『名探偵コナン』オリ主・銀編 作:トート
1. 探偵の夜歩き
「……チッ、何も出てこねぇ」
深夜の毛利探偵事務所。パソコンの液晶画面が放つ青白い光に照らされながら、江戸川コナンは小さく毒づいた。画面に表示されているのは、警視庁のデータベースから不法にアクセスした、ある少年の個人情報である。
『白銀 銀(しろがね ぎん) 17歳 帝丹高校2年B組所属』
記載されている住所は米花町3丁目の高級マンション。家族構成は数年前に両親を事故で亡くし、現在は莫大な遺産を相続して一人暮らし。特筆すべき犯罪歴もなければ、妙な交友関係もない。学校での成績は常に上位5%を維持しているが、目立ったトラブルも課外活動もない、極めて「真っ白」なデータだった。
(真っ白すぎるのが、逆に不自然なんだよ……)
コナンは眼鏡のブリッジを押し上げ、思考の海に沈む。
昼間、帝丹高校の階段で対峙したあの男の眼光。あれは、普通の高校生が持つそれではない。人の嘘を見抜き、あまつさえ自分の正体が「工藤新一」であることに肉薄し、挑発してきたあの男。その本質が、この味気ないデータの中に収まっているとは到底思えなかった。
『隙間につけ込む質の悪い男に、いつでも横から攫われるよ』
耳の奥で、銀のあの低く冷徹な声が蘇る。
コナンは無意識に、血が滲むほど拳を握りしめていた。怒りだけではない。自分の肉体が「18キロの子供」であるという圧倒的な現実を突きつけられたことへの、男としての激しい焦燥感だった。
(蘭の寂しさの質量、だと……? クソッ、そんなこと、言われなくたって分かってんだよ……!)
だが、今の自分には蘭の肩を抱きしめるだけの「質量」がない。組織の目を欺くために、ただの居候の子供として彼女の傍に這いつくばるしかない。その隙間に、あの白銀銀という怪物が、音もなく滑り込もうとしている。
「コナン君? まだ起きてるの?」
不意に背後から声をかけられ、コナンは心臓が跳ね上がるのを抑えながら、素早く画面を切り替えた。
振り返ると、眠そうに目をこすりながら、パジャマ姿の蘭がドアの隙間から顔を覗かせていた。
「あ、蘭姉ちゃん! ごめんね、ちょっと調べ物をしてて……」
「もう、めっ、だよ? 小学生がこんな時間まで夜更かししちゃ。明日学校で眠くなっちゃうよ」
蘭は苦笑しながら歩み寄り、コナンの頭を優しく撫でた。その手のぬくもりに、コナンの胸が締め付けられる。
ふと見ると、蘭の右手にはスマートフォンが握られていた。画面は真っ暗なままだ。
「蘭姉ちゃん……新一兄ちゃんから、連絡あった?」
コナンはあえて、自分の本来の名前を出して尋ねた。蘭の反応を、探偵として、そして一人の男として確かめたかった。
蘭は一瞬だけ動きを止め、それから寂しさを隠すように、ふんわりと微笑んだ。
「ううん、まだ。でもいいの。新一、きっと世界のどこかで、凄く難しい事件と戦ってるんだから。私、邪魔したくないし……」
その言葉を聞いた瞬間、コナンの脳裏に、昼間の銀の言葉がフラッシュバックした。
『時差を逆算して、こちらの少し遅めの夜にメールを送るといい。不用意なボロを出して君を余計に不安にさせることも減るはずだ』
「……ねえ、蘭姉ちゃん」
「ん?」
「クラスの、白銀お兄さんって……どんな人なの?」
蘭は少し意外そうな顔をした後、顎に指を当てて「うーん」と考え込んだ。
「銀くん? そうね……いつも教室の隅で難しい本を読んでて、あんまり人と話さないから、ちょっと怖い人なのかなって思ってたんだけど……。でも、今日の放課後、私が肩を痛めてるのを一目で見抜いて、マッサージしたほうがいいって教えてくれたの。凄く不思議な人。冷たそうに見えて、実はよく周りを見てるのかも」
蘭の口から語られる「銀」の評価に、コナンの胸にどす黒い嫉妬が渦巻いた。
蘭の心の中に、確実にあの男の存在が小さな足跡を残している。それも、工藤新一という存在の「不誠実さ」と対比される形で。
「……そっか。ボク、もう寝るね、蘭姉ちゃん」
「ええ、おやすみ、コナン君」
コナンはベッドに潜り込み、毛布を頭から被った。
暗闇の中で、彼は誓う。あの男の化けの皮を、必ず剥ぎ取ってやる。探偵としてのプライドと、蘭を守るという意地を懸けて。
2. 観察者と探偵の再会
翌日の放課後。米花町の図書館は、平日の午後ということもあり、静まり返っていた。
高い天井の下、本特有の古い紙の匂いが漂う空間。その閲覧席の片隅で、白銀銀は厚みのある心理学の専門書をめくっていた。
カツン、と小さな足音が近づき、銀の正面の席に誰かが腰掛けた。
銀は本から目を離さず、ただ視界の端だけでその人物を捉える。
(歩幅が通常より10センチ狭い。意図的に気配を消そうとしているが、衣服の擦れる音が『子供のそれ』ではない。……また来たか、18キロの探偵さん)
「お兄さん、やっぱりここにいたんだね」
本の上から顔を覗かせたのは、昨日と同じ大きな丸眼鏡をかけた江戸川コナンだった。その手には、子供向けの恐竜図鑑が握られているが、目は一切笑っていない。
銀はゆっくりと本を閉じ、机の上に置いた。
「ストーキング趣味は、あまり感心しないな、江戸川コナンくん。僕のプライベートな時間に干渉するだけの『論理的な理由』を、君は持っているのかい?」
「ボクはただ、お兄さんのことが気になっただけだよ。だって、お兄さん、ただの高校生なのに、警察の高度な暗号通信の仕組みや、海外のIPプロキシの時差について、妙に詳しいみたいだからさ」
コナンの言葉に、銀はふっと口元を歪めた。
「なるほど。昨夜、警視庁のデータベースに僕の個人情報を照会した不届き者がいたようだが……あれは君の差し金か。あるいは、君自身が叩いたか」
「っ!?」
コナンの目が驚愕に見開かれる。自分が裏で動いたログを、この男はすでに掴んでいる。
「驚く必要はない。僕の自宅のサーバーには、不当なアクセスを感知すると発信元のIPを逆探知する簡易的なスクリプトが組んである。米花町5丁目の毛利探偵事務所の回線、そこから経由されたプロキシ……すべての足跡が、君の footprint(足跡)を示しているよ」
銀は身を乗り出し、机に肘をついてコナンを見下ろした。
「優秀な探偵のつもりかもしれないが、デジタルの世界では君はあまりにも不用心だ、工藤新一くん」
「工藤新一」
その名前が銀の口から明確に発せられた瞬間、図書館の空気が一変した。
コナンの背筋に、凍りつくような戦慄が走る。ポケットの中の腕時計型麻酔銃に手をかけようとしたが、銀の右手が、コナンの手首を正確に、そして冷酷なまでの力で上から押さえつけた。
「無駄な真似はよせ。周囲に人がいる。ここで僕を眠らせて、どう言い訳するつもりだ? 『子供の悪戯』じゃあ済まない緊迫感が、今の君から漏れ出ているよ」
「お前……何者だ。組織の人間か……!?」
コナンは声を潜めながらも、激しい敵意を剥き出しにして銀を睨みつけた。黒の組織のコードネームが脳裏をよぎる。ジン、ウォッカ、ベルモット……その配下の新しいネズミなのか。
しかし、銀は心底つまらなそうに鼻で笑った。
「組織? ああ、あの黒い服を着て、時代遅れの毒薬を配って回っている滑稽な集団のことかい? 勘違いしないでほしいな。僕はあんな知性の欠片もない暴力狂たちと同類にされるのは不愉快だ」
銀はコナンの手首を離し、自身の眼鏡を直した。
「僕はただの『観察者』だよ。世界がどれだけ不条理で、人間がどれだけ嘘に塗れているかを、特等席で見物しているだけの一般人さ。ただ――」
銀の目が、一瞬だけ、昏く深い闇を湛えた。
「その特等席のすぐ近くに、僕の美意識に叶う最高の『造形物』がいた。それが毛利蘭さんだ。彼女の純粋さ、一途さ、そして君というアホな探偵に振り回されて零す涙……それら全てが、僕にとっては至高の観察対象なんだよ。だからこそ、それを台無しにしている君という存在が、論理的に許せない」
「蘭を……観察対象だと……!?」
コナンの心の中で、怒りが限界を突破した。蘭をまるで物のように扱うその歪んだ感性。
「そうだ。そして君は、その至高の存在を最も傷つけている張本人だ」
銀は冷酷に言い放つ。
「君が正義の味方を気取って闇を追うのは勝手だが、その代償を彼女に払わせるな。彼女の隣に立てないのなら、とっとと消えろ。さもなければ……僕が彼女を僕の『檻』の中に閉じ込め、二度と君の安っぽい言葉が届かない場所へ連れて行く」
「そんなこと、させるかよ……!」
コナンは机を叩いて立ち上がろうとしたが、銀はすでに本を鞄にしまい、席を立っていた。
「せいぜい足掻くがいい、18キロの名探偵。君がその子供の身体で無力さに溺れている間に、世界は刻一刻と、僕のロジック通りに書き換えられていくんだから」
銀は振り返ることもなく、静まり返った図書館を去っていった。
一人残されたコナンは、激しい呼吸のまま、机を睨みつける。
黒の組織とは違う、だが、ある意味で組織よりも恐ろしい、蘭の精神そのものをハッキングしにくる最悪の敵。その存在が、工藤新一のすべてを否定するように、そこに立ちはだかっていた。