サイバーパンク地方都市のある女探偵の記録 ――A Ghost, Almost Touching   作:飛白玄

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第4話 見つけたのはどちらだ

 

 見つけさせてあげる。

 口にした時は、そこそこ気分がよかったが、事務所に戻って三十分も経つと、その言葉の扱いに困り始めていた。

 ソファに座る和佳の前には、カードサイズの仮想ウィンドウが散らばっている。ノクスの目撃投稿。ユナから送られてきた古い写真。昨夜までの目撃地点。研究所外縁の警備推移。Witness上の白拡散の癖。

 どれも単体では薄い。薄いものを重ねると、たまに人の形が浮く。今回は猫の形だったが、やっていることは同じだ。

「見つけさせてあげる、とは言いましたが」

 悠理が、ソファの背に腰かけた姿勢で言った。装飾レイヤーもないくせに、今夜も相変わらず、皺ひとつない。人間味のなさが服にまで出ている。

「言ったね」

「猫相手に広告運用ですか」

「猫が広告を読むならね」

「読みそうなのが嫌ですね」

 和佳は返事の代わりに、散らばったウィンドウを指先で寄せた。

 今夜は歩かない。足で追えば、昨日と同じになる。相手がこちらを見ていると分かった以上、同じ見せ方をしても意味がない。

 だから今夜は、向こうに足跡を残させる。

 和佳は、昨日の目撃が集中した西側の通りに関する投稿を一つ拾い、事務所アカウントで曖昧に反応した。今夜そこへ行くとは書かない。ただ、行くかもしれないと読める程度に温度を残す。

 次に、ユナの名前を抜いた言葉だけを検索の浅い底へ落とした。白髪の子。毎晩待っていた子。帰る場所。呼んでも来ない。近くにはいる。

 ユナの名前は出さない。あの子を餌にする趣味はないし、餌にした時点でこちらの負けだ。

 最後に、和佳はとっくの昔に廃止された交通センターの古い経路図を開いた。駅東方面の案内ログ。更新停止した誘導端末。もう使われていない経路案内。都市管理AGIの表層からはほとんど落ちかけている、死んだ情報の層。

「交通センター?」

 悠理が、そこで少しだけ目を細めた。

「そう。川向こうの再編区画へ人を流すために使ってたやつ。今は閉鎖」

「それが猫に効くと?」

「新しい記録を嫌うなら、古い記録には近づくかもしれない」

「理屈としては、猫という単語以外は通っています」

「そこが一番大事なんだけどね」

 表のWitness。検索の浅い底。古い公共施設レイヤー。

 三つの層へ、それぞれ違う薄さで情報を置く。どれかに反応するなら、それでいい。何も反応しないなら、それも情報になる。

 アクシオムの名前は、まだ出さない。

 本来の仕事に近づきすぎる餌は、猫より先に人間を釣る。

 和佳は椅子に深く座り直した。何もしない時間が一番性に合わない。だが、今夜は待つのではない。待っているように見える形で、仕掛けているだけだ。

「飽きましたか」

「まだ三分」

「顔が六十分経過しています」

「便利な顔だね」

「ええ。分かりやすくて良い」

 和佳は机の端に置きっぱなしだったコーヒーを飲んだ。やはりまずい。舌に半端な苦味と甘味だけが残る。

 最初に動いたのは、分かりやすい餌だった。

 昨日の目撃地点に関する反応。白っぽい拡散がいくつか。目撃証言を装ったコメントが二つ。うち一つは、文体が整いすぎていた。善意のふりをした監視は、だいたい文末が丁寧すぎる。

「人間が釣れました」

「猫用の餌に人間がかかるの、嫌だな」

「いつもの街です」

 悠理が反応元をまとめて広げる。捨てアカウント。企業区画の端末群を経由した形跡。アクシオムと明言はできないが、無関係と言うには整いすぎている。

「こっちはノクスじゃない」

「でしょうね。足音が大きすぎます」

「猫はもっと静か?」

「今回の場合、たぶん人間より礼儀が悪いです」

「もっとだるい」

 二つ目の餌は、ほとんど動かなかった。

 ユナを匂わせた断片は、拡散もされず、コメントもつかない。あまりに静かで、かえって目立つ。水面に小石を落としたのに、波紋が出ないような不自然さ。

 和佳は眉を寄せた。

「見てるけど、触らない」

「そう見えます」

「ユナ本人を出さなくて正解だったね」

「たまには慎重ですね」

「たまに、は余計」

 三つ目が動いたのは、それから七分後だった。

 仮想ウィンドウの端で、古い公共施設レイヤーが一度だけ点滅した。起動したかどうかもあやしい、ごく短い応答。

 和佳はコーヒーを置いた。

「今の」

「拾いました。ログでは案内APIが0.8秒応答したってありますね」

「誰かがアクセスしたってこと?」

「いいえ。近接センサが反応したように見えます」

「ホームレスかな」

「定期的に見回りAGI(センチネル)が来ますから、滞在には向かないんですが」

 和佳は古いセンターの図面を呼び出した。

 正式名称は西山陰特区交通センター。

 その前は、新萩観光案内所だったらしい。 今はもっと短く、廃案内所と呼ばれている。リニアが建設途中で放棄されたせいで役割を失い、路線再編でとどめを刺されて忘れられた。

 人が流れる場所ではない。人の流れを、かつて整理していた場所。

「釣れた?」

「まだです」

 悠理が即答した。

「魚が餌の匂いを嗅いで、針の形を見ている段階です」

「猫だけどね」

「そこはもう諦めましょう」

 和佳はウィンドウを並べ替えた。

 分かりやすい餌には、人間側のノイズ。

 ユナを匂わせた断片には、沈黙。

 公共施設レイヤーには、短い近接反応。

 これだけなら、まだ偶然で片づけられる。古い設備が勝手に目を覚ましただけかもしれないし、暇な誰かが廃墟を覗いただけかもしれない。

 だが、和佳は自分の勘が嫌な方向へ倒れていくのを感じていた。

「悠理」

「はい」

「餌の反応じゃなくて、私の操作順で並べて」

 悠理は何も聞き返さなかった。散らばっていたカードが一度すべて消え、和佳が触れた順番に置き直されていく。

 猫動画の元データ。Witnessの事務所アカウント。ユナ関連語の浅い検索層。旧交通センターのレイヤー。交通案内API。駅東方面の誘導端末。

 そこへ、反応が重ねられた。和佳の指が止まる。

「……餌じゃない」

「はい」

「餌を置いた手元を見てる」

「その可能性が高いです」

 分かりやすい目撃地点への反応には、あえて近づかなかった。

 ユナの断片には、本人を餌にするかどうかを確認した。

 そして、交通センターの短い応答は、物理的に近づいた。

 ノクスは餌場に来ていない。和佳の思考を採点した。

 そんな馬鹿らしい仮定をおくと、気分が悪いくらいに辻褄が合った。

「行儀悪い猫だな」

「和佳さんに言えたことですか」

「言える。私は人間だから」

「説得力がありません」

 和佳は背もたれに体を預けた。天井の染みが薄く目に入る。古い雨漏りの跡だ。人が忘れたものは、たいてい輪郭だけ残る。

 ノクスは、表に出た情報には来ない。記録されることを嫌うからだ。

 でも、記録の縁には触れる。しかも、和佳が何を餌にしたかではなく、どう餌を作ったかを見ているように見える。

 それでも、和佳の口元は少しだけ上がった。

 ノクスは逃げているだけでも、助けを求めているだけでもない。

 見て、避けて、試している。

 なら、こちらも試せばいい。

「二回戦ですか」

「一本先取と言った覚えはないよ」

「負けず嫌いですね」

「美徳って言って」

「扱いづらい美徳です」

 和佳は三つのカードに手を加えて、配り直した。

 一枚目は少し派手に。人間が見れば食いつきやすいように。

 二枚目は弱く。決してユナに火が向かない程度に。

 三枚目は、ほとんど無意味に見えるくらいに。

 ノクスが本当に手順を見ているなら、ノクスが本当に記録を避け、記録の隙間を使うものなら。

 いちばん古い死角を選ぶはずだ。

 和佳は席を立った。

「誘導されている可能性があります」

「知ってる」

「それでも行くんですか」

「見つけさせてあげるって言ったでしょ」

「言質を取られるタイプですね」

「猫に?」

「今回は、猫に」

 和佳は上着を引っかけた。走る靴ではない。今日は追わない。追うために外へ出ると、五歩目には相手の形を見失う気がした。

 必要なのは、こちらがどこまで読まれたかを見に行くことだ。

 

     *

 

 廃止された交通センターは、企業区画と旧市街の境目から少し外れた場所にあった。広い空間ではない。人の流れが開く場所でもない。むしろ、人の流れから取り残された小さな箱だった。

 表のシャッターは半分だけ下り、かつての案内窓口には曇った強化ガラスが残っている。外壁の路線図シールは剥がされ、粘着跡だけが薄く四角い亡霊みたいに残っていた。入口の上では、壊れかけの物理看板が「駅東方面交通案内」と「案内終了」を交互に誤表示している。

 誰かがどこへ行けばいいのかを教えるための場所だった。

 今は、誰にも何も教えない。

 それなのに和佳だけが、ここへ来た。

「趣味悪い場所」

「和佳さんに合っています」

「喧嘩売ってる?」

「適性評価です」

 近づくと、自動扉は反応しなかった。代わりに、横の手動扉が少しだけ開いている。鍵が壊れているのか、誰かが開けたのか、最初から閉める気がなかったのか。どれでも面倒だ。

 和佳は手袋を引き上げ、扉を押した。

 内側は、思ったより狭かった。

 受付ホールと呼ぶには小さく、物置と呼ぶにはまだ公共の顔を残している。壁には紙の時刻表が貼られたままで、端のほうが湿気で丸まっている。中央には案内端末の抜け殻。カウンターの向こうには、昔の職員が使っていたらしい椅子が一脚だけ倒れていた。

 床には埃が積もっている。

 だが、完全な廃墟ではない。古い端末の一部はまだ通電している。死にきれない機械の微かな熱が、空気の奥に残っていた。

「施設ログ上は休止状態です」

「じゃあ、この電気代は誰が払ってるの」

「都市管理の幽霊でしょう」

「請求先がかわいそう」

 和佳は奥へ進んだ。

 足音が、小さく返ってくる。開けた場所ではないのに、音の逃げ場が悪い。受付カウンター、案内パネル、古い掲示枠。どれも人を正しい場所へ送るためのものだったはずだ。今は、どこへも送れないまま残っている。

 案内板の中央には、昔の路線図が表示されていた。色は褪せ、現在地を示す赤い丸だけが剥がれたように消えている。

 駅東方面の端に、薄い空白がある。路線名も停留所名も削られ、そこだけが地図の外へ滲んでいるように見えた。

 和佳が近づいた瞬間、案内板が一度だけ明滅した。

 音声が流れる。

『この先、未対応区域です』

 和佳は足を止めた。

 案内板がもう一度明滅する。古い合成音声が、かすれながら続けた。

『現在地からの案内は、終了しました』

 その言葉は、妙に冷たかった。

 音が消えた。機械の熱だけが残る。古い蛍光灯の奥で、小さく虫が鳴ったような音がした。

 いや、違う。鳴ったのは、和佳の耳の奥だった。

 端末、カウンター、紙の時刻表、曇ったガラス。誰もいない。何も動いていない。だが、背中の皮膚だけが先に反応している。

 見られている。

 そう思った直後、受付窓口のガラスに黒い影が映った。

 猫だ。

 和佳は振り返った。そこにはいない。

 反射だけが先にあった。実物は別の場所にいる。和佳は動きを止めた。慌てて探せば、相手の順番に乗せられる。

 視界の端。

 古い路線図パネルの下。

 配線カバーの影。

 そこに黒猫が座っていた。

 ノクスは鳴かなかった。逃げもしなかった。

 ただ、和佳を見ていた。

 最初からそこにいたのではない。いや、違う。そこにいれば、和佳が最後に視線を向けるだろうと順番を選んでいた。

 和佳は短く息を吐いた。

「……正解、って顔してる」

「猫の表情判定に自信は?」

「ない。むかつくくらい分かるだけ」

 ノクスの耳がわずかに動いた。

 その目は、昨日までよりさらに近い。距離ではない。焦点が合っている。和佳という個体を、曖昧な人影として見ていない。

 品定めされた。その感覚が、ひどく腹立たしかった。

 和佳は一歩も近づかなかった。ノクスも動かない。

 ノクスは、和佳から目を切った。

 路線図を見る。

 川を越えた先。表示の消えた、案内対象外の空白。

 案内板が、三度目の明滅をした。

『この先、未対応区域です』

 ノクスはまた和佳を見る。

『現在地からの案内は終了しました』

 それ以上は何も示さない。

 目的地の名前も、距離も、経路も出ない。駅のさらに先だけが、地図から薄く削られていた。

「これでわかるだろって?」

 ノクスは答えない。

 当然だ。猫は言葉を返さない。けれど、返さないことまで含めて、こちらの反応を見ている。

 和佳はようやく分かった。

 自分は三枚目のカードを、交通センターを選んだつもりだった。

 ノクスが選ぶならここだと読んだつもりだった。

 餌を撒いたのは和佳だ。けれど、どの餌を本命扱いするかまで見られていたのだとしたら。その意図すら見透かされていたとするなら。

 ここへ来ることを選んだのは、果たしてどちらだったのか。

「ともあれ、見つけましたね」

 悠理が静かに言った。和佳はノクスを見たまま答えた。

「違う。見つけたのはあいつのほう」

 ノクスは、ほんの一瞬だけ目を細めたように見えた。

 肯定か、満足か、ただの瞬きか。そこまでは分からない。

 次の瞬間、黒猫は身を滑らせた。

 カウンターの影へ。配線カバーの裏へ。暗がりの継ぎ目へ。追う隙はなかった。より適切には、追わせるつもりがなかった。ただ、ノクスが消える直前、後ろ足が一度だけもつれたことを、和佳は見逃さなかった。

 案内板の表示が消える。古い音声も止まる。受付ホールはまた、廃止された場所の顔に戻った。

 ただ、川の向こうに滲んでいた空白だけが、目の裏に残っている。

 未対応区域。

 現在地からの案内は終了しました。

 目的地ではない。けれど、行き先ではある。

 ノクスは、場所の名前を教えたのではない。ここから先は案内が死ぬ、と教えたのだ。

 見つけたのではない。見つけられた。しかも、チケットまで渡された。

 こいつ、本気で私を使う気だ。

 和佳は使われることは嫌いではない。嫌いならこんな稼業はやっていない。

 けれど、使われっぱなしは、大嫌いだった。

 

 

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