美しき敗者たちの特別試験   作:EXTERMINATION

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第4話 櫛田桔梗の仮面

男子匿名投票開始当日。

 

その朝の空気は、これまでとは明らかに違っていた。

 

昨日まではまだ、試験の説明期間だった。

 

だが今日からは違う。

 

今日から男子たちは実際に投票を行う。

 

誰を危険と判断するのか。

 

誰を残し、誰を落とす側へ回るのか。

 

その最初の一票が始まる。

 

たったそれだけのことなのに、学校全体の空気は不気味なほど張り詰めていた。

 

朝の廊下では、男子同士の会話が妙に小さい。

女子たちは視線を避けるように歩いている。

誰もが普段通りを装っている。

だが、装えば装うほど不自然だった。

 

教室へ入ると、すでに何人かの生徒が端末を開いていた。

 

画面には投票画面が表示されている。

 

【本日の風紀リスク投票を行ってください】

 

その無機質な文章が、妙に生々しかった。

 

まるで学校側が、

 

さあ、始めろ。

 

と命令しているようだった。

 

「……気持ち悪」

 

軽井沢が呟く。

彼女は朝から機嫌が悪かった。

いや、機嫌というより神経が擦り切れている。

 

当然だ。

 

この試験は女子側にとって、常に見られる側でいることを強制する。

 

しかもその視線は好意ではない。

 

評価だ。

比較だ。

選別だ。

 

「投票した?」

 

佐藤が不安そうに聞く。

 

「まだ」

 

軽井沢は短く答えた。

 

「っていうか、したくないし」

「でもしないと減点なんだよね……」

 

その会話を聞きながら、

オレは端末の画面を見ていた。

 

候補者一覧。

 

一之瀬。

櫛田。

長谷部。

白石。

堀北。

 

そしてその他の女子たち。

 

学校側は、最初から有力候補を提示することで、男子たちの思考を誘導している。

 

完全な自由投票ではない。

 

既に流れは作られている。

 

そして人間は、一度作られた空気に驚くほど弱い。

 

その証拠のように、教室の後方では、

池と山内と本堂が端末を覗き込みながら、

女子生徒の名前をまるで商品の一覧でも眺めるように軽々しく口にしていた。

 

「やっぱ一之瀬は強いよな。あのルックスは男子票集まるだろ」

 

池が悪びれもなく言うと、山内が鼻で笑った。

 

「でも逆にさ、ああいう完璧すぎるタイプって危ないよな。

優しいし可愛いし、男子が勘違いする要素しかねえじゃん」

「白石もだろ。おっとりしてて、話しかけたら誰にでも笑ってくれそうな感じあるし」

 

本堂が画面を指で弾きながら言った。

 

「長谷部はスタイル枠って感じだよな。

性格はちょっと面倒そうだけど、見た目だけなら候補に入るの分かるわ」

 

その言葉に、近くの女子がわずかに肩を震わせた。

 

だが三人は気づかない。

 

いや、気づいていても止めようとしなかった。

 

「堀北はないわー。綺麗だけど怖すぎ」

 

池が言う。

 

「分かる。あれは鑑賞用だろ。近づいたら斬られそう」

 

山内が笑う。

 

「桔梗ちゃんは逆に安全そうだけどな。ああいう子が一番男子受けいいんじゃね?」

 

本堂がそう言うと、山内はにやついた。

 

「だから危ないんだろ。男子に好かれすぎる女子を落とす試験なんだからさ」

 

まるで冗談のような口調だった。

 

池は端末を弄びながら、軽薄そうに笑う。

 

「でもルックスだけなら軽井沢とか松下とか佐藤も普通にレベル高いよな。

つーかうちのクラス、なんだかんだ可愛いの多くね?」

「分かるわ」

 

本堂も頷く。

 

「松下とか普段目立たねえけど、普通にお姉さんっぽいし。

佐藤もああいう愛嬌あるタイプ、男子好きだろ」

「軽井沢は別格じゃね?」

 

池がにやつく。

 

「ギャル系だけど顔はマジで可愛いし、実はちょっと良いなと思ってたんだ」

 

その瞬間、山内が鼻で笑った。

 

「でもあいつらギャルだし、絶対遊んでるだろ」

 

教室の空気がわずかに冷える。

 

だが山内は気づかない。

 

あるいは、気づいていても止まらない。

 

「軽井沢とか男慣れしてそうじゃん。ああいうの絶対ビッチだろ」

「おい山内……」

 

池が苦笑する。

 

だが、本気で止めようとはしない。

 

「いやでも実際、佐藤とかもさ、男子に媚びるの上手そうじゃね?」

 

山内は端末を見ながら続ける。

 

「松下も静かぶってるけど、裏で普通に男選んでそう」

 

その言葉に、近くにいた女子たちの表情が明らかに強張った。

佐藤は俯き、松下は無表情のまま端末を閉じる。

 

軽井沢は露骨に顔をしかめた。

 

「……最低」

 

小さく吐き捨てられたその言葉に、山内は肩をすくめる。

 

「何だよ。学校がそういう試験してんだから仕方ねえだろ?」

 

その返答は、あまりにも醜かった。

だが同時に、この試験が男子たちへ与え始めている変化を象徴していた。

 

女子を一人の人間としてではなく、評価する対象として見る視線。

誰が上で、誰が危険で、誰が男を惹きつけるのか。

そんな品定めを、まるで当然の権利のように語り始めている。

 

投票制度は、男子たちの中に元々存在していた欲望や劣等感を、

ゆっくりと正当化し始めていた。

 

そして何より恐ろしいのは、その空気へ周囲も少しずつ慣れ始めていることだった。

 

それでも池たちは、まだ自分たちがどれほど醜い会話をしているのか、

本当の意味では理解していないようだった。

 

投票という仕組みは、男子たちに奇妙な錯覚を与えていた。

 

自分たちは女子を評価していい。

 

自分たちは女子を選別していい。

 

学校がそう言っているのだから、これは許された会話なのだと。

 

その空気こそが、すでに試験の一部だった。

 

「綾小路くん」

 

声をかけてきたのは櫛田だった。

 

いつもの笑顔。

いつもの柔らかい声。

 

だが、昨日までとは違う。

 

その笑顔には、わずかに硬さが混じっている。

 

「ちょっといい?」

「何だ」

 

櫛田は周囲をちらりと見た。

 

「場所、変えない?」

 

数分後。

 

オレと櫛田は校舎裏の人気の少ない通路へ移動していた。

 

朝の空気は冷たい。

 

だが櫛田はそれを気にする様子もなく、壁にもたれながらこちらを見る。

 

「ねえ綾小路くん」

 

その声は静かだった。

 

「本当に誰も守らないつもり?」

「前にも言ったはずだ」

「必要なら切る、でしょ?」

 

櫛田は笑う。

 

だが、その目は冷えていた。

 

「ホント最悪」

「そう思うなら距離を置けばいい」

「置けるなら苦労しないんだけど」

 

櫛田は端末を取り出した。

 

画面には投票ページ。

 

「ねえ、男子ってさ」

 

櫛田が小さく笑う。

 

「本当に投票すると思う?」

「するだろうな」

「罪悪感とかないのかな」

「ある奴もいる」

「でもやるんだ」

「学校が強制してるからな」

 

櫛田はしばらく黙った。

 

その横顔から、いつもの愛想は消えていた。

 

「……だったらさ」

 

彼女は小さく呟く。

 

「こっちも利用しないと損だよね」

 

その瞬間、空気が変わった。

 

櫛田は笑っていた。

 

だが、その笑顔は櫛田桔梗の笑顔ではない。

 

もっと冷たく、もっと本音に近い笑みだった。

 

「どういう意味だ」

「簡単だよ」

 

櫛田は肩をすくめる。

 

「投票されなきゃいいんでしょ?」

 

その言葉は軽かった。

 

だが中身は重い。

 

「つまり?」

「男子を動かせばいい」

 

櫛田は当然のように言った。

 

「同情でも、罪悪感でも、好感でも、何でも利用すればいいじゃん」

 

オレは黙っていた。

 

櫛田は続ける。

 

「だって向こうだって、女子を数字で見てるんだよ?」

 

その声には怒りがあった。

 

「だったらこっちも、男子の感情くらい使わないと馬鹿みたいじゃん」

 

それは櫛田らしい結論だった。

 

彼女は善人ではない。

 

人の感情を読む。

空気を操る。

好感を利用する。

 

そうやって生きてきた。

 

そしてこの試験は、そんな彼女の才能を最も発揮しやすい環境だった。

 

「具体的には?」

 

オレが聞くと、櫛田は嬉しそうに笑った。

 

「例えばさ」

 

彼女は指を一本立てる。

 

「男子って、泣いてる女の子に弱いよね」

「……」

「逆に、強気な女の子には票が入りやすい」

 

櫛田は端末を操作する。

 

そこには匿名掲示板が表示されていた。

 

学年内チャット。

 

すでに大量の書き込みがある。

 

『白石さん可哀想』

『堀北は強そうだから平気そう』

『長谷部って結構危険じゃね?』

『一之瀬だけは落としたくない』

『櫛田さん泣いてたらしい』

 

オレは画面を見る。

 

「流したのか」

「うん」

 

櫛田は悪びれずに答えた。

 

「私、傷ついてる女子演じるの得意だし」

 

その言葉は恐ろしいほど自然だった。

 

櫛田は理解している。

 

この試験で重要なのは、能力ではない。

 

感情だ。

 

男子にどう思わせるか。

 

誰を守りたくさせるか。

 

誰を危険だと思わせるか。

 

その印象操作こそが武器になる。

 

「他にもさ」

 

櫛田は楽しそうに言う。

 

「堀北って、男子から見ると冷たい女に見えやすいじゃん?」

「……」

 

「だからちょっと情報流すだけで、怖いから切ってもいいかもって空気になるんだよね」

 

オレは櫛田を見ていた。

 

この女は危険だ。

 

だが同時に、この試験では極めて合理的でもある。

 

「長谷部さんとかもそう」

 

櫛田は続ける。

 

「男子との距離近いって印象つければ、女子側の反感も集められるし」

「随分積極的だな」

「だって生き残りたいもん」

 

その返答には迷いがなかった。

 

櫛田は笑う。

 

「アンタだって同じでしょ?」

 

オレは否定しなかった。

 

すると櫛田は少しだけ目を細めた。

 

「でもさ」

 

その声が低くなる。

 

「アンタ、本当に怖いよね」

「何がだ」

「だってアンタ、私のやってること止めないじゃん」

 

風が吹く。

 

櫛田の髪が揺れる。

 

「普通なら、そんなことするなって言うでしょ?」

「止める理由がない」

「最低」

 

櫛田は笑った。

 

だがその笑みには、どこか安心したような色も混じっていた。

 

「でも、そういうとこ嫌いじゃないよ」

 

その時だった。

 

端末が震える。

 

全校通知。

 

【第一回中間投票集計を開始します】

 

櫛田が端末を見る。

 

そして、ゆっくり笑った。

 

「始まったね」

 

その笑顔は、もはや「優しい櫛田桔梗」ではなかった。

 

狩る側の顔だった。

 

数時間後。

 

教室の空気はさらに悪化していた。

 

男子たちは互いの投票先を探り合い、

女子たちは周囲の視線へ敏感になっている。

 

そして最悪なのは、

 

誰もが少しずつ、この状況に慣れ始めていることだった。

 

「なあ」

 

池が小声で言う。

 

「結局、誰に入れた?」

「言うわけねえだろ」

「でも気になるじゃん」

 

そんな会話が、教室のあちこちで交わされている。

 

もう投票は始まっている。

 

つまり、誰かは確実に票を入れられている。

 

そしてその事実が、女子たちを静かに削っていく。

 

長谷部は男子側をほとんど見なくなった。

 

軽井沢は苛立ちを隠さない。

 

そして櫛田だけが、以前よりさらに良い子を演じ始めていた。

 

「みんな大丈夫?」

「辛かったら相談してね?」

「私も怖いけど、一緒に頑張ろ?」

 

男子たちはその姿に安心する。

 

だがオレには分かっていた。

 

櫛田は今、教室全体の空気を操作している。

 

誰が守られる空気になるか。

 

誰が危険視されるか。

 

その流れを、少しずつ自分に有利な方向へ誘導している。

 

「綾小路くん」

 

堀北が小さく声をかけてきた。

 

「気づいているわね」

「何に」

「櫛田さんの動きよ」

 

堀北の目は鋭かった。

 

「男子票の流れが変わってる」

「そうかもしれないな」

「止めないの?」

 

オレは少しだけ沈黙した。

 

そして答える。

 

「今はまだ、その必要がない」

 

堀北の表情が険しくなる。

 

「あなた……」

「この試験は感情操作の戦いだ。櫛田は、そのルールに最適化しているだけだ」

「だからって――」

「否定しても意味はない」

 

堀北は黙った。

 

だが、その目にははっきりとした嫌悪があった。

 

オレに対する嫌悪。

 

そして、試験へ順応し始めている自分自身への嫌悪。

 

その時、電子黒板が突然点灯した。

 

教室中が静まる。

 

表示されたのは、現在の危険度変動ランキングだった。

 

順位が変わっている。

 

櫛田の危険度が下がっていた。

 

代わりに、長谷部と白石の数値が上昇している。

 

教室がざわつく。

 

長谷部の顔色が変わる。

 

そして櫛田は――

 

ほんの一瞬だけ、満足そうに目を細めた。

 

誰にも気づかれないほど小さな変化。

 

だがオレは見逃さなかった。

 

櫛田桔梗は、この試験を利用し始めている。

 

そしてそれは、まだ序章に過ぎなかった。




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