ、そうであります!」

 

 報告を受けた生徒会は、すぐに自動車部へ連絡した。

 

「新しい乗員も探さなきゃねー」

 

 杏は楽しそうだった。

 

「また人員の問題か……!」

 

 桃は頭を抱えた。

 

* * *

 

 夕方には、探索組の多くが戦車倉庫前へ戻っていた。

 

 Ⅳ号用長砲身75mm砲と、ルノーB1 bis。どちらも発見しただけで、すぐに使えるものではない。自動車部は状態確認と回収方法を検討し、柚子は必要な書類を整理している。

 

「戦力が増える可能性はありますね」

 

 みほが言う。

 

「でも、整備と乗員探しが先だねー」

 

 杏が頷いた。

 

「アンツィオ戦には、間に合わないと思います」

「やはり無理か」

 

 桃は残念そうだった。

 

「状態も分からず、乗員もいない車両を投入するのは危険です」

「その通りです。新戦力は、見つけただけでは戦力になりません」

 

 灯里も頷く。

 

「TOGⅡも?」

「TOGⅡは、存在することに価値があります」

「今の流れでそれを言うのか」

 

 麻子が呟いた。

 

 その時、麻子の携帯電話が鳴る。画面を見て、少し眉を動かした。

 

「……沙織だ」

 

 通話に出ると、向こうから弱々しい声が届く。

 

『麻子ぉ……助けて……』

「何をしている」

『船の底の方で、迷った……』

「なぜ私にかける」

『一番出そうだったから……』

「判断は間違っていない」

 

 電話の向こうでは、一年生たちの不安そうな声も重なっていた。

 

『暗いし、道が分からないし、なんか音するし……』

「生きているか」

『生きてるけど、心が折れそう!』

 

「何をしているんだ、あいつらは!」

 

 桃が声を荒らげる。

 

「じゃあ、あんこうチームと戸郷ちゃんで迎えに行ってきて」

 

 杏はあっさり言った。

 

「了解しました。TOGパピーを使います」

 

 灯里が端末を持ち上げる。

 

「本当に出番が来た」

「迷子捜索用ですので」

「沙織向きだな」

『聞こえてるからね!?』

 

 携帯電話の向こうで、沙織が抗議した。

 

* * *

 

 船底へ続く通路は、階段を降りるたびに暗さを増していった。

 

 学園艦の上では、まだ生徒の声や生活音が聞こえている。けれど、下へ進むほど声は遠ざかり、代わりに金属の軋みや、配管を抜ける風の音が耳へ残った。

 

 みほが地図を持ち、優花里と華がライトで足元を照らす。麻子も眠そうではあるが、普段より目を開けていた。灯里はTOGパピーの操作端末を確認しながら、先頭の少し横を進む。

 

 船底は昼でも暗く、空気も冷たい。似たような扉と配管が続き、少し歩くだけで方向感覚が曖昧になる。壁へ触れると、冷えた金属の感触が手に残った。

 

「な、なんだか、お化け屋敷みたいですね」

 

 優花里が小さく言う。

 

 遠くで、何かが落ちる音がした。

 

「ひゃっ」

 

 みほの肩が跳ねる。

 

「い、今のは何でありますか!?」

「風でしょうか」

 

 華は落ち着いて見えたが、歩幅がわずかに小さくなっていた。

 

 麻子が立ち止まる。

 

「冷泉さん?」

「……朝より怖い」

「お化けは、朝より強いのですね」

「かなり強い」

 

 灯里は端末を操作した。小さなTOGⅡ型端末が床をゆっくり進み、先端のライトで暗い通路を照らす。

 

「TOGパピー、前進します」

「遅い」

 

 麻子が言う。

 

「本家に忠実です」

「そこは忠実でなくていい」

 

 端末には通路の形と障害物、音の反響が簡単に表示されている。灯里は、沙織から送られた曖昧な説明と照らし合わせた。

 

「この先に広い空間があります。声の反響も、そちらからです」

「行ってみましょう」

 

 みほが頷いた。

 

 ライトの中へ、配管の影、錆びた扉、古い工具箱が浮かんでは消えていく。学園艦は学校であり、街であり、人々が暮らす場所でもある。その底には、普段の明るさや生活から切り離された空間が残っていた。

 

 灯里は、ふとTOGⅡの車内を思い出す。

 

 長く、狭く、金属と油の匂いがする空間。最初はただ好きな戦車だったが、今はそこに仲間の声がある。まどかの冷静な返答、すずの現実的な報告、かなえの整理された通信、ちとせとりんの装填の掛け声。

 

 無機質な鉄の中へ、人の生活が入り込んでいく。

 

 この船底にも、長い間忘れられていた何かがあるのかもしれない。

 

「みぽりーん!」

 

 通路の先から、沙織の声が届いた。

 

「沙織さん!」

 

 曲がり角の先にある広い空間で、沙織と一年生チームが固まっている。一年生たちは半分泣きそうな顔で、こちらを見た。

 

「助かったー!」

「怖かったですー!」

「もう出られないかと思いました!」

「沙織先輩がいてくれて良かったです!」

 

 沙織は疲れた顔で笑う。

 

「私も怖かったけどね……」

「遭難しても賑やかだな」

 

 麻子が言った。

 

「皆さん、無事で何よりです」

 

 華も、ほっとしたように微笑む。

 

「TOGパピー、任務完了です」

 

 灯里が端末を止める。

 

「小型TOGⅡによる捜索とは、素晴らしいであります!」

 

 優花里の目が輝いた。

 

「TOGⅡは、小さくしても役に立ちます」

「小さくしたら、TOGⅡなのか?」

「概念は残ります」

「便利な概念だ」

 

 麻子は首を傾げた。

 

 沙織は、みほへ抱きつきそうな勢いで近づく。

 

「みぽりん、本当にありがとう……!」

「無事で良かった」

 

 みほも少し笑った。

 

 全員で戻ろうとした時、みほが奥の暗がりへ目を止める。

 

「……あれ」

 

 小さな声だったが、全員が同じ方向を見た。

 

 ライトの届きにくい通路の奥に、大きな影がある。最初は壁の一部か、古い機械の塊に見えた。

 

 優花里がヘッドライトを向ける。

 

 埃に覆われた巨大な車体。太い履帯。大きな砲塔。

 

 長い間、船底で眠っていた鉄の塊が、暗闇の中から少しずつ姿を現した。

 

「こ、これは……!」

 

 優花里の声が震える。

 

「また戦車!?」

 

 沙織が叫んだ。

 

 一年生たちも、次々に声を上げる。

 

「どうして、こんなところに!?」

「大きい!」

「怖い!」

「でも戦車だ!」

 

 灯里も、端末の画面と目の前の巨体を見比べる。

 

「戦車です」

「見れば分かる」

 

 麻子が言う。

 

「しかも、かなり問題のありそうな」

「大洗らしいな」

 

 みほは黙ったまま、その車体を見上げた。どうやってここへ運び込んだのか分からないほど、不自然な場所に置かれている。埃をかぶり、動くかどうかも分からない。

 

 それでも、確かに戦車だった。

 

 優花里が一歩前へ出る。

 

「ポルシェティーガーであります……!」

 

「また、すごそうなのを見つけちゃった……」

 

 沙織が呆然とする。

 

「動くのか?」

 

 麻子が尋ねた。

 

 灯里は少し考え、首を横へ振る。

 

「分かりません。見つけただけでは、戦力にはなりません」

 

 みほも頷いた。

 

「うん。まずは皆で戻ろう。生徒会と自動車部へ報告して、安全に調べてもらわないと」

 

 一年生たちが一斉に頷く。

 

 ライトが離れると、ポルシェティーガーの巨体は再び船底の暗がりへ沈んでいった。

 

 大洗の次の戦いへ向けて、まだ動かず、誰が乗るのかも決まっていない新しい戦力が、静かに発見された。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。