『名探偵コナン』オリ主・銀編   作:トート

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第7話:学園祭のプロローグ:配役は演じられる

1. 舞台裏の解剖学者

学園祭を数日後に控えた帝丹高校の放課後は、独特の熱気と焦燥感に包まれていた。

各教室からは段ボールを刻むカッターの音や、模擬店の試作による甘い匂いが廊下まで漏れ出している。しかし、体育館の片隅に設けられた2年B組の劇の練習場だけは、どこか張り詰めた空気が漂っていた。

今年のB組の出し物は、古典的な騎士と姫の悲恋を描いたロマンス劇『境界のフォークロア』。

ヒロインの姫役には、満場一致で毛利蘭が選ばれ、その相手役である騎士の王子役には、鈴木園子の強烈な推薦によって白銀銀(しろがね ぎん)が据えられていた。

「――我が姫よ。たとえこの世界が闇に包まれようとも、私のこの両腕は、あなたをあらゆる災厄から守り抜くためにある」

銀の低い、地響きのように響く声が、体育館の天井に反響する。

彼は手元にある台本を一瞥(いちべつ)しただけで、表情一つ変えずにセリフを紡ぎ出していた。その発声、間の取り方、視線の誘導。すべてが人間の認知心理学に基づき、観客が最も情緒を揺さぶられるよう完璧に計算された「冷徹な演技」だった。

「はい、そこまで! 完璧、完璧よ銀くん! 本物の王子様も裸足で逃げ出すレベルね!」

演出担当の園子が、台本を丸めてパンパンと手を叩きながら絶賛する。

銀は羽織っていた黒いマント風の衣装を軽く整えながら、ふっと冷淡なため息をついた。

「他人の人生を模倣する演劇など、僕の脳のメモリの無駄遣いだよ、鈴木さん。ただの記号として処理しているに過ぎない」

「相変わらず可愛げのない男ねー。でも、蘭、あんたのほうはどう? さっきからちょっとセリフが硬いわよ?」

園子に水を向けられ、舞台の中央にいた蘭は、ドレス風の衣装の裾をぎゅっと握りしめた。

「あ、ごめんなさい……。なんだか、上手く感情が作れなくて」

蘭は寂しそうに視線を落とし、制服のポケットにあるスマートフォンにそっと触れた。

今日も、工藤新一からの連絡はない。信じて待つと決めているはずなのに、学園祭という華やかなイベントの直前だからこそ、胸の奥の寂しさがどうしても隠しきれなかった。

銀はゆっくりと蘭の前に歩み寄った。

五体満足な、何一つ傷のない端正な右手を伸ばし、蘭の華奢な顎を静かに持ち上げる。蘭の澄んだ瞳が、すべてを見透かすような銀の昏い双眸と、至近距離で真っ直ぐに交錯した。

(――ドレスの裾を握る指先の圧力が通常より強い。瞬きの回数が1分間に28回。重度の焦燥と、幻影への依存による精神の飢餓状態だ。だが、僕が触れた瞬間、彼女の呼吸のピッチが0.3秒遅くなった。他者の『現実の質量』を意識し、自己の挙動をコントロールしようとする防衛反応……。チェックメイトの準備は整っている)

「毛利さん。演劇とは、一時的に自己の『現実』を捨て去り、完璧な『虚構』に身を委ねる行為だ。君が舞台の上でまで、どこにいるかも分からない不誠実な男の残像を追う必要がどこにある? 今、君の目の前に立ち、君の手を取るのは工藤新一じゃない。――この僕だ」

「銀くん……」

蘭の顔が、夕暮れの体育館の光も相まって、林檎のように真っ赤に染まっていく。

銀の放つ圧倒的な存在感と、すべてを見透かすような言葉の前に、彼女の胸の奥にある「新一を待つ檻」の壁が、また少し不協和音を立てて削り取られていくのを、銀は冷酷に、確実に感じ取っていた。

2. 舞台袖の追跡者

その様子を、体育館の重い搬入口の扉の隙間から、血が滲むほど拳を握りしめて見つめている小さな影があった。

江戸川コナン――工藤新一だった。

放課後のドサクサに紛れて高校の敷地内に潜入したコナンは、薄暗い影の中から、ステージの上の二人を凝視していた。大きな丸眼鏡の奥の瞳には、激しい怒りと、それを遥かに凌駕する圧倒的な焦燥感が燃え盛っていた。

(銀の奴……蘭に触るな……! 蘭をそんな目で見るんじゃねぇ……!)

心臓が早鐘のように脈打つ。

蘭が銀の言葉に傷つき、戸惑いながらも、確実に銀の放つ「現実の質量」に流されようとしている。自分が「18キロの子供」として影に隠れている間に、蘭の隣という世界で一番大切な場所が、白銀銀という冷徹な男によって塗り替えられていく。

その厳然たる無力さが、コナンのプライドを、一人の男としての尊厳を、ズタズタに引き裂いていた。

(このままじゃダメだ……。子供の姿のままで、いくら陰から見守っていたって、蘭の涙を拭うことすらできねぇ。あいつの言う通り、言葉じゃ『質量』が足りねぇんだよ……!)

コナンはポケットの中に深く仕舞い込んだ、一錠の青と白のカプセルを指先で強く弄んだ。

それは、灰原から「絶対に飲むな」と強く止められていた、試作型の解毒薬(APTX4869の試作試薬)だった。

(賭けてやる。工藤新一の身体を取り戻して、学園祭の当日、蘭の目の前に立ってやる。あいつの目の前で蘭を抱きしめて、俺の質量を、俺たちが積み重ねてきた時間を、あいつの脳みそに叩き込んでやるんだ……!)

コナンは劇の練習を終えて園子と話し始めた蘭の後ろ姿を一瞥すると、音もなく体育館を飛び出し、夕闇の米花町へと走り去っていった。その眼鏡の奥には、大切なものを守るためなら命すら投げ出すという、探偵の狂気にも似た決意が宿っていた。

3. 禁忌の秒読み

その夜、深夜の工藤邸。

暗い部屋の中で、コナンは机の上に置かれた一錠のカプセルを見つめていた。

灰原の言葉が頭の奥で何度も警告を発する。

『持続時間はせいぜい24時間が限界よ。もし学園祭の途中で身体に異変を感じたら、何が何でも蘭サンの前から姿を消しなさい』

「分かってるよ、灰原。24時間もありゃ十分だ……」

コナンはカプセルを手に取り、一気に口の中へ放り込んで水で流し込んだ。

数秒の後。

ドクン、と心臓が爆発したかのような激しい衝撃がコナンの全身を襲った。

「――う、あ、がああああッ!?」

喉の奥からせり上がる、骨が軋み、肉が膨張する圧倒的な劇薬の苦痛。コナンは床に倒れ込み、胸を掻きむしりながら激しくのたうち回った。意識が遠のくほどの激痛の中、彼の脳裏にあるのは、昼間、体育館のステージの上で銀に手を握られて顔を赤らめていた蘭の姿だけだった。

(蘭……待ってろよ。明日の朝、俺はお前の前に戻る。工藤新一として、お前の隣に立つから――!)

激しい熱の中に意識を失いながら、名探偵の肉体は、禁忌の薬物によってゆっくりと「本来の質量」を取り戻していく。

そして翌朝。学園祭当日の朝。

緑色の帝丹高校の制服に身を包んだ工藤新一が、教室の引き戸を開け、驚愕する蘭の前に姿を現すことになる――。

 

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