その日の夜。
戸郷灯里は、自宅の机の前で腕を組んでいた。
目の前には、学校から配られた戦車道関係の資料が広げられている。
選択授業案内。
戦車道履修者向け説明書。
車両登録申請書。
そして、分厚い冊子。
表紙には、こう書かれていた。
『戦車道競技規則・車両規定抜粋』
灯里は、それを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「……そういえば」
昼間は勢いでTOGⅡを動かした。
秋山さんは大興奮していた。生徒会長は「売れるねー」とホットドッグの方を見ていた。給食部専攻の人たちは、戦車よりも厨房導線を確認していた。
そして自分は、TOGⅡが動いているという事実だけで、わりと脳の処理能力を失っていた。
だが、冷静になった今、ひとつの疑問が浮かぶ。
「……TOGⅡって、戦車道のレギュレーション、大丈夫なんでしょうか」
灯里は沈黙した。
いや、大丈夫なはずだ。
大丈夫でなければ困る。
自宅地下ガレージに置かれていたTOGⅡは、どう見ても戦車道用に整備されていた。安全装置もある。登録書類らしきものもあった。
なぜかホットドッグ屋台セットもあった。
最後の一つは意味が分からないが、大洗なら意味が分からなくても通る気がする。
しかし、灯里は知っている。
戦車ゲームと戦車道は違う。
ゲームなら出撃できる車両でも、競技としてはアウトかもしれない。
「確認しましょう」
灯里は真顔で頷き、冊子を開いた。
* * *
まずは基本項目。
「第二次世界大戦期までに設計、試作、または運用された装甲戦闘車両……」
灯里は赤ペンを手に取った。
「TOGⅡ、該当」
次。
「競技用安全装備の搭載が確認されていること……」
地下ガレージのTOGⅡには、謎にしっかりした安全装置が付いていた。座席も固定されている。内装も妙に綺麗だった。乗員用のヘルメットもあった。
なぜか紅茶用の湯沸かし器まであった。
「該当」
次。
「乗員が車外に露出した状態での通常戦闘を前提とする車両は、安全審査の対象外となる場合がある」
灯里の手が止まった。
「……オープントップ」
嫌な単語である。
戦車ゲームをやっていれば、一度は出会う。
むき出しの戦闘室。妙に高い火力。紙のような装甲。
撃てば強い。
見つかれば終わる。
そして、場合によっては見た目が完全に家電。
灯里は、そっと冊子に視線を戻した。
TOGⅡは密閉式の車体と砲塔を持っている。少なくとも、乗員がむき出しで戦う車両ではない。
「TOGⅡ、該当しません。安全」
赤ペンで丸をつける。
次。
「自走砲、突撃砲、駆逐戦車等は、車両規定および安全審査に基づき使用可否を判断する」
灯里は少し眉を寄せた。
「自走砲……」
また嫌な単語だった。
戦車ゲームにおいて、TOGⅡと自走砲の相性は最悪に近い。
長い。
遅い。
隠れられない。
逃げられない。
つまり、撃ってくださいと言わんばかりの存在である。
灯里は思わず冊子を閉じかけた。
「自走砲は駄目です」
誰に言うでもなく、きっぱり言い切る。
「少なくとも、TOGⅡの前には出さないでいただきたいです」
そこで、ふと我に返った。
問題は他の車両ではない。
TOGⅡである。
灯里は改めて冊子を見た。
設計時期。
試作車両。
密閉式戦闘室。
砲塔搭載。
履帯式装甲戦闘車両。
乗員六名。
戦車道用安全装置あり。
使用弾は競技用特殊弾。
主砲は二十八ポンド砲。
九十四ミリ。
数字だけ見ると、少し迫力がある。
だが、競技用の安全弾なら問題ない。
むしろ問題なのは、砲よりも車体の長さである。
長い。
とにかく長い。
曲がり角で詰まる。
橋で不安になる。
狭い道では味方の邪魔になる。
隠れる気がない。
足も遅い。
だが。
灯里はノートの中央に、大きく書いた。
『TOGⅡ』
その下に、ゆっくりと判定を書く。
『合法』
さらに丸で囲む。
もう一度、赤ペンで囲む。
念のため、星も描く。
「……合法」
灯里は、静かに息を吐いた。
「長い。遅い。重い。目立つ」
そこで一度、言葉を切る。
そして、確信を持って言った。
「でも、違反ではない」
灯里は椅子にもたれかかり、天井を見上げた。
これほど心強い言葉があるだろうか。
違反ではない。
つまり、戦える。
TOGⅡは戦車道に出られる。
誰に何と言われようと。
遅いと言われても。
長いと言われても。
邪魔と言われても。
曲がれないと言われても。
それでも、レギュレーション上は問題ない。
「完璧ですね」
なお、完璧なのは書類上の話であって、運用上の話ではない。
そこには気づかなかったことにした。
* * *
その時、机の上に置いていた携帯端末が震えた。
画面を見ると、秋山優花里からのメッセージだった。
『戸郷殿! 本日のTOGⅡ、本当に素晴らしかったです! もしよろしければ、明日また詳しく見学させていただいてもよろしいでしょうか!』
灯里は少し笑った。
指先で返信を打つ。
『もちろんです。あと、レギュレーション確認しました』
すぐに返事が来た。
『いかがでしたか!』
灯里は迷わず入力した。
『TOGⅡは合法です』
数秒後。
『おめでとうございます!』
勢いのある返信に、灯里は思わず笑ってしまった。
戦車が合法で祝われる。
よく考えると不思議な会話だ。
だが、今の灯里にはそれが嬉しかった。
『詳細を聞いてもよろしいでしょうか!』
追加でメッセージが届く。
灯里はノートを見ながら、簡単にまとめた。
『設計時期、試作車両、密閉式戦闘室、砲塔搭載、戦車道用安全装置。問題なしです』
『素晴らしいです!』
さらにすぐ返ってくる。
『ですが、TOGⅡには紅茶用の設備もあるのですよね?』
灯里は一瞬だけ端末を見つめた。
そこに来るのか。
秋山さんはやはり分かる人だった。
『はい。お湯が沸かせます』
『さすが英国戦車であります!』
灯里は深く頷いた。
戦車の中でお湯が沸かせる。
それは、ただの便利機能ではない。
英国面である。
灯里はノートの端に、新しく書き足した。
『追加装備:紅茶用湯沸かし器』
『用途:士気向上』
少し考えてから、さらに一行。
『TOGドッグ紅茶セット、検討』
書いてから、灯里は手を止めた。
「……また商売の話になりそうですね」
生徒会長の顔が浮かぶ。
売れるねー。
絶対に言う。
言わない未来が見えない。
灯里は赤ペンで、そこに小さく注意書きを加えた。
『戦車道用装備と販売用備品は分けて申請』
真面目な一文だった。
TOGⅡに必要なのは、愛だけではない。
書類も必要である。
* * *
灯里はノートを閉じようとして、ふと最後のページに目を留めた。
そこには、車両登録時に必要な確認項目が並んでいる。
車両名。
車長名。
搭乗員名簿。
整備責任者。
そして、過去所属校。
「過去所属校……」
灯里の指が止まった。
記入欄には、すでに薄い鉛筆書きがあった。
誰が書いたのかは分からない。
だが、そこには確かにこう記されていた。
『聖グロリアーナ女学院』
灯里は、しばらくその文字を見つめていた。
胸の奥で、何かが小さく揺れる。
まだはっきりと思い出せない。
けれど、その名前だけは妙に重かった。
紅茶。
赤い制服。
整った発音。
優雅な所作。
そして、どこかで誰かが呼ぶ声。
「……ルイボス」
自分の口から、知らないはずの呼び名が零れた。
灯里はすぐに口を閉じる。
今のは何だったのか。
なぜ、自分はその名前を知っているのか。
なぜ、その響きがこんなにも胸に引っかかるのか。
考えようとすると、霧がかかる。
細かいことを気にしすぎると、たぶん頭が痛くなる。
あのメモに書かれていた言葉が、今になって妙に腹立たしく思えた。
「気にしますよ」
灯里は小さく呟く。
「自分のことですから」
端末がもう一度震えた。
今度は、生徒会からの一斉連絡だった。
『明日、登録車両の確認を行います。戸郷さんはTOGⅡの書類一式を持ってきてください』
灯里は画面を見つめる。
その下に、もう一文。
『なお、過去の所属校に関する確認も行います』
部屋の中が、少しだけ静かになった。
TOGⅡは合法だった。
けれど――。
戸郷灯里自身の過去は、まだ未確認のままだった。
追加設定ですが…この世界ではスマホが普及している設定です…
ガルパン…2012年アニメの時代はまだ、iPhone5sもないんですよね…
アニメ見直してて…ガラケーでびっくりしました…時代の流れは怖いです…