ほんと1週間あっという間ですね…
アンツィオ高校について、分かっていることは増えた。
優花里と灯里が実際に学園艦へ入り、P40と二輌のSemovente L40 da 47/32を確認した。歴女チームの家では資料を漁り、ゲーム上の知識と実車の情報を照らし合わせた。第2回戦から最大十二輌という新しい条件も含めれば、少なくとも「何が出てくるか」については、以前よりずっと見えている。
けれど、分かったのはそこまでだった。
P40がどう動くのか。
CV33が何輌で、どこから回り込んでくるのか。
L40が本当に履帯を狙ってくるのか。
資料を何冊読んでも、そこに答えは書かれていない。
だから、大洗女子学園戦車道チームは、実際にやってみることにした。
戦車倉庫前には朝から各チームの車長たちが集まり、ホワイトボードの前に半円を作っていた。中央にはみほ、その横に灯里と優花里。少し離れた場所では杏がいつものようにのんびりと立ち、桃は腕を組んで全員を睨むように見渡している。
ホワイトボードには、四種類の車輌名が並んでいた。
P40。
CV33。
セモヴェンテM41 da 75/18。
Semovente L40 da 47/32。
「今日は、アンツィオ高校の車輌を想定した模擬戦をしてみたいと思います」
みほが全員を見渡した。
「実際の車輌とは性能が違うので、あくまで動き方の確認です。小型車に回り込まれた時、P40のような正面火力のある車輌がいる時、それぞれどう対応するかを見てみたいです」
「いよいよ実戦形式か」
桃が満足そうに頷く。
優花里は資料を持ち上げた。
「P40の火力と装甲を考えますと、大洗側ではⅢ突とTOGⅡが比較的対抗しやすいと思われます!」
「正面からなら、TOGⅡにも役割があります」
灯里も続ける。
「ですが、今回確認したいのはP40そのものより、周囲にいる小型車輌です。TOGⅡは正面を塞ぐのは得意ですが、複数方向から回り込まれるのは苦手です」
「そこまで自信満々に弱点を言うやつも珍しいな」
桃が言う。
「知っている弱点は、対策できますので」
灯里は真顔だった。
みほはホワイトボードへ簡単な編成を書き込んだ。
「仮想アンツィオ側は、Ⅳ号、八九式、38(t)。対する側は、TOGⅡ、Ⅲ突、M3リーでいきます」
「Ⅳ号がP40役?」
沙織が聞く。
「うん。性能は全然違うけど、今回は正面から圧力をかける役として」
「じゃあP40だから……」
杏が少し考える。
「“ぴよぴよ”でいいんじゃない?」
「ぴよぴよ……?」
みほが目を瞬かせた。
「会長、真面目に!」
桃が声を上げる。
「覚えやすいじゃん。ぴよぴよ一輌、小さいの二輌」
「もう少し威厳のある仮称をですね……!」
「じゃ、ぴよぴよで決定」
「決定するんですか!?」
沙織が笑いをこらえる横で、みほは困ったようにホワイトボードへ『P40役=Ⅳ号』とだけ書き直した。
「名前はともかく……八九式はCV33役として、機動力で相手を引っ張ってください。38(t)はL40役。なるべく地形を使って、側面から撃つことを意識してください」
「根性で走ります!」
典子が拳を握る。
「会長、我々は隠れて待ち伏せということですね」
柚子が確認する。
「そだねー」
「よし! 小型車輌の機動力でTOGⅡを翻弄するぞ!」
桃が張り切った。
杏が横を見る。
「桃ちゃんは砲手だけどね」
「分かっています!」
その声を聞きながら、灯里はTOGⅡを見上げた。
長い。
大きい。
重い。
普段なら、それはだいたい長所として言い換えられる。
今日は、その全部が少し怪しかった。
* * *
模擬戦開始の合図と同時に、Ⅳ号が正面方向へ進み始めた。
みほたちのⅣ号は速度を抑えながら中央を進み、あえて目立つ進路を選んでいる。一方、その後ろにいた八九式と38(t)は途中で左右へ分かれ、丘の陰と林の端を使って別方向へ移動した。
TOGⅡの車長席からその動きを見ていた灯里は、双眼鏡を少し下げた。
「分散しましたね」
『こちらカバさんチーム。P40役を追う!』
無線からエルヴィンの声が飛ぶ。
Ⅲ突がⅣ号の進路へ向かった。
「では、こちらは小型車輌役を警戒します」
灯里は周囲を確認する。
「ウサギさんチーム、TOGⅡの側面支援をお願いします」
『了解です!』
梓の返事が返ってきた。
「小走さん、前進。八九式を追います」
「了解です」
TOGⅡが動き始める。
目の前では、八九式が坂を下りながら軽快に進んでいた。
距離は縮まらない。
むしろ、少しずつ離れていく。
「分かってはいましたが、やはり速いですね」
「追いつけません!」
すずが操縦席から即答した。
「想定内です」
「便利な言葉ですね」
まどかが砲手席から返す。
「想定しているので」
「想定していても追いつけないものは追いつけません」
「その通りです」
八九式は一度こちらを振り返るように砲塔を動かし、そのまま進路を変えた。
砲声。
模擬弾がTOGⅡの手前に落ちる。
「撃ってきました」
かなえが報告する。
「命中はしていません」
「小さい車輌が逃げながら撃つと、想像以上に面倒ですね」
灯里は落ち着いていたが、相手との距離は相変わらず縮まらない。
その少し先では、38(t)が丘の陰から顔を出した。
『当たれー!』
桃の声と同時に砲声が響く。
弾はTOGⅡのかなり手前へ落ちた。
『なぜ当たらん!』
『桃ちゃん、止まって撃った方が……!』
柚子の声が続く。
『あははー、仮想L40なら、もうちょっと隠れた方がそれっぽいんじゃない?』
『今それを言わないでください!』
無線越しに聞こえるやり取りに、りんが思わず笑った。
「位置、完全に分かりましたね」
「仮想待ち伏せ車輌としては失格です」
かなえが冷静に評価する。
「ですが、桃先輩なので次も撃ってくると思います」
灯里の予想通り、また砲声がした。
今度も外れた。
「かなり積極的です」
「命中率以外は」
まどかが淡々と付け加えた。
その間にも八九式は先へ進んでいく。
TOGⅡが向きを変えれば38(t)が距離を取り、38(t)へ砲塔を向ければ八九式が動く。一輌一輌なら大きな脅威ではない。それでも二方向へ分かれるだけで、灯里たちが見なければならない範囲は一気に広がった。
やがて追跡の末、TOGⅡは丘と林に挟まれた開けた場所へ出た。
八九式が止まっている。
少し離れた反対側には38(t)。
灯里は後方を確認した。
いるはずのM3リーがいない。
「……ウサギさんチームは?」
かなえがすぐ無線を確認する。
「通信は入っていますが、距離があります。『右の丘を回っている』とのことです」
「私たちが来たのは左側です」
すずが言う。
「逸れたんでしょうか」
「またですか」
灯里は小さく息を吐いた。
M3リーがいなくなったこと自体は、今までのウサギさんチームを考えれば驚くほどではない。
けれど、今回は困る。
TOGⅡの左右には、二輌の仮想小型車輌がいた。
その一方、38(t)では桃がこちらを見ていた。
『よし、今だ!』
無線が開いたままだった。
『数では向こうが一輌だ! TOGⅡは鈍い! 機動力で撹乱して撃破を狙うぞ!』
『了解! 根性で回ります!』
典子の声が返る。
灯里は少し間を置いた。
「嫌な宣言が聞こえました」
「聞かせるつもりではなかったんでしょうね」
まどかが言った。
次の瞬間、八九式と38(t)が左右へ分かれた。
「来ます」
右から八九式。
左から38(t)。
二輌はTOGⅡへ正面から近づかず、その周囲を大きく弧を描くように走り始めた。
「小走さん、右へ! 装甲の薄い面をなるべく晒さないでください!」
「右ですね!」
すずが操縦桿を操作する。
重い車体がゆっくりと旋回を始める。
「火野さん、八九式を追ってください」
「了解です」
砲塔が右へ向く。
だが、その間に38(t)が左後方へ回り込んだ。
「左、38(t)!」
かなえの声が飛ぶ。
「どっち向けばいいんですかー!?」
すずが叫ぶ。
「右を優先――」
砲声。
模擬弾がTOGⅡの側面近くへ落ちた。
「左から来ました!」
りんが声を上げる。
「では左――」
「八九式、右側面へ移動しています!」
かなえの報告が重なる。
灯里は双眼鏡を右へ振る。
八九式がいる。
左へ向ける。
38(t)もいる。
右へ車体を向けると左が空き、左へ向けば右を抜かれる。
「目が回りそうですね……」
まどかが砲塔を動かしながら言った。
「こっちは砲弾持ってるので、もっと怖いです!」
ちとせが弾薬を支えながら返す。
「揺れるー!」
りんも壁へ手をつく。
「左右から報告が来ています! 待ってください、順番に……右が八九式、左が38(t)、八九式が後方へ――」
かなえの情報整理も、普段より明らかに忙しい。
TOGⅡの中が、久しぶりに分かりやすく混乱していた。
強い砲もある。
長い車体もある。
それでも、砲塔が追いつかなければ撃てない。
車体が向かなければ、守りたい面を守れない。
相手が一方向から来てくれるとは限らない。
灯里はしばらく二輌の動きを追った。
八九式が右を通り抜ける。
38(t)がその逆から回り込む。
また八九式が後方へ。
砲塔が追いつきかけると、相手はもう射線から外れている。
どこかで見た。
いや。
何度も見たことがある。
灯里の脳裏に、昔のゲーム画面が浮かんだ。
「……NDKですね」
まどかが一瞬、照準器から目を離した。
「NDK?」
「何ですか、それ」
すずも聞き返す。
「『ねぇ、どんな気持ち?』の略です」
一同が黙った。
「……?」
灯里は真面目に続ける。
「戦車ゲームでは、機動性の低い戦車の周囲を高速車輌が回り、砲塔や車体の旋回速度を上回るように動くことがあります」
右から八九式が通る。
「撃とうとすると逃げる」
左から38(t)。
「反対へ向くと、もう一輌が来る」
また右。
「おそらく今、あの二輌はTOGⅡに対して――」
灯里は少しだけ間を置いた。
「『ねぇ? どんな気持ち?』と、言っているようなものです」
まどかの目が細くなった。
「腹が立ちますね」
「急に倒したくなってきました!」
すずの声にも力が入る。
「士気が上がりました」
かなえが淡々と報告した。
「説明として正しいのでしょうか」
ちとせが疑問を口にする。
「感情的には正しいです!」
りんが答えた。
灯里は少しだけ笑い、それから前を見る。
「ただし、腹を立てて追いかけるのが一番よくありません」
「じゃあ、どうするんですか?」
すずが聞く。
「まず、両方を同時に追わないことです」
灯里は八九式へ視線を固定した。
「狙う車輌を一輌に決めます。八九式です」
「38(t)は?」
「今は無視します」
「撃たれますよ?」
「そこは装甲と位置で耐えます。ただし、履帯を狙われる本番なら長くはできません」
灯里は車体の向きを確認した。
「小走さん、右旋回を継続。火野さんも砲塔を同じ方向へ」
「両方とも右ですか?」
「はい。車体旋回と砲塔旋回を重ねます。TOGⅡ単体の砲塔だけで追うよりは追従できます」
「了解です」
ギギギギ、と重い音を立てながらTOGⅡが回る。
砲塔も同じ方向へ動く。
八九式がその外側を走っていた。
「まだ追いつきません!」
すずが言う。
「分かっています。撃破まで狙わなくて構いません」
灯里は双眼鏡の中で八九式の進路を見る。
「進路か履帯。まず、相手の動きを止めます」
「止まれば、こちらの火力を当てられますね」
まどかが照準を調整する。
「はい」
「では、もう一輌は?」
かなえが聞く。
灯里は即答した。
「味方に任せます」
一瞬、車内が静かになる。
灯里は続けた。
「TOGⅡ一輌で、右も左も全部倒そうとする必要はありません。むしろ、それをやろうとしたから今こうなっています」
「納得しました」
すずが答える。
「でも、味方がいません!」
「そこが今日のもう一つの反省点です」
ちょうどその時、遠くから砲声が聞こえた。
『当たれー!』
桃だった。
38(t)から放たれた模擬弾は、TOGⅡの後ろを大きく外れて飛んでいく。
『なぜだ!』
『桃ちゃん、走りながら撃ちすぎだよー』
『会長、今は黙っていてください!』
『だから仮想L40なら隠れた方がいいってー』
『私はTOGⅡを翻弄しているんです!』
灯里は少しだけ考えた。
「実戦なら、あのL40役はもっと嫌ですね」
「今は目立ちすぎです」
まどかが言う。
「河嶋先輩で助かっています」
「本人には聞かせない方がいいと思います」
かなえが通信音量を下げた。
一方、八九式はまだ走り続けていた。
『根性ー!』
典子の声まで聞こえる。
「かなり回っていますね」
りんが言う。
「こちらもかなり回されています!」
すずが返す。
TOGⅡの車体がじわじわと角度を変え、砲塔が八九式を追う。
あと少し。
八九式が射線へ入りかける。
「もう少し……」
灯里が呟く。
「照準、寄せます」
まどかが息を整える。
だが典子もTOGⅡの砲塔の動きを見ている。射線へ入りかけた瞬間、八九式がさらに外側へ進路を変えた。
「外れました」
「速いです!」
「CV33なら、もっと小さくて動きますね」
かなえの言葉に、車内が少しだけ静かになった。
「言わないでください」
灯里が答える。
その頃。
丘の反対側では、一台のM3リーがようやく姿を現していた。
「あ、いた!」
車長席から梓が声を上げる。
「先輩たち……」
あやも外を見る。
その先では、TOGⅡが大きな円を描くようにゆっくり旋回し、その周囲を八九式がぐるぐる走っている。反対側には38(t)。時折砲声が鳴るものの、なかなか誰にも当たらない。
ウサギさんチームはしばらくその光景を眺めた。
「……何やってるんだろう」
誰かが言った。
少し間が空く。
「訓練……だよね?」
梓が自分に言い聞かせるように答える。
「たぶん……」
あやが頷いた。
「と、とにかく行こう! 私たち、遅れてるし!」
「はい!」
M3リーが前進を始める。
かなえが最初に気づいた。
「ウサギさんチーム、来ました!」
「やっとですか」
灯里は小さく息を吐く。
『すみませーん! 道、間違えました!』
梓の声が無線から入った。
「分かっています。38(t)をお願いします」
『了解です!』
M3リーが38(t)へ向かう。
それだけで、状況が変わった。
38(t)はTOGⅡの周囲を自由に回れなくなり、M3リーへ意識を向けなければならない。TOGⅡが見るべき相手は八九式だけになる。
「楽になりました」
かなえが言う。
「情報量が半分です」
「こっちも向く方向が一つになりました!」
すずも声を上げる。
「照準、追いつきます」
まどかが静かに言った。
TOGⅡの砲塔が八九式へ向く。
八九式はまだ走っている。
しかし、先ほどとは違う。
こちらは右だけを見ればいい。
車体と砲塔を同じ方向へ回し続ければいい。
灯里は八九式の進行方向を見る。
「火野さん、車体ではなく、その少し前を」
「進路を撃ちます」
「はい」
照準が止まる。
「撃てるなら、今です」
まどかが引き金を引いた。
砲声。
模擬弾は八九式そのものではなく、そのすぐ前方へ着弾した。
『うわっ!?』
典子が反射的に進路を変える。
八九式の速度が落ちた。
「止まりました」
灯里が言う。
「完全ではありませんが、十分です」
ここで、みほから終了の無線が入った。
『そこまで! 訓練終了です!』
TOGⅡの車内で、全員が一斉に息を吐いた。
「疲れました……」
すずが操縦席へ少し沈む。
「普通に撃ち合うより疲れた気がします」
ちとせが言う。
「ぐるぐるしすぎです」
りんも同意する。
灯里は外を見る。
遠くでは八九式が止まり、典子たちがこちらへ手を振っている。反対側では38(t)とM3リーも並んで止まっていた。
本物のCV33なら、もっと小さい。
本物のL40なら、桃のように派手に撃ちながら走ってはくれないだろう。
つまり、今より難しい。
その事実だけは、嫌になるほどよく分かった。
* * *
夕方。
模擬戦を終えた各車輌が、順番に戦車倉庫へ戻されていった。
「本日の訓練はここまで! 各自、今日の反省点を確認しておけ!」
桃の声に、
「お疲れさまでしたー!」
という返事が重なる。
戦車倉庫前では、各チームの代表がもう一度集まっていた。みほは練習中に取ったメモを見ながら、一つずつ確認していく。
「今日は、追いかけるだけだと駄目だって分かったね」
「はい」
灯里が頷く。
「TOGⅡは小型車輌を追えません」
「知ってはいたけど、実際にやるとかなり大変だったね」
「想像以上でした」
みほは八九式と38(t)の動きを簡単に図へ書いた。
「二方向へ分かれられた時、一番困ったのは?」
「両方を同時に見ようとしたことです。右へ向けば左、左へ向けば右。TOGⅡの旋回では追いつきません」
灯里は図の中央へTOGⅡを書き、その横に一本の線を引く。
「本番では、追わずに通路を塞ぐ。どうしても回り込まれたら、狙う相手を一輌に絞る。撃破ではなく、履帯や進路を狙って動きを止める」
「もう一輌は?」
「味方に任せます」
みほが頷いた。
「それが一番大事かもしれないね」
少し離れた場所で、梓たちが気まずそうに立っている。
「それから……」
みほがそちらを見る。
ウサギさんチーム全員が背筋を伸ばした。
「TOGⅡを支援するチームが途中でいなくならないこと」
「すみませんでした!」
梓が頭を下げる。
「あの丘、右から回るのか左から回るのか分からなくなって……」
「報告はしていましたけど、距離が離れすぎていましたね」
優花里が言う。
「でも、戻ってきてからはかなり楽になりました」
灯里がフォローする。
「本番では、最初からTOGⅡを孤立させないようにしよう」
「はい!」
梓が力強く返事をした。
「結局、一輌で全部やろうとするのが一番駄目なんだね」
沙織が言う。
「そうだと思う」
みほは小さく笑った。
灯里もTOGⅡを見る。
「長いので、つい全部塞げそうな気がしますが」
「気のせいだ」
麻子が即答した。
「はい」
灯里も素直に認めた。
* * *
車庫の中では、いぬさんチームも今日の反省を続けていた。
TOGⅡの長い車体の横に六人が集まり、かなえが手元のメモへ気づいたことを書き込んでいる。まだ熱の残る車体からは、金属と油の匂いがした。
「二輌に回られると、どうしていいか分からなくなりますね」
すずが最初に言った。
「右を向いたと思ったら、すぐ左でした」
「狙う相手を一輌に決めてからは、かなり楽でした」
まどかが答える。
「照準する対象が一つなら、追うことはできます。撃破できるかは別ですが」
「通信も同じです」
かなえがメモを見る。
「右、左、後方と全部を同時に処理しようとした時が一番混乱しました。味方が一方向を担当してくれれば、必要な情報も減ります」
「ウサギさんチームがいなくなった時は、かなり困りましたね」
ちとせが言う。
「次は迷子にならないでほしいです!」
りんが元気よく続けた。
「はい」
灯里は全員を見渡した。
「今日、一番大事だったのはそこだと思います」
すずが首を傾げる。
「迷子ですか?」
「違います」
灯里はTOGⅡの側面へ手を触れた。
「TOGⅡは、一輌で全方向を守れる戦車ではありません」
長い車体。
大きな砲。
重い装甲。
それでも、後ろにも横にも同時には向けない。
「だから、味方と一緒に戦う必要があります。こちらが正面を塞いでいる間に側面を見てもらう。こちらが一輌を止めている間に、もう一輌を任せる。その方がTOGⅡは強くなります」
「戸郷さんが珍しく、TOGⅡだけで何とかすると言いませんでした」
まどかが言う。
「私も成長しています」
「TOGⅡではなく?」
「両方です」
「TOGⅡは成長しません」
「概念的には」
「物理的にはしません」
いつもの調子へ戻った会話に、りんが笑った。
かなえは最後に、メモへ一行を書き加える。
『単独行動しない』
灯里はそれを見て頷いた。
かなり単純だった。
でも、今日一日ぐるぐる回された結果としては、それで十分だった。
* * *
戦車倉庫の外へ出る頃には、日が大きく傾いていた。
昼間の暑さはまだ地面に残っているが、吹いてくる風には少しだけ夕方の涼しさが混ざっている。格納庫の前には、整備を終えた戦車が並んでいた。
アンツィオについて、調べた。
実際に見た。
資料も読んだ。
そして、想定して動いてみた。
それでも、まだ本物とは戦っていない。
灯里はTOGⅡを見上げた。
本物のCV33は、今日の八九式よりずっと小さい。
P40が実際にどこへ出てくるのかは分からない。
L40も、桃の38(t)のように「当たれー!」と叫びながら位置を教えてくれるわけではない。
予想通りになる保証は、どこにもなかった。
けれど、一つだけ確かなことがある。
追いつけないなら、追わなければいい。
一人で全部を相手にせず、味方と戦えばいい。
「灯里さん」
声に振り向くと、みほが立っていた。
その手には、今日の訓練で使ったメモがある。
「次は、本番だね」
「はい」
灯里も頷いた。
調べる段階は終わった。
練習もした。
あとは、実際の相手がどう動くかを見るしかない。
「アンツィオ戦です」
夏の夕暮れの中、長いTOGⅡの影が戦車倉庫の前へ伸びていた。