美しき敗者たちの特別試験   作:EXTERMINATION

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第5話 白石飛鳥の偶像

坂柳クラスの教室は、他のクラスよりも静かだった。

 

それは平穏という意味ではない。

 

騒ぐ必要がないだけだ。

 

このクラスの生徒たちは、感情を表に出すことが得策ではないと知っている。

 

不用意な発言が情報になる。

 

焦りが弱点になる。

 

怒りが交渉材料になる。

 

だから彼らは、動揺していても大きく騒がない。

 

しかし、だからこそ、その静けさは不気味だった。

 

朝の電子黒板には、

昨日更新された危険度変動ランキングがそのまま表示されていた。

櫛田桔梗の危険度は下がり、長谷部波瑠加と白石飛鳥の数値が上昇している。

 

その中でも、白石飛鳥の名前だけは、

坂柳クラスの生徒たちにとって特別な重みを持っていた。

 

白石飛鳥。

 

坂柳クラス所属。

 

おっとりとした口調。

 

柔らかな笑顔。

 

誰に対しても圧をかけず、相手の言葉を受け止めるように頷く少女。

 

彼女は成績でクラスを支配しているわけではない。

坂柳有栖のように盤面を掌握するわけでもない。

神室真澄のように鋭く他者を突き放すわけでもない。

橋本正義のように軽薄さを武器に情報を集めるわけでもない。

 

それでも、白石飛鳥には人を引き寄せる力があった。

 

それも、本人が自覚していない種類の力だった。

 

「異性影響指数、95」

 

橋本が端末を見ながら軽く笑った。

 

「昨日よりまた上がってるな。白石、すごいな」

 

白石は困ったように眉を下げた。

 

「すごいって言われても、嬉しくありません……」

 

その声だけで、教室の何人かの男子の表情が緩む。

 

ほんの一瞬。

 

坂柳はその反応を見逃さなかった。

 

彼女は杖に手を添え、教室の中央付近から白石を静かに眺めている。

 

まるで、美しい標本を観察する研究者のように。

 

「白石さん」

 

坂柳が声をかける。

白石はゆっくりと顔を上げた。

 

「なんでしょうか、坂柳さん?」

「あなたは、自分がどう見られているか理解していますか?」

 

坂柳が穏やかに尋ねる。

 

白石は少し考えるように首を傾げた。

 

「えっと……おっとりとか、のんびりしてるとか?」

 

橋本が吹き出しそうになる。

神室は呆れたように息を吐いた。

 

「そういう意味じゃないでしょ」

「違うんですか?」

 

白石は本気で困っているようだった。

その様子に、教室の男子たちはまた少し表情を緩める。

 

だが、坂柳だけは笑わない。

 

「あなたは、男子生徒から安全な理想として見られています」

 

白石の表情が止まる。

 

「安全な……理想?」

「ええ」

 

坂柳は端末を開き、学校側の分析資料を表示した。

 

そこには、白石飛鳥に関する冷たい文章が並んでいる。

 

【危険分類:偶像型】

【学年内男子生徒からの理想化傾向極大】

【拒絶経験後の精神的不安定化報告あり】

【接触頻度と感情依存率の相関値が異常】

【マドンナ化現象確認済み】

 

白石はしばらく画面を見つめていた。

 

やがて、小さく笑う。

 

「マドンナって、そんな大げさですよ……」

 

その笑い方はいつも通り柔らかい。

 

だが、声の奥が少しだけ震えていた。

 

「私、普通に話しているだけですよ」

「その普通が、他者にとって普通ではないのです」

 

坂柳の言葉は静かだった。

 

「あなたは相手を否定しない。笑顔で話を聞く。緊張を解く。

相手に、自分は受け入れられていると錯覚させる」

 

白石は目を伏せる。

 

「錯覚……」

「悪い意味だけではありません」

 

坂柳は続けた。

 

「あなたの柔らかさに救われた者もいるでしょう。

ですが同時に、その柔らかさへ勝手に意味を見出し、

勝手に期待し、勝手に傷ついた者もいる」

 

教室の男子の何人かが気まずそうに視線を逸らす。

 

白石はそれを見てしまった。

 

そして、ようやく理解したように唇を結んだ。

 

自分の知らないところで、自分が誰かの感情を動かしていたこと。

 

自分の笑顔が、誰かにとって希望になり、

誰かにとって誤解になり、誰かにとって傷になっていたこと。

 

それを、学校は容赦なく数値化している。

 

「……私、そんなつもりありませんでした」

 

白石の声は小さかった。

 

坂柳は頷く。

 

「でしょうね」

 

その返答は優しくもあり、残酷でもあった。

 

本人に悪意がない。

 

だからこそ、この試験は逃げ場を奪う。

 

意図していないなら無罪、とはならない。

 

学校側が見ているのは意図ではない。

 

結果だ。

 

どれだけ男子の感情を揺らしたか。

 

どれだけ視線を集めたか。

 

どれだけ風紀リスクになったか。

 

それだけだ。

 

「でもさ」

 

橋本が軽い声で割り込んだ。

 

「こういう言い方するとアレだけど、

白石が候補になってるのって、むしろ自然じゃないか?」

 

神室が橋本を見る。

 

「最悪な言い方ね」

「いや、でも事実だろ」

 

橋本は肩をすくめる。

 

「Aクラスの男子って、結構みんな白石に甘いだろ」

 

空気が凍る。

 

白石は何も言わない。

 

橋本は続けた。

 

「姫様は別格。神室は近寄りがたい。

森下も独特。そうなるとさ、白石ってちょうどいいんだよ」

「ちょうどいい?」

 

神室の声が冷える。

 

「男子が勝手に安心できる相手ってこと」

 

橋本の言葉は軽い。

 

だが、その中身は鋭かった。

 

「優しいし、怒らなさそうだし、

話しかけたら笑ってくれるし。そりゃ人気出るだろ」

 

白石の表情が少しだけ歪む。

 

「怒りますよ……?」

 

その声は冗談めいていた。

 

だが、誰も笑わなかった。

 

白石は怒らない。

 

少なくとも、そう見られている。

 

傷ついても笑う。

 

困っても笑う。

 

嫌でも相手を拒絶しきれない。

 

だから男子は勘違いする。

 

そして女子は、それを知っている。

 

坂柳クラスの女子たちの視線も、白石へ向けられていた。

 

同情。

苛立ち。

警戒。

 

そして、ほんのわずかな嫉妬。

 

白石飛鳥は、特別扱いされてきた。

 

本人が望んだかどうかに関係なく。

 

「白石さん」

 

坂柳が静かに言った。

 

「あなたを守ろうとする空気は、間違いなくこのクラスにあります」

 

白石は顔を上げる。

 

「でも、それが本当にあなたを救うとは限りません」

「どういうことでしょうか……?」

「男子があなたを守ろうとすればするほど、学校はそれを感情依存と判断する」

 

白石の顔色が変わる。

 

「女子があなたに同情すればするほど、偶像としての影響力が補強される」

 

坂柳は淡々と続ける。

 

「あなたは、守られれば守られるほど危険になる可能性があります」

 

教室が完全に沈黙した。

 

白石は何も言えなかった。

 

それは、あまりにも理不尽な構造だった。

 

守られたい。

 

助けてほしい。

 

そう思うことすら危険になる。

 

誰かが白石を気にかければ、それは指数に反映される。

誰かが白石を庇えば、それは彼女の影響力の証明になる。

 

孤立すれば傷つく。

 

守られれば危険になる。

 

どちらに進んでも、学校の手のひらの上だった。

 

「それでは……私、どうすればいいのでしょうか?」

 

白石の声は、初めて明確に揺れていた。

 

坂柳は少しだけ目を細める。

 

「目立たないことです」

「目立たない……」

「笑顔を減らし、男子との会話を避け、必要以上に優しくしない。

あなたが白石飛鳥らしくあることをやめる」

 

その言葉に、白石は深く傷ついた顔をした。

 

「それって……私ではなくなるってことですか?」

 

坂柳は答えなかった。

 

答える必要がなかった。

 

そういうことだ。

 

この試験は、人間の長所を奪う。

 

一之瀬から優しさを奪い、櫛田から愛想を奪い、長谷部から自然体を奪い、

堀北から気高さを奪い、白石から柔らかさを奪う。

 

そうすれば安全になる。

 

つまり、安全になるためには、自分でなくなる必要がある。

 

「嫌ですねぇ……」

 

白石は小さく笑った。

 

その笑顔は、いつもよりずっと弱かった。

 

「私、普通にしていたいだけなのに」

 

その言葉は、教室に重く落ちた。

 

 

その頃、別の教室でも、白石飛鳥の名前は話題になっていた。

 

「白石飛鳥って、そんなに人気あるのか?」

 

池が端末を見ながら言った。

 

「あるでしょ」

 

軽井沢が即答する。

 

「男子ってああいう子好きじゃん。

ふわっとしてて、怒らなさそうで、話しかけやすい感じ」

「言い方」

 

佐藤が苦笑する。

だが、軽井沢の表情は笑っていなかった。

 

「別に悪口じゃないよ。でも実際そうでしょ」

 

教室の男子たちは黙る。

 

誰も強く否定しない。

 

「白石さんは悪くない」

 

平田が言った。

 

「それは間違いない」

「悪い悪くないじゃないのよ、この試験」

 

軽井沢は吐き捨てるように言った。

 

「影響力があるかどうかでしょ」

 

その言葉は正しい。

 

そして、正しいからこそ嫌だった。

 

堀北は端末を見ていた。

 

白石飛鳥の分析資料。

 

そこに書かれた偶像型という分類。

 

彼女は静かに呟く。

 

「学校側は、本人の意思をほとんど評価していないのね」

「意思?」

「ええ。白石さんが男子を惑わせようとしたかどうかは問題ではない。

結果として男子の感情が揺れたかどうかだけを見ている」

 

堀北は画面を閉じた。

 

「つまり、この試験では善良であることも免罪符にならない」

「最悪じゃん」

 

軽井沢が言う。

 

堀北は否定しなかった。

 

オレは二人の会話を聞きながら、白石飛鳥という存在について考えていた。

 

彼女は初期候補の中でも分かりやすい。

 

男子人気が高い。

 

噂も多い。

 

学年内での認知度も高い。

 

だから読者も、生徒たちも、彼女が候補に入ることをある程度理解できる。

 

だが、それは罠でもある。

 

この試験の本質は、単純な人気投票ではない。

 

誰が男子を惑わせるかだけではない。

 

誰が周囲の感情を動かすかだ。

 

白石が危険なら、一之瀬も危険だ。

 

一之瀬が危険なら、軽井沢も危険だ。

 

軽井沢が危険なら、ひよりも危険だ。

 

そして――坂柳も危険になる。

 

本人がそれを理解しているかどうかは別として。

 

 

放課後。

 

白石飛鳥は一人で校舎裏のベンチに座っていた。

 

人気の少ない場所だった。

 

いつもなら、彼女の周囲には誰かしらがいる。

 

男子が話しかけ、女子が雑談に混ざり、彼女はゆっくり笑って空気を和ませる。

 

だが今は違う。

 

白石は一人だった。

 

目立たないように。

 

指数を上げないように。

 

誰の感情も動かさないように。

 

彼女は、自分の存在を小さく畳むように座っていた。

 

「こんなところにいたんですのね」

 

声がした。

 

坂柳だった。

 

白石は顔を上げる。

 

「坂柳さん」

「探しました」

「ごめんなさい。ちょっと、一人になりたくて」

 

坂柳は白石の隣には座らなかった。

少し距離を置いたまま立っている。

それが配慮なのか、計算なのかは分からない。

 

「泣いていましたか?」

「泣いては……いません」

 

白石は笑った。

だが目元は赤かった。

坂柳はそれ以上追及しない。

 

「白石さん」

「はい?」

「あなたは、おそらく最終退学者にはなりません」

 

白石は驚いたように目を瞬かせる。

 

「え?」

「少なくとも、このままなら」

 

坂柳は静かに言った。

 

「あなたは分かりやす過ぎますから」

「分かりやすい……?」

「ええ。男子人気が高く、噂も多く、偶像化もされている。

だからこそ、学校側が提示する危険女子として非常に都合が良い」

 

坂柳の声は冷静だった。

 

「ですが、見えやすい危険は、本命ではありません」

 

白石はよく分からないという顔をする。

 

坂柳は微笑んだ。

 

「この試験で本当に切り落とされるのは、もっと別の形で人を動かす者たちです」

 

白石は何も言えなかった。

 

坂柳は空を見上げる。

 

「一之瀬さんの善意。椎名さんの静けさ。

軽井沢さんの依存関係。堀北さんの理想性。そして――」

 

そこで坂柳は、ほんの少しだけ言葉を止めた。

 

「私自身の存在も、いずれ数値化されるでしょうね」

「あなたが?」

 

白石は驚いた。

 

「だって、坂柳さんは男子を惑わせたりしないですよね?」

 

その言葉に、坂柳は小さく笑った。

 

「白石さん。人を動かす力は、好意だけではありません」

 

彼女の瞳が静かに細くなる。

 

「畏怖。憧憬。支配欲。敗北感。屈服願望。

そういう感情もまた、人間を狂わせるには十分です」

 

白石は黙って坂柳を見る。

 

その瞬間、白石は初めて気づいた。

 

坂柳有栖もまた、誰かにとって特別な存在なのだ。

 

白石のように柔らかく人を惹きつけるのではない。

 

もっと冷たく、もっと鋭く、もっと抗いがたい形で、人の視線を集める。

 

「この試験、怖いです……」

 

白石が小さく言った。

 

「ええ」

 

坂柳は微笑む。

 

「とても怖い試験です」

 

だが、その声には恐怖だけではない。

 

奇妙な興味が混ざっていた。

 

白石はそれに気づき、少しだけ悲しそうに笑った。

 

「坂柳さんは、やっぱり強いですね」

「強いかどうかは分かりません」

 

坂柳は静かに答えた。

 

「ただ、盤面を理解することには慣れています」

「私は、全然分からないです」

 

白石は俯いた。

 

「普通にしていたらダメで、笑っていたら危なくて、

誰かに優しくしたら指数が上がるんですよね?」

 

彼女の声が少しだけ震える。

 

「そんなの、どうしたらいいか分かりません」

 

坂柳はしばらく黙っていた。

 

そして、珍しく少しだけ柔らかい声で言った。

 

「分からなくて当然です」

 

白石が顔を上げる。

 

「この試験は、人間らしくある者ほど苦しむように作られていますから」

 

その言葉に、白石は何も言えなかった。

 

風が吹いた。

 

夕方の校舎裏は冷たく、二人の間に落ちた沈黙をさらに深くした。

 

その時、白石の端末が震えた。

 

同時に坂柳の端末も震える。

 

全校通知。

 

【第二回危険度変動ランキングを更新しました】

 

白石は恐る恐る画面を開いた。

 

そして息を呑む。

 

白石飛鳥の順位は、下がっていた。

危険度もわずかに低下している。

 

彼女は安堵しかけた。

 

だが次の瞬間、坂柳の表情を見て、その安堵が止まった。

 

坂柳有栖の名前が、新たにランキング下位に表示されていた。

 

まだ退学圏ではない。

 

まだ候補の端に引っかかった程度だ。

 

だが、それは確かな兆候だった。

 

白石飛鳥という分かりやすい偶像の陰で、

別の種類の影響力が測定され始めている。

 

坂柳は画面を見つめたまま、静かに笑った。

 

「なるほど」

 

その笑みは、愉快そうでありながら、どこか冷たい。

 

「私も、盤上に乗せられたというわけですね」

 

白石は不安そうに彼女を見る。

 

「坂柳さん……」

 

坂柳は端末を閉じた。

 

「心配はいりません」

 

そう言いながら、彼女は歩き出す。

 

だが、白石には分かった。

 

坂柳有栖は怒っている。

 

表面には出さない。

 

声にも乗せない。

 

しかし、自分が観察者ではなく評価対象にされたことを、

彼女は確かに不快に思っている。

 

そしてその瞬間から、この試験はまた一段階、深い場所へ進んだ。

 

白石飛鳥はベンチに座ったまま、しばらく動けなかった。

 

自分の順位が下がったことに安心していいのか。

 

それとも、別の誰かが代わりに危険へ近づいたことを恐れるべきなのか。

 

分からなかった。

 

ただ一つだけ分かることがある。

 

この試験は、誰かが助かれば終わるものではない。

 

誰かが下がれば、誰かが上がる。

 

誰かが守られれば、誰かが代わりに切り落とされる。

 

そういう仕組みになっている。

 

そして白石飛鳥は、初めて思った。

 

自分が残るということは、誰かが落ちるということなのだと。




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