試合当日の朝、大洗女子学園艦は全国大会二回戦の会場に近い港へ寄港していた。
まだ日が高くなる前だというのに、港周辺ではすでに大勢の生徒が動き回っている。戦車道チーム、自動車部、生徒会。大型輸送車の周囲を行き来する声とエンジン音、金属のぶつかる音が絶えず、その横ではⅣ号、Ⅲ号突撃砲、八九式、38(t)、M3リーが順番に積み込まれていく。
そして、最後にTOGⅡ。
「もう少し右です。そのまま……はい、そこで止めてください」
「止めるよー!」
灯里が輸送車の横から車体位置を確認し、ナカジマの合図に合わせてTOGⅡの長い車体がようやく所定の位置へ収まった。他の車輌ならもう少し余裕のある大型輸送車も、TOGⅡが載ると途端に窮屈に見える。
「やっぱりTOGⅡだけ積み込み時間長いねー」
ナカジマが額の汗を拭う。
「長い戦車ですので」
「そういう意味ではない! 戸郷、毎回それで済ませようとするな!」
「事実ではあります」
「長いのが問題なんだ!」
「ありがとうございます」
「褒めてない!」
近くで確認作業をしていた桃の声に、自動車部の面々が笑いながら固定具を締めていく。TOGⅡの輸送だけは相変わらず手間がかかるが、それも今では試合前の見慣れた風景になり始めていた。
* * *
輸送車で会場へ到着すると、目の前にはそれまでの試合とはまた違った景色が広がっていた。
森林と緩やかな丘陵、その間に混じる地面が剥き出しになった荒地。木々の間を縫う細い道もあれば、戦車が数輌並んで通れそうな開けた場所もある。遠くには小さな丘がいくつも重なり、その向こう側までは簡単に見通せなかった。
「ここが今回の試合会場なんだね」
みほが地図と実際の景色を見比べる。
「抽選で決まったフィールドであります! 森林と丘陵地帯が混在しているので、小型車輌が隠れる場所はかなり多そうです」
優花里が双眼鏡を構える横で、灯里もTOGⅡの近くから地形を眺めた。広い道、狭い抜け道、左右から回り込めそうな林。TOGⅡでも問題なく通れる場所と、できれば入る前に別の道を選びたい場所を順番に拾っていく。
第37話の訓練で確認したことも、自然と頭へ浮かんだ。CV33を追わない。敵が通りたい場所を塞ぐ。複数方向から回り込まれても、一輌で全部を相手にしようとしない。そして、L40は小さな車体を生かして丘や茂みの陰へ隠れ、履帯を狙ってくる可能性がある。
まだ試合は始まっていない。それでも、灯里の目にはもう目の前の地形が「戦場」として見え始めていた。
「戸郷さん、難しい地形ですか?」
まどかが声をかける。
「TOGⅡには、あまり優しくありません」
「いつものことですね」
「はい。だから、使える場所を探します」
弱点があるなら、それを消そうとするより、弱点が出にくい場所を選ぶ。ここまで練習してきたことは、そのためでもあった。
* * *
スタート地点へ向かう途中、沙織がふと観客席の方を見た。
「ねえ、前より人増えてない?」
「……うん」
みほも足を止める。以前なら空席も目立っていた大洗側の観客席に、今日は思った以上に多くの生徒が集まっていた。学校名の入った旗や手作りらしい横断幕が揺れ、『がんばれ大洗!』『二回戦突破!』という文字も遠くから見える。
黒森峰やサンダースのような大応援団ではない。それでも、明らかに以前とは違った。
「サンダース戦で勝ったからかな。戦車道部、最近学校でもかなり話題になってるよ」
「応援してくださる方が増えるのは、嬉しいですね」
華が微笑む。
「負けられなくなるな」
「麻子、そういう言い方しないの」
「でも事実だ」
灯里も観客席を眺めた。最初は戦車道を再開することすら大きな話題で、集められた戦車も、そこに乗るチームも経験不足。それでも大会へ出て、一回戦を越え、サンダースを破り、今では試合を見るために生徒たちが会場まで足を運んでいる。
少しずつ、大洗の戦車道が学校のものになっている。
灯里はその変化を少しだけ嬉しく思ったが、反対側へ目を向けた瞬間、その感傷は別のものに上書きされた。
「……すごい」
沙織が呟く。
アンツィオ側だけ、どう見ても試合会場の雰囲気ではなかった。ジェラート、ピザ、パスタ、パニーニ、飲み物に焼き菓子。簡易テントの下には色とりどりの看板が並び、アンツィオの制服を着た生徒たちが元気よく客を呼び込んでいる。
「いらっしゃーい!」
「試合前限定セットあるよー!」
「勝っても負けても食べてってー!」
遠征先にまで、露店街ができていた。
「試合終わったら食べに行こうよ!」
「あのジェラート食べたい!」
「ピザもあるよ!」
「パニーニも!」
「みんな、試合前だからね?」
盛り上がるウサギさんチームを梓が慌てて止める。
「でも私も行きたいなー」
「私も興味があります」
「試合後ならいいだろう」
沙織、華、麻子まで続いた。
「アンツィオ高校、商魂が逞しいですね」
「遠征費や燃料費も稼いでいるのかもしれません!」
優花里の言葉に、みほも小さく笑う。
「偵察した時もそうだったけど、本当にどこでも出店するんだね」
「稼げる場所では稼ぐ。合理的です」
灯里は頷いてから、もう一度露店を見る。
「TOGドッグも遠征販売を検討しましょうか」
「今は試合に集中して」
みほに即座に止められた。
* * *
試合開始までの時間を使い、各チームはそれぞれの車輌へ戻って最後の点検を始めた。
履帯、燃料、無線、砲、照準器、白旗装置、安全装置。どれも普段から確認しているものだが、試合中に一つでも問題が起きれば、それだけで勝敗が変わりかねない。自動車部も各車輌を回り、異音や緩みがないかを確認していた。
いぬさんチームもTOGⅡの周囲と車内へ分かれる。
「履帯、左右とも問題ありません」
すずが足回りを確認する。
「照準器、問題ありません」
「無線、全チャンネル良好です」
「装填準備よしです」
まどか、かなえ、ちとせの報告が続き、最後にりんが車体を見上げた。
「今日も長いです!」
「それは常時正常です」
「異常だったら短くなるんですか?」
「それは大事故です」
まどかが淡々と答えると、りんが笑った。
「それでは問題なしですね!」
「はい。今日も正常に長いです」
灯里はTOGⅡの車体へ手を触れた。整備された金属は朝の日差しを受けて少し温かい。もう何度も乗り、何度も動かしてきた戦車なのに、試合前にこうして触れると毎回少しだけ違って感じる。
今日も、この長い戦車と戦う。
* * *
最終点検を終えると、各チームの車長がみほの周りへ集まった。みほの手元には、地形図とアンツィオの想定編成を書き込んだクリップボードがある。
「最後に、もう一度確認します。まず、CV33を無理に追わないでください」
「はい!」
典子が元気よく返事をする。
「速い相手を追いかけると、こちらの隊形が崩れます。見失った時は深追いせず、位置と移動方向を報告してください」
「了解」
エルヴィンが頷く。
「セモヴェンテとP40は、こちらが小型車に気を取られた時に出てくる可能性があります。周囲の確認を忘れないでください」
優花里が補足したところで、灯里も地図の林と丘を指した。
「L40も警戒してください。車体が小さいので、こういう茂みや丘の陰へ隠れられる可能性があります。特に側面へ回られた場合は、履帯を狙われることも考えておいた方がいいです」
「戸郷ちゃんは、予定通り?」
杏が聞く。
「はい。TOGⅡは進路制限と後方支援を中心にします。CV33を見ても追跡はしません」
みほが念を押す。
「一人で追わないようにしてください」
「はい。味方との距離を維持します。回り込まれた場合も一輌に狙いを絞って、もう一方向は他チームへ任せます」
「うん。それでお願いします」
第37話では、八九式と38(t)の二方向から散々回された。その結果、一輌ですべてを見ようとしても無理だと嫌になるほど分かっている。
準備してきたことは、これでほとんど確認した。あとは相手が、こちらの想定通りに動いてくれるかどうかだった。
その時。
「たのもー!」
会場に、やけに大きな声が響いた。
全員が振り返ると、少し離れた場所から一台の小型移動車がこちらへ向かってくる。その上に立っているのは、金髪の特徴的なツインテールにマントを翻す少女。数日前、アンツィオ高校でP40の上に立っていた人物だった。
来ましたね。
移動車が大洗側の近くで止まり、アンチョビが勢いよく飛び降りて胸を張った。
「やあ、チョビ子」
「チョビ子と呼ぶでない!」
最初に声をかけた杏へ即座に怒鳴り返す。
「何の用だ、安斎」
桃まで普通に話しかけた。
「お前たちはもう少し相手校の隊長を敬え!」
灯里は三人のやり取りを見ながら、少しだけ首を傾げる。原作を見ていた頃にも、杏たちとアンチョビがどういう経緯で顔見知りなのか、細かな部分までは分からなかった。しかし今の様子を見る限り、初対面ではないらしい。
……ずいぶん自然ですね。
自分が知らないところにも、この世界の人間関係は当然存在している。
「今日は試合前の挨拶に来たのだ!」
アンチョビはマントを翻し、胸へ手を当てた。
「アンツィオ高校戦車道部隊長――ドゥーチェ・アンチョビである!」
「おお……」
大洗側から小さく声が上がり、沙織が少しだけ身を乗り出す。
「自分でドゥーチェって言うんだ……」
「アンツィオ高校では正式な呼称のようであります!」
「もちろんだ!」
優花里の説明にも、アンチョビは誇らしげに頷いた。
「それで、大洗の隊長は?」
「西住みほです」
「お前が西住か!」
前へ出たみほを見て、アンチョビの表情が少しだけ変わった。西住という名前も、西住流も、戦車道に関わっていれば知らない者の方が少ない。みほもわずかに身構えたが、アンチョビはしっかりと彼女を見たあと、にっと笑った。
「西住流の名は聞いている! だからこそ、正々堂々戦おう!」
差し出された右手を見て、みほの表情から少し緊張が抜ける。
「はい!」
二人は握手を交わした。
「アンツィオは手強いぞ! マジノにも勝ったからな!」
「油断するつもりはありません」
「その意気だ!」
満足そうに頷くアンチョビへ、灯里もみほの横から一歩前へ出た。
「戸郷灯里です。隊長補佐と、いぬさんチームの車長を担当しています」
「戸郷……?」
アンチョビは少し考え、大洗側の後方に停まっている巨大な車体へ目を向けた。
「……あれか!」
「はい」
TOGⅡを前から後ろまで眺め、さらにもう一度見直す。
「長いな!」
「ありがとうございます」
「褒めたつもりではないぞ!?」
「TOGⅡに対する『長い』は、基本的に褒め言葉です」
みほが灯里を見る。
「そうなんだ……」
「はい」
アンチョビは少し困った顔をしたものの、すぐにいつもの勢いを取り戻した。
「まあいい! うちのCV33を、その長い戦車で追えると思うなよ!」
「追いません」
灯里は即答した。
「……ん?」
「追いつけませんので」
「潔いな!?」
「訓練で確認しました」
何度も、嫌になるくらい。
「追いつけないなら、追わない。それが今回の方針です」
「ふふん。なら、追いたくなるように動いてやる!」
アンチョビが楽しそうに笑う。
「それはこちらも困りますね」
灯里もほんの少し笑った。
その一方、アンチョビが乗ってきた移動車のそばにいたカルパッチョが、大洗側の一人を見て足を止めていた。
「あら……」
視線の先にいたカエサルも、同じように動きを止める。二人は少しだけ見つめ合った。
「久しぶりだな」
「ええ。久しぶり」
カエサルの言葉に、カルパッチョが柔らかく笑う。それだけの短いやり取りだったが、初対面ではないことは明らかだった。
近くにいた歴女チームの三人が、少し面白そうにカエサルを見る。
「知り合いぜよ?」
「まあな」
それ以上、カエサルは説明しなかった。
灯里は視界の端でその光景を見ながら、第36話で聞いた話を思い出す。アンツィオにいる、小学校時代からの知り合い。
やっぱり。
予想は合っていた。ただ、それを知っていたからといって、今ここで何か言う必要はない。二人の関係は二人のものだ。
「カルパッチョ!」
「はい、ドゥーチェ」
アンチョビに呼ばれ、カルパッチョはもう一度カエサルへ小さく会釈して移動車へ戻った。
「それでは、大洗女子学園! 試合で会おう!」
「はい」
みほが答える。
「行くぞ、カルパッチョ!」
「はい」
移動車が走り出し、アンチョビは最後までこちらへ手を振っていた。杏も軽く手を振り返す。
「相変わらず元気だねー」
「騒がしい奴だ」
「アンツィオらしいですね」
桃と灯里の言葉を聞きながら、みほは去っていくアンチョビを見て少し笑っていた。
敵ではある。
けれど、嫌な相手ではなかった。
「じゃあ、みんな。そろそろ戻ろう」
みほの言葉に、各チームがそれぞれの戦車へ向かい始めた。
* * *
灯里もTOGⅡへ戻ろうとして、ふと遠くの観客席へ目を向けた。
大洗側でもアンツィオ側でもない区画。距離があるため顔まではよく見えないが、どこか見覚えのある制服と、その隣で椅子に座り、カップらしきものを口元へ運んでいる人影が見えた。
「……」
「どうしました?」
TOGⅡの上から、まどかが聞く。
「いえ」
灯里は小さく首を振った。
ダージリンさんたちが来ている。
……そんな気がしました。
確証はない。それでも、もし本当に見に来ているのなら、少しだけ格好のいいところを見せたいと思う自分がいた。
「戸郷さん?」
「今行きます」
灯里は観客席から目を離し、TOGⅡへ乗り込んだ。
* * *
試合開始時刻が近づき、六輌の大洗車輌がスタート地点へ並んだ。Ⅳ号、Ⅲ突、八九式、38(t)、M3リー、そしてTOGⅡ。それぞれのエンジン音が重なり、地面へ低い振動を伝えている。
TOGⅡの車内でも、いぬさんチームがそれぞれの持ち場についていた。
「無線、全車接続確認しました」
「操縦、いつでも行けます」
「砲撃準備完了です」
「装填準備よし」
「いつでも来いです!」
かなえ、すず、まどか、ちとせ、りん。全員の報告を聞き、灯里は頷いた。
「了解です」
車内にはエンジンと換気装置の音が低く響いている。少し前までの訓練と、やっていること自体は同じはずだった。
今日は、本番だった。
外から審判員のアナウンスが響く。
『全国高等学校戦車道大会、第二回戦――大洗女子学園対、アンツィオ高校』
観客席から歓声が上がり、アンツィオ側からは負けないくらい大きな声が返ってきた。
『ドゥーチェ!』
『ドゥーチェ!』
『ドゥーチェ!』
灯里は車長席から前を見る。森林と丘、その向こうには十二輌のアンツィオ車輌がいる。
調べた。実際に見た。資料も読み、想定した訓練もした。今できる準備はしてきた。
ファンファーレが鳴る。
パンッ――!
信号弾が空へ上がった。
『パンツァー・フォー!』
みほの声が無線に響き、大洗の戦車が一斉に動き始めた。Ⅳ号を先頭に履帯が土を掻き、TOGⅡも続いて動き出す。
遅れているわけではない。
最初から予定された速度で、ゆっくり前へ進んでいる。
一方、アンツィオ側ではP40の上からアンチョビが腕を振り上げた。
「よーし、お前たち! アヴァンティ!」
「ドゥーチェ!」
「ドゥーチェ!」
軽いエンジン音がいくつも重なり、六輌のCV33が森や丘へ向かって一斉に散っていく。その後方から三輌のセモヴェンテとP40も動き始め、二輌のL40はそれぞれ別方向へ進むと、低い車体をすぐに地形の中へ紛れ込ませた。
灯里は双眼鏡を構える。
小さく、速い戦車たち。その後ろにはP40。資料でも映像でも見たし、訓練では八九式と38(t)を相手に何度も回された。
でも、本物が予定通り動く保証なんてない。
「いぬさんチーム、前進します」
「了解です」
すずが答え、TOGⅡの履帯がゆっくりと土を踏んだ。
全国大会二回戦、大洗女子学園対アンツィオ高校。
その戦いが、始まった。
最終章5章の予告映像がまた出てましたね!
当日、サプライズ戦車などないか気になってしまいます…