『名探偵コナン』オリ主・銀編 作:トート
1. 肉体の代償
ドン!!!
廃ビルの無機質なコンクリートに反響した銃声は、夕闇の米花町を劈くようにして消えていった。
「――がっ、あ」
重い肉声と共に、白銀銀(しろがね ぎん)の左肩の制服が、一瞬にして鮮烈な赤へと染まり上がった。弾丸は彼の肉体を正確に貫き、背後の壁へと激しく血飛沫を撒き散らす。衣服の繊維が焦げる嫌な臭いと、鉄錆の混ざった濃厚な血の匂いが、一気に周囲の空気を支配した。
「銀、くん……!?」
犯人の腕の中から床へ崩れ落ちた毛利蘭は、目の前で起きた凄惨な光景に、息をすることさえ忘れていた。
銀の身体は、弾丸を受けた凄まじい衝撃に、一瞬だけ不自然にのけ反った。しかし、彼の冷徹な意志は、肉体が発する限界の悲鳴(バグ)を、力任せに押さえつけていた。銀は傷口を押さえることすらしない。ただ、激痛に耐えるため、額に青筋を浮かべながら、昏く気高い双眸で犯人を凝視した。
「……アホが。君の指の引き金の引き方から逆算して、射線はすでに完全に読んでいたよ」
銀は撃たれた衝撃の推進力をそのまま前への踏み込みに変え、残された右拳を、驚愕に目を見開く犯人の顔面の正中線へと、容赦なく叩き込んだ。
ゴキッ!!!
鼻骨が砕ける嫌な音が響き渡り、連続殺人犯の男は白目を剥いて床へと昏倒した。右手から滑り落ちた黒光りする拳銃が、コンクリートの床をカラカラと虚しい音を立てて転がっていく。
「銀くん! 待って、動いちゃダメ! 血が、血が止まらないよ……!」
蘭は涙をボロボロと零しながら、倒れそうになる銀の大きな身体を、自らの華奢な両腕で必死に支えた。銀のシャツから溢れ出る熱い血が、蘭の白い手のひらを、そして制服の袖を容赦なく赤く染めていく。
「……勘違いしないでくれ、毛利さん」
銀の声には、いつも通りの、温度のない冷淡さが張り付いていた。ただ、その呼吸は浅く、激しく乱れている。
「僕はただ、あの推理バカ(工藤)のせいで君が泣かされるのが、論理的に気に入らなかっただけだ。――工藤、そこにいるんだろ」
銀は蘭に身体を預けたまま、物陰の暗闇を正確に射抜いた。
「……っ」
物陰からゆっくりと姿を現したのは、大きな丸眼鏡を夕日に光らせた、江戸川コナンだった。
コナンの小さな拳は、爪が皮膚を突き破るほど強く握りしめられ、全身が小刻みに震えていた。
蘭を守れなかった、工藤新一としての決定的な無力さ。麻酔銃を構えながら、コンマ数秒の物理的な限界に日和(ひよ)ってしまった探偵としての敗北感。環境のせいではない、自分の肉体が「18キロの子供」であるという厳然たる限界の前に、蘭の命すら救えなかった。その圧倒的な劣等感が、コナンの胸をズタズタに引き裂いていた。
「ボク、は……俺は……」
「江戸川コナンくん。君じゃあ、彼女の盾にはなれない」
銀は自嘲気味にフッと口元を歪め、コナンの足元へ、犯人の落とした銃を長い足でパシリと蹴り飛ばした。
「質量が足りないんだよ、18キロじゃね。……あとは『名探偵』の仕事だ。警察を呼びな。僕は……少し保健室に行ってくる」
「銀くん! 歩いちゃダメ、私が支えるから……!」
蘭は泣きじゃくりながら、銀の右腕を自分の肩に回し、彼の身体を必死に支えて廃ビルを出て行った。
一人残されたコナンは、床に残された銀の重い血痕を見つめながら、ただ動けずに立ち尽くしていた。その血の赤が、工藤新一の心に、二度と消えない呪縛となって深く深く突き刺さっていた。
2. 残酷なカルテ
数日後、米花総合病院の静かな回診室。
鈴木園子は、医師から渡された一枚のレントゲン写真とカルテを見つめながら、声を失っていた。隣に立つ蘭は、すでに何度も泣いた後なのか、その瞼を真っ赤に腫らしている。
「……先生、本当に、治らないんですか?」
園子の声が、微かに震える。いつもはお調子者の彼女も、今ばかりは顔から完全に生気が消え失せていた。
医師は沈痛な面持ちで、眼鏡の奥の目を伏せた。
「弾丸は、彼の左肩の主要な神経叢(しんけいそう)を、完全に破砕しています。命を取り留め、右腕や他の部位に感染症が広がらなかったのは奇跡と言えますが……彼の左腕が、以前のように機能することは、もう二度とありません。一生、重い麻痺が残ります」
『一生、重い麻痺が残ります』
その言葉が、蘭の脳内で幾度となく反芻される。
白銀銀。クラスで誰よりも冷徹で、他人の感情を記号として処理していた、あの完璧主義の少年。彼の左腕は、もう二度と、重い図書室の本を持ち上げることも、自分の服のボタンを留めることもできない。そのすべての未来を奪ったのは、自分自身の無力さであり、そして自分をここに置き去りにした工藤新一の不在だった。
「私の……私のせいだ……」
蘭は回診室の壁に背を預け、ずるずると床へ崩れ落ちた。
「私が、あの時ちゃんと周りを見ていれば……新一を待つことばっかり考えて、寂しさに負けていなければ、銀くんがこんな目に遭うことはなかったのに……っ!」
「蘭……あんたのせいじゃないわよ、そんなの……」
園子が蘭を抱きしめるが、その言葉には何の説得力もなかった。
二人が病室へと続く長い廊下を歩いていると、自動ドアの陰に、一人の少女が佇んでいるのが見えた。
赤茶色の髪を少し揺らし、白衣を羽織ったその姿――灰原哀だった。
「……灰原さん?」
蘭が涙を拭いながら声をかける。
灰原は蘭の赤く腫れた目と、その手にあるカルテの重みを見て、すべてを察したように静かに目を伏せた。
「お見舞いに来たわけじゃないわ。ただ……ドクターのデータファイルを、少し確認しに来ただけ」
灰原の声は、どこか冷淡で、けれど深い悔恨を孕んでいた。彼女は阿笠博士と共に病院のシステムにアクセスし、銀の容態をすべて把握していた。
(弾丸による神経の完全な断裂……。私の作った薬のせいで、工藤君が子供にならなければ。あの人があの場に『工藤新一』として立っていれば、こんな残酷な代償を、あの少年が背負うことはなかったのに……)
灰原は蘭の横を通り過ぎる瞬間、その小さな手で、蘭のスカートの裾をきゅっと握った。
「毛利サン。……ごめんなさい」
「え……?」
蘭が驚いて振り返るが、灰原はすでに歩き出していた。
「あの子は……あの探偵は、あなたを命懸けで守ろうとしていたわ。それだけは、忘れないであげて」
灰原の言葉は、蘭の胸の奥の、冷え切った空隙へと吸い込まれていった。
蘭は悲しそうに首を振る。
(新一が守ろうとしてくれたのは、分かってる。でもね……今、傷ついて、ボロボロになってベッドに横たわっているのは、新一じゃない。銀くんなんだよ……)
蘭はゆっくりと、銀の待つ個室のドアへと手をかけた。その指先には、これまでの日常とは完全に決別する、重く、強固な「覚悟の質量」が宿り始めていた。