深い深呼吸の後、ダーニャの寝室へと足を踏み入れた。
その場所はお世辞にも寝室と呼べるような場所ではなく、どう見ても怪しい実験室にしか見えなかった。
「……あ」
「ほら、あれがダーニャだ」
ちょうど部屋の中央に位置する機械の中にダーニャは入っていた。
培養槽と言っていたのである程度の予想はできていたが、実際にこうして見ると本当に純粋な人間ではないんだなと思わせられた。
「……え?」
その時、ダーニャが目を開けてこちらに気付いた。
目の前の光景が信じられないかのように目を見開いた彼女は、すぐに培養槽の中からその体を這い出させた。
「ど、どうしてシオン君が……っ!」
ダーニャは俺を見た後、隣に立つ組織長を強く睨みつけた。
「どうしてシオン君を連れて来たんですか!? まさか何かをさせるために……っ!? 私の友達を絶対に巻き込まないって約束したじゃないですか!!」
それは、初めて見たダーニャの怒りだった。
既に俺の存在は居ないと認識しているのかダーニャは組織長だけを見つめており、その背後にはダーニャの怒りに呼応するかのように二つの巨大な腕が蠢いている。
「誤解をするなダーニャ。むしろ彼がここに来たのは、お前の油断が招いた結果だぞ?」
「……どういうことですか」
「体調が悪そうなお前を見かけ、心配してここまで付いてきたのだ。ダーニャ、お前はとっても優しくて良い友達を作ったのだな」
「……っ」
下を向いたダーニャに組織長は言葉を続けた。
「一から説明すると長くなるので省くが、私がここに居るのはリナシータに向かう前に一度様子を見るためでしかなかった。そこにちょうどシオンが訪れたことで一緒になり、お前のことを全て話して今に至るというわけだ」
「私のこと……話して?」
「あぁ――私たちの手によって造られ、鳴式アレフ1と共鳴したことも伝えてある」
「あ……あぁ……っ」
ダーニャが声にならない悲鳴を上げ、両手で顔を覆い隠す。
彼女の背後の巨大な手もその小さな体を包むように隠して覆っていく。
「組織長、ダーニャと二人で話がしたいんだが」
「構わん、今の私はとても気分がいいからな。どういうやり方でダーニャを慰めるか見たい気もするが、ステージに上がった遊び仲間の意見は尊重しよう」
組織長は離れていき、部屋を出て行った。
こうしてこのだだっ広い部屋に残されたのは俺とダーニャだけ。
俺はそのままゆっくりとダーニャに向かって近付く。彼女が培養槽から出た際に飛び散った液体を踏みしめる音と、機械音だけが響き渡る。
「ダーニャ」
「…………」
ダーニャは顔を上げない。
「ダーニャ」
「…………」
俺の声は聞こえているはずだ。
だがダーニャからは強い拒絶の意志が感じられ、本来ならこのままここから何も言わず去った方がいいのかもしれないとさえ思う。
けどそれをしてしまったら俺は俺を許せなくなる……だからここに居るんだ。
ダーニャの前に屈み、彼女と顔の高さを一緒にした。
そのまま手を伸ばし、顔を隠している彼女の手に触れた。
「っ……」
「なんだ……少しひんやりしてるけど、ちゃんと温かいんだな」
ダーニャの手は青い。
赤い手袋の下に隠されている彼女本来の手は、確かに人の手は言い難い……だがそれでも、ちゃんと体温を感じることのできる人と何ら変わらない手だった。
相変わらずダーニャが俺に見せているのは拒絶の意志だ。
しかしこうして手を握ってみると彼女も俺の手を握り返してくれた。
たぶん意識してないんだとは思うけど、それでもダーニャがこうしてくれたことが何より嬉しかった。
「こういう時、どういう言葉をかければいいのか正直分からん……気の利いた言葉を待っているのだとしたら無理だから許してくれ」
「……なんですかそれは。気の利いた言葉なんて必要ありませんよ……正直に言えばいいじゃないですか」
「何を?」
「私は、残星組織のダーニャです。普通の人間じゃ……いいえ、人間でもありません。今まで騙していたのかと、どんな顔をして友達面していたのかと怒鳴ればいいじゃないですか!」
「怒鳴ってどうなるんだ? そもそも俺がそんな風に友達を怒鳴る奴に見えるのか? だとしたら俺の自分プロデュース力はダメダメだって悲しくなってくるぜ」
「ふ、ふざけないでください! 私は――」
「最初から全部知ってたよ」
「……えっ?」
ポカンと口を開け、目を丸くしたダーニャ。
この際だからいいかと思い、俺はずっと誰にも話していなかった秘密を口にすることにした。
「組織長から詳しく話を聞いたのは確かだけど、ダーニャが残星組織に造られた存在で、アレフ1と共鳴した存在であることも……いずれ訪れる瞬間のために学園に潜んでいることも全部知ってた。それだけじゃなくてちゃんと優しい女の子で、シグリカや沢山の友達に愛されていることも知ってたよ」
「何を……何を言ってるんですか?」
「もっとハッキリ言わないとダメか? そういうのを全部知った上で君の友達をやってた……あぁいや、やってたって言うとちょっとアレか? まあとにかく、俺はダーニャのことを知ってた上で君との時間を楽しんでいたんだ。そう考えると……俺の方が悪質かもしれないけどな」
結局、俺は傍観者を気取っていたんだ。
全部知っていたから最悪な未来にならないように立ち回りつつも、そうならない部分でこの世界に生きる人たちと楽しんでいた。
ダーニャだけじゃなく、エイメスの抱える苦しみ等を全部知っている上で……それをずっと黙って、何食わぬ顔で接している俺の方が大分悪質だろうよ。
「全部知ってて……全部受け入れた上でダーニャと一緒に居たんだ」
「…………」
「だから俺の方が謝るべきかもしれない……ごめんなダーニャ」
「そ、そんな謝る必要なんて……っ! あぁもう! よく分かりません! いきなり色んな情報が入ってきて……これも全部あなたのせいです! やっぱりシオン君は私をおかしくさせます!」
「ごめん」
「だから……もうっ!」
ダーニャは、バシッと俺の胸を叩いた。
流石共鳴者の力ということでその一撃はそこそこ痛く、胸の内から空気を吐き出しそうになったほどだが何とか堪えた。
「それを全部知った上で私を受け入れるなんて……変な人ですシオン君は。どういう経緯で事情を知っていたのかは分かりませんが、だとしてもおかしいですよ……っ」
「俺だけじゃないと思うぞ? シグリカとか……ほら、ナスターシャっていう君が仲良くしてる子とかさ……あの辺りも簡単に受け入れると思うが? もしそんなわけないって言うなら君はシグリカたちを逆に舐めてる」
「そ、それは……そうかもしれないですね」
そこでダーニャはようやく笑ってくれた。
そして彼女はゆっくりと俺の胸に顔を埋め、穏やかな様子で言葉を続けるのだった。
「私は……シオン君とこんなに仲良くなるなんて思わなかったんです」
「だな……俺も思わなかった」
「そうですよね……でもこうなってしまいました。よく顔を合わせるようになって、それから話をすることも増えてあなたのことを沢山知りました。シオン君という友達と過ごすことが楽しみになって……極めつけは、シオン君の傍は凄く安心するんです。シオン君の傍だと私は悪夢に襲われることなく、穏やかに眠ることができて……そこから私はシオン君のことが気になるようになりました」
ダーニャが悪夢に襲われるというのは本人から聞いていた。
彼女が俺の隣で眠る際に姿を見せる黒い靄……恐らくあれが悪夢の正体で、俺がそれを切断するとダーニャは安心したように寝息を立てるのだ。
「私の心……虚無の中にシオン君が溢れているんです。でも……この気持ちが大きくなればなるほど、私の体は私の意志に反して弱っていく……結局私は、あの人の望む完全な虚無にはなれないんです」
「それはダーニャが人間である証だろ? 悲しいことがあったら嫌だし、嬉しいことがあったら笑う……俺は今まで色んなダーニャの表情を見てきた。君は人間だ――俺たちと何も変わらない生きることと、幸せを享受する権利を持った一人の人間だ」
そっとダーニャの体を抱きしめた。
こんな時ではあるけど俺ってこんなキャラだったかなと思いつつも、今のダーニャを安心させてあげる方法はこれが一番な気がした。
シグリカたちが傍に居ればこの役目を代わってくれるだろうけど、今は俺しか居ない。
「温かい……温かいですシオン君」
なんというか……凄く可愛い仕草だ。
背中にまで手を回してきたダーニャだけど、たぶん今のこの状態でこんな風に誰かにしたことはないのかもしれないな……どこか遠慮というか、不慣れな様子も感じ取れた。
「…………」
ただ、俺はそんなダーニャよりも意識を向ける存在があった。
それはダーニャとアレフ1を繋ぐ糸のような物……切断の力を持っているからこそ、アンカーされたダーニャとアレフ1の繋がりを俺は視ることができる。
(……やっぱり斬れそうにないか)
現状、ダーニャとアレフ1の繋がりは切断することはできない。
だがそれは普通であればだ――オーバークロックすればおそらく……いや、確実に斬ることができることは直感で理解した。
(漂泊者……俺はお前のことをどんだけ自己犠牲精神が強いんだよと文句を言ってたよ。でも、いざこういう状況になると……悔しいけど理解できちまった)
「……なあダーニャ」
「なんですか?」
「ダーニャの秘密を知ったから俺も秘密を少し教えるよ」
「え? そんな……気を遣わなくても」
「そうか? じゃあ言わなくてもいいか。正真正銘、誰に言ってない秘密なんだけどな」
「そう言われると……聞きたくなりますねぇ」
お、ようやくいつもの調子が戻ってきたみたいだな。
改めて組織長の姿が傍にないことを確認した後、声が漏れないように遮断を発動しながら秘密を口にした。
「信じるかどうかはダーニャに任せる――俺は一度死んで、この世界に生まれ変わったんだ」
「え……?」
「死ぬ前に居た世界で、この世界のことが語られていた。だから俺はダーニャのことを知ってたんだ」
「そ、そんなことが……」
「あぁ、これが俺の真実……今、この世界で初めて話したよ。できれば誰にも言わないでくれよな?」
「それはもちろんです! 私だけ……私だけがシオン君の秘密を……」
「その様子だと疑うつもりはないのか?」
「ありませんよ……こんな状況で疑ってしまったらそれこそ私は馬鹿になっちゃいます」
ニコッと笑ったダーニャだが、その瞳からは涙が流れていた。
俺は咄嗟にポケットからハンカチを取り出して涙を拭い、鼻も噛むかと聞いたらデリカシーがないと言って巨大な手に小突かれた……いやその手危なくねえか?
「……っとそうだ。もう一つ大事なことを伝えておかないとだった」
大事なことを伝え忘れていた。
「ダーニャ、生きることを諦めないでくれ」
「……それは」
「俺、組織長とゲームをすることになったんだ。もしも俺がダーニャの運命を覆すことができたなら、君を自由にすると……二度と手出しはしないと約束してくれた」
「っ!」
「馬鹿正直に信じるには危ない相手だけど、少なくともゲームに勝った報酬を反故にするとは思えない……だからダーニャ、生きることを諦めるなよ」
「……不思議ですね。それはもう諦めたことなのに、そう言われると希望を持っちゃうじゃないですか」
「大船に乗ったつもりで居てくれ――俺が絶対に死なせやしない」
「……もう……あなたは本当に……っ」
そんな会話を最後に、ダーニャは培養槽に戻って周波数を安定させた。
まだ陽が暮れたくらいなのでダーニャとは一緒に戻ることにしたのだが、当然まだ傍には組織長の姿があった。
「シオン、お前は本当に不思議な存在だ。ダーニャのことは理解していたはずだが、ここまでこの子が希望に満ち溢れた目をしているとは驚いた……一体何の話をしたのか気になるよ」
「さあね」
「ふふっ、まあいい。ダーニャ、希望に縋るのは勝手だが自分の役割を忘れるんじゃないぞ? お前が虚無から離れれば離れるほど、計画に支障が出てくるのだから」
「分かっていますよ。自分の役割は理解してますから」
「それならば良い」
まだ話したいことは沢山あるし、相談したいことも多くある。
でも今日はこれでいいだろう……はぁ、疲れたぜ。
「シオン君、夕飯はどうしますかぁ?」
「学園のレストランかな」
「ご一緒してもいいですよね?」
「もちろんだ。一緒に食べよう」
「はい♪」
「夕飯か……やはり私も食べてから行くとしよう。私も共に――」
「あなたは来ないでくださいね? とっとと出て行ってください」
「……元気になりすぎではないか?」