『学園黙示録:SILVER BULLET(シルバー・バレット)』 作:トート
高級マンションのバスルームから、温かい湯気がリビングへと流れ込んでいた。
全員が順番に温水シャワーを浴び、南リカのクローゼットから見つけてきた私服へと着替えを済ませていく。地獄のような豪雨に晒され、冷え切っていた彼らの身体に、ようやく生きた人間の血の巡りが戻りつつあった。
リビングのソファでは、小室孝と宮本麗、そして平野コータが手に入れたばかりの銃器(M1Aライフル)のボルトを分解し、真剣な表情でメンテナンスを行っている。
そんな日常の残滓(ざんし)から少し離れた暗いキッチンで、銀は一人、バーカウンターに腰を下ろしていた。
彼もまた、血と油で汚れたツナギを脱ぎ捨てていた。身に纏っているのは、リカの部屋にあった無地の黒いTシャツとジーンズ。無駄な脂肪の一切ない、鍛え上げられた整備士の肉体が露わになっている。
「……お邪魔してもよろしいでしょうか」
背後から、静かで凛とした声がかかった。
振り返ると、そこにはシャワーを浴び終えた毒島冴子が立っていた。
彼女もまた、お馴染みの藤美学園の制服を脱いでいた。選んだのは、白いノースリーブのカットソーに、タイトなデニム。濡れた紫の長髪をバスタオルで無造作に拭いながら歩み寄るその姿は、大人の色香を放っており、男なら誰もが目を奪われるほどに凄艶(せいえん)だった。
だが、銀の鋭い三白眼は、彼女の顔や胸元には一切向かなかった。
彼が凝視したのは、ノースリーブから大胆に露出した、冴子の白い右肩から背中にかけて刻まれた――生々しい大きな『傷跡』だった。それは明らかに、刃物によって深く切り裂かれ、不器用に縫合された跡だった。
「……いい趣味の傷だな」
銀は視線を外さず、冷淡に言い放った。
「気づかれましたか。これでも、毒島流の次期目録(もくろく)を継ぐための、厳しい修行の代償ですのよ」
冴子は隠す風でもなく、ふっと薄い白刃のような笑みを浮かべて銀の隣の席に腰掛けた。
「いや、修行の傷じゃねえ。……それは『本物の殺し合い』でついた傷だろ」
銀の確信に満ちた言葉に、冴子は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに楽しげに目を細めた。
「やはり、あなたには隠し事が通用しませんね。ええ、その通りです。かつて我が家に夜盗(よとう)が入り込んだ際、父の留守を預かっていた私が、その男の骨をへし折って叩き伏せました。その時に貰った、私の『勲章』です」
冴子は自分の傷跡を愛おしそうに指先でなぞりながら、今度は銀の腕へと視線を移した。
黒いTシャツの袖から伸びる銀の逞しい前腕には、火傷の痕や、金属の破片が突き刺さったような細かな古傷が無数に刻まれていた。
「あなたの方こそ、随分と熾烈(しれつ)な生き方をしてきた腕をしていますね」
「ただの整備士の職業病だ。回ってるファンに手を巻き込まれたり、熱いオイルを被れば誰でもこうなる。……あんたの言う『勲章』みたいな、大層な意味はねえよ」
銀はそう言って、カウンターに置いたベネリM4ショットガンのパーツを、指先でカチャカチャと組み立て直した。
二人の距離は、吐息が触れ合うほどに近かった。
シャワー上がりの冴子からは、微かに甘い石鹸の匂いが漂っている。しかし、二人の間に流れる空気は、男女の恋慕などとは程遠い、極限まで乾燥した冷徹さだけだった。
お互いを異性として見ていない。ただ、明日からの地獄を生き抜くために、この「相棒」という名のパーツがどれだけ頑丈で、どれほど壊れにくいか、その肉体に刻まれた傷を通して品定めし合っているのだ。
「恋だの結婚だのという、温かい未来を夢見る資格は、私たちには最初からなさそうですね」
冴子が静かに呟いた。
「ハッ、世界が終わる前から、そんなガラじゃねえよ。俺に必要なのは、明日も俺の背中を守って、化け物の頭を叩き割るあんたの『腕』だけだ。それ以外は、全部ただのノイズだ」
「フフ、最高の口説き文句です。ええ、私もあなたのその冷酷な『脳みそ』と、確かな『指先』だけを信用していますわ」
二人は言葉を交わしながらも、一度も手を重ねることはなかった。
ただ、互いの傷跡と、底知れぬ狂気を確認し合うことで、二人の怪物のドライな利害関係は、よりソリッドに、より強固に噛み合っていく。
その時、リビングの窓際で外を監視していた小室孝が、血相を変えて振り返った。
「銀さん、毒島先輩! 来てください! 道路の様子が変です!」
つかの間の急速は終わりを告げた。銀と冴子は同時に立ち上がり、私服のポッケにナイフとボルトを忍ばせ、冷酷な戦場へと意識を切り替えた。
(第10話【後編】へ続く……)