試合終了から、それほど時間は経っていなかった。
それなのに、会場の一角からはもう戦車とはまったく関係のない匂いが漂い始めている。
焼けたチーズ。トマトソース。油の弾ける匂いに、茹でたパスタの湯気。さっきまで砲声とエンジン音が飛び交っていた場所へ長机が次々と運び込まれ、その上には大皿や鍋、籠に入ったパンまで並べられていた。
「さあ食べろー!」
アンチョビが両手を大きく広げる。
「せっかくアンツィオと試合をしたんだから! 腹いっぱい食べてから帰れ!これがアンツィオ流のもてなし方だ!!」
「おーっ!」
試合に負けた学校とは思えない勢いで、アンツィオの生徒たちが応える。
大皿にはピザ、パスタ、パニーニ、揚げ物。少し離れた場所にはサラダと飲み物が並び、さらに奥ではジェラートまで用意されていた。試合前から見えていた屋台だけではなく、どうやら終了後の分まで本格的に準備していたらしい。
「本当に食べに来れたー!」
ウサギさんチームから歓声が上がった。
「ピザある!」
「パスタも!」
「こっち揚げ物!」
「ジェラートもあるよ!」
沙織もすぐに振り向く。
「本当だ! ジェラートもある!」
華は料理の並んだ机を端から端まで見渡した。
「全部いただきます」
「ほどほどにしろ」
麻子が即座に止める。
「せっかくですから」
「その理屈で全部食べるな」
優花里も別方向で目を輝かせていた。
「アンツィオ高校の食文化を、実際に体験できるとは……!」
「秋山さん、戦車を見てる時と同じ顔してるよ」
「食文化も学校の重要な特色であります!」
みほは苦笑しながら紙皿を受け取り、その横では杏がすでにピザへ手を伸ばしている。
「試合の後にこれはいいねー」
「会長、さっきまで追い回されてたんですよ?」
「だからお腹空いたんじゃない?」
桃は何か言い返そうとしたものの、柚子から渡された料理を見て、そのまま黙った。
灯里も紙皿を一枚受け取る。
少し前まで互いに砲を向け、無線で相手の位置を報告し合っていた。それが試合終了の合図一つで、今は同じ机の前へ並んで料理を選んでいる。
映像で見ていた戦車道でも知っていた光景ではある。
それでも実際にその中へ入ると、不思議なものだった。
「これどうぞ!」
アンツィオの生徒から渡された皿には、焼きたてのピザが二切れ載っている。
「ありがとうございます」
灯里が受け取った横では、りんがすでに別の料理へ視線を向けていた。
「隊長、あっちも美味しそうです!」
「装填より判断が早いですね」
「食事は別腹です!」
「その理屈は初めて聞きました」
ちとせが笑い、かなえは料理の列を見ながら効率よく取れそうな順番を考えている。すずは飲み物を持ったまま、長時間の操縦で固まった肩を伸ばしていた。
「座って食べられるっていいですね」
「戦車内では難しいですから」
「比較対象がおかしいです」
試合が終われば、いぬさんチームも給食部の生徒に戻る。
もっとも、食べ物を前にすると試合中より動きが良くなる者もいるらしい。
◇
少し離れた場所では、カエサルとカルパッチョが向かい合っていた。
試合中は互いに固定戦闘室の砲を向け、最後はほとんど同時に白旗を上げた二人も、戦車から降りてしまえばただの昔馴染みだった。
「やっぱり、たかちゃんだったのね」
「ひなちゃんも」
カルパッチョが笑う。
「途中まで気づかなかったわ」
「私もだ。アンツィオにいるのは分かっていたが、まさか目の前のセモヴェンテに乗っているとは思わなかった」
「私はカバのマークで気づいたの」
「私は動き方だな」
少し離れたところでは、カバさんチームの面々がその会話を聞いていた。
「本当に幼なじみだったのか」
エルヴィンが感心したように言う。
「しかも呼び方まで昔のままぜよ」
「戦闘中は何も言わなかったのにな」
カエサルが振り返る。
「試合中だからな」
それだけ言って、またカルパッチョの方へ向き直った。
「相打ちだったけど」
「次は勝つ」
「それはこっちの台詞よ」
戦闘中にあった張り詰めた空気は、もうどこにもない。
灯里は少し離れたところから、その様子を眺めていた。
やっぱり、この二人だったんですね。
以前、カエサルからアンツィオに昔からの知り合いがいると聞いた時点で、何となく察してはいた。
けれど、そこで答えを口にしなかったからこそ、こうして本人たちが自分たちのタイミングで再び繋がるところを見ることができた。
知っているからといって、何でも先に言えばいいわけではない。
最近は、そう思えることが少しずつ増えていた。
◇
「そういえば!」
少し離れたところから、ペパロニがこちらへ走ってきた。
手には紙皿。
口にもまだ何か入っている。
「長い戦車の人!」
灯里が振り返る。
「私でしょうか」
「他に誰がいるんすか!」
ペパロニがTOGⅡの方を指差した。
「聞いたことあるっす! 長いホットドッグ売ってるんすよね!」
灯里の表情が少しだけ変わる。
「TOGドッグです」
「それっす!」
話を聞きつけたアンチョビも寄ってくる。
「なんだそれは?」
「TOGⅡをイメージしたホットドッグです」
「長いのか?」
「長いです」
「どれくらいだ?」
「TOGⅡへの敬意を失わない程度です」
「分からん!」
ペパロニは妙に目を輝かせていた。
「食べてみたいっす!」
灯里は一度、アンツィオ側の料理を見る。
大洗側はさっきから完全にご馳走になりっぱなしだった。ピザもパスタもジェラートも、減ればすぐに新しい皿が追加されている。
その横で、ちとせも同じ方向を見ていた。
「戸郷さん」
「はい」
「私たちも、何か出しませんか?」
りんがすぐに反応する。
「負けっぱなしは悔しいです!」
「料理の話ですよね?」
すずが確認する。
「もちろんです!」
かなえは少し考え、いぬさんチームが持ち込んだ荷物へ視線を向けた。
「試合後用の軽食として持ってきた食材なら残っています」
「パンもあります」
ちとせが続ける。
「ソーセージも!」
りんが手を上げた。
「調味料も最低限ありますね」
かなえが確認する。
灯里は数秒だけ考えた。
「……作れますね」
いぬさんチームの空気が変わった。
戦車道ではなく、今度は給食部の時間だった。
「では、こちらも負けじと振る舞いましょう」
灯里はアンチョビを見る。
「TOGドッグです」
「おおっ!」
アンチョビの反応は早かった。
「いいぞ! 料理勝負だ!」
「勝負になったんですか?」
すずが小さく呟く。
「アンツィオではなったみたいですね」
まどかが淡々と返した。
◇
それからしばらくして。
アンツィオ側の料理テーブルの隣に、もう一つ簡易の調理台が作られていた。
いぬさんチームは、こうなると強い。
ちとせがパンと具材を並べ、すずが人の動きを見ながら調理台の配置を整える。かなえは残っている食材と出来上がった本数を管理し、まどかは焼き加減を確認。りんは次々と仕上がったものを受け取り、配る準備へ回っていた。
「焼き上がり!」
りんが声を上げる。
「今回は合ってます」
まどかが頷く。
「試合中も同じ言い方でしたよね?」
「今は正しいです!」
ちとせが笑いながら次のパンを渡す。
普段のTOGⅡ車内とはまったく違う。
けれど、役割を分け、一つの作業を滞らせず回していくところは、いぬさんチームらしかった。
灯里は最後に具材を整え、一本を持ち上げた。
「できました」
普通のホットドッグより、明らかに長い。
アンチョビが目を見開く。
「長っ!?」
「TOGⅡですので」
「何でもそれで説明するな!」
ペパロニはむしろ大喜びだった。
「うまそうっす!」
「どうぞ」
灯里から受け取ると、ペパロニは端から勢いよくかじりつく。
「うまいっす!」
「本当か?」
アンチョビも一本受け取り、一口かじった。
少しだけ黙る。
もう一口。
「……いいじゃないか!」
灯里は小さく頷く。
「ありがとうございます」
「でも食べにくいぞ!」
「長いですので」
「そこは改善しろ!」
「TOGⅡの長所です」
「ホットドッグでは短所だ!」
周囲から笑いが起きる。
完成したTOGドッグは、アンツィオだけでなく大洗側にも配られ始めた。
「これ美味しい!」
沙織が両手で持ったまま目を輝かせる。
「長いけど!」
華はすでにかなり食べ進めていた。
「食べ応えがありますね」
「華、さっきアンツィオの料理も全部食べるって言ってなかったか」
麻子が横から見る。
「別枠です」
「胃袋に別枠はない」
ウサギさんチームも一本を囲んでいた。
「本当に長い!」
「切って食べようよ!」
「そのまま行けるって!」
「絶対落とすよ!」
いつの間にか、試合後の会場には大洗側の料理まで加わっていた。
アンツィオがピザやパスタを配れば、いぬさんチームがTOGドッグを返す。片方の皿を受け取った生徒が、そのままもう片方の列へ並ぶ。
どちらが振る舞う側なのか、もうよく分からない。
「いいな、これ!」
アンチョビはTOGドッグを片手に灯里を見る。
「次はアンツィオ仕様を作ろう!」
「アンツィオ仕様?」
「トマト! チーズ! あと何かイタリアっぽいやつだ!」
「最後が雑ですね」
ちとせが笑う。
「チーズ増量は良さそうです!」
りんもすぐに乗った。
「長さは?」
すずが聞く。
灯里は即答する。
「維持です」
「そこは絶対なんですね」
かなえが淡々とまとめた。
「では、次回用の試作候補として記録します」
「もう商品開発になってる……」
沙織が呆れた声を出す。
アンチョビは楽しそうに笑った。
「いいじゃないか! 料理で負けるつもりもないぞ!」
灯里も負けずに返す。
「こちらもです」
戦車道の勝負は、もう終わっている。
けれど今度は、別の勝負が始まりかけていた。
たぶんこちらには、白旗は出ない。
◇
夕方が近づく頃には、試合会場の空気はすっかり変わっていた。
戦車の横に並ぶのは砲弾ではなく、紙皿と飲み物。アンツィオのピザやパスタと、大洗のTOGドッグが同じ机の上に置かれ、さっきまで互いの位置を無線で伝え、砲を向け合っていた生徒たちが、今はどの料理を先に食べるかで迷っている。
「これ、おかわりしていいですか?」
華が空になった皿を持ち上げる。
「どっちを?」
沙織が聞く。
「両方です」
「まだ行くのか」
麻子の声にも、もう驚きはなかった。
少し離れたところでは、カエサルとカルパッチョが昔の話を続けている。その向こうではアンチョビがTOGドッグを片手に大洗の生徒へ料理を勧め、ペパロニは自分も食べながら皿を運んでいた。
いぬさんチームの調理台でも追加分が出来上がり、りんの「焼き上がり!」という声がまた響く。
灯里は紙コップを手に、その光景を少しだけ眺めた。
原作で知っていたアンツィオは、明るくて、賑やかで、食べ物が多い学校だった。
実際に来ても、その印象はほとんど変わらない。
ただ、画面の外にはもっと人がいて、もっと料理の匂いがして、もっと騒がしい。
そして今は、その隣に自分たちのホットドッグまで並んでいる。
「戸郷ー!」
アンチョビが向こうから声を飛ばした。
「TOGドッグ、もう一本くれ!」
灯里は調理台に残った一本を見る。
「アンツィオ料理一皿と交換です」
「まだ取るのか!?」
「食文化交流です」
「便利な言葉にするな!」
それでもアンチョビは笑いながら皿を一枚持ってきた。
灯里もTOGドッグを差し出す。
互いに料理を交換し、それぞれまた仲間の輪へ戻っていく。
試合では、きちんと勝ち負けがついた。
食卓では、もうどちらが勝ったのか分からない。
それくらいが、ちょうどよかった。