『学園黙示録:SILVER BULLET(シルバー・バレット)』 作:トート
暗黒が、高城(たかぎ)邸のすべてを完全に包み込んでいた。
上空での電磁パルス攻撃により、屋敷のあらゆる電子機器、自家発電機、そして防衛ラインを制御していた電動のロックシステムが一瞬にして全滅した。庭園の四方に設置されていた大型の照明が破裂するように消え去った後、残されたのは松明(たいまつ)の心許ない炎と、街のあちこちでくすぶる火災の鈍い赤色の照り返しだけだった。
「お父さん……怖いよぉ……っ」
避難民のテントから、子供たちの泣き声や大人たちの怒号が、暗闇のなかで無秩序に響き渡る。
これまで「完璧な要塞」に守られていると信じ込んでいた民間人ほど、この突然の機能停止によるパニックは致命的だった。憂国一心会の私兵たちが怒鳴り散らして統制を試みているが、無線が死んだことで、彼らの連携も完全にバラバラになっていた。
さらに最悪なのは正門の外だ。
紫藤がマイクロバスで撒き散らした排気音と拡声器の絶叫。あれが、暗闇の街を彷徨っていた数万の『奴ら』を完全にこの丘へと呼び寄せてしまった。外壁を叩く無数の乾いた肉声が、ミシミシと不気味な地鳴りのように響いている。
「うるさいな。これじゃあ『奴ら』にここに肉が山ほどあると教えているようなものだ」
母屋から続く暗いガレージの中で、銀は手元をオイルランタンの仄かな灯りだけで照らしながら、淡々とベネリM4ショットガンの各パーツに潤滑油を注いでいた。
電気に頼るハイテクな道具は死んだ。しかし、銀のクロスボウや散弾銃、そして冴子の木刀といった「完全なアナログ兵器」は、この暗黒の世界において1ミリもその有用性を失っていなかった。
「……ぎん、おにいちゃん」
ガレージの影から、おずおずと小さな人影が歩み寄ってきた。お風呂上がり、南リカの部屋にあった大きめのTシャツを着た少女――アリスだった。彼女の小さな手には、先ほど静香先生から手渡されたばかりの、一本の乾いたタオルが握られている。
「なんだ、アリス。部屋で大人しくしてろと言ったはずだ」
銀は視線を銃の機関部から外さずに、冷淡に言った。
「しずかせんせいに、おにいちゃんたちのおてつだいをしなさいって言われたの。これ……つかって」
アリスは怯えを必死に押し殺しながら、銀にタオルを差し出した。銃のオイルを拭き取るための布として持ってきてくれたのだろう。
銀は少しだけ手を止め、その鋭い三白眼でありすを見下ろした。
「アリス、さっき外で何が起きたか分かっているか」
「……電気が、きえちゃった」
「そうだ。臨時の明かりも、お前を守っていた高い壁の鍵も、全部消えた。外にいる化け物どもが、いつでもこの中に雪崩れ込んできてもおかしくない状態だ」
銀はアリスの前に屈み込み、その細い肩を、骨が軋むほどの強さで両手で掴んだ。
「いいか、よく聞け。これからこの屋敷は地獄になる。生き残るチャンスは一度だけだ。……絶対に、何があっても大声を出すな。泣くときも声を殺せ。足音を立てずに俺の後ろを歩け。……それができないなら、俺はお前をその場で化け物の餌にして置いていく。分かったな」
あまりにも冷酷な、大人が子供に向けるものではない現実の突きつけ。
普通の子供なら泣き叫ぶか、恐怖で硬直するはずだった。しかし、父親が目の前で食い殺される凄惨な現実をくぐり抜けてきたアリスの瞳には、奇妙なほどに強い「生への執着」が宿っていた。
アリスは小さな身体を震わせながらも、銀の目を真っ直ぐに見返し、涙を溜めた目で力強く頷いた。
「……うん。わたし、絶対におとを立てない。おにいちゃんに、ついていく」
「……上出来だ。そのタオルをそこに置いて、奥の車のシートの影に隠れてろ」
銀が冷たく指示を出すと、アリスは本当に物音ひとつ立てずに、ガレージの奥に停められたトラックの座席の下へと滑り込んで身を隠した。子供の「無垢さ」を捨てさせ、この世界の過酷なルールに適応するための、最低限のパーツへの教育が完了した瞬間だった。
「相変わらず、容赦のない教育ですね」
ガレージの暗がりから、白樫の木刀を携えた毒島冴子が静かに歩み寄ってきた。
彼女の目は、暗闇の中でも鋭い殺気を湛えており、すでに周囲のただならぬ気配を完全に察知しているようだった。
「甘やかして死なせるよりはマシだ。……それより、冴子。聞こえるか」
銀がランタンの芯を絞り、周囲を完全な闇へと戻す。
すべての人工的な音が消え去った高城邸の静寂の中、壁の向こう側から、ゴオゴオと不気味な地鳴りのような、数万の『奴ら』が草木を押し潰して前進してくる生々しい足音が、すぐそこまで迫ってきていた。
(第14話【前編】・了)