遠坂凛は書記長を召喚してしまった   作:rune

2 / 2
宝具

 

 

 

 

「第一宝具――」

 

スターリンがそう言った瞬間、地下室の空気が変わった。

 

温度ではない。

明るさでもない。

 

意味が変わった。

 

床に、紙片のような影が広がった。

 

一枚。

二枚。

三枚。

 

報告書。

密告書。

尋問調書。

人事異動命令。

処刑命令。

 

紙は風もないのに舞い上がり、魔法陣の赤い光を受けて、血の色に見えた。

 

凛は思わず一歩下がった。

 

そこに魔力の奔流はない。

炎もない。

雷もない。

 

だが、嫌な圧があった。

 

剣を向けられた時の恐怖ではない。

名前を書かれた時の恐怖。

自分の知らないところで、自分の人生が別の言葉に置き換えられていく恐怖。

 

スターリンは、相変わらず穏やかな声で言った。

 

「赤き書記局/グレート・パージ」

 

その声は静かだった。

まるで、会議の議題を読み上げるように。

 

「対象の発言、沈黙、交友関係、行動、過去、習慣。それらをすべて疑義あるものとして再構成する」

 

「……再構成?」

 

「そうだ」

 

スターリンは小さく頷いた。

 

「人は、自分の行動に意味を与えているつもりでいる。しかし意味は、後から書き換えられる」

 

凛は黙った。

 

紙片が床の上を滑る。

その一枚に、知らない名前が書かれているのが見えた。

次の瞬間、その名前は黒く塗り潰された。

 

「たとえば、敵が夜に外出したとする」

 

スターリンは、やさしく説明するように言った。

 

「本人にとっては散歩かもしれない。買い物かもしれない。誰かに会いに行っただけかもしれない」

 

「でしょうね」

 

「だが、記録上は違う」

 

紙片が一枚、凛の足元に落ちた。

そこには、文字が浮かんでいた。

 

不審な夜間行動。

 

「待ちなさい」

 

「敵が友人と会話した」

 

別の紙片。

 

秘密連絡。

 

「沈黙した」

 

黙秘。

 

「否定した」

 

反抗的態度。

 

「肯定した」

 

自白。

 

「何もしていない」

 

潜伏。

 

凛は、ぞっとした。

 

「……それ、無敵じゃない」

 

「無敵ではない」

 

スターリンは首を振った。

その表情は、あくまで穏やかだった。

 

「ただ、無実でいる方法を奪う」

 

凛の背筋に冷たいものが走った。

 

その言い方が、あまりにも自然だった。

 

この男は、それを残酷なことだと思っていない。

 

いや。違う。

 

残酷だと知っている。

知ったうえで、使うものとして分類している。

 

「攻撃宝具っていうより、人格破壊じゃないの」

 

「戦闘の一形態だ」

 

「違うわよ」

 

「違わない」

 

スターリンは、凛を見た。

怒ってはいなかった。

むしろ、少し諭すような目だった。

 

「君は敵を倒すという言葉を、狭く考えている」

 

「狭くて結構よ」

 

「敵の肉体だけを倒しても、敵の意思が残れば戦いは続く。敵の意思だけを折っても、組織が残れば戦いは続く。敵の組織だけを壊しても、記憶が残れば復讐が生まれる」

 

「だから全部消すって?」

 

「必要なら」

 

その言葉は、重くなかった。

重くないからこそ、凛は息を呑んだ。

 

スターリンは、まるで暖炉の火加減を調整するように言った。

 

「敵が立つ場所を奪う。敵を信じる者を奪う。敵が自分を信じる根拠を奪う。そうすれば、剣を交える前に勝負は決まる」

 

凛は拳を握った。

 

「私はそんな勝ち方、認めない」

 

「今はそれでよい」

 

「今は?」

 

スターリンは少しだけ笑った。

柔らかい笑みだった。

 

「若い者は、まず拒むものだ」

 

凛はその笑みを見て、ぞっとした。

 

馬鹿にされたわけではない。

怒らせたわけでもない。

 

むしろ、受け入れられている。

 

拒絶する凛ごと、理解され、分類され、いずれ変わるものとして扱われている。

 

それが不快だった。

 

「勝手に人生経験豊富な父親みたいな顔しないでくれる?」

 

「父親ではない」

 

「でしょうね」

 

「だが、若い者が危険を軽く見るのはよく知っている」

 

「……最悪」

 

スターリンは何も言わなかった。

 

床の紙片が、すっと消えた。

地下室の空気が戻る。

 

しかし凛の中には、紙の擦れる音だけが残っていた。

 

「第二宝具」

 

スターリンが続けた。

 

今度は、地下室の壁に霜が走った。

燭台の炎が細くなる。

赤い魔法陣の光が、白く濁った。

凛の吐息が、薄い霧になった。

 

「冬将軍/ジェネラル・ウィンター」

 

寒い。

 

ただ寒いのではない。

身体の熱だけでなく、判断まで奪われるような寒さだった。

 

凛は肩を震わせた。

 

「……天候操作?」

 

「そう呼んでもよい」

 

スターリンは、少し考えるように言った。

 

「だが、正確ではない」

 

「じゃあ何よ」

 

「侵攻者に対する環境の敵対化だ」

 

「分かりにくい」

 

「分かりやすく言おう」

 

スターリンは優しく言った。

 

「踏み込んだ者の足を止める。進む者の糧食を腐らせる。退く者の道を白く消す。眠る者を凍えさせ、起きている者から判断を奪う」

 

地下室の奥に、雪原が見えた。

 

幻だ。

だが、あまりにも鮮明だった。

 

白い大地。

壊れた車両。

火の消えた野営地。

誰かの手袋。

倒れた馬。

凍った銃。

 

雪の上に残った足跡が、風で消えていく。

 

凛は唇を噛んだ。

 

「相手を凍らせる宝具じゃないのね」

 

「凍るのは結果だ」

 

「嫌な訂正ね」

 

「敵が自分の意思で進軍したなら、その末路もまた敵の選択だ」

 

「責任を相手に押しつけるな」

 

スターリンは凛を見た。

少しだけ、目を細めた。

 

「敵の責任をこちらが背負う必要はない」

 

「でも、あなたはその環境を作ってる」

 

「戦場とは、そういうものだ」

 

「違う」

 

「違わない」

 

スターリンは静かに言った。

 

「君も魔術師なら、工房を作るだろう」

 

凛は言葉に詰まった。

 

「結界を張り、罠を置き、侵入者に不利な条件を整える。敵がそこに踏み込んだなら、責任はどちらにある?」

 

「それとこれとは規模が違うでしょ」

 

「規模は違う。原理は同じだ」

 

凛は反論できなかった。

できなかったことが、腹立たしかった。

 

スターリンは、そこを責めなかった。

勝ち誇らなかった。

ただ、穏やかに凛の理解を待っていた。

 

それがまた、気味悪かった。

 

「冬は公平だ」

 

スターリンは言った。

 

「敵にも味方にも寒い」

 

「じゃあ味方も苦しむじゃない」

 

「当然だ」

 

「当然って……」

 

「戦争で苦しまない者はいない」

 

その声には、哀れみのようなものがあった。

本物かどうか、凛には分からなかった。

 

けれど、その哀れみは人を救うためのものではない。

苦しみを前提として、なお計算に入れる者の哀れみだった。

 

凛は小さく呟いた。

 

「あなた、本当に最悪ね」

 

「何度も言うな」

 

「何度でも言うわよ」

 

スターリンは、少しだけ口元を緩めた。

 

「元気があるのはよいことだ」

 

「褒めないで」

 

「では、記録しておこう」

 

「やめなさい」

 

霜が消えた。

地下室の温度が戻る。

 

だが凛の指先には、まだ冷たさが残っていた。

 

「第三宝具」

 

スターリンの声が、少しだけ低くなった。

 

今度は、紙も霜も現れなかった。

 

その代わり、地下室の奥が広がった。

 

ありえないことだった。

 

遠坂邸の地下室は、広いとはいえ限界がある。

壁がある。

天井がある。

床がある。

 

だが、今、凛の視界の奥で、その境界が揺らいだ。

 

赤い魔法陣の向こうに、別の世界が開き始めている。

 

遠くから音が聞こえた。

 

地鳴り。

砲声。

戦車の履帯。

軍靴。

号令。

悲鳴。

歌声。

 

それらが混ざり、巨大な波のように地下室へ押し寄せてくる。

 

凛は反射的に身構えた。

 

魔法陣の奥に、戦場が見えた。

 

焼けた街。

崩れた建物。

赤い旗。

雪と泥。

倒れた兵士。

それでも前へ進む兵士。

 

倒れても、倒れても、後ろからまた来る。

 

人間が一人ずつではなく、数として押し寄せてくる。

 

個人の武勇ではない。

英雄の一撃ではない。

 

国家そのものが、巨大な獣になって敵へ噛みついている。

 

スターリンは告げた。

 

「大祖国戦争/グレート・パトリオティック・ウォー」

 

地下室の空気が重くなった。

息をするだけで、鉄と血の匂いが肺に入ってくる気がした。

 

凛は目を見開いた。

 

「これ……」

 

魔術師としての直感が告げている。

 

これは単なる攻撃宝具ではない。

強化でもない。

軍勢召喚でもない。

 

もっと根本的に、世界の側が変わりかけている。

 

「固有結界……?」

 

凛の声が低くなった。

 

スターリンは静かに頷いた。

 

「その一種だ」

 

「一種って、軽く言わないでよ」

 

凛は思わず声を荒げた。

 

固有結界。

 

術者の心象風景を、現実世界に侵食させる大魔術。

魔術師であれば、その異常さは嫌というほど分かる。

 

ただの結界ではない。

世界に対する上書き。

個人の内面を、外界へ押し出すもの。

 

だが、目の前に開きかけているものは、凛の知る固有結界とは少し違っていた。

 

個人の内面というには、あまりにも広すぎる。

一人の男の心象風景としては、あまりにも多すぎる。

 

そこには、スターリンだけがいるのではない。

 

兵士がいる。

市民がいる。

工場がある。

鉄道がある。

凍った道がある。

焼けた都市がある。

死者がいる。

死者の名前がある。

奪われた土地がある。

怒りがある。

恐怖がある。

命令がある。

 

そして、それらすべてをまとめて前へ進ませる、巨大な戦争の論理がある。

 

スターリンは静かに言った。

 

「通常の固有結界が、術者個人の心象風景を展開するものなら、これは例外だ」

 

「例外?」

 

「展開されるのは、私一人の内面ではない」

 

戦場の幻の中で、砲火が光った。

赤い旗が揺れる。

 

スターリンは続けた。

 

「国家だ」

 

凛は言葉を失った。

 

「国家。冬。工場。鉄道。砲兵。兵士。市民。死者。焼けた都市。奪われた土地。反撃の正当性。そして、勝利のためなら犠牲を計算に入れる総力戦の論理」

 

スターリンの声は穏やかだった。

 

「それらすべてが、私という霊基を媒介にして戦場へ展開される」

 

「そんなの、個人の宝具じゃないでしょ」

 

「だからEXなのだろう」

 

「開き直らないで」

 

凛は奥歯を噛んだ。

 

彼女は理解していた。

 

これは強い。

あまりにも強い。

 

敵が一人だろうと関係ない。

戦場そのものが、敵を侵攻者として扱う。

敵の攻撃は、スターリン個人への攻撃ではなくなる。

それは祖国への侵攻として再定義される。

 

味方の損害は、単なる被害ではなくなる。

反攻の理由になる。

 

守るべき土地。

拠点。

協力者。

結界。

街。

人間関係。

 

それらすべてが、固有結界の中に取り込まれ、戦争資源として組み替えられていく。

 

「劣勢時に発動する総力戦宝具」

 

スターリンは説明を続けた。

 

「自陣営が受けた損害を、反撃の正当性と攻撃力に変換する」

 

「損害を、攻撃力に……?」

 

「そうだ」

 

スターリンは穏やかに答えた。

 

「奪われた土地は、取り返す理由になる。殺された者は、進軍する理由になる。焼かれた街は、敵を焼き返す理由になる」

 

凛の顔が強張った。

 

「それ、復讐じゃない」

 

「違う」

 

スターリンは静かに言った。

 

「国家だ」

 

その一言に、凛は返せなかった。

 

復讐なら、感情として否定できる。

憎しみなら、抑えるべきものとして扱える。

 

だが、国家。

共同体。

守るべき土地。

死んだ者の名。

生き残った者の恐怖。

次に攻め込まれないための反撃。

 

そういう言葉で語られた瞬間、単純な悪として切り捨てることが難しくなる。

 

だからこそ、凛は嫌悪した。

 

「ただし、この宝具には代償がある」

 

スターリンが言った。

 

凛は目を細めた。

 

「何?」

 

「発動すれば、君の戦争は君だけのものではなくなる」

 

「どういう意味よ」

 

「君が守ろうとしたものが、君のために戦い始める」

 

「……は?」

 

「屋敷。土地。結界。協力者。街。傷つけられた者。怯えた者。失われたもの。それらすべてが、反攻の理由になる」

 

凛は、そこで理解した。

 

この宝具は、味方を強くするのではない。

味方という範囲を広げる。

守るべきものを、戦争に組み込む。

無関係だったものが、無関係ではいられなくなる。

 

凛は低い声で言った。

 

「つまり、無関係な人間まで巻き込むってこと?」

 

スターリンは少しだけ目を伏せた。

その仕草だけは、悼むようにも見えた。

 

「侵攻された土地に、完全な無関係者はいない」

 

「ふざけないで」

 

凛の声が鋭くなった。

 

「私はそれを認めない」

 

「ならば使わなければよい」

 

スターリンは穏やかに言った。

 

「だが、覚えておきなさい」

 

「何を」

 

「敵が君の大切なものを傷つけた時、その傷は必ず理由になる」

 

凛は黙った。

 

スターリンの声は優しかった。

優しいからこそ、恐ろしかった。

 

「人は、守るために戦う。だが、傷つけられた後は、守るだけでは足りなくなる」

 

「……黙って」

 

「その時、君は私に命じるかもしれない」

 

スターリンは静かに微笑んだ。

 

「やりなさい、アーチャー、と」

 

凛は拳を握った。

 

「言わない」

 

「そう願おう」

 

スターリンは、本当にそう願っているような顔で言った。

 

だからこそ、凛はぞっとした。

 

この男は、凛を堕とそうとしているのではない。

 

待っている。

 

凛が自分の意思で、そこに辿り着くのを。

 

それが何より不気味だった。

 

地下室の奥に見えていた戦場が、ゆっくり薄れていく。

 

砲声が遠ざかる。

赤い旗が消える。

雪と泥と血の匂いが消えていく。

 

そして、遠坂邸の地下室が戻ってきた。

 

凛はしばらく黙っていた。

 

三つの宝具。

 

赤き書記局/グレート・パージ。

冬将軍/ジェネラル・ウィンター。

大祖国戦争/グレート・パトリオティック・ウォー。

 

全部がEX。

全部が規格外。

そして全部が、凛の倫理と相性が悪い。

 

いや、違う。

 

相性が悪いのではない。

相性が良すぎるのだ。

 

凛が勝つために必要なものを、この男はすべて持っている。

 

ただし、凛が守りたい勝ち方を壊す形で。

 

凛は深く息を吐いた。

 

「確認するわ」

 

「どうぞ」

 

「赤き書記局は、敵を社会的に殺す宝具」

 

「概ね正しい」

 

「冬将軍は、戦場そのものを敵対環境に変える宝具」

 

「正しい」

 

「大祖国戦争は、固有結界の一種。戦場を祖国防衛戦争として再定義して、受けた損害を反攻の攻撃力に変える宝具」

 

「正しい」

 

「全部EX」

 

「分類上は」

 

「分類上は、じゃないわよ」

 

凛は頭を抱えた。

 

「筋力E、敏捷E、宝具全部EXって何なの。ステータス画面が壊れてるじゃない」

 

「私は走らない」

 

「でしょうね」

 

「殴らない」

 

「でしょうね」

 

「だが、人を動かす」

 

スターリンは静かに言った。

 

「走る者を走らせ、殴る者に殴らせ、撃つ者に撃たせ、書く者に書かせる。それができるなら、私自身が剣を振る必要はない」

 

凛は、嫌そうに顔を歪めた。

 

「あなた、本当にアーチャー?」

 

「弓兵とは、遠くの敵を殺す者だ」

 

スターリンは凛を見た。

 

「私は、遠くの敵を殺してきた」

 

凛は返す言葉を失った。

 

弓を持たないアーチャー。

矢を放たない弓兵。

戦場に出る前に、敵の名前と住所と家族構成を調べるサーヴァント。

 

冗談みたいだった。

だが、笑えなかった。

 

強い。

間違いなく強い。

そして、勝ち方が最悪だった。

 

凛は腕を組んだ。

 

「いい? アーチャー」

 

「何だ」

 

「私は聖杯戦争に勝つつもりよ」

 

「当然だ」

 

「でも、無関係な人間は巻き込まない。必要以上の犠牲も出さない。敵だからって、家族や友人まで狙うことは許さない」

 

スターリンは黙って聞いていた。

その態度だけ見れば、実に従順なサーヴァントだった。

 

凛は続けた。

 

「勝つために街ひとつ粛清するとか、学校を疑心暗鬼にするとか、敵の生活圏を丸ごと潰すとか、そういうことを言い出したら令呪で止める」

 

スターリンは、少しだけ目を細めた。

 

「甘いな」

 

「ええ、甘いわよ」

 

凛は睨み返した。

 

「でも私は、そういう甘さを切り捨てるために魔術師をやってるわけじゃない」

 

地下室に沈黙が落ちた。

 

スターリンは凛を見ていた。

 

その目は、敵を見る目ではなかった。

部下を見る目でもない。

 

少し違う。

 

理解しようとしている目だった。

あるいは、理解したうえで、まだ口に出さない目だった。

 

「遠坂凛」

 

初めて、スターリンは凛の名を呼んだ。

 

凛は少しだけ身構えた。

 

「何よ」

 

「君は、自分の倫理を持っている」

 

「当たり前でしょ」

 

「よいことだ」

 

スターリンは穏やかに言った。

 

「倫理を持たない者は、命令にも耐えられない」

 

凛は眉を寄せた。

 

「褒めてるの?」

 

「半分は」

 

「残り半分は警告?」

 

「覚えがよい」

 

「嬉しくない」

 

スターリンは、ほんの少し笑った。

それは、本当に人のよさそうな笑みだった。

 

だからこそ、凛は警戒を解けなかった。

 

「倫理は、平時には美徳だ」

 

「戦時には違うって?」

 

「戦時にも美徳だ」

 

意外な答えだった。

凛は少しだけ目を見開いた。

 

スターリンは続けた。

 

「だが、美徳は盾にはならない。敵の刃は、美徳を避けてくれない」

 

「だから捨てろって言うの?」

 

「いいや」

 

スターリンは首を振った。

 

「持っていなさい。君がそれを持つことを、私は止めない」

 

「……ずいぶん物分かりがいいのね」

 

「若い者から最初に奪うべきものではない」

 

凛の背筋に、また寒気が走った。

 

最初に。

 

その言葉が、あまりにも不穏だった。

 

「あなた、今すごく嫌なこと言ったわよ」

 

「そうかね」

 

「そうよ」

 

「では訂正しよう」

 

スターリンは穏やかに言った。

 

「最後まで持っていられるなら、それは本物だ」

 

凛は黙った。

 

その言葉は、凛を認めているようでいて、同時に試していた。

 

お前は最後まで耐えられるのか。

お前の倫理は、勝ち筋が消えても残るのか。

友人が危険に晒されても、街が燃えても、敵が先に手を汚しても、なお守れるのか。

 

そう問われた気がした。

 

凛は唇を結んだ。

 

「守るわよ」

 

「ならば、私は見る」

 

「見なくていい」

 

「見るのもサーヴァントの務めだ」

 

「絶対違う」

 

その時だった。

 

地下室の上で、かすかな物音がした。

 

凛の表情が変わった。

 

さっきまでの会話の熱が、一瞬で消える。

魔術師の顔になる。

 

「……来た」

 

スターリンも顔を上げた。

 

「敵か」

 

「おそらくね」

 

凛は階上の気配を探った。

 

遠坂邸の結界に、何かが触れている。

 

荒っぽい。

だが、雑ではない。

こちらの様子を探るような侵入。

 

聖杯戦争は、すでに始まっている。

 

凛は小さく舌打ちした。

 

「召喚直後だっていうのに、面倒ね」

 

「敵の名は」

 

「まだ分からないわ」

 

「所属は」

 

「分からない」

 

「目的は」

 

「分からないって言ってるでしょ」

 

スターリンは少し考えた。

 

「では、まず調べる」

 

「待って。普通は迎撃するところでしょ?」

 

「名前を知らぬ敵は殺せない」

 

凛は一瞬、感心しかけた。

 

確かに、情報は重要だ。

敵を知らずに突っ込むのは愚かだ。

 

だが、スターリンは続けた。

 

「名前が分かれば、家族も分かる」

 

「やめなさい!」

 

凛の声が地下室に響いた。

 

スターリンは、困ったように凛を見た。

 

「まだ何もしていない」

 

「今、発想がもうアウトだったわよ!」

 

「敵の背景を調べるのは基本だ」

 

「背景と家族を同列にするな!」

 

「家族は背景の一部だ」

 

「言い方!」

 

凛は頭を抱えた。

 

だが、階上の気配は待ってくれない。

 

結界が揺れる。

侵入者は、こちらの出方を探っている。

 

凛は顔を上げた。

 

「いい? アーチャー」

 

「聞こう」

 

「今から迎撃する。ただし、遠坂邸の外に被害を出さない。無関係な人間を巻き込まない。相手の正体を確認するまでは、必要以上に追い詰めない」

 

「了解した」

 

「本当に?」

 

「命令は明確だ」

 

凛はスターリンを睨んだ。

 

「命令の隙間を勝手に解釈しない」

 

スターリンは少しだけ笑った。

 

「君はよい司令官になる」

 

「嬉しくない」

 

「褒めている」

 

「残り半分は?」

 

「期待だ」

 

凛は一瞬、嫌そうな顔をした。

それでも、すぐに表情を引き締める。

 

「行くわよ、アーチャー」

 

「よろしい」

 

スターリンは頷いた。

 

その仕草は、あまりにも落ち着いていた。

 

まるで初戦ではない。

まるで奇襲でもない。

まるで、予定されていた会議に向かうようだった。

 

凛は階段へ向かう。

 

その背後で、スターリンが静かに言った。

 

「凛」

 

足が止まった。

 

「何よ」

 

「敵が君の甘さを利用するなら」

 

スターリンは穏やかに言った。

 

「その時は、私を使いなさい」

 

凛は振り返った。

 

スターリンは、温和な顔で立っていた。

 

優しい忠告のように。

父親めいた気遣いのように。

 

しかし、その言葉の奥にあるものは違った。

 

赤い書類。

凍った退路。

犠牲を燃料にして進む戦線。

 

凛は、その全部を理解したうえで言った。

 

「使わないで済ませるわ」

 

スターリンは微笑んだ。

 

「そう願おう」

 

その言葉に、凛は何も返さなかった。

 

召喚は成功した。

聖杯戦争は始まった。

 

遠坂凛は、この瞬間、はっきり理解していた。

 

自分が呼び出したサーヴァントは、強い。

あまりにも強い。

 

そして何より恐ろしいのは、彼が凛を裏切る気など少しもないことだった。

 

彼は凛を守るだろう。

命令にも従うだろう。

方針も聞くだろう。

 

そのうえで、凛がいつか自分から命じる日を、穏やかに待つ。

 

「やりなさい、アーチャー」

 

その一言を。

 

凛は階段を上がりながら、奥歯を噛みしめた。

 

そんな日は来ない。

来させない。

 

たとえ、このサーヴァントがどれほど強くても。

たとえ、この戦争がどれほど汚くても。

 

自分は遠坂凛だ。

 

勝つ。

 

けれど、勝ち方までは渡さない。

 

背後で、軍靴の音が静かに続いた。

 

温和な書記長は、赤い魔法陣を背にして、ゆっくりと戦場へ歩き出した。

 

その足音は軽かった。

 

だが凛には、まるで巨大な国家が地下室から立ち上がったように聞こえた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話(作者:飴玉鉛)(原作:Fate/)

タイトルが全て。転生プーサーがモルガンと協力してブリテンを救ったよ!▼本編完結▼気ままに番外zero編を進めてみてます。▼zero編完結しました。▼ステイナイトzero編進行中。


総合評価:41427/評価:8.88/完結:53話/更新日時:2022年08月12日(金) 19:31 小説情報

アーサー王(史実)がしたこと(作者:妄想壁の崩壊)(原作:Fate/)

▼アイデアが浮かんだので供給します。▼型月アーサー王伝説とブリタニア列王史、史実歴史なんかを足して割ったような世界線です。プーサーではありません。▼さて質問。我々の生きる世界に神秘は全く存在しない。それはなぜか?▼※本編は完結しました。▼


総合評価:13279/評価:8.89/連載:56話/更新日時:2026年05月22日(金) 18:30 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>