弾丸の狩人と転生竜の家   作:templeisland

2 / 19
白い弾痕のない少年

訓練所へ向かう道は、里の中心をゆるやかに抜けていく。

 朝のカムラは、音で満ちていた。

 鍛冶場から響く鉄の音。団子屋の前で湯気を上げる釜の音。通りを駆ける子供たちの足音。荷を運ぶアイルーたちの掛け声。遠くで吠えるガルクの声。

 その中を、カナメは少しだけ肩をすぼめて歩いていた。

 白い訓練服は、まだ新しい。

 汚れも少ない。傷も少ない。布地は硬く、身体に馴染んでいなかった。

 けれどそれは、誇れる新しさではなかった。

 他の訓練生たちの服には、擦れた跡がある。転んだ土の跡。木剣で打たれた跡。武器を振り続けて肩の部分が薄くなった跡。失敗の跡も、挑んだ証として残っている。

 カナメの服には、それが少なかった。

 挑んでいないわけではない。

 けれど、挑む前に遅れる。踏み出す前に周囲を見る。誰かにぶつからないか、誰の射線を塞がないか、倒れた時に退路を塞がないか。

 そんなことばかりが先に頭へ浮かぶ。

 そのせいで、彼の訓練服には、戦った痕よりも、立ち尽くした時間の白さが残っていた。

「あ、来たぞ」

 訓練所の門が近づくと、声がした。

 カナメは思わず足を止めかけた。

 若い訓練生たちが、すでに広場に集まっている。木剣を肩に担ぐ者、槍を振り回す者、大剣を地面に立てて自慢げに寄りかかる者。皆、朝から声が大きい。

「今日こそ何か振れるのか?」

「昨日、片手剣で自分の足に引っかけてなかったか?」

「いや、あれは逆に器用だろ」

 笑い声が弾けた。

 ボンバーの耳がぴんと立つ。

「むっ」

 ロクはカナメの横へ半歩寄った。言葉はない。ただ、身体を少しだけカナメの前へ出す。

 カナメは、慌てて小さく首を振った。

「だ、大丈夫。大丈夫だから」

 そう言ってから、また謝りそうになって口を閉じた。

 謝れば、ボンバーが怒る。

 ロクが、もっと心配する。

 だからカナメは、笑おうとした。

 うまくいかなかった。

 訓練所の広場は、朝露を踏まれて少し湿っていた。端には武器棚が並び、訓練用の片手剣、太刀、大剣、槍、ハンマー、双剣が整然と掛けられている。

 そのどれもが、カナメには少し遠く見えた。

 重い、というだけではない。

 武器を持った瞬間、相手との距離が変わる。自分の身体が前に出る。誰かを押し返すためのものになる。

 その感覚が、どうしても遅れてしまう。

 カナメは武器棚の前で、手を伸ばしては止めた。

 今日は何を持てばいいのか。

 昨日は片手剣で転んだ。

 一昨日は太刀を抜く前に足を滑らせた。

 その前は大剣を持ち上げるだけで精一杯だった。

 どれを選んでも、また笑われる気がした。

「早く選べよ」

 背後から声がした。

 カナメはびくりと肩を震わせた。

「す、すみま――」

 そこまで言って、唇を噛む。

 まただ。

 何も悪いことをしていないのに、謝ろうとしてしまう。

 訓練生の一人が鼻で笑った。

「謝る前に武器持てよ」

 別の者が言う。

「白いままだな、お前の服」

 カナメは自分の袖を見た。

 白い布。

 朝日を受けて、やけに目立つ。

「弾痕も傷もない。ほんと、何しに来てるんだろうな」

 誰かがそう言った。

 弾痕。

 その言葉だけが、カナメの胸の奥に引っかかった。

 訓練所の奥には、射撃用の板がある。厚い木で作られた的で、何度も弾を受けて黒く窪み、ところどころに焦げた跡が残っている。

 カナメは、そこを見たことがあった。

 まだ自分には関係のない場所だと思っていた。

 いや、関係があると思ってはいけない気がしていた。

 家の棚に眠るライトボウガン。

 布に包まれた、母の武器。

 自分にはまだ、あれを持つ資格がない。

 そう思っていた。

「おい、聞いてんのか」

 肩を押された。

 カナメは一歩よろめき、慌てて踏みとどまる。

 その瞬間、ロクが低く身を沈めた。

 吠えはしない。

 唸りもしない。

 ただ、カナメの前に立った。

 その細い背中を見たボンバーが、ふんと鼻を鳴らす。

「ロクは臆病じゃないニャ。危ないやつに気づいただけニャ」

「何だよ、アイルーまで偉そうに」

「偉そうじゃないニャ。偉いニャ」

「ボンバー」

 カナメは慌てて呼んだ。

 ボンバーは不満そうに頬を膨らませたが、それ以上は言わなかった。

 その時、広場に明るい声が響いた。

「はいはい! 朝から元気なのはいいことだね!」

 全員の視線がそちらへ向く。

 ウツシ教官だった。

 軽い足取りで広場へ入ってくると、彼は一人ひとりの顔を見るように歩いた。笑っている。いつものように明るく、声も大きい。

 けれど、カナメは知っていた。

 ウツシ教官は、ただ騒がしいだけの人ではない。

 誰がどこで足を止めたか。誰が武器を乱暴に置いたか。誰が笑い、誰が笑われたか。そういうものを、見ていないようで見ている。

 ウツシ教官の視線が、カナメの袖に落ちた。

 白い訓練服。

 汚れの少ない袖。

 そして、武器棚の前で止まったままの手。

「カナメ」

「は、はい」

「今日は太刀にしてみようか」

 ざわ、と小さな笑いが広がる。

 カナメの指が震えた。

 太刀。

 抜く動作だけでも遅れる。鞘から刃を出した時点で、もう相手は動いている。斬り込む距離まで入るのが怖い。怖いというより、見えすぎる。

 相手の足。

 左右の逃げ場。

 後ろにいる仲間。

 転倒した時の危険。

 全部が一度に見えて、身体が止まる。

「……はい」

 それでも、カナメは太刀を取った。

 訓練用とはいえ、重みはある。

 柄を握ると、手の中に木と革の感触が伝わってきた。

 ウツシ教官は何も言わなかった。

 ただ、カナメの立ち方を見ていた。

「構えて」

 カナメは構えた。

 構えたつもりだった。

 だが、足が半歩引けている。腰が逃げている。視線が相手ではなく、相手の横を見ている。

 相手役の訓練生が、にやりと笑った。

「行くぞ」

 木剣が振られる。

 カナメは反応した。

 避けるべき方向は見えた。相手の踏み込みも、腕の角度も、次に足が止まる位置も、見えた。

 だからこそ、身体が遅れた。

 避けるなら右。

 でも右には別の訓練生がいる。

 左へ下がれば武器棚に近い。

 後ろへ下がればロクの位置を塞ぐ。

 一瞬の迷い。

 木剣が肩を叩いた。

「っ」

 痛みより先に、息が詰まった。

 太刀を抜く前だった。

 広場に笑いが起きる。

「また抜く前に終わったぞ」

「白いままだな、本当に」

「弾痕どころか斬り跡もつかないな」

 カナメは太刀を握ったまま、俯いた。

 視界の端で、自分の白い袖が揺れている。

 白い。

 まるで、何も始まっていないように。

 ボンバーが一歩前に出ようとした。

 ロクも耳を伏せたまま、カナメを見上げている。

 カナメは、二人を止めるように小さく首を振った。

 大丈夫。

 そう言いたかった。

 けれど、声にならなかった。

 ウツシ教官が、ゆっくりと近づいてきた。

 怒鳴られると思った。

 もっと前に出ろ。

 怖がるな。

 相手を見ろ。

 迷うな。

 きっと、そう言われると思った。

 だが、ウツシ教官は少しだけ屈み、カナメの目線に合わせた。

「カナメ」

「……はい」

「今、何を見てた?」

 カナメは答えられなかった。

 相手を見ていなかった。

 だから失敗した。

 そう言えばいいのだと思った。

 けれど、ウツシ教官の声は、責めていなかった。

「相手の剣だけじゃなかったね」

 カナメは顔を上げた。

「右にいた子。左の武器棚。後ろのロク。全部見てた」

 広場の笑い声が、少しだけ遠くなった。

 ウツシ教官は、カナメの手元の太刀を見て、それから訓練所の奥にある射撃場へ視線を向けた。

「近すぎるのかもしれないね」

「……え?」

「君が見ているものと、手に持っている武器の距離が」

 カナメには、その意味がすぐには分からなかった。

 ウツシ教官は笑った。

 いつものように明るく。

 けれどその目は、まっすぐだった。

「今日は続けよう。失敗していい。白い服は、汚すためにある」

 カナメは袖を見た。

 白い布。

 何も刻まれていない服。

 弾痕のない少年。

 笑われるための白ではない。

 まだ何も撃っていないだけの白。

 そう思えたのは、ほんの一瞬だった。

 けれど、その一瞬だけで、カナメは太刀を握り直した。

「……はい」

 声は小さい。

 震えてもいた。

 それでも、さっきよりは前を向いていた。

 ボンバーがにっと笑う。

「汚すなら、火薬の焦げ跡も悪くないニャ」

 ロクが鼻を鳴らす。

 それは、静かな同意のようだった。

 朝の訓練所に、また号令が響く。

 カナメの白い袖は、まだ白いままだった。

 けれど、その白さの奥で、誰にも見えない小さな何かが、ほんの少しだけ動き始めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。