壁際へ追い込まれた38(t)に、もう大きく逃げられる場所は残っていなかった。正面には高い壁、左右もP40が旋回できる程度の幅しかなく、来た道へ戻ろうとすれば、その入口にはアンツィオのフラッグ車がいる。柚子は操縦席で速度を落とし、杏もハッチから振り返ってP40との距離を確認した。
「追い詰めたぞ!」
P40の車長席からアンチョビが身を乗り出す。
散らばった味方はまだ戻っていない。カルパッチョからの応答は途絶え、ペパロニ隊も八九式を追ったまま。それでも、目の前に大洗のフラッグ車がいる以上、この機会を見送る理由はなかった。
「もらった!」
P40の砲塔が38(t)へ向き、砲身の先が止まる。
「来ましたよ、会長!」
「うん。予定通りだねー」
「予定通りでも怖いものは怖いんです!」
桃の声が裏返る横で、杏は慌てることなく上を見た。
「残念でしたー」
「何?」
アンチョビが眉を上げる。
直後、高所から砲声が響いた。
ドンッ――!
「なっ!?」
P40のすぐ横へ砲弾が着弾し、土と小石が車体側面を叩く。アンチョビが反射的に斜面の上を振り仰ぐと、草と土に車体を隠したⅣ号が、すでに砲身をこちらへ向けていた。
砲手席では華が照準器を覗き、みほは高低差とP40の位置を確認している。38(t)が逃げ込んだ壁際は、上からならP40の動きを見下ろせる一方、下にいる側は斜面の縁まで近づかなければⅣ号を捉えにくい。
「……誘われた……!」
アンチョビは一瞬で理解した。
妙に素直だった38(t)の逃げ方。少しずつ狭くなっていた道幅。壁際まで一度も大きく進路を変えなかった理由。
全部、この場所へP40を連れてくるためだった。
「西住みほーっ!」
アンチョビの声が谷間へ響く。
みほは応えず、照準器の向こうにP40を捉えた。
「華さん、もう一度いきます」
「はい」
Ⅳ号の砲身がわずかに下がる。
「撃ちます!」
二発目。
今度はP40も止まっていなかった。アンチョビの指示で車体が前へ出て、砲弾は後部を掠めるように地面へ突き刺さる。
「そう簡単にやられるか!」
P40の砲塔がすぐに高所へ向いた。
「撃て!」
アンチョビも応射する。
「麻子さん、下がって!」
「分かった」
Ⅳ号が斜面の縁から後退した直後、さっきまで車体を出していた場所へ砲弾が叩き込まれ、崩れた土が履帯の跡へ降り注いだ。
「危なかったぁ……」
「P40、こちらへ砲塔を向けています!」
沙織が胸を押さえる横で、優花里は車外を確認する。
誘導には成功した。
けれど、それだけでP40が無力になったわけではない。狭い場所へ入れられても砲塔は回り、高所のⅣ号へ十分に反撃できる火力も残っている。アンツィオがようやく手に入れた主力であり、アンチョビ自身もそれを簡単に差し出すつもりはなかった。
「カメさんチーム、壁際を離れてください!」
『はいよー』
柚子が38(t)を壁に沿って走らせ、P40の射線から外していく。
「逃がすか!」
アンチョビが砲塔を38(t)へ戻しかけた、その時、遠くから複数の軽いエンジン音が近づいてきた。
「姐さーん!」
アンチョビの表情が変わる。
「ペパロニ!」
曲がり角からCV33が飛び出した。八九式との追走戦を続けながら、ようやく本隊の位置まで戻ってきたらしい。先頭車からペパロニが身を乗り出し、後続のCV33も次々と狭い道へ滑り込んでくる。
「戻ったっすー!」
「遅い!」
「すんません! でもちゃんと戻ってきたっす!」
「ならⅣ号を抑えろ! フラッグ車は私がやる!」
「了解っす!」
CV33隊が斜面へ向かって散開しようとする。
そこへ、後方から八九式が飛び込んできた。
「逃がしません!」
「まだついてきたっすか!?」
「そっちが追いかけてきたんでしょう!」
典子の声と同時に、八九式の砲が火を噴く。
先頭のCV33が慌てて進路を変えたところへ砲弾が落ち、土煙が小さな車体を包んだ。CV33は起伏を拾って大きく跳ね、そのまま横へ滑るように停止する。
白旗。
「うわあああっす!?」
「お、おい! 大丈夫か!?」
アンチョビが思わずP40から身を乗り出した。
『大丈夫っすー!』
「ならよし! ……いや、よくない! 試合中だぞ!」
「姐さん、忙しいっすね!」
「誰のせいだ!」
アンチョビが怒鳴り返す間にも、戦場へ戻ってくる車輌は増えていった。
『こちらウサギさんチーム、本隊が見えました!』
別方向からM3リーが姿を現し、そのさらに後ろでは、長い車体が地面を重く揺らしている。
TOGⅡだった。
「やっと着きました」
灯里はハッチから戦場全体を見る。
正面にはP40、高所にはⅣ号、壁際では38(t)が射線を外しながら移動中。アヒルさんチームに追われて戻ってきたCV33が狭い場所へ入り込み、さらにアンツィオ側の残存車輌も本隊方向へ寄り始めている。
TOGⅡ自身はL40との交戦で足回りを傷め、普段以上に機動力が落ちていた。
けれど、この場所なら速さはいらない。
追う必要がないからだ。
「小走さん、右側の出口へ。車体を斜めに入れてください」
「了解です」
すずが操縦桿を切る。
損傷した履帯が土を削り、TOGⅡの長い車体が狭い道の入口へゆっくりと入っていく。車体を斜めに置くだけで通路の大半が塞がれ、CV33なら無理に抜けようとしても速度を落とさざるを得ない。後続するアンツィオ車輌にとっても、進路を選べる幅は一気に狭くなった。
「いぬさんチーム、出口を塞ぎます」
かなえが各車から入る無線を整理しながら位置を伝え、まどかは斜面へ向かおうとするCV33へ砲塔を回した。
「P40は?」
照準器から目を離さず、まどかが聞く。
灯里は高所のⅣ号を見る。
「西住さんに任せます」
P40を撃破することが、自分たちの仕事ではない。
今必要なのは、Ⅳ号へ殺到しようとするCV33と、本隊へ戻ろうとする残存車輌の進路を限定することだった。
「右、CV33二輌!」
「射線だけ作ってください。無理に撃たなくていいです」
「了解!」
94mm砲が向いただけで、二輌のCV33が進路を変える。一輌は八九式の射線側へ追いやられ、もう一輌はTOGⅡの長い車体を避けて遠回りを選んだ。その奥ではM3リーが残存セモヴェンテの前へ砲を向け、中央へ入り込ませないよう牽制している。
アンツィオの車輌が戻ってくる。
大洗の車輌も戻ってくる。
散らばっていた戦場が、ついに一ヶ所へ集まり始めた。
◇
「くっ……!」
アンチョビは周囲を見渡した。
ペパロニ隊はアヒルさんチームに食いつかれ、戻ってきた車輌もTOGⅡとM3リーに進路を制限されている。カルパッチョはいない。L40の一輌も戻ってこない。
それでもP40は動ける。
そして、大洗のフラッグ車もまだ近い。
「まだ終わってないぞ!」
アンチョビが声を張る。
「フラッグ車を落とせば、こっちの勝ちだ!」
P40が前へ出る。
壁沿いに逃げる38(t)へ砲塔を向けようとした瞬間、高所から再びⅣ号の砲口が下がった。
「華さん」
「はい」
みほはP40の動きを見ていた。
Ⅳ号を撃とうとすれば、砲塔が上を向く。
38(t)を狙えば、高所への警戒が薄くなる。
アンチョビも同じことを理解している。
「上ばかり気にしてられるか!」
P40が38(t)へ砲塔を戻す。
「今です!」
Ⅳ号が撃った。
P40もほぼ同時に車体を動かし、砲弾は前面装甲の脇を掠めて地面へ落ちる。
「まだだ!」
アンチョビの声が響く。
P40の砲身が再びⅣ号へ向いた。
「撃て!」
砲声。
Ⅳ号が斜面の縁から下がり、砲弾は車体のいた場所へ土を巻き上げた。崩れた土が履帯へ当たり、車内にも細かな振動が伝わる。
「みんな、大丈夫?」
「大丈夫です!」
「こちらも問題ありません!」
華と優花里が答える。
操縦席の麻子は、前方から視線を外さない。
「もう一度出るぞ」
「うん」
Ⅳ号が再び斜面の縁へ上がる。
その姿を見たアンチョビが、P40の上で笑った。
「来るか、西住みほ!」
味方は減っている。
退路も狭い。
それでも、P40はまだ戦える。
アンツィオのみんなで金を集め、ようやく手に入れた新しい主力。ここで簡単に背中を向けるつもりはなかった。
「ドゥーチェの意地、見せてやる!」
P40がⅣ号へ正面を向ける。
「撃てぇっ!」
砲声。
「麻子さん、右へ!」
Ⅳ号が斜面を横へ動き、砲弾が車体脇を抜けて後方の土壁へ叩き込まれる。
「華さん!」
「捉えました!」
照準器の中央にP40が入る。
みほはすぐには撃たせなかった。P40が次弾へ備えて砲塔を修正し、車体の動きが一瞬だけ止まる。
逃げない。
こちらへ向き合う。
「撃ってください!」
華が引き金を引いた。
ドンッ――!
高所から放たれた砲弾がP40へ伸びる。
「っ――!」
着弾。
P40の車体が大きく揺れ、履帯が土を削りながら止まった。
一瞬、砲声も無線も遠くなったように感じる。
P40の上に白旗が上がる。
「なっ……!」
アンチョビが振り返った。
白旗は、間違いなく自分たちの車輌から出ている。
直後、審判の声が戦場へ響いた。
『アンツィオ高校フラッグ車、行動不能!』
各所で続いていた砲撃も、追走も、その瞬間に意味を失う。
『試合終了! 大洗女子学園の勝利!』
大洗側の各車から、一斉に歓声が上がった。
「やったー!」
「勝った!」
「勝ちました!」
M3リーの車内では一年生たちが声を上げ、八九式では典子たちが互いの肩を叩く。カメさんチームの桃は座席へ崩れ込み、柚子もようやく操縦桿から力を抜いた。
「助かった……」
「作戦通りだったねー」
「会長はもう少し緊張してください!」
TOGⅡの車内でも、張り詰めていた空気がようやく緩む。
「勝ちましたね」
かなえがヘッドセットを少しずらした。
「ええ」
灯里はハッチから白旗を上げたP40を見る。
原作で知っていたアンツィオ戦とは、途中の形が随分変わった。
L40が加わり、TOGⅡも戦場にいる。ウサギさんチームは自分たちでセモヴェンテを一輌止め、アヒルさんチームはCV33を倒すのではなく長時間拘束した。カエサルとカルパッチョも、昔から知っている相手が目の前の戦車に乗っていると戦いの途中で気づき、そのまま相打ちになっている。
それでも最後にP40を仕留めたのは、みほだった。
灯里は、それでいいと思った。
◇
「くそーっ!」
P40の上で、アンチョビが拳を握った。
「あと少しだったのに!」
壁際には大洗のフラッグ車が無傷で残っている。
罠の可能性に途中で気づき、それでも勝利条件を考えて追った。判断そのものを間違えたつもりはない。
けれど、最後に撃ち勝てなかった。
「悔しいーっ!」
全身で悔しがったあと、アンチョビは大きく息を吸う。
「でも次は負けないぞ! 覚えてろ、大洗!」
「はい!」
みほが少し困ったように笑いながら答えた。
そこへ、停止したCV33の方からペパロニが駆けてくる。
「姐さーん!」
「なんだ!」
「料理の準備、できてるっす!」
アンチョビの動きが止まった。
大洗側も、なんとなく黙る。
数秒後。
「よし!」
アンチョビが勢いよく拳を上げる。
「みんな、宴会だー!」
「おーっ!」
さっきまで負けて悔しがっていたとは思えないほど、アンツィオ側から一斉に歓声が上がった。
「切り替え早っ!」
沙織の声が戦場に響く。
「アンツィオですから」
灯里が真顔で答える。
「それで説明になるの?」
「かなり」
優花里まで頷いていた。
試合は終わった。
砲声とエンジン音が静まった戦場には、今度はどこからともなく料理の匂いが流れてくる。
全国大会二回戦、大洗女子学園対アンツィオ高校。
勝ったのは大洗だった。
そしてアンツィオは、負けてもやっぱりアンツィオだった。