『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第5話「西住みほの選択」

 翌朝。

 

 教室に入ってきた西住みほを見て、戸郷灯里はすぐに気づいた。

 顔色が悪い。

 昨日よりも、少しだけ目元が重い。うっすらと隈があり、髪もいつもよりほんの少しだけ整いきっていない。眠れていないのだろう。

 

「みほ、おはよー」

 

 武部沙織が明るく声をかける。

 

「……おはよう、沙織さん」

 

 みほは笑った。

 けれど、その笑顔は少しだけ薄い。

 

 五十鈴華も、すぐに気づいたようだった。

 

「西住さん、お顔の色があまりよろしくありませんね」

「大丈夫。ちょっと、考えごとしてただけだから」

 

 みほはそう言った。

 その言葉に嘘はないのだろう。ただ、全部ではない。

 考えごとの中身は、きっと戦車道だ。昨日、体育館で発表された選択科目。そして、みほが避けたかったもの。

 

 沙織は心配そうに、みほの顔を覗き込む。

 

「寝不足?」

「少しだけ」

「無理しちゃダメだよ」

「うん。ありがとう」

 

 灯里は、そのやり取りを少し離れた席から見ていた。

 ここで自分が前に出る必要はない。そう思った。

 みほの隣には、沙織と華がいる。昨日の保健室でも、二人はみほのために自然にそばにいた。それが、今のみほには必要なのだと思う。

 

 灯里は、鞄の中から自分の履修届を取り出した。

 戦車道の欄には、相変わらず綺麗な丸がついている。自分でつけた覚えはない。だが、消すつもりもない。

 TOGⅡがある。自分の理由がある。だから灯里は戦車道を選ぶ。

 

 けれど、それはみほにも同じことを求める理由にはならない。

 誰かが選ぶものと、自分が選ぶものは違う。

 それを間違えてはいけない。

 

* * *

 

 朝のホームルーム前。

 

 教室のあちこちで、生徒たちが履修届に丸をつけていた。

 

「何にする?」

「書道かなー」

「昨日の戦車道、ちょっと気になるよね」

「食券百枚って本当かな」

「でも戦車だよ? 怖くない?」

「単位三倍っていうのも本当なのかな」

 

 戦車道という言葉は、昨日の説明会からずっと教室の中に残っていた。

 興味を持つ生徒もいる。怖がる生徒もいる。特典だけを気にしている生徒もいる。

 

 その中で、みほは自分の履修届を見つめていた。

 戦車道の欄。その少し下に、香道の欄。

 みほのペン先は、なかなか動かなかった。

 

「みほ」

 

 沙織が、そっと声をかける。

 

「急がなくていいよ」

「うん……」

 

 みほは小さく頷く。

 それから、ゆっくりとペン先が動いた。

 

 丸がついたのは――香道だった。

 

 沙織と華は、黙ってそれを見ていた。

 みほは、申し訳なさそうに二人を見る。

 

「ごめんね……私、やっぱり……どうしても戦車道、したくなくて」

 

 沙織はすぐに首を横に振った。

 

「謝ることじゃないよ」

「でも、昨日、二人とも少し興味あるって……」

「興味はあるよ。でも、みほがつらそうなのに、無理してまでやることじゃないでしょ」

 

 沙織はそう言うと、自分の履修届を見た。そして、迷わず香道に丸をつける。

 

 みほが目を見開いた。

 

「沙織さん……?」

「一緒のにするって言ったじゃん」

 

 華も静かに微笑んだ。

 

「香道にも興味がありますし」

 

 そう言って、華も香道に丸をつけた。

 

「五十鈴さんまで……」

「西住さんが選んだものですから」

 

 華の声は穏やかだった。

 

「それに、香りを学ぶというのも、きっと奥深いものだと思います」

「そうそう。女子力高そうだし」

 

 沙織が明るく笑う。

 みほは、泣きそうな顔で二人を見た。

 

 灯里は、その光景を静かに見ていた。

 自分はここに混ざらない方がいい。そう思った。

 みほが今必要としているのは、同じクラスの転校生の理屈ではない。普通の友達が、自分と同じ場所に立ってくれるという安心感だ。沙織と華は、それを自然にしている。

 

 灯里は、机の上の履修届を見た。

 自分の戦車道の丸。みほの香道の丸。

 どちらも、選択だった。

 

 たとえ、その選択が後で変わるとしても。

 この瞬間、みほが自分で香道を選んだことは、ちゃんと守られるべきだと思った。

 

* * *

 

 昼休み。

 

 食堂はいつも以上に賑やかだった。

 理由は明らかだった。戦車道である。

 昨日の説明会と、今朝の履修届。その話題で、生徒たちはあちこちで盛り上がっている。

 

「戦車道って、本当に戦車に乗るんでしょ?」

「見学だけなら行ってみたいかも」

「食券百枚なら、ちょっと考える」

「でも怖いよね」

「安全なんじゃないの?」

「単位三倍って、どこまで本当なんだろ」

 

 そんな声を聞きながら、灯里は購買で買ったパンを手に席へ着いた。

 近くには、みほ、沙織、華の三人がいる。みほの手元には、香道に丸をつけた履修届があった。

 

 それを見て、沙織が明るく言った。

 

「香道って、お香とかやるんだよね?」

「たぶん」

 

 みほが少しだけ笑う。

 

「落ち着きそうでいいかも」

「いいじゃん。戦車よりずっと静かそう」

 

 沙織がそう言うと、華が穏やかに頷いた。

 

「香りを聞く、という言い方もあるそうです。心を整えるには良いかもしれません」

「へえ、香りを聞くんだ」

「素敵な表現ですね」

 

 三人の空気が、少しだけ柔らかくなる。

 灯里はそれを見て、ほっとした。

 

 その時だった。

 食堂の入り口に、河嶋桃の姿が現れた。周囲の生徒たちが少しざわつく中、桃はまっすぐ、みほたちの席へ向かってくる。

 

「西住」

 

 みほの肩が小さく揺れた。

 

「生徒会室まで来てもらう」

 

 沙織がすぐに反応する。

 

「またですか?」

「履修届について確認がある」

 

 桃の視線が、みほの手元の紙へ向く。

 香道。その丸を見た瞬間、桃の眉が少し動いた。

 

 みほは、静かに履修届を持ち直す。

 

「……分かりました」

 

 沙織が立ち上がった。

 

「私も行きます」

「武部には関係ない」

「あります。みほの友達です」

 

 桃が言葉に詰まる。

 華も、静かに立ち上がった。

 

「私もご一緒します」

「五十鈴まで……」

 

 灯里は、自分の履修届を鞄にしまいながら立った。

 

「私も行きます」

「戸郷もか」

「はい。戦車道履修者ですので、無関係ではないと思います」

 

 桃は少し困ったように眉を寄せた。しかし、強く拒否はしなかった。

 

 沙織が力強く頷く。

 

「じゃあ、四人で行こう」

 

 みほは、少しだけ迷ってから頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 四人は、食堂を出た。

 

* * *

 

 生徒会室の扉の前で、みほは一度立ち止まった。

 

 沙織が隣に立つ。華は反対側に並ぶ。灯里は半歩後ろ。

 みほの指が、制服の裾をぎゅっと握っている。

 

「大丈夫」

 

 沙織が小さく言った。

 

「私たちもいるから」

 

 みほは、こくりと頷いた。

 

 灯里は扉を見た。

 この向こうにいる生徒会にも、事情がある。それを灯里は知っている。

 大洗女子学園の廃校。その危機が、彼女たちを強引にしている。

 

 でも、事情があることと、みほの意思を踏みにじっていいことは別だ。

 灯里は、自分の中で線を引いた。

 みほを説得するつもりはない。ただ、みほが自分で選べるようにしたい。

 

「失礼します」

 

 みほが扉を開けた。

 

 生徒会室には、角谷杏、小山柚子、河嶋桃の三人がいた。

 桃は机の上に一枚の紙を置いている。みほの履修届だ。

 香道に丸がついている。

 

 桃が厳しい顔で言った。

 

「西住。これはどういうことだ?」

 

 みほは俯いた。

 

「……私は、香道を選びました」

「なぜ戦車道を選択しない?」

 

 桃の声が少し強くなる。

 沙織が一歩前に出ようとするが、みほが小さく手で制した。

 

 杏は机の向こうで、不機嫌そうに頬杖をついている。

 

「なんで選択しないかなー」

 

 いつもの軽さはある。

 でも、声には明らかに焦りが混ざっていた。

 

 柚子は書類を見ながら、ほとんど青ざめている。

 

「西住さんが参加しないとなると、戦車道経験者は……」

 

 桃の視線が灯里に向く。

 

「一人、一応いるにはいるが」

「一応とは」

 

 灯里は思わず返した。

 桃は少し気まずそうに咳払いをする。

 

「いや、元聖グロリアーナの戦車道経験者ではあるが、総隊長としての指揮経験があるわけではないだろう」

「それは否定しません」

 

 灯里は素直に答えた。

 自分は総隊長タイプではない。副官、盾役、現場判断型。TOGⅡの運用なら自信がある。

 だが、大洗全体を率いるとなれば話は違う。

 

 柚子が頭を抱えた。

 

「終了です……我が校は終了です……!」

「小山、落ち着け」

 

 桃が言うが、桃自身も落ち着いているとは言い難かった。

 

 杏は、みほを見る。

 

「西住ちゃんさー、昨日も言ったけど、戦車道やってくれないと困るんだよね」

「でも……私は……」

 

 みほの声は小さい。

 沙織が、ついに前に出た。

 

「みほが嫌だって言ってるのに、無理やりやらせるのは違うと思います!」

 

 桃が眉を寄せる。

 

「これは学校のためでもある」

「でも、みほの気持ちはどうなるんですか?」

 

 沙織は引かなかった。

 華も静かに続ける。

 

「本人の意思を無視して履修を迫るのは、あまりに一方的です」

 

 その声は穏やかだったが、芯があった。

 灯里も口を開く。

 

「私も、本人の意思は尊重されるべきだと思います」

 

 杏の視線が灯里へ向く。

 

「戸郷ちゃんは戦車道やるんでしょ?」

「やります」

「じゃあいいじゃん。西住ちゃんもやれば」

「私は私の理由で選びました。西住さんには、西住さんの理由があります」

 

 生徒会室が少し静かになった。

 灯里は続けた。

 

「戦車道を選ぶことも、選ばないことも、本人が決めるべきです」

 

 桃が何か言おうとする。

 けれど、その前に杏が口を開いた。

 

「じゃあさ」

 

 軽い声だった。

 だが、その場の空気が少し変わる。

 

「あんたたち、この学校にいられなくするよ?」

 

 沙織の表情が固まった。

 

「え……?」

 

 華の目が細くなる。

 

「脅すなんて、卑怯です」

 

 柚子が慌てる。

 

「会長……!」

 

 桃も一瞬、言葉を失った。

 杏は、表情を大きく変えない。

 けれど、灯里には分かった。

 

 これはただの意地悪ではない。

 杏は知っているのだ。本当に、この学校にいられなくなる未来を。

 だから、その言葉を使っている。

 

 けれど。

 

 それを今のみほにぶつけるのは、あまりにも重い。

 

 沙織が声を張った。

 

「そんなのおかしいです!」

 

 華も一歩も引かない。

 

「西住さんが望まないのであれば、私たちも納得できません」

「そうだよ! みほが嫌がってるのに!」

 

 沙織の声は震えていた。

 怒っているからだ。怖いからでもある。

 

 みほは、そんな二人を見ていた。

 自分のために怒ってくれている。自分のために、一緒に香道を選んでくれた。自分のために、生徒会の前で立ってくれている。

 その事実が、みほの表情を変えた。

 

「……沙織さん」

 

 みほが、小さく声を出す。

 沙織が振り返った。

 

「みほ?」

 

 みほは、自分の履修届を見た。

 香道の丸。自分で選んだもの。逃げるためではなく、戦車道ではない場所で自分を取り戻すために選んだもの。

 それは、間違いではない。

 

 けれど。

 

 目の前の沙織と華を見て、みほは少しだけ息を吸った。

 

「……ごめん」

 

 その声は、震えていた。

 

「私、戦車道をやります」

 

 生徒会室が静かになった。

 沙織が目を見開く。

 

「みほ……?」

「沙織さんと五十鈴さんを巻き込むのは、嫌だから」

「巻き込んでなんかないよ!」

 

 沙織がすぐに言う。

 みほは首を横に振った。

 

「ううん。二人が一緒にいてくれたから、私、ちゃんと考えられた」

 

 みほは、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「怖いのは、まだ怖い。戦車道をやりたいって、今すぐ言えるわけじゃない。でも……二人が私のために怒ってくれたのを見て、逃げるだけじゃ駄目だと思った」

 

 その言葉に、灯里は何も言わなかった。

 これは、みほの選択だ。

 誰かに押しつけられたものではない。完全に前向きなものでもない。それでも、今のみほが自分で出した答えだった。

 

 杏は、少しだけ目を細める。

 

「じゃ、戦車道でいいんだね?」

 

 みほは頷いた。

 

「はい」

 

 桃が大きく息を吐いた。

 

「よし。これで――」

「ただし」

 

 みほの声に、桃が止まる。

 みほは、顔を上げた。

 

「沙織さんと五十鈴さんを、無理に巻き込むのはやめてください」

 

 沙織と華が、みほを見る。

 杏が少し黙る。

 

 けれど、次に口を開いたのは沙織だった。

 

「私もやる」

 

 みほが振り返る。

 

「え?」

「私も、戦車道やる」

 

 沙織は自分の履修届を持ち上げた。

 

「みほがやるなら、私も一緒にやるよ」

「でも、さっき香道に……」

「変える」

 

 沙織はきっぱり言った。

 

「一緒に考えるって言ったでしょ。みほが戦車道を選ぶなら、今度はそっちに一緒に行く」

 

 華も、静かに頷いた。

 

「私も、ご一緒します」

「五十鈴さん……」

「香道にも興味はありましたが、西住さんが戦車道へ向かわれるのであれば、私もそちらへ参ります」

 

 華は穏やかに微笑む。

 

「それに、戦車道にも礼節や所作があると伺いました。学ぶものは多そうです」

 

 沙織が笑う。

 

「華、そこなんだ」

「はい。興味があります」

 

 みほは二人を見た。

 泣きそうな顔で、けれど、少しだけ笑って。

 

「……ありがとう」

 

 灯里は、その様子を見て胸の奥で息を吐いた。

 西住さんが選んだ。

 沙織さんと五十鈴さんも、自分で選んだ。

 その事実が、何より大事だった。

 

 杏がぱん、と手を叩いた。

 

「はい、決まりー。西住ちゃん、武部ちゃん、五十鈴ちゃん、戦車道ね」

 

 桃がすぐに書類を取り出す。

 

「履修変更手続きを行う。小山」

「うん」

 

 柚子は少しほっとしたように、書類を揃え始めた。

 杏は灯里を見る。

 

「戸郷ちゃんも、もちろん戦車道」

「私の履修届は、最初からそうなっていました」

「うん。知ってる」

「知っていたんですか」

「うん」

 

 灯里は無言で杏を見た。

 杏はにこにこと笑っている。

 

「TOGⅡあるし」

「理由が強いですね」

「でしょ」

 

 桃が咳払いをする。

 

「ともかく、これで戦車道履修者の中心は決まった。だが、問題はまだある」

 

 みほが顔を上げる。

 

「問題、ですか?」

 

 桃は重々しく頷いた。

 

「戦車がない」

 

 生徒会室に、また沈黙が落ちた。

 沙織がゆっくりと聞く。

 

「えっと……戦車道なのに?」

「うむ」

「戦車が?」

「ない」

 

 灯里は手を上げた。

 

「TOGⅡはあります」

「それは知っている」

「戦車です」

「分かっている」

「長いですが」

「それも分かっている」

 

 桃は少し疲れた顔で言った。

 

「だが、TOGⅡ一両で戦車道はできない」

「それは否定しません」

 

 灯里も素直に頷く。

 TOGⅡは強い。いや、強いというより、存在感がある。

 だが、一両で全てを解決できる万能戦車ではない。むしろ扱いづらい。長い。遅い。目立つ。そして、曲がり角に弱い。

 

 杏が軽い調子で言った。

 

「というわけで、次は戦車探しね」

 

 沙織が目を丸くする。

 

「戦車って、探すものなんですか?」

「大洗ではそうみたい」

「そうみたいって……」

 

 華は少し驚きつつも、どこか楽しそうに言った。

 

「宝探しのようですね」

 

 みほは、まだ戸惑っている。

 けれど、その目には、さっきまでとは違う光が少しだけあった。

 

 灯里はそれを見て、静かに思う。

 ここから始まる。

 西住みほの戦車道が。

 そして、自分たちの大洗の戦車道が。

 

 杏は、のんびりと干し芋をかじりながら言った。

 

「じゃ、放課後よろしくー」

 

 桃が書類をまとめる。

 

「戦車道履修者は、放課後に倉庫前へ集合だ」

 

 灯里は、小さく頷いた。

 放課後。戦車探し。TOGⅡだけではない、大洗の戦車たち。

 映画で見た始まりが、少しだけ違う形で動き出す。

 

 灯里は、みほの横顔を見た。

 まだ不安はある。迷いもある。それでも、西住みほは選んだ。

 

 戦車道を。

 

 そして、その選択の隣には、沙織と華がいた。

 

 灯里は、そっと自分の履修届を握り直した。

 自分も選んだのだ。

 TOGⅡと共に、この道へ進むことを。

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