長谷部波瑠加の名前が第二位に表示された翌日、
綾小路グループは、もはやグループと呼べる空気ではなくなっていた。
以前なら昼休みになれば、誰かが自然に声をかけ、
誰かが適当に返事をし、気づけば五人が同じ場所に集まっていた。
そこに明確な約束はなかった。
だからこそ居心地がよかった。
無理に仲良しを演じる必要もなく、
クラスの中心にいるわけでもなく、かといって完全に孤立しているわけでもない。
それぞれが少しずつ不器用で、
少しずつ他人との距離の取り方が下手で、だからこそ偶然できた居場所だった。
だが今、その居場所は壊れかけていた。
原因は単純だ。
長谷部を守ろうとすればするほど、長谷部の危険度が上がる。
かといって距離を置けば、それは見捨てることと同じに見える。
どちらを選んでも、グループは傷つく。
学校はそういう形で、人間関係そのものを試験の材料に変えていた。
昼休み。
いつもの休憩スペースには、幸村、明人、愛里が先に来ていた。
だが長谷部はいない。
彼女がいないだけで、その場の空気はひどく寒々しかった。
「……波瑠加、来ないのか」
明人が低い声で言う。
「朝からあまり話してくれなかった」
愛里が俯いたまま答える。
「メッセージ送っても、既読だけで……」
幸村は端末を見つめていた。
表情は硬い。
「無理もない」
「無理もないって何だよ」
明人が噛みつくように言った。
「波瑠加が一番きついんだぞ」
「分かっている」
「分かってんなら何とかしたいだろ!」
明人の声が少し大きくなる。
周囲の生徒がこちらを見る。
幸村は一瞬だけ目を閉じ、声を抑えて言った。
「声を荒げるな。今の状況で注目を集めれば、
また彼女の危険度に影響する可能性がある」
その一言で、明人は言葉を失った。
正しい。
あまりにも正しい。
だからこそ、腹が立つ。
長谷部を心配する言葉すら、彼女を追い詰める要因になり得る。
明人は拳を握りしめた。
「じゃあ黙って見てろっていうのか?」
「そうは言っていない」
「でもそういうことだろ!」
愛里が小さく震える。
「やめて……」
その声は弱かったが、二人は口を閉じた。
オレは少し遅れてその場へ着いた。
全員の視線がこちらへ向く。
明人の目には明確な怒りがあった。
幸村は警戒。
愛里は不安。
そしてそこに、長谷部はいない。
「来たか」
幸村が短く言った。
「波瑠加は?」
「来ていない」
明人が吐き捨てるように言う。
「お前のせいでな」
「明人」
幸村が制止する。
だが明人は止まらなかった。
「だってそうだろ」
彼はオレを睨む。
「波瑠加が危ないって分かってたんだろ?
守ろうとすればするほど指数が上がるって予想してたんだろ?」
「予想はしていた」
「だったら何で言わなかった!」
昨日と同じ問いだった。
だが、今日は昨日よりも重い。
なぜなら、昨日の時点ではまだ怒りだったものが、
今日には亀裂として固定され始めているからだ。
「言えばどうなった」
オレは静かに返す。
「……何?」
「波瑠加にお前を守ろうとするほど危険になると伝えれば、どうなった」
明人は言葉に詰まる。
「それは……」
「彼女は自分から距離を置いたかもしれない。
あるいは、オレたちが距離を置くことを求めたかもしれない」
オレは続ける。
「どちらにせよ、グループは壊れる」
「今壊れてるじゃないか!」
明人の声が響く。
今度は幸村も止めなかった。
「お前は最初からそれが分かってて、何もしなかったんだろ!」
「違う」
「何が違うんだ!」
「何もしなかったんじゃない」
オレは明人を見た。
「見極めていた」
その言葉に、明人の顔が歪んだ。
「……最低だな」
その反応は当然だった。
人間関係が壊れていく様子を見極める。
その言い方は、感情を持つ人間には冷酷に聞こえる。
だが、この試験では感情だけで動けばさらに悪化する。
「清隆」
幸村が口を開いた。
「俺も聞きたい」
彼の声は明人ほど感情的ではない。
だが、怒りがないわけではない。
「お前は、波瑠加を守るつもりがあるのか?」
愛里が顔を上げる。
明人も黙る。
全員がオレを見る。
その問いは単純だ。
そして、単純だからこそ厄介だった。
「現時点では、波瑠加を最優先で守るとは決めていない」
その瞬間、空気が凍った。
愛里の顔が泣きそうに歪む。
明人は今にも掴みかかりそうだった。
幸村ですら、目を伏せた。
「……そうか」
幸村は低く呟いた。
「分かった」
「何が分かったんだよ」
明人が言う。
幸村はしばらく黙っていた。
そして、苦しそうに言った。
「俺たちは、綾小路とは違う」
その言葉は静かだった。
だが、明確な線引きだった。
「波瑠加を守りたい。少なくとも、そう思っている」
「それが危険度を上げるとしてもか」
オレが尋ねると、幸村は目を閉じた。
「……それでもだ」
幸村は理性的な人間だ。
感情で走るタイプではない。
だからこそ、その答えの重さは大きかった。
彼は分かっている。
長谷部を庇えば危険度が上がる。
それでも、見捨てることはできない。
「それなら、お前たちは覚悟しろ」
オレは言った。
「守るという行為が、長谷部をさらに追い詰める可能性を」
明人が怒鳴る。
「だからって見捨てろっていうのか?」
「見捨てるとは言っていない」
「同じだ」
その時だった。
背後から声がした。
「もういいよ」
全員が振り向く。
長谷部が立っていた。
いつからそこにいたのかは分からない。
だが、少なくとも今の会話の大部分は聞いていたのだろう。
彼女の顔は青白かった。
「波瑠加ちゃん……」
愛里が立ち上がる。
長谷部は小さく首を振った。
「来るつもりなかったんだけどさ」
彼女は笑った。
だが、その笑みは痛々しかった。
「やっぱり、来なきゃよかった」
誰も言葉を返せない。
長谷部はオレを見る。
「きよぽん」
「何だ」
「きよぽんの言うこと、たぶん正しいんだと思う」
その言葉に、明人が驚いたように振り向く。
長谷部は続けた。
「私を守ろうとすればするほど危険になる。
だから距離を置いた方がいい。それが一番合理的」
彼女の声は震えていた。
「でもさ」
長谷部は唇を噛む。
「それって、私に一人になれってことじゃん」
沈黙。
「みんなといると危険度が上がる。男子と話すと評価される。
笑えば媚びてるって見られる。黙れば不機嫌って言われる」
長谷部の目に涙が浮かぶ。
「じゃあどうすればいいの?」
誰も答えられない。
「ねえ、どうすればいいの?」
その問いは、綾小路グループ全員へ向けられていた。
「私、別に人気者になりたかったわけじゃない」
長谷部の声が震える。
「ただ、ここが居心地よかっただけなのに」
その言葉は、全員の胸に刺さった。
綾小路グループは、彼女にとって居場所だった。
それを学校は限定依存型と名付けた。
仲間を、リスクに変えた。
絆を、数値に変えた。
「波瑠加」
明人が近づこうとする。
だが長谷部は後ずさった。
「来ないで」
明人の足が止まる。
長谷部は苦しそうに笑う。
「だって、また上がるかもしれないじゃん」
その一言で、明人は完全に黙った。
それは残酷な場面だった。
助けたいのに近づけない。
慰めたいのに触れられない。
声をかけることすら、相手を傷つけるかもしれない。
学校は、そういう形で人間関係を壊している。
「私、しばらく一人でいる」
長谷部が言った。
「波瑠加ちゃん、それは……」
愛里が涙声で言う。
長谷部は首を振る。
「お願い。今はそうさせて」
そして最後に、彼女はオレを見た。
「きよぽんは間違ってないのかもしれない」
彼女は静かに言った。
「でも、私はあなたのそういうところが嫌い」
そう言い残して、長谷部は去っていった。
誰も追えなかった。
追えば、また彼女を危険にするかもしれないから。
長谷部の背中が見えなくなった後も、誰も動かなかった。
愛里は泣いていた。
明人は拳を握り締めていた。
幸村は端末を見つめたまま、何も言わなかった。
そしてオレは理解していた。
この瞬間、綾小路グループは完全に以前の形を失った。
壊れたのではない。
もっと厄介だ。
誰も悪意を持っていないのに、全員が互いを傷つける構造に置かれた。
それがこの試験の本質だった。
放課後。
男子投票の第二回結果が発表された。
1位は一之瀬帆波。
2位は長谷部波瑠加。
3位は白石飛鳥。
4位は堀北鈴音。
5位は櫛田桔梗。
順位そのものは大きく変わっていない。
だが注目すべきは、長谷部の数値だった。
前日よりさらに上昇している。
理由は表示されていた。
【特定少人数グループ内における情緒的保護行動の増加】
【対象者の孤立傾向に伴う保護欲誘発率上昇】
【対象者への同情的言及増加】
長谷部が距離を置こうとしても、それすら危険度を上げていた。
守られても危険。
孤立しても危険。
傷ついても危険。
彼女が苦しめば苦しむほど、周囲の同情が集まり、
その同情がまた影響力として加算される。
「ふざけるなよ……」
明人が低く呟いた。
その声には、怒りではなく絶望が混じっていた。
幸村は画面を見つめたまま動かない。
愛里は泣き疲れたように俯いている。
オレは表示された数字を見ながら、一つの結論へ近づいていた。
長谷部を直接守ることは難しい。
だが、長谷部を落とさない方法はある。
それは、彼女以上の危険度を持つ対象を作ること。
より大きな影響力を示す者を浮上させること。
つまり、別の誰かを盤上へ引きずり上げることだった。
その時、端末が震える。
新たな通知。
【次回集計より、非候補者の潜在影響指数も反映対象とする】
教室中がざわついた。
非候補者。
つまり今まで名前が上がっていなかった女子たちも、
次回から正式に危険度計算へ組み込まれる。
オレは静かに画面を見た。
学校側は、初期候補だけで終わらせるつもりがない。
そしておそらく、この通知によって初めて浮上する者がいる。
・椎名ひより。
・軽井沢恵。
・坂柳有栖。
初期候補ではなかった、別種の影響力を持つ者たち。
長谷部が救われるとすれば、それは誰かが代わりに危険圏へ入る時だ。
オレは端末を閉じた。
そして、静かに理解する。
ここから先は、守る戦いではない。
誰を残し、
誰を切るかを決める戦いになる。
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