美しき敗者たちの特別試験   作:EXTERMINATION

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第11話 椎名ひよりの静寂

椎名ひよりの名前が退学圏内へ浮上した時、

龍園クラスの空気は一之瀬クラスや堀北クラスとは違う形で荒れた。

 

一之瀬帆波の危険度が高いことは、まだ理解できる者がいた。

 

善意が大きすぎる。

 

人を集めすぎる。

 

クラスを越えて感情の中心になる。

 

それが学校の言う感情集束型として扱われるなら、理屈としては分からなくもない。

 

軽井沢恵の危険度が上がることも、残酷ではあるが説明はつく。

 

依存。

保護。

特定男子生徒との関係。

 

そうしたものが、この試験の評価基準に引っかかったのだとすれば、理解はできる。

 

白石飛鳥や長谷部波瑠加も同じだった。

 

目立つ魅力。

局地的な人気。

閉じた人間関係。

 

男子の好意や保護欲を誘発する要素があると、学校が判断したのだろう。

 

だが、椎名ひよりだけは違った。

 

少なくとも、龍園クラスの生徒たちにはそう見えた。

 

ひよりは騒がない。

男子を煽らない。

誰かを誘惑しない。

 

目立つことを好まず、派手な交友関係もなく、

図書館や静かな場所で本を読んでいることが多い。

 

それなのに、彼女は退学圏内へ浮上した。

 

【椎名ひより】

【危険分類:静的理想化型】

【低刺激性の対話姿勢により、男子生徒の心理的安定対象として機能】

【寡黙・読書傾向・穏和な反応が、長期的理想化を誘発】

【対象者への守りたい・汚したくない感情の増加を確認】

 

電子黒板にその文字が表示された瞬間、石崎が机を叩いた。

 

「ふざけんなよ!」

 

その怒声は、龍園クラスの教室全体へ響いた。

普段なら、その程度の騒ぎは龍園が一言で抑える。

 

だがこの時、龍園は何も言わなかった。

ただ席に座ったまま、電子黒板へ映し出されたひよりの名前を見上げていた。

 

その表情は笑っているようにも見えた。

 

だが、目は笑っていなかった。

 

「椎名が何したってんだよ!」

 

石崎はなおも叫ぶ。

 

「本読んでるだけだろ!誰かに迷惑かけたわけじゃねえだろ!」

 

アルベルトも黙って画面を見つめていた。

 

普段は無口な彼ですら、その表情には明確な不快感があった。

 

龍園クラスは荒れている。

だが、荒れ方がいつもとは違う。

龍園の命令で動く時の荒さではない。

 

暴力や脅しで相手を屈服させようとする時の空気でもない。

 

もっと素朴で、もっと怒りに近いものだった。

 

自分たちのクラスにいる静かな少女が、

学校によって勝手に危険と名づけられたことへの怒り。

 

それは、このクラスにしては珍しい種類の感情だった。

 

その中心で、椎名ひよりだけが静かだった。

 

彼女は席に座り、端末に表示された自分の分析資料を見つめていた。

 

膝の上には読みかけの本がある。

 

だが、ページは開かれたまま、もうしばらく動いていない。

 

「椎名」

 

龍園がようやく口を開いた。

 

ひよりはゆっくり顔を上げる。

 

「はい」

「お前、何か心当たりはあるか」

 

乱暴な問い方だった。

だが、そこには普段のような嘲りは少なかった。

 

ひよりは少しだけ考えるように目を伏せ、それから静かに首を横へ振った。

 

「ありません」

 

その声はいつも通り穏やかだった。

 

「私は、特別なことは何もしていないつもりです」

「だろうな」

 

龍園は鼻で笑った。

 

「だから厄介なんだろ」

 

石崎が振り向く。

 

「龍園さん、それどういう意味ですか」

「分かんねぇのか」

 

龍園は椅子へ深く座り直す。

 

「派手な女なら、派手だから危険って言える。

男に媚びる女なら、媚びてるから危険って言える。

人気者なら、人気があるから危険って言える」

 

彼は電子黒板を顎で示した。

 

「だが椎名みてぇな女は、何もしてねぇのに勝手に理想を押しつけられる」

 

ひよりは黙って龍園を見る。

龍園の言葉は乱暴だった。

だが、核心を突いていた。

 

「静かで、本読んでて、あんまり怒らねぇ。話しかけたらちゃんと聞く。

無駄に踏み込まねぇ。そういう女を、男は勝手に綺麗なもの扱いすんだよ」

 

教室が静まり返る。

石崎は何か言おうとして、言葉を失った。

それは、彼自身にも少し覚えがある感情だったからだ。

 

ひよりは誰にでも優しいわけではない。

 

一之瀬のように全員を包み込むタイプでもない。

 

だが、彼女の静けさには、近づいた者の心を落ち着かせる力がある。

 

騒がしい龍園クラスの中で、彼女だけが違う温度を持っている。

 

その温度に救われた者は、少なくなかった。

 

「……私は」

 

ひよりは静かに口を開いた。

 

「誰かの理想になりたかったわけではありません」

 

その言葉は大きくなかった。

 

しかし、教室の中へ深く落ちた。

 

「誰かを救おうとしたつもりもありませんし、

誰かに守ってほしいと思ったわけでもありません」

 

ひよりは端末へ視線を落とす。

 

「ただ、本を読んで、話しかけられたら話して、

できるだけ穏やかに過ごしたかっただけです」

 

石崎が拳を握りしめる。

 

「それの何が悪いんだよ……」

「悪くはありません」

 

ひよりは淡々と答えた。

 

「でも、この試験では危険なのだそうです」

 

その言い方はあまりにも静かだった。

 

静かすぎるからこそ、逆に痛々しかった。

 

怒ればいい。

泣けばいい。

理不尽だと叫べばいい。

 

だがひよりはそうしない。

 

その静かさが、また周囲の保護欲を刺激する。

 

そして学校は、それすら危険度として拾う。

 

「椎名」

 

龍園が言った。

 

「お前、泣きたいなら泣け」

 

石崎が驚いたように龍園を見る。

ひよりも少しだけ目を見開いた。

龍園は不機嫌そうに続ける。

 

「我慢してると、余計に周りが気にする。

お前がそうやって静かにしてるほど、あいつらは勝手に守ってやらなきゃって思う」

「龍園くんらしくない助言ですね」

 

ひよりが小さく言う。

 

「勘違いすんな」

 

龍園は舌打ちした。

 

「お前の危険度が上がるとクラスに不利なんだよ」

 

その言葉は冷たい。

だが、それだけではないことを、クラスの全員が何となく理解していた。

 

龍園翔は、椎名ひよりを軽視していない。

 

むしろ彼女がこのクラスに与えている影響を、誰よりも正確に理解している。

 

だからこそ、今の状況が不快なのだ。

 

「ありがとうございます」

 

ひよりは小さく頭を下げた。

 

「ですが、泣いたらきっと、それも評価されます」

 

龍園は答えなかった。

 

できなかったのかもしれない。

 

彼女の言う通りだった。

 

泣けば同情が集まる。

 

同情が集まれば守りたい感情が増える。

 

その結果、静的理想化型の指数はさらに上がる。

 

怒っても危険。

泣いても危険。

笑っても危険。

静かにしていても危険。

 

椎名ひよりは、何もしないことで退学へ近づいている。

 

それが、この試験の残酷さだった。

 

 

その日の昼休み、ひよりは図書館へ向かった。

 

いつもなら、図書館は彼女にとって最も落ち着ける場所だった。

 

紙の匂い。

静かな空調音。

ページをめくる音。

 

誰も大声で話さず、誰も余計な視線を向けず、

それぞれが自分の世界に入ることを許される空間。

 

だが今日の図書館は違った。

 

ひよりが入った瞬間、何人かの男子生徒が顔を上げた。

 

すぐに視線を逸らす。

 

だが、その一瞬が彼女を傷つける。

 

見られている。

心配されている。

評価されている。

 

それが分かってしまう。

 

ひよりは本棚の間へ入り、いつもの場所へ向かった。

 

しかし、そこにも先客がいた。

 

綾小路清隆。

 

ひよりは少しだけ驚いた顔をした。

 

「綾小路くん」

「ひより」

 

俺は手元の本を閉じた。

 

「ここに来ると思っていた」

「そうですか」

 

ひよりは小さく微笑む。

 

「分かりやすいですね、私は」

「分かりやすいというより、行動が安定している」

「それも危険因子でしょうか」

 

冗談のように言った言葉だったが、笑えなかった。

 

ひよりはオレの向かいの席に座る。

 

少し距離を取っている。

 

その距離の取り方にも、今の彼女の苦しさが出ていた。

 

誰かと近すぎれば危険。

 

遠すぎても孤立として見られる。

 

その中間を探すような座り方だった。

 

「綾小路くんは、私が危険だと思いますか?」

 

ひよりが尋ねる。

 

「この試験の基準では、危険だろうな」

「そうですか」

 

彼女は視線を落とす。

 

「やはり、そうなんですね」

「ひよりは、自分が危険視される理由を理解しているのか」

「少しは」

 

ひよりは本の表紙を指で撫でた。

 

「私は、一之瀬さんのように多くの人を励ますわけではありません。

軽井沢さんのように、誰かとの関係が注目されているわけでもありません。

白石さんのように、学年中の男子から分かりやすく人気があるわけでもありません」

 

彼女は静かに続ける。

 

「でも、私は静かであることで、勝手に理想化されているのだと思います」

 

オレは黙って聞いた。

 

「本を読んでいるだけで、落ち着いていると思われる。

怒らないだけで、優しいと思われる。踏み込まないだけで、理解があると思われる」

 

ひよりの声は穏やかだった。

 

だが、その言葉は深く重い。

 

「本当は、そんなに綺麗な人間ではありません」

 

彼女は小さく笑った。

 

「私にも嫌な感情はありますし、苦手な人もいますし、逃げたい時もあります」

「だろうな」

「ですが、周囲はそう見てくれない」

 

ひよりは窓の外を見る。

 

「この試験は、私が他人からどう見られているかを、数字として突きつけてきました」

 

それは一之瀬とも軽井沢とも違う苦しみだった。

 

一之瀬は善意を危険視された。

 

軽井沢は依存を数値化された。

 

ひよりは、他人が勝手に作った理想像によって危険視されている。

 

「綾小路くん」

「何だ」

「もし私が、もっと嫌な人間だったら、安全だったのでしょうか」

 

その問いは静かだった。

 

「もっと怒りっぽくて、もっと自分勝手で、

もっと人を傷つけるような言葉を使えば、誰かの理想にはならずに済んだのでしょうか」

 

オレはすぐには答えなかった。

 

「可能性はある」

 

正直に答えると、ひよりは少しだけ笑った。

 

「やはりそうですか」

「だが、それはひよりではない」

 

ひよりは顔を上げる。

 

「オレがそう言うのは意外か?」

「少しだけ」

 

彼女は柔らかく答えた。

 

「綾小路くんは、必要なら誰でも切る人だと思っていましたから」

「その認識は間違っていない」

「では、私も切りますか?」

 

静かな問い。

 

しかし、その奥にある恐怖を俺は感じ取った。

 

ひよりは退学が怖くないわけではない。

 

表に出していないだけだ。

 

「必要なら」

 

俺は答えた。

 

ひよりは目を伏せた。

 

「そうですか」

 

その声は、やはり穏やかだった。

 

「怒らないのか」

「怒っても、綾小路くんの答えは変わらないでしょう?」

「そうだな」

 

「なら、怒る意味がありません」

 

ひよりはそう言ってから、少しだけ寂しそうに笑った。

 

「でも、悲しいとは思います」

 

その一言の方が、怒鳴られるよりも重かった。

 

 

その日の放課後、龍園クラスではひよりを守るかどうかで空気が割れていた。

 

石崎は当然のように言った。

 

「椎名は守るべきだろ!」

 

だが、西野が顔をしかめる。

 

「でも、守ろうとしたら危険度が上がるんでしょ」

「だからって見捨てんのかよ!」

「見捨てるっていうか、クラスの損失を考えなよ」

 

その言葉に、教室が荒れる。

 

ひよりはその会話を聞いていた。

 

自分のために誰かが言い争っている。

 

その事実だけで、胸が苦しくなる。

 

「やめてください」

 

彼女が静かに言った。

 

普段なら、その声は騒ぎの中に埋もれていたかもしれない。

 

だが今は違った。

 

教室が一瞬で静まる。

 

「私のことで争わないでください」

 

石崎が振り返る。

 

「でもよ、椎名……」

「私を守ろうとしてくれる気持ちは嬉しいです」

 

ひよりは丁寧に言った。

 

「ですが、それで誰かが傷ついたり、クラスが割れたりするのなら、私はそれを望みません」

 

その言葉を聞いた瞬間、龍園が低く笑った。

 

「言うと思ったぜ」

 

ひよりは龍園を見る。

 

龍園は不機嫌そうに机へ足を乗せた。

 

「お前がそう言えば言うほど、周りはお前を守りたくなる」

 

ひよりは言葉を失う。

 

「お前は自分で自分の首を絞めてんだよ」

 

乱暴な言い方だった。

 

だが、正しい。

 

ひよりの遠慮。

ひよりの気遣い。

ひよりの静かな優しさ。

 

その全てが、周囲の保護欲を刺激する。

 

そして学校は、それを数値化する。

 

「……私は」

 

ひよりの声が少しだけ震えた。

 

「どうすればよかったのでしょうか」

 

誰も答えられなかった。

 

龍園でさえ、すぐには答えなかった。

 

その時、電子黒板が点灯した。

 

全員の視線が集まる。

 

【女子相互評価・第二回集計結果】

 

ランキングが更新される。

 

1位、一之瀬帆波。

2位、堀北鈴音。

3位、軽井沢恵。

4位、椎名ひより。

5位、坂柳有栖。

6位、長谷部波瑠加。

7位、白石飛鳥。

8位、櫛田桔梗。

 

ひよりの順位は四位のまま。

 

だが危険度は上昇していた。

 

理由欄に、新たな文言が追加されている。

 

【対象者を巡るクラス内保全議論の発生】

【対象者の自己抑制的発言により、保護欲誘発率が上昇】

【静的理想化傾向、継続強化】

 

石崎が絶句する。

 

「何だよ、それ……」

 

ひよりは画面を見つめていた。

 

そして、ゆっくり目を閉じる。

 

自分が争いを止めようとしたこと。

 

自分を守らなくていいと言ったこと。

 

それすら、危険度を上げる理由にされた。

 

「……そうですか」

 

彼女は小さく呟いた。

 

その声は、かすかに震えていた。

 

龍園が立ち上がる。

 

「クソみてぇな試験だな」

 

それは珍しく、混じり気のない本音に聞こえた。

 

ひよりは龍園を見た。

 

「龍園くん」

「何だ」

「私、少しだけ怖くなりました」

 

その言葉に、教室が静まる。

 

椎名ひよりが、初めてはっきりと恐怖を口にした。

 

「退学になることも怖いです」

 

彼女は続ける。

 

「でも、それ以上に……自分がただ静かにしているだけで、

誰かを苦しめているように扱われることが怖いです」

 

誰も動けなかった。

 

「私は、誰かの理想になりたかったわけではありません」

 

それは、二度目の言葉だった。

 

だが今度は、最初よりもずっと痛みを伴っていた。

 

「誰かに守ってほしいと思ったわけでもありません」

 

ひよりは電子黒板を見る。

 

「ただ、静かに本を読んでいたかっただけです」

 

その声は、教室の奥まで届いた。

 

龍園は黙っていた。

 

石崎も、アルベルトも、他の生徒たちも、何も言えなかった。

 

人を傷つけないようにしてきた少女が、人を傷つける存在として扱われている。

 

その矛盾の前で、どんな言葉も軽くなる。

 

 

夜。

 

オレの端末には、龍園から短いメッセージが届いた。

 

【椎名を落とす気か】

 

それだけだった。

 

オレは少しだけ画面を見つめ、返信する。

 

【必要なら】

 

すぐに返事が来た。

 

【殺すぞ】

 

その言葉は脅しだった。

 

だが、いつものような遊びではない。

 

龍園なりの怒りがそこにあった。

 

オレは端末を閉じる。

 

椎名ひよりは、退学圏内にいる。

 

それはもう一時的な変動ではない。

 

静けさ。

 

穏やかさ。

 

距離感。

 

彼女の在り方そのものが、学校によって危険因子へ変換された。

そして、その危険度は今後さらに上がる可能性が高い。

なぜなら、人は傷ついたひよりを見れば見るほど、彼女を守りたくなるからだ。

 

守ろうとすれば、彼女はさらに危険になる。

 

突き放せば、彼女は孤立する。

 

どちらも彼女を救わない。

 

この試験は、そういう構造になっている。

 

オレは最新ランキングを確認した。

 

一之瀬。

堀北。

軽井沢。

ひより。

坂柳。

 

退学圏に並び始めた名前は、もう偶然ではない。

 

それぞれ違う形で、人を動かす少女たち。

 

善意。

理想。

依存。

静けさ。

支配。

 

学校が本当に排除しようとしているのは、容姿や人気そのものではない。

 

人間の感情を動かす存在。

 

集団に意味を与えてしまう存在。

 

椎名ひよりは、その中で最も静かな危険因子だった。

 

だからこそ、残酷だった。

 

彼女は何もしていない。

 

ただ、彼女らしくいただけだ。

 

そしてこの学校では、それすら罪になる。




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