訓練所の端には、いつも少し焦げた匂いがした。
木剣の汗臭さや土の匂いとは違う。もっと乾いていて、鼻の奥に残る匂い。火打石、古い火薬、焼けた紐、焦げた布。
その匂いの中心に、ボンバーはいた。
「危ないから近づくなよ」
「また爆発させるぞ」
「あいつ、魚より火薬の方が好きなんじゃないか」
訓練生たちは、笑いながら距離を取る。
ボンバーは聞こえていないふりをしていた。
いや、聞こえていないわけではない。
耳がぴくりと動いている。ひげもわずかに揺れている。けれど顔だけは、いつものように強気だった。
「ふん。分かってないニャ」
ボンバーは、訓練所の外れに置いた小さな木箱を開けた。
中には、彼の道具が詰まっていた。
丸めた導火紐。乾かした草の繊維。小さな火薬袋。石を削った栓。竹筒。古い金具。焼け焦げた布。失敗したらしい黒い玉。
どれも立派なものではない。
里の鍛冶場や正式な道具屋に並ぶ品と比べれば、寄せ集めだった。余り物、拾い物、譲ってもらった端材。それでもボンバーは、それらを宝物のように並べていた。
カナメは少し離れて見ていた。
太刀の訓練で肩を打たれた場所が、まだじんじんしている。袖にはようやく土がついたが、それは誇らしい傷というより、転んだ跡に近かった。
けれど今は、自分のことよりボンバーの方が気になった。
「ボンバー、それ……今日も作るの?」
「作るニャ」
「教官に怒られない?」
「怒られないように作るニャ」
それは大丈夫という意味ではなかった。
カナメは困った顔をした。
ボンバーは小さな竹筒を手に取り、中へ慎重に粉を詰めていく。いつも騒がしい指先が、その時だけは驚くほど細かく動いた。
火薬を扱う時のボンバーは、ふざけない。
目がまっすぐになる。
爆発が好きなのは本当だ。派手な音も、煙も、飛び散る土も好きなのだろう。
けれど、ボンバーが本当に見ているのは、爆発そのものではなかった。
どこを壊せば、道が開くか。
どこを崩せば、誰かが通れるか。
どれくらいの音なら、相手を驚かせても味方を巻き込まないか。
まだ本人も、うまく言葉にはしていない。
でもカナメには、少しだけ分かる気がした。
「そんな小さいので何するんだよ」
訓練生の一人が近づいてきた。
木剣を肩に担ぎ、にやにやとボンバーの手元を見る。
「どうせまた失敗だろ?」
「失敗じゃないニャ。試作ニャ」
「同じだろ」
周りから笑いが起きる。
ボンバーは胸を張った。
「違うニャ。失敗は終わりニャ。試作は次に進むための途中ニャ」
「へえ。爆弾ばっかり作ってるアイルーは言うことが違うな」
その言い方に、カナメの胸が少し痛んだ。
爆弾ばかり。
それは、訓練所でボンバーに貼られた呼び名だった。
まともな補助もできない。
料理も雑。
荷物運びも飽きる。
すぐ火薬に寄る。
何かあれば爆発させようとする。
そう言われて、笑われる。
ボンバーはいつも怒って返す。
だが、そのたびに、ほんの少しだけ耳が下がることを、カナメは知っていた。
「ボンバーは……」
カナメは口を開きかけた。
けれど、声が詰まった。
大勢の前で言葉を出すのは苦手だった。誰かの視線が向くと、喉が細くなる。何を言っても笑われる気がして、息が浅くなる。
ボンバーが先に言った。
「爆弾ばかりでいいニャ」
訓練生たちが少し黙る。
ボンバーは竹筒の栓をきゅっと締めた。
「オイラは爆弾ばかり考えるニャ。火薬の量も、音の向きも、石の飛び方も、煙の出方も考えるニャ。道が塞がった時、誰かが動けなくなった時、強い武器を持ってるやつが前に出られない時でも、爆弾なら道を開けるニャ」
小さな身体で、ボンバーは堂々と立っていた。
「だから、爆弾ばかりでいいニャ」
笑い声はすぐには戻らなかった。
カナメは、ボンバーを見つめていた。
強がりだと分かる。
でも、全部が強がりではないことも分かる。
ボンバーは本気だった。
その時、広場の反対側で声が上がった。
「おい、荷車が傾いたぞ!」
見ると、訓練用の丸太を積んだ小さな荷車が、ぬかるみに片輪を取られていた。押していた若者たちが慌てて支えたが、丸太の一部が崩れ、道の半分を塞いでいる。
大きな事故ではない。
だが、下敷きになりかけたアイルーが一匹、丸太と柵の間で身動きが取れなくなっていた。
「引っ張れ!」
「無理だ、丸太が噛んでる!」
「持ち上げろ!」
訓練生たちが駆け寄る。
カナメも走り出した。
だが、人が集まりすぎている。丸太の位置が悪い。無理に動かせば、挟まれたアイルーの足にさらに重みがかかる。
カナメは息を呑んだ。
見えた。
丸太の重なり。荷車の傾き。土の湿り。支点になっている石。押してはいけない方向。空けるべき隙間。
けれど、近接武器の時と同じように、身体はすぐには動かなかった。
その横を、ボンバーが駆け抜けた。
「どくニャ!」
「おい、危な――」
「どくニャ!!」
ボンバーの声は、いつもの騒がしさと違っていた。
短く、鋭い。
訓練生たちが思わず道を空ける。
ボンバーは丸太の下を覗き、土を掻き、耳を伏せて角度を見た。それからさっき作った小さな竹筒を取り出す。
カナメはすぐに分かった。
丸太を吹き飛ばすためではない。
支点になっている石の周りの固い土だけを崩すつもりだ。
「ボンバー、右下の石。少しだけ」
「分かってるニャ!」
カナメの言葉に、ボンバーは一瞬だけ笑った。
分かっていた。
二人は同じものを見ていた。
ボンバーは竹筒を差し込み、導火紐に火をつける。
「耳ふさぐニャ!」
小さな破裂音。
派手な爆発ではなかった。
土が軽く跳ね、煙が細く上がる。ただそれだけだった。
だが、丸太の重みがわずかにずれた。
カナメは叫んだ。
「今、手前じゃなくて左へ!」
訓練生たちが反射的に動く。
丸太が少し浮く。
挟まれていたアイルーが、ロクに首の後ろをくわえられ、静かに引き出された。
ロクはそのまま数歩下がり、アイルーを安全な場所へ降ろす。
怪我は浅い。
足は震えていたが、潰れてはいなかった。
広場に、沈黙が落ちた。
ボンバーは煙の残る竹筒の跡を見て、ふうと息を吐く。
「……少し火薬多かったニャ」
そう呟いた声は、小さかった。
カナメは首を振った。
「でも、道は開いた」
ボンバーが振り向く。
カナメはもう一度言った。
「ボンバーが、道を開いた」
その瞬間、ボンバーの顔がくしゃりと歪みそうになった。
けれど彼はすぐに胸を張る。
「当然ニャ! オイラは爆弾ばかりのアイルーだからニャ!」
今度の声には、さっきより少しだけ本物の誇りが混ざっていた。
周囲の訓練生たちは、何も言えなかった。
笑うには、助けられた命が目の前にあった。
けなすには、丸太の下にできた小さな隙間が、あまりにもはっきりしていた。
ウツシ教官が、少し離れた場所から見ていた。
彼は笑っていた。
けれど、ふざけた笑みではなかった。
「いい判断だったね、ボンバー」
ボンバーの耳が跳ねた。
「と、当然ニャ」
「ただし、火薬の扱いはあとでしっかり確認するよ」
「ニャッ」
「褒めるところと、締めるところは別だからね」
ボンバーはしょんぼりしかけたが、カナメが見ていることに気づいて、慌てて胸を張り直した。
ロクが救助されたアイルーの横で、静かに座っていた。
その鼻先が、泥で汚れている。
カナメは自分の袖を見た。
白かった訓練服には、土がついていた。
焦げ跡ではない。弾痕でもない。
けれど、そこには確かに、誰かを助けるために動いた跡があった。
ボンバーの小さな爆破で開いた、ほんのわずかな隙間。
その隙間から、一匹の命が帰ってきた。
カナメは、胸の奥に灯るものを感じた。
まだ名前はない。
まだ形にもなっていない。
でもいつか、それはきっと、三人にとって大切な言葉になる。
倒すためではなく。
壊すためでもなく。
帰すために、道を開く。
ボンバーは焦げた竹筒を拾い上げ、大事そうに道具箱へしまった。
その横顔は、もうただの「爆弾ばかりのアイルー」ではなかった。
少なくとも、カナメにはそう見えていた。