サイバーパンク地方都市のある女探偵の記録 ――A Ghost, Almost Touching   作:飛白玄

2 / 7
第2話 猫を探しているのは誰だ

 耳裏に貼りっぱなしだった端末が、三度だけ鳴った。

 高梁和佳は長ソファの上で目を覚まし、視界の右上に滲むWitness(Q-SNS)の通知列を睨んだ。昨夜の猫動画についた反応を流し見する。

 善意の目撃談、白拡散支援、保護団体気取りの定型文。再生数は当てにならない。今や、善意も信用も色で測られる時代だ。非偏向高評価《ホワイトインプレッション》――白がどれだけ乗っているかのほうが、まだ人の本気に近い。

 スマート毛布を足で払う。床は脱いだ衣類で覆われ、部屋の半分は未開封の新型ガジェットに占拠されている。最近買ったのは、自動追尾ホロライトスタンドだ。箱の側面で、知らない配信者がやけに白い歯を見せている。もちろん、一度も組み立てたことはない。

 和佳はソファに寝転がったまま、事務所アカウントで作り置きの営業開始動画を投稿した。

『高梁探偵事務所は、本日も営業を開始いたしました。

 人探し、素行調査、失せ物探し。

 言い出しづらいご相談も、まずは一度お聞かせください。

 ご依頼・ご相談はDMまで。秘密厳守』

 ……いつものように反応はほぼゼロだ。

 主の起床を検知した住宅管理AGIが、カーテンの遮光率を下げ、ニュースの要約音声を流し始めた。提案通知は全て無視。お小言は悠理だけで十分だ。

「寝る前に仕分ければよかったのに」

 窓辺にもたれた悠理が早速言ってきた。朝の薄い光は部屋の輪郭を白く削っているのに、彼のビジネスカジュアルは少しもにじまない。

「寝る前は、手いっぱいだったの」

「それはいつもです」

「なら、なおさら」

 指先で通知を弾く。いらないものから順に消していく。視界に重なっていた文字列が剥がれるたび、事務所の薄汚れた朝が少しだけ広がった。

「ずいぶん伸びてますね」

「猫は強いから」

「可愛いから、ではなく?」

「それもある。あと、人は意味ありげな目が好き」

 和佳は欠伸を噛み殺し、テーブルの浄水ボトルを引き寄せた。煮沸および栄養添加済とAGIが補足表示。ぬるい水を飲み干しながら、残った通知を流し見た。

 九件目で指が止まった。

 ――その猫のことを、詳しく話したいです。

 ――会えますか。

 差出人名を見て、和佳は目を細める。

 (れい)ユナ。

「“黎”」

「聞こえてる」

 胸の内側で、判断の順番がひとつ狂った。

 黎という姓は、この街に一つしかないわけではない。だが、昨夜覗いていた研究棟と、企業代理人《インコグニート》から聞かされた数少ない名前を思い出すには十分だった。

「まあまあ珍しいですね」

「断定はまだ」

「でも、気にはなった」

「だいぶね」

 その場で返信はしない。まず相手のプロフィールと投稿履歴をざっとなぞった。アイコンの色は中流を示すグリーン。かなりの白で、派手なノイズはない。作り物っぽさも薄い。つまり何も掴めない。

「どうします」

「会う」

「早いですね」

「現場主義なの」

 短く場所を返し、和佳は立ち上がった。熱遮蔽コートを椅子の背から引っ掴み、編集した猫の映像をローカルに落とす。画面の隅で、黒猫が一度だけこちらを見返した。その眼の気に入らなさだけは、加工できなかった。

「顔、洗ってから行ってください」

「依頼人が逃げる?」

「印象が死にます」

「中の上はあるって」

「残念ながら」

「朝から調子いいな」

 言い返しながら、和佳は洗面台の鏡を見た。最低限整えた肩までの黒髪、下手くそな笑顔、流行遅れのシャツでネクタイもなし。AGIに窘められるまでもなく、信用第一の仕事向きでない。だが、探偵だか便利屋だかにしては上等だ。

 しばらく迷ってから、さっと顔を撫でる。目の下のくまが化粧レイヤーで消えたのに満足して、和佳は事務所を出た。

 

     *

 

 待ち合わせに指定したのは、事務所から川を越えた駅前の、再開発が途中で止まった広場の端だった。合成食の屋台と中古端末屋と非正規診療所が雑に並び、配給列の人影が金網越しに詰まっている。

 昼の特区は夜よりましだが、そのぶん見なくていいものまでよく見える。

 塗装の剥げた警備ドローン、ストレスを隠しきれない会社員、笑っているふりだけ上手い若者たち。配給列の端で、若い男がわざとらしく老人に順番を譲っていた。もちろんWitnessを開くのは忘れない。白評価ありがとうございます。

「三時方向、たぶん彼女です」

 和佳は顔を上げた。

 少女だった。十代前半。白髪、緑の瞳、服装まで今やレトロなチャイボーグスタイルでまとまっている。ARレイヤーをオン、オフと切り替えた。白髪も緑の瞳も、服の細部すら変わらない。すべて自前とは恐れ入った。

 この辺りの治安は決して良くはない。よくもまあ一人で来れたものだ。

 少女は広場をまっすぐ横切ってくる。肩に力が入りすぎだ。大人に会いに来た子どもにはない、診断結果を聞きに来た病人のような焦燥があった。

「……高梁さん、ですか」

 少女は和佳の前で足を止め、小さく頭を下げた。

「そう。あなたが黎ユナ?」

「はい」

 近くで見ると、目元に寝不足の影がある。

「座る?」

「いいです。すぐ、話します」

 きっぱりした断り方だった。和佳は印象を一つ上方修正した。

 ユナは手慣れたハンドサインでWitnessを開き、昨夜の投稿を見せてきた。短い映像の中で、黒猫がこちらを見返している。共有された画面を、少女の指がそっとなぞった。

「この子……ノクスです。たぶん、間違いないです」

「あなたの猫?」

 ユナは少しだけ首を振った。

「父の猫です。でも、私にとっても……家族みたいなもので。今は母と暮らしてます。父とは別で。でも、ノクスだけは毎晩来てたんです」

 和佳はうなずいた。

「いつから来なくなった?」

 その聞き方に、ユナの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

「昨晩からです。でも、おかしいんです」

 和佳は黙って聞いた。

「飼育AIの入った補助脳がついてて。散歩から帰る途中でうちに寄るんです。時間も、だいたい同じで。少しくらい遅れることはあっても、来ない日はほとんどなくて」

 ユナはそこで一度、言葉を切った。

「でも、昨夜……来なかったんです」

 和佳は視線を上げる。

「父も、昨夜」

 その先で詰まってから、絞り出すようにユナは言った。

「……研究所で、亡くなったって」

 研究所。

 昨夜の青白い灯りが、ほとんど反射みたいに脳裏へ戻る。和佳は顔色ひとつ変えない。

「まだ、詳しくは聞かされてません。事故だって。でも、ノクスまで来なくなるなんて、そんなの」

 ユナは拳を握っていた。

「飼育AIもGPSも反応しなくて」

 ちらりと横を見ると、悠理が肩をすくめた。簡易検索は反応なし。

「でも、どこかに行っちゃったわけじゃないみたいで。近くにはいるし、私のことを見てる時もあるんです。でも、呼んでも来なくて」

 昨夜と同じだ。和佳は内心で一本、線を引いた。少し進んで振り返る。逃げるのではなく、距離を作る動き。

 悠理が試すような口ぶりで言った。

「どこかで聞いた話に似てますね」

「うん」

 和佳は口の中だけで返す。そしてユナに続けた。

「見かけるのは、いつも家の近く?」

「はい。こんなことなかったのに」

 ユナは目を伏せた。

「前は、すぐに飛びついて来ていたんです。毎晩。なのに今は、帰ってきてるみたいなのに、帰ってこない」

 その言い方は妙に正確だった。来るはずの場所の手前で、何かが切れている。

「お父さんは、研究所で働いてた?」

「はい。アクシオムで」

 ユナは考え込むような仕草をして、すぐにかぶりを振った。

「細かいことは、あまり教えてくれませんでした。仕事が忙しくなったからって、たまにしか会えなくなって。でも、ノクスは、毎晩必ず、ちゃんと……」

 父の死と同時に、規定されていたはずの動きが崩れた。

 偶然で片づけるには、いささか都合がよすぎる。

「あなたは、まだ近くにいると思ってる?」

「思ってます」

「どうして」

「……分かりますから」

 論理的じゃない。それでも、和佳はその答えを切れなかった。数字が外れる時、最後に残るのはこういう勘だ。

 少しだけ考える。軽く請け負っていい種類の話ではない。

「……依頼としてなら、受けるよ。猫探し」

 ユナの肩が、かすかに上下した。安堵か、緊張が別の形に変わっただけか、まだ分からない。

「ただし、見つけて終わりとは限らない。変な猫なら、それなりの面倒がついてくると思う。そこは覚悟して」

「最初から、そのつもりです」

 声は細いが、腰が引けてはいなかった。和佳は口元を引き上げた。

「依頼料、あまりお金がなくて。でも、ENゲージでこれくらいなら」

 少女はホワイトインプレッションをENゲージ(電子マネー)に換金すると、和佳に提示した。予想よりだいぶ多い。和佳はそこで初めて、少女を見直した。

「……白いんだろうなとは思ってたけど」

 ユナは少し迷ってから、曖昧にうなずいた。

「普通だと思います」

 金はないがENはある。いかにもこの街の育ち方だった。

 悠理が楽しそうに和佳に視線を向けてくる。

「気に入りました?」

「別に」

「分かりやすいです」

 無視する。

 連絡先を交換するあいだ、ユナは何度か何かを言いかけてやめた。父のことか、ノクスのことか、その両方か。和佳は急かさない。

 Witnessを閉じて、ユナはふと顔を上げた。

「高梁さんは、どうしてあの動画を上げたんですか」

「見つけたい人がいるかも、と思ったから」

「それだけですか」

「今のところは」

 悠理が小さく笑った気配がした。皮肉が半分、感心が半分の笑い方だった。

 ユナは和佳をじっと見て、それ以上は聞かなかった。引き際も悪くない。

「……お願いします」

「うん」

 ユナが頭を下げ、広場の向こうへ歩いていく。

「悠理、送ってあげて」

「了解」

 見送る少女の背中に、半透明の見守りタグが乗った。念のためだ。これで済むなら、最初から何も起こっていない。そんな気がする。

「珍しく、その場で飛びつきませんでしたね」

「褒めてる?」

「最低限の理性を」

「そういうとこだぞ」

 広場の上で、警備ドローンが一度だけ甲高く唸った。すぐに巡回ルートへ戻る。屋台の前にたむろしていた二人組が、ユナの背を見て、ほとんど同時に興味を失ったように顔を逸らした。

 和佳はそこで、ようやく自分が何に引っかかっていたのかに気づく。

 ユナが来た時も、帰る時も、誰にも一度も進路を乱されなかった。

 ティール(上位)ターコイズ(最上位)ならまだしも、グリーンの無防備な少女が。

 それは、運で済ませるにはあまりに滑らかすぎる。

「どうしました」

「……別件。嫌な感じ」

「昨夜の猫とは別ですか」

「今のところは」

 和佳は昨夜の研究棟の硬質な警報を思い出した。事故死。緊急警備。血相を変えて探されていた何か。黒猫。そして、黎という姓。

 繋がりが多すぎて、陰謀論者になりそうだ。

 帰り道、和佳はユナの身辺情報を最低限調べた。学業アカウントの名義、居住ブロックの登録、緊急連絡先。倫理規定AGIに目を付けられない程度では、得られる情報もたかが知れる。

 だが、それでも鮮明に浮かび上がる名前があった。

 ――神崎真琴(かんざきまこと)。保護者。同居中。

「……何か出ましたか」

「名前がひとつ」

「当たりですか」

「さあ」

 和佳は指を振って、ユナと向かい合って食事を取る女の画像を閉じた。

 静かすぎるものには、たいてい後から名前がつく。

 自分にできるのは、ほんの少しでも先回りできないか試すことくらいだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。