第41話「それぞれの一騎打ち」
マカロニ作戦は、もう終わっていた。
偽装戦車は見破られ、左右へ散ったアンツィオの各隊も、それぞれ大洗の車輌と交戦に入っている。戦場を広く使って大洗を分断するところまでは成功したものの、その結果としてアンツィオ側も部隊が散らばり、数の優位を十分に生かせなくなっていた。
P40の車長席で戦況報告を聞いていたアンチョビは、地図へ視線を落とした。左ではペパロニ隊が八九式を追走中、右ではセモヴェンテ二輌がM3リーと交戦し、L40の一輌はTOGⅡに履帯を切られて停止。カルパッチョの車輌も、中央から少し離れた位置で大洗のⅢ号突撃砲と接触している。
「ばれてしまっては仕方がない! マカロニ作戦はここまでだ!」
アンチョビが無線機を取った。
「各隊、本隊へ集結しろ! ここからは数をまとめて押すぞ!」
それぞれの車内へ命令が届く。
命令そのものは通った。
ただし、戻れるかどうかは別の話だった。
◇
「姐さんのところに戻るっすよー!」
ペパロニがそう叫んだ直後も、CV33の進路は変わらなかった。
目の前には八九式。
林の中を全力で走るその車体を、CV33隊が相変わらず追いかけている。アンチョビのところへ戻るつもりはある。しかし、だからといって今まで追っていた相手を、そのまま逃がすという発想にはならなかった。
「まず、あいつらを何とかしてからっす!」
CV33が細い道へ次々と滑り込む。
八九式の車内では、典子が後方を確認していた。
「まだ来るぞ!」
「速い!」
「右から一輌、左にもいます!」
忍の声に合わせて八九式が進路を変える。CV33は小さな車体を生かし、木立と起伏の隙間を縫いながら距離を詰めてきた。
「逃がさないっすよー!」
後方からペパロニの声が響く。
「だったら――」
典子は前方へ視線を戻した。
「こっちに来い!」
八九式がわざと速度を落とし、CV33との距離を少しだけ縮める。
「典子?」
「このまま追ってくるなら、本隊から離しておけます!」
最初は、ただ追われていただけだった。けれど、ここまで来れば分かる。自分たちがCV33を撃破できなくても、相手を中央へ戻さなければ、その分だけみほたちの負担は減る。
撃破できないなら、拘束する。
「なるほど!」
「じゃあ、もっと引っ張ります!」
「根性で!」
八九式が再び加速し、その後ろをCV33が一斉に追う。
「待てー!」
「待ちません!」
撃破数にはならない。それでも一つの戦力を戦場から切り離しておくことはできる。
アヒルさんチームは、少しずつ別の戦い方を覚え始めていた。
◇
右側では、M3リーが二輌のセモヴェンテとまだ向き合っていた。
一年生たちは前回までのように無理な追撃をせず、丘と林の間を使って距離を保っている。固定戦闘室のセモヴェンテは、射撃するために車体正面をこちらへ向ける必要があり、そのたびに移動方向が読みやすくなる。
「二輌とも追わない! 右だけ狙おう!」
「分かった!」
右側のセモヴェンテが丘の斜面を下り、砲をM3リーへ向けようと車体を回す。左側の一輌は少し距離を置いたまま、援護するように進路を変えていた。
「右、止まりそう!」
「砲を向けてる!」
梓がその動きを見て、すぐに声を上げる。
「今!」
M3リーの75mm砲が火を噴いた。
砲弾はセモヴェンテの前面近くへ着弾し、車体を大きく揺らす。
一拍遅れて、白旗。
「やった!」
「一輌倒した!」
「当たった!」
車内に歓声が上がる。
しかし、梓はすぐにもう一輌へ視線を戻した。
残ったセモヴェンテは、アンチョビの集結命令を受けたのか車体を反転させ、本隊方向へ下がっていく。
「逃げるよ!」
「追う?」
「待って! 追いかけすぎない!」
梓が止めた。
一瞬、全員が黙る。
「……そっか」
「また離れたらまずいもんね」
「うん」
以前の訓練で、一度本隊から離れすぎている。
前へ出ることだけが仕事ではない。
「位置だけ報告しよう」
梓は無線を取った。
『こちらウサギさんチーム! セモヴェンテ一輌撃破、残り一輌は本隊方向へ後退しています!』
『了解。無理に追わなくていいよ』
「了解です!」
その直後、遠くから重いエンジン音が聞こえてきた。
「あれ……?」
丘の向こうから現れたのは、見慣れた長い車体だった。
「TOGⅡ!」
◇
L40との交戦を抜けたTOGⅡは、右側の履帯周辺に損傷を抱えたまま、ゆっくりと本隊方向へ進んでいた。
すずが操縦席で速度を確認する。
「一応走れますけど……遅いです」
「元からでは?」
まどかが照準器から目を離さずに言う。
「元から遅いのと、損傷して遅いのは違います」
灯里は真顔だった。
「今は、より遅いです」
「悪化してますね」
かなえが淡々とまとめる。
その時、無線へ梓の声が入った。
『いぬさんチーム!』
「ウサギさんチーム?」
『こっちです! 本隊へ戻るなら、この道が近いです!』
灯里はハッチから前方を見る。
M3リーが丘の手前で止まり、こちらへ進路を示していた。右側の細い道より、少し広い迂回路を使った方が損傷したTOGⅡでも走りやすい。
「ありがとうございます」
『今度は迷ってません!』
灯里は少しだけ目を細めた。
「頼もしくなりましたね」
『えへへ……』
梓の声がわずかに照れる。
「小走さん、ウサギさんチームについていきます」
「了解です」
M3リーが先導し、その後ろをTOGⅡが続く。
以前の模擬戦では、ウサギさんチームが本隊から離れ、TOGⅡを孤立させた。
今回は逆だった。
遅くなったTOGⅡを、一年生たちが本隊へ戻す道を作っている。
『もう少しで本隊です!』
「了解です」
すずがアクセルを踏み込む。
「急いでます!」
「分かっています」
「これで全速です!」
「分かっています」
TOGⅡなりの全速力だった。
◇
中央から少し離れた林の出口では、Ⅲ号突撃砲とセモヴェンテが互いに車体を向けたまま、一度動きを止めていた。
どちらも固定戦闘室。砲塔を持たない以上、撃つには車体そのものを相手へ向けなければならず、片方が射線を作ろうと旋回すれば、その動きは相手にも見える。横へ逃げれば撃てず、撃とうと正面を向ければ進路を読まれる。
セモヴェンテの中で、カルパッチョは照準器越しにⅢ突の側面を追っていた。
その車体に描かれた、カバのマーク。
「……このマーク」
大洗に、たかちゃんがいることは知っている。
試合前にも顔を合わせた。
だから、敵として同じ戦場に立っていること自体は分かっていた。
ただし、今まさに自分の正面で砲を向けようとしているこのⅢ突に、たかちゃんが乗っているとは考えていなかった。
Ⅲ突が射線を外すため、車体を短く切り返す。
その動きに、妙な既視感があった。
「……まさか」
カルパッチョが小さく呟く。
一方、Ⅲ突の車内でも、カエサルがセモヴェンテの動きをじっと見ていた。
「……今の避け方」
「どうした?」
エルヴィンが聞く。
「いや……」
カエサルは答えず、照準器へ視線を戻す。
カルパッチョがアンツィオ側にいることは、もちろん知っている。
けれど、目の前のこのセモヴェンテがそうだとは思っていなかった。こちらが車体を向ければ少し早めに射線を外し、こちらが待てば無理には出てこない。その間合いの取り方に、昔から知っている相手の癖が微かに重なる。
偶然かもしれない。
それでも、次の切り返しを見た瞬間、カエサルの中でほとんど確信へ変わった。
「……ひなちゃん、か」
その声は、Ⅲ突の車内にだけ落ちた。
同じ頃、セモヴェンテの中でも。
「……たかちゃん」
カルパッチョが、誰に聞かせるでもなく呟いていた。
敵同士なのは、最初から分かっていた。
けれど、まさか今この瞬間、互いに砲口を向け合っている相手がそうだとは思っていなかった。
それ以上の言葉はない。
二人とも、今は試合中だ。
次の瞬間、Ⅲ突とセモヴェンテが同時に旋回を始めた。
Ⅲ突が左へ車体を振れば、セモヴェンテはその外側へ回る。カエサルが射線を作ろうとすればカルパッチョは車体を逃がし、カルパッチョが正面を向ければⅢ突も位置をずらす。
向けなければ撃てない。
向ければ読まれる。
固定戦闘室同士の戦いは、砲撃そのものより先に、車体の向きと間合いの取り合いから始まっていた。
カエサルは照準器の中で、セモヴェンテが一度だけ速度を落とすのを見る。
次に来る。
言葉にはしない。
Ⅲ突も車体を切り返し、砲身を相手へ向ける。
カルパッチョも同じだった。
Ⅲ突が逃げずに正面を作った瞬間、照準器の中でその動きが昔の記憶と重なる。
「……やっぱり」
小さく漏らした直後、セモヴェンテも車体を止めた。
ほとんど同時だった。
「撃て!」
「撃って!」
ドンッ!
ドンッ!
二発の砲声が重なる。
Ⅲ突の車体が揺れ、白旗が上がった。
同時に、セモヴェンテの上にも白旗。
「……相打ちか」
エルヴィンが呟く。
カエサルは照準器から目を離し、ほんの少しだけ息を吐いた。
「さすがだな」
相手へ届くことのない声だった。
セモヴェンテの中でも、カルパッチョが小さく笑う。
「変わってないわね」
それも、相手には聞こえない。
昔の友達同士が、今度は戦車道の相手として撃ち合い、最後まで互いを読み切れないまま勝負を終えた。
◇
一方、P40を中心としたアンツィオ本隊は、まだ中央で大洗側の動きを追っていた。
護衛のCV33は各所へ散り、カルパッチョからの応答も途絶えている。ペパロニ隊も集結命令を受けたまま、八九式を追い続けて戻ってこない。
それでも、アンチョビは前方を見続けていた。
その視界の端に、小さな車体が入る。
38(t)。
大洗のカメさんチーム。
そして、その車体にはフラッグ車を示す旗。
「……見つけた!」
アンチョビが身を乗り出す。
「大洗のフラッグ車だ!」
38(t)の車内でも、桃がP40を見つけた。
「来たぞ!」
「じゃあ、逃げよっかー」
杏はいつも通りだった。
「了解です!」
柚子が車体を加速させる。
「会長、軽すぎませんか!?」
「でも逃げるんでしょ?」
「逃げますが!」
38(t)が進路を変え、丘の間を縫うように走り出した。
アンチョビは一瞬だけ迷った。
全隊はまだ揃っていない。カルパッチョから返答はなく、ペパロニ隊も左側で八九式を追ったまま。残存部隊を待てば、数を集めてから攻めることもできる。
けれど、目の前に敵フラッグ車がいる。
フラッグ車を撃破すれば、その瞬間に試合は終わる。
「全軍が揃うのを待ってる暇はない!」
アンチョビは迷いを振り切った。
「フラッグ車さえ倒せば、私たちの勝ちだ! 追うぞ!」
P40が38(t)を追って加速する。
完全な無謀ではない。
罠の可能性があっても、勝利条件を考えれば追う価値はある。むしろ相手のフラッグ車を目の前で逃がす方が、アンチョビには選びにくかった。
P40の砲が38(t)へ向く。
ドンッ!
砲弾がすぐ横へ着弾し、土煙が車体を包んだ。
「うわあっ!」
桃が悲鳴を上げる。
「いいねー、ちゃんと追ってきてる」
「会長! 余裕を出している場合ですか!」
「桃ちゃん、前見て!」
柚子が叫び、38(t)はさらに速度を上げた。
逃げる方向は、最初から決められている。
◇
少し離れた場所で、みほは地図と無線を交互に確認していた。
カメさんチームの現在地、P40との距離、この先の道幅、左右の斜面、そして待ち伏せ位置。みほはそれぞれを一つずつ確認し、地図上の線を指でなぞる。
「カメさんチーム、そのままです」
『そのまま!?』
桃の声が裏返る。
「はい。予定地点までお願いします」
『りょーかい』
杏は軽い。
その無線を、合流へ向かっていたTOGⅡでも聞いていた。
「誘導ですね」
灯里が言う。
『うん』
みほの返答は短かった。
P40を正面から撃ち合って止めるのではなく、自分たちが有利な場所へ引き込む。カメさんチームは、そのための餌役だった。
灯里は前方の地形を見る。
道は次第に狭くなり、左右には高低差が増えている。
あの先なら。
「西住さん、予定通りですね」
『うん。あとは、来てくれれば』
その答えを待つように、遠くからP40の砲声が響いた。
◇
アンチョビも、途中から地形の変化には気づいていた。
道幅が少しずつ狭くなっている。左右には斜面が迫り、P40が自由に旋回できる場所も減ってきた。
「……妙に素直に逃げるな」
前方の38(t)は、一度も大きく進路を変えない。
逃げているというより、こちらをどこかへ案内しているようにも見える。
アンチョビは一度だけ後方を確認した。
援軍はまだ来ない。
罠の可能性はある。
それでも、フラッグ車は目の前にいる。
「ここまで来て逃がすか!」
アンチョビは前進を指示した。
勝負に出る。
P40がさらに距離を詰めた。
◇
戦場の別の場所では、それぞれの車輌が少しずつ同じ方向へ動き始めていた。
「まだ来てる!」
八九式の後方では、CV33が相変わらず食らいついている。
「待てー!」
ペパロニの声が響く。
「待ちません!」
典子は前だけを見る。
ウサギさんチームとTOGⅡも、本隊へ向かう道を進んでいた。
『もう少しで合流できます!』
「了解です」
M3リーの後ろを、損傷したTOGⅡが重く追う。
「小走さん、もう少し速度を」
「これが全速です!」
「分かっています」
「だったら言わないでください!」
かなえが無線から残存アンツィオ部隊の動きを拾い、灯里へ伝える。
「本隊方向へ複数車輌が移動中です」
「戦場が狭くなってきましたね」
散らばっていた戦線が、少しずつ一つの場所へ収束していく。
そして、その先頭を走っているのは大洗のフラッグ車だった。
◇
38(t)が最後の曲がり角を抜ける。
その先にあったのは、ほとんど壁だった。
「壁だぞ!」
桃が叫ぶ。
「ここでいいよー」
杏は平然としている。
「本当に大丈夫かな……」
柚子も少しだけ不安そうだった。
38(t)が壁際で速度を落とす。
数秒後。
P40が曲がり角から姿を現した。
「追い詰めたぞ!」
アンチョビが笑う。
前方は壁。左右も狭く、38(t)に逃げ道はない。
「もらった!」
P40の車体が止まり、砲塔がゆっくりとフラッグ車へ向く。
その時。
高所の斜面。
土と草に車体を隠したⅣ号が、すでに砲身を下へ向けていた。
「……来ました」
みほが照準器の向こうでP40を見る。
P40の砲口は38(t)を捉えている。
けれどアンチョビはまだ――頭上から自分を狙うⅣ号の存在を知らなかった。