『名探偵コナン』オリ主・銀編 作:トート
1. 二つの最適解
「――以上が、今週末に予定されている新着図書のアーカイブ化における人員配置の最適解だ。毛利さん、君の意見を聞かせてほしい」
放課後の図書室。白銀銀(しろがね ぎん)は、右手だけで器用にノートパソコンのキーボードを叩き、液晶画面を隣に立つ毛利蘭へと向けた。画面には、分刻みで計算された効率的な作業スケジュールが、整然と並んでいる。
「うん、すごく完璧。これなら、他の委員の子たちに負担をかけることもないね。銀くんの作る計画は、いつも本当に迷いがないなぁ」
蘭は画面を見つめながら、ふんわりと穏やかに微笑んだ。その手には、銀の右腕を通すための片袖開きのカーディガンが用意されている。窓の外から差し込む冬の淡い夕光が、二人の横顔を等しく黄金色に染め上げていた。
銀は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、彼女の細部を静かにスキャンする。
(――呼吸数は毎分16回。肺活量の安定度は通常値。僕を呼ぶ際の発声から、工藤新一という名前を想起した時に現れていたコンマ数秒の『迷い』のノイズが完全に消失している。彼女は昨夜、自らのロジックによって過去の残像を完全に焼き尽くした。僕たちが紡ぐこの静かな檻の境界線は、すでに誰にも侵すことのできない完成度へと至っている)
銀にとって、それは「勝利」という通俗的な感情ではなかった。至高の存在が、不完全な管理者(工藤)の手から切り離され、自分のロジックによって正しく保護されるという、世界における最も美しい予定調和。動かなくなった左腕の痛みを忘れるほどに、その光景は彼の美意識を完全に満たしていた。
「銀くん、ちょっと寒くなってきたね。はい、上着」
「すまないね、毛利さん。君の肉体(リソース)をこうして日常的に消費させるのは非論理的だが……君のその手の温もりは、僕の演算回路を常に快適にしてくれるよ」
蘭は「ふふ、また大袈裟な言い方して」と笑いながら、銀の右腕にそっとカーディガンを着せ、丁寧にボタンを留めていく。その指先に、もうかつての迷いや涙の気配は微塵もなかった。彼女は自らの意志で、この冷徹で過保護な少年の左手になる未来を選び取り、その現実を愛おしそうに受け入れていた。
2. 灰色の歯車
同じ頃。阿笠邸の地下研究室。
そこでは、図書室の穏やかな空気とは完全に対極に位置する、張り詰めた「戦場」の気配が満ちていた。
大型モニターの前に座る灰原哀は、キーボードを凄まじい速度で叩き、黒の組織の暗号通信ログを次々と解析していた。その隣には、大きな丸眼鏡を夕日に光らせた江戸川コナンが、冷徹な『探偵』の目を取り戻して画面を凝視している。
「――東都現像所の裏ルート、及び、ピスコの残した隠し資産の流出ログ。すべて特定したわ。工藤君……いえ、江戸川君。あなたが指示した通りのポイントに、組織のネズミたちが群がっているわよ」
灰原は手を止め、コーヒーカップを口に運びながら、隣の相棒を盗み見た。
コナンの瞳には、もはや学園祭や病院で見せていたような、一人の男としての焦燥や涙の痕跡は、綺麗さっぱり消え失せていた。蘭を失った胸の穴は、巨大な空白のまま彼の中心に居座っている。だが、彼はその空隙を、組織を根絶やしにするための、狂気にも似た「純粋な執念」で満たすことに成功していた。
「ありがとな、灰原。……これで、ジンの野郎の尻尾を掴むための舞台(チェスボード)は整った」
コナンの声は低く、子供のそれとは思えないほど冷酷に響いた。
「俺にはもう、守るべき日常も、帰るべき場所もねぇ。だからこそ、何の躊躇いもなくあいつらの懐へ飛び込める。あいつ(白銀)の言う通り、俺の18キロの質量じゃあ、蘭の隣に立つことはできなかった。……だけど、この小さな身体だからこそ、組織の死角に潜り込み、その喉元を噛みちぎることができるんだ」
コナンは眼鏡のブリッジを押し上げ、不敵に笑った。その笑顔には、日常を生きる少年としての温かさはなく、闇を駆ける戦士としての凄みが宿っていた。
灰原はふっと口元を和らげ、自らもまた、その昏い世界へと一歩を踏み出すようにして椅子の背もたれに身を預けた。
「ええ、それでいいわ。あなたが日常を捨てて戦場に身を投じるなら、私は喜んであなたの銃(武器)になりましょう。組織がどれだけ巨大で不条理でも、私たちの積み重ねたこの灰色の絆があれば、必ずチェス盤をひっくり返せる。……準備はいい、名探偵?」
「ああ。――行くぜ、灰原」
コナンは灰原の差し出した小さな手を、力強く握りしめた。
二人の間に言葉はもう必要なかった。同じ薬を飲み、同じ闇を背負い、同じように大切な日常との決別を選んだ二人。彼らが紡ぎ出す絆は、もはや凡俗な愛や恋といった言葉を遥かに超越した、運命共同体としての「絶対的な同盟」へと昇華していた。
3. ロマンスの秒読み
金曜日の夕暮れ。米花町の交差点。
週末の解放感に包まれた人々が行き交う中、銀と蘭は並んでゆっくりと歩いていた。蘭の右手は、銀の動かない左腕側のポケットにそっと差し込まれ、衣服越しに彼の手を温めている。
「ねえ、銀くん。明日、もしよかったら、新しくできたアンティークショップに行ってみない? 園子がね、すごく素敵な掛け時計がたくさんあるお店があるって教えてくれたの」
蘭が銀の顔を覗き込みながら、楽しそうに提案する。
「時計か。時間を可視化するだけの退屈な機械だが……君が僕の時間を共有したいというロジックを提示するなら、そのタスク、優先的に処理しよう」
「ふふ、じゃあ約束ね」
二人が歩みを進めるその視線の先、道路の反対側の雑踏の中に、一瞬だけ、見覚えのある小さな人影と、赤茶色の髪の少女の姿が映り込んだ。
江戸川コナンと灰原哀。
二人は大きなスポーツバッグを肩にかけ、何かの追跡任務へ向かうのか、一切周囲の目を気にすることなく、前だけを見据えて足早に歩み去っていく。その背中には、米花町の平穏な日常とは完全に切り離された、冷徹な『影』の気配が漂っていた。
蘭は一瞬だけ、その二人の後ろ姿を視線で追った。
かつてなら、胸を引き裂かれるような痛みを覚えたはずの、あの小さな探偵の背中。だが今の蘭は、ただ「元気でね、新一」と、心の中で静かに、祈るような言葉を告げただけだった。
蘭は、自分の隣で静かに歩を運ぶ銀の手を、ポケットの中で、もう一段強く握りしめた。
「銀くん、行こう」
「ああ、行こうか、毛利さん。僕たちの時間は、これからいくらでも構築できるんだから」
銀の眼鏡の奥の瞳が、沈みゆく夕日を浴びて、気高く、美しく発光した。
工藤新一への決別を経て、完全に施錠された現実の檻。しかしそれは、蘭にとっても、銀にとっても、世界で最も優しく、最も暖かい、新たな未来の始まり(ロマンス)を告げる、カウントダウンの鐘の音そのものだった。