遠坂凛は書記長を召喚してしまった   作:rune

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召喚

 

 

 

 

地下室の空気が震えた。

 

魔法陣の線が、赤く光る。

 

赤い。

 

赤い。

 

赤い。

 

遠坂凛は、その色を見た瞬間、わずかに眉をひそめた。

 

「……妙ね」

 

炎の赤ではない。

宝石の赤でもない。

血の赤、と言ってしまえば陳腐だった。

 

けれど、その赤はどこか、紙に押された印のような色をしていた。

 

承認。

命令。

処理済み。

 

そんな言葉が、なぜか脳裏をかすめる。

 

凛は小さく首を振った。

 

余計な感覚だ。

召喚前に気圧されてどうする。

 

宝石は十分に準備した。

魔力の流れも整えた。

触媒はない。

 

だが、遠坂の魔術師としての自負がある。

 

触媒なしで召喚するなら、最も相性の良い英霊が来る。

それが遠坂凛の計算だった。

 

いや、計算というより、確信に近かった。

 

遠坂の家は、そういう家だ。

失敗など許されない。

許されない以上、成功する。

 

凛はそういう順番で物事を考える癖があった。

 

魔法陣から風が噴き上がる。

 

地下室の床に置かれていた紙片が舞い上がり、壁の燭台の炎が横へ流れた。

赤い光が、壁の影を揺らす。

 

凛は腕で顔を庇いながら、声を張った。

 

「告げる――」

 

詠唱は完成した。

魔力は正しく流れた。

契約の回路が開く。

 

あとは、現れるだけ。

 

剣か。

弓か。

槍か。

 

どのクラスでも構わない。

遠坂凛にふさわしい英霊なら、どれでも勝ち筋はある。

 

セイバーなら正面から押し切れる。

ランサーなら速度で崩せる。

アーチャーなら、戦術の幅が広い。

ライダーでもいい。

キャスターは少し癖が強いが、遠坂の魔術師なら制御できる。

バーサーカーだけは面倒だが、引いたなら引いたでやりようはある。

 

凛はそう考えていた。

 

そう考えていた、はずだった。

 

魔法陣の中心に、人影が立った。

 

まず見えたのは、巨大な剣ではなかった。

槍でもない。

弓でもない。

鎧でもなかった。

 

軍服のような服だった。

 

古びているわけではない。

むしろ、奇妙なほど整っている。

 

襟元はきっちり閉じられ、胸元には無駄がなく、靴は地下室の薄暗い灯りを受けて鈍く光っていた。

 

小柄な男だった。

 

英霊という言葉から想像する、神話的な巨躯はない。

英雄譚に出てくるような、美しい顔立ちでもない。

 

だが、その場に立った瞬間、地下室の空気が変わった。

 

圧倒的な魔力が吹き荒れたわけではない。

殺気が満ちたわけでもない。

 

むしろ、静かだった。

静かすぎた。

 

男は召喚されたばかりのサーヴァントらしい荒々しさを見せなかった。

 

怒鳴らない。

構えない。

武器を探さない。

周囲の状況に驚きもしない。

 

ただ、そこに立っていた。

 

そして、ゆっくり地下室を見回した。

 

魔法陣。

壁。

燭台。

散った紙片。

凛。

 

その順番だった。

 

最後に凛を見た時、男はわずかに目元を緩めた。

 

笑った。

 

そう見えた。

 

「寒くはないかね」

 

凛は、返事に詰まった。

 

「……は?」

 

男の声は低かった。

だが、不思議なほど穏やかだった。

 

怒気もない。

敵意もない。

召喚直後にマスターへ向ける言葉としては、あまりにも場違いなほど、親しげだった。

 

「この部屋は冷える。若い者が身体を冷やすのはよくない」

 

「いや、ちょっと待ちなさい」

 

凛は眉を寄せた。

 

「召喚されたサーヴァントの第一声がそれ?」

 

「第一声は重要だ」

 

男は淡々と言った。

 

「相手を不必要に怯えさせても、得るものは少ない」

 

「そういう問題じゃないわよ」

 

凛は男を見た。

 

太い眉。

口ひげ。

やけに圧のある目。

 

見覚えがある。

 

いや、どこかで見たという程度ではない。

はっきり知っている。

 

歴史の教科書。

資料集。

二十世紀史のページ。

重苦しい見出しの横に載っていた写真。

 

革命。

独裁。

粛清。

大戦。

 

そういう単語の周辺に、必ず出てくる顔。

 

凛の顔から、少しずつ血の気が引いていった。

 

「……ちょっと」

 

男は、穏やかな顔のまま立っている。

 

凛は指を突きつけた。

 

「スターリンじゃない!」

 

地下室に、凛の声が響いた。

 

男は怒らなかった。

驚きもしなかった。

むしろ、少し困ったように眉を動かした。

 

「そう呼ぶ者もいる」

 

「いるじゃない! ほぼ全員そう呼ぶわよ!」

 

「本名で呼ぶ者は少ない。長いからな」

 

「そこを気にするの!?」

 

凛は頭を抱えた。

 

いや。

落ち着け。

遠坂凛。

 

召喚は成功している。

目の前にいるのはサーヴァントだ。

英霊である以上、何らかの格はある。

 

ただし。

 

ただし、である。

 

「待って。あなた、アーチャーなの?」

 

「そのようだ」

 

「そのようだって、他人事みたいに」

 

「召喚の形式は君たちの側の制度だ。私が決めたわけではない」

 

「弓は?」

 

「ない」

 

「じゃあ銃?」

 

「必要なら使う」

 

「必要ならって何よ!」

 

男は淡々としていた。

 

怒らない。

焦らない。

説明もしない。

 

だが、その沈黙は単なる無口ではなかった。

 

相手がどこまで言うかを待っている沈黙だった。

 

凛はそこで、わずかな違和感を覚えた。

 

この男は、会話を急がない。

相手が動くのを待つ。

相手が言葉を出すのを待つ。

そして、その言葉を覚える。

 

地下室にいるはずなのに、まるで机の向こうで報告を聞いているような態度だった。

 

凛は額に手を当てた。

 

「おかしいでしょ……。私、英雄を呼んだのよ。神話とか、伝説とか、せめて中世以前の王とか騎士とか、そういうのを想定してたのに」

 

「私は英雄ではないのか」

 

「自分で聞く?」

 

「確認だ。君が私をどう見ているかは、今後の方針に関わる」

 

「方針って何よ」

 

「守るべきものと、排除すべきものを分ける方針だ」

 

凛は一瞬、黙った。

 

言葉だけなら、マスターを守るサーヴァントとして当然のことを言っている。

 

だが、妙に冷たい。

 

守る。

排除する。

 

その二つの間に、迷いがない。

しかも男は、それを穏やかな声で言った。

 

まるで食卓で、パンを切り分けるみたいに。

 

凛は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「……あなた、近代の人間じゃない」

 

「そうだ」

 

「神秘は薄いはずよ。古い英霊に比べれば、普通ならステータスは低い」

 

「普通なら、か」

 

スターリンは小さく笑った。

 

その笑みは、凛を馬鹿にするものではなかった。

むしろ、出来のいい生徒が正しい前提を置いたことを認めるような笑みだった。

 

「よい着眼だ」

 

「褒めないで」

 

「では、続きを見なさい」

 

凛は眉をひそめた。

 

その時、左手に浮かぶ令呪が、熱を帯びた。

 

契約は成立している。

目の前の男は、確かにサーヴァントだ。

 

その霊基情報が、遅れて凛の頭に流れ込んできた。

 

クラス。アーチャー。

真名。ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン。

属性。秩序・悪。

地域。ソビエト連邦。

時代。二十世紀。

 

凛は目を細めた。

 

そこまでは理解できる。

嫌だが、理解はできる。

 

問題は、次だった。

 

筋力。E。

敏捷。E。

耐久。C。

魔力。A。

幸運。EX。

宝具。EX。

 

凛の顔色が変わった。

 

「……何、これ」

 

スターリンは、静かに凛を見ていた。

 

その目には、勝ち誇った色はなかった。

むしろ、どこか穏やかですらあった。

 

教師が出来のいい生徒の反応を待っているような目。

あるいは、父親が娘の理解を待っているような目。

 

凛は霊基情報を読み進める。

 

そこに記されていたのは、英雄譚ではなかった。

 

怪物退治でもない。

竜殺しでもない。

神の血筋でもない。

 

そこにあったのは、国家。

官僚制。

粛清。

飢餓。

戦争。

疑心。

冬。

 

そして、死者の数。

 

凛は喉を鳴らした。

 

「あなた……」

 

言葉が続かなかった。

 

古い英雄ではない。

神話の怪物でもない。

 

だが、人間を殺した数。

国家を動かした規模。

世界史に刻まれた恐怖。

知名度。

そして二十世紀という、あまりに近すぎる地獄。

 

それらが霊基に流れ込み、無理やり英霊としての格を押し上げている。

 

古代の英雄が一騎で千を討ったのなら。

この男は、書類一枚で万を消した。

 

凛は乾いた声で言った。

 

「……バグじゃないの、これ」

 

「合理的な評価だ」

 

「どこがよ!」

 

「人類史に与えた影響。支配した領土。動員した軍。死者の数。知名度。恐怖の濃度」

 

スターリンは、何でもないことのように言った。

 

「英霊の格が逸話によって決まるなら、私は弱くはない」

 

凛は黙った。

 

反論したかった。

 

しかし、魔術師としての理性が、それを妨げた。

 

たしかにそうだ。

 

英霊は、善人である必要はない。

美しい英雄である必要もない。

 

人類史に焼きついた存在。

畏怖された存在。

信仰に近いほど名を知られた存在。

 

その意味では、この男は確かに強い。

 

強すぎる。

 

方向性が最悪なだけで。

 

凛はもう一度、霊基情報を見た。

 

宝具欄。

 

そこに並ぶ文字を見て、こめかみが引きつった。

 

「……全部、EXじゃない」

 

EX。

 

最強という意味ではない。

通常の尺度では測れないもの。

規格外。

分類不能。

評価不能。

 

つまり、魔術師が一番嫌がるタイプの例外処理。

 

凛は小さく息を吐いた。

 

「筋力も敏捷も低いのに、宝具だけ全部おかしいって、どういう構成なのよ」

 

「私は剣を振る英雄ではない」

 

「でしょうね」

 

「だが、剣を振る者たちを動かしてきた」

 

その言葉で、凛は黙った。

 

それは虚勢ではなかった。

 

この男は一人で戦場に立つ英雄ではない。

戦場そのものを動かす側の人間だった。

 

兵士。

鉄道。

工場。

都市。

冬。

密告。

命令。

恐怖。

 

それらすべてを、戦闘力として扱う霊基。

 

サーヴァントというより、二十世紀国家暴力の擬人化。

 

凛は、嫌そうに顔をしかめた。

 

スターリンは、その表情を見て、少しだけ柔らかく笑った。

 

「君は正直だな」

 

「は?」

 

「嫌悪を隠さない。よいことだ。感情を隠しすぎる者は、判断を誤る」

 

「褒めてるの、それ?」

 

「半分は」

 

「残り半分は?」

 

「警告だ」

 

凛は口を閉じた。

 

スターリンの声は、相変わらず穏やかだった。

穏やかすぎた。

 

怒鳴られる方がまだ分かりやすい。

威圧される方がまだ対応しやすい。

 

だが、この男は違う。

 

親しげに話す。

気遣うように言う。

相手の感情を否定しない。

 

そのうえで、当然のように最悪の結論を置いてくる。

 

「君は聡明だ」

 

スターリンは言った。

 

「だから危うい」

 

凛の眉が動いた。

 

「どういう意味よ」

 

「聡明な者は、自分の判断を信じる。自分の倫理を信じる。自分なら一線を越えずに勝てると考える」

 

「それの何が悪いの」

 

「敵も同じ一線を見ているとは限らない」

 

静かな声だった。

 

凛は反論しようとして、言葉が詰まった。

 

スターリンは続けた。

 

「戦いでは、敵だけを見てはならない。敵の友人を見る。家族を見る。思想を見る。資金を見る。逃げ道を見る。行きつけの店を見る」

 

「ちょっと」

 

「人は一人で戦わない」

 

スターリンは、ごく当たり前のことのように言った。

 

「だから、一人だけを倒しても戦いは終わらない」

 

凛はその瞬間、はっきり理解した。

 

この男は、脅しているのではない。

 

思想としてそうなのだ。

 

敵を倒す、という言葉の範囲が違う。

 

凛にとっての敵は、目の前に立つマスターやサーヴァントだった。

 

だが、この男にとっての敵は違う。

 

その周囲。

その関係。

その言葉。

その沈黙。

その生活圏。

その存在を支えるものすべて。

 

スターリンは、それを穏やかに見ていた。

 

まるで、庭に伸びすぎた枝を剪定するように。

 

「……あなた、やっぱり最悪だわ」

 

凛は低く言った。

 

スターリンは怒らなかった。

むしろ、少し寂しそうにすら見えた。

 

「最悪を知る者は、最悪を避けることができる」

 

「避けるんじゃなくて、あなたが持ってくる側でしょ」

 

「必要な時だけだ」

 

「その必要の判断を、私はあなたに任せない」

 

凛ははっきりと言った。

 

スターリンは凛を見た。

 

一瞬。

本当に一瞬だけ、地下室の空気が重くなった。

 

それまで穏やかだった目の奥に、別のものが覗いた。

 

寒さではない。

怒りでもない。

もっと乾いたもの。

 

人の命を数として処理できる者の目。

紙の上の名前を、現実から消すことに慣れた者の目。

 

凛は、思わず息を止めた。

 

次の瞬間、スターリンはまた穏やかな顔に戻っていた。

 

「よろしい」

 

「……何がよ」

 

「君がマスターだ。方針は聞く」

 

「意外と素直ね」

 

「命令系統は明確な方がよい」

 

凛は一瞬だけ安心しかけた。

 

だが、スターリンは静かに続けた。

 

「ただし、命令系統が正しく機能するためには、情報が必要だ」

 

「情報?」

 

「敵の名。住所。交友関係。家族構成。協力者。財産。弱点」

 

「やめなさい」

 

「まだ何もしていない」

 

「今、やる気満々だったでしょうが!」

 

スターリンは困ったように笑った。

 

「君は想像力が豊かだ」

 

「あなたが豊かにさせてるのよ!」

 

凛の声が地下室に響いた。

 

そのやり取りだけなら、まだ軽口に近かった。

 

だが、凛は笑えなかった。

 

自分が呼び出したのは、ただの暴君ではない。

怒鳴る怪物ではない。

血に酔った殺人者でもない。

 

もっと厄介なものだ。

 

温和に笑う。

相手を気遣う。

言葉を待つ。

理解を示す。

 

そのうえで、必要なら世界を丸ごと書類に変える。

そして、書類に変えたものを、何のためらいもなく処理する。

 

凛は、ゆっくり息を吐いた。

 

「……宝具を確認するわ」

 

スターリンは静かに頷いた。

 

「三つある」

 

凛は顔をしかめた。

 

「でしょうね。もう驚かないわよ」

 

スターリンは少しだけ笑った。

 

その笑みは、やはり温和だった。

温和だからこそ、凛にはひどく不気味だった。

 

「では、始めよう」

 

地下室の灯りが揺れた。

 

赤い魔法陣の上で、書記長は穏やかに告げた。

 

「第一宝具――」




お蔵入りしていた小説を引っ張ってきました

3話で終わります

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