『学園黙示録:SILVER BULLET(シルバー・バレット)』 作:トート
高城壮一郎がその圧倒的なカリスマと武力で築き上げた秩序は、一見するとこの世の終わりにおいて、完璧な楽園のように見えた。
頑強なコンクリートの白壁の内側では、自家発電の電力によって煌々と電灯が灯り、炊き出しの温かい食事が避難民たちに手際よく配られている。門前や敷地の要所では、黒い突撃服に身を包んだ「憂国一心会」の私兵たちが、日本刀や改造された猟銃を手に、恐ろしいほどの統率力で周囲の索敵を行っていた。
だが、その様子をガレージの暗がりの片隅から見つめる銀の目は、どこまでも冷ややかだった。
「張り子の虎だな」
銀は、郵政カブのキャブレターをバラし、細部に入り込んだ微細なゴミを不器用な手付きで拭き取りながら、低く呟いた。衣服に染み付いたガソリンと油の匂いだけが、彼の周囲にだけ日常の残り香を漂わせている。
「手厳しいですね。彼らの防衛体制は、少なくとも現時点では床主(とこなめ)市内で最も機能しているように見えますが?」
すぐ隣で、白樫の木刀を丁寧な手付きで磨いていた毒島冴子が、美しい紫の髪を揺らして問いかける。彼女の切れ長の視線もまた、庭園に設置されたテントの周りで「もうこれで助かった」と安堵の表情を浮かべている避難民たちの姿に向けられていた。
「機能してるのは、電気と通信が生きているからだ。あいつらはハイテクな監視カメラや電動ゲート、無線連絡のネットワークに頼りすぎている。インフラが完全に死んだ瞬間、あの頑強な檻は、ただの『逃げ場のない棺桶』に変わるぞ」
銀は冷酷に言い放ち、カブの金属パーツをカチャリと正確に組み立て直した。
「おまけに、守られている民間人どもの顔を見ろ。地獄をくぐり抜けてきたはずなのに、安全な壁の中に入った途端に、昨日までの平穏な日常が戻ってきたと錯覚してやがる。精神的なネジが緩んだ奴から順番に、次の波で喰われるパーツになるだけだ」
二人の間に、避難民たちが持つような安堵の空気は微塵もなかった。
彼らにとって、この高城邸は永住の地などではなく、次の移動に向けた一時的な「補給拠点」に過ぎない。互いが生き残るための最も頑丈な歯車であるという冷徹な品定めだけが、このガレージの冷たい空気の中に漂っていた。男女の甘い感情など、最初から一滴も混ざる余地はなかった。
「……あの、銀さん、毒島先輩」
客間で休息を取っていたはずの小室孝が、浮かない顔をしてガレージへと歩み寄ってきた。その手には、まだあの金属バットが固く握られている。
「なんだ、小室」
銀は視線をパーツから外さずに、抑揚のない声で尋ねた。
「さっき、高城の親父さん……壮一郎会長の演説を聞いたんだ。会長は、生き残る価値のある強い人間だけを組織に組み込み、この地域を守ると言っていた。……俺には、あのやり方がどうしても正しいとは思えないんだ。宮本や平野も、ここの過激な空気に馴染めなくて戸惑ってる」
孝の青臭い言葉に、銀は小さく鼻で笑った。
「正しいかどうかなんて、どうでもいい。あの右翼の親父は、自分の戦力を維持するために合理的(リアリスト)な選別をしてるだけだ。お前たちが抱えているような『全員を優しく救いたい』なんていう中学生の倫理観は、この終わった世界じゃ一番最初に錆びる不良品だぞ」
「銀さん、あんたはいつもそうだ……!」
孝が歯を食いしばる。バットを握りる拳が、悔しさで小刻みに震えていた。
「生き残るためなら、誰を切り捨てても平気だって言うのか? あの時、子供を助けたのだって、あんたにとってはただの計算だったのかよ!」
「ああ、計算だ」
銀は鋭い三白眼で、孝の目を正面からまっすぐに射抜いた。
「あの状況で、お前らが私情で暴走して全滅するリスクを避けるために、最も生存率の高いルートを選んだだけだ。あの子供が生き残ったのは、その結果に過ぎねえよ。お前がその甘い頭を切り替えられないなら、この先、真っ先に宮本を巻き込んで死ぬことになるぞ」
圧倒的な殺気を含んだ合理主義に、孝は反論の言葉を失い、拳を震わせながらその場を立ち去るしかなかった。学校という檻の中で生きてきた少年には、あまりにも残酷すぎる現実の突きつけだった。
「手厳しいですね。ですが、彼の言うことも一理あります。人間は、ただ生き長らえるだけでは耐えられない生き物ですから」
冴子が静かに木刀を腰に当て、銀の横顔を見つめた。その瞳の奥には、銀の容赦のないスタンスに対する、深い得心の光が宿っていた。
「俺は整備士だ。動かない機械に興味はねえ。動くために必要なオイルとパーツを揃える、それだけだ」
その日の夜、床主市の夜空に、不気味な「異変」が訪れるとも知らず、屋敷は静かに更けていった――。
(第13話【前編】・了)