『ONE PIECE:黒雷の流儀』   作:トート

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第1話:『帰ってきた黒雷』

偉大なる航路(グランドライン)の後半海域――「新世界」。

 頂上戦争という歴史の大激変から二年の月日が流れ、四皇の台頭と『最悪の世代』と呼ばれる若き海賊たちの進撃により、この海はかつてない激動の時代を迎えていた。

 そんな荒れる新世界の片隅に位置する、法も正義も届かない無法地帯の港町。

 どんよりとした曇り空の下、薄暗い酒場の中は、今まさに地獄絵図と化していた。

「ひっ、あ、悪魔め……! お前、なぜ生きている……っ! 二年前に死んだはずじゃ……!」

 床に這いつくばり、血反吐を吐きながら絶叫しているのは、新世界で頭角を現し始めていた海賊団の船長だった。その額からは滝のような冷や汗が流れ、銃を持つ手はガタガタと激しく震えている。

 彼の周囲には、すでに意識を失って倒れた数十人の部下たちが転がっていた。壁は砕け、強固なオーク材のテーブルは一撃で粉砕され、空間には濃密な血の匂いと硝煙の香りが立ち込めている。

 その破壊の中心に、一人の大柄な男が静かに佇んでいた。

 男の名は、シルバ。

 悪魔の実の能力は持たない。その身にあるのは、鍛え上げられた強靭な肉体と、深く被ったボロボロのコートだけだ。長く伸びた黒い前髪が顔の半分以上を覆い隠し、その表情を窺い知ることはできない。

「おい」

 シルバが低く、地を這うような声で呟く。

 ただそれだけの言葉だった。しかし、声に込められた圧倒的な質量が酒場全体の空気を震わせ、窓ガラスがピキピキと音を立ててひび割れていく。

「お前らがこの町の女たちから奪った金と食料、どこに隠した。……早く吐け。俺は今、すこぶる機嫌が悪い」

「し、知るか! 野郎ども、そいつを殺せ! 懸賞金『八億四千万ベリー』の首だぞ! 組織も率いねぇ、船も持たねぇ単独犯のくせに、世界政府から『最高危険度』に指定された伝説の賞金稼ぎだっ!!」

 船長の狂乱した号令に呼応し、まだ動ける奥の部屋の精鋭部隊――数十人の武装した海賊たちが、一斉にシルバへ飛びかかった。新世界を生き抜いてきた彼らの刃には、確かな殺意と、微かに武装色の覇気が纏われている。

 だが、シルバは一歩も引かない。拳すら握ろうとしなかった。

「……やめとけと言ったはずだ」

 シルバは大きくため息をつくと、迫り来る刃の嵐に対し、ただ左手の指先を突き出した。

 キィィィン、と鼓膜を刺すような高い金属音が酒場に響き渡る。

 次の瞬間、海賊たちが目撃したのは、信じられない光景だった。シルバが突き出した人差し指一本が、またたく間に漆黒の硬度へと染まり――数人がかりで振り下ろされた大刀や、強固な斧の刃を、微動だにせず真っ正面から受け止めていたのだ。

「武装色の……覇気……!?」

「能力者じゃねぇのに、硬度がおかしいだろ……っ!」

「能力に頼り切ったテメェらの攻撃じゃ、俺の皮膚一枚傷つけられねぇよ」

 シルバは指先に力を込め、軽く弾いた。

 それだけで、大の大人数人が大砲の弾丸のように吹き飛び、背後の壁を突き破って外の通りへと転がっていく。武器を持たない生身の肉体、それ自体が世界最高峰の『黒がね』と化した戦闘技術。

 頂上戦争の直前まで、この新世界で彼の名を知らぬ者はいなかった。

 悪魔の実の天敵である「海」を恐れず、ただ身一つ、そして圧倒的な覇気だけで数々の怪物を狩り続けてきた単独の賞金稼ぎ。しかし、ある「事件」をきっかけに突如として表舞台から姿を消し、世界政府からは死亡説すら流れていた。

 その怪物が今、二年の沈黙を破って再び新世界に目覚めたのだ。

 生き残った海賊たちが、恐怖に腰を抜かしながら後ずさりする。

 シルバは深く被っていたフードを、ゆっくりと左手で跳ね上げた。

「おい、テメェらの器じゃ、俺の『これ』には耐えられねぇぞ」

 長く伸びた前髪の隙間から、シルバの双眸が完全に露わになった。

 それは、世界をひれ伏させる狂暴な「王の資質」――絶大すぎる覇王色の覇気を宿した、鋭い眼光だった。

シルバの両目が、前髪の奥から完全に剥き出しになった。

 刹那――。酒場を包むすべての空気が、物理的な質量を持って数トン重くなったかのように激変した。

 バリバリ、バリバリッ!!!

 空間そのものが悲鳴を上げるように、どす黒い稲妻が壁や床を激しく駆け巡る。シルバがただ視線を走らせただけ。それだけの行為が、新世界の海賊たちにとっては、巨大な天災に真っ正面から衝突させられるに等しい絶望となった。

「――ッあ、ガ……ッ!?」

 叫ぶことすら許されなかった。

 シルバと目が合ってしまった男たちが、一人、また一人と凄絶な恐怖に顔を歪める。白目を剥き、泡を吹いて、操り人形の糸が切れたようにバタバタと床へ崩れ落ちていく。

 どれだけ武器を構えようが、どれだけ殺意を滾らせようが、関係ない。並の男たちの精神では、シルバの持つ「規格外の覇王色の覇気」が放つ圧力に、一瞬たりとも耐えきることはできなかった。

「ひ……ぃ……、うあああああ!!」

 かろうじて直接目が合うのを免れた船長が、恐怖のあまりに発狂したような声を上げる。しかし、彼もまたシルバの放つ威圧の余波だけで、全身の骨がガタガタと軋み、その場に両手をついて平伏することしかできなかった。

 数百人いたはずの無法者たちが、シルバがただフードを外しただけで、文字通り全滅したのだ。

 静寂が戻った酒場。割れたガラスを踏みしめながら、シルバは一歩、また一歩と平伏する船長の方へと歩を進める。

 その時だった。

「……こ、来ないで……っ!!」

 倒れた海賊たちの死角から、不意に小柄な影が飛び出してきた。

 涙で顔を濡らしながら、必死の形相で剥き出しのナイフを構えているのは、一人の若い女性だった。この海賊団に捕まり、無理やり戦闘員として従わされていた現地の娘だ。

 恐怖に震えながらも、彼女は生き残るために、シルバの胸元を目がけてナイフを突き出してきた。

 世界の怪物を一瞥で沈める、シルバの凶悪な「王の眼」が、その女性を真っ正面から捉える。

 居合わせた者がいれば、誰もが「彼女もまた精神を叩き割られて失神する」と思っただろう。

 だが、シルバは――フッと小さく鼻で笑うと、瞬時に視線を真横へと逸らした。

 そして、再び伸びた前髪で、その鋭い双眸を完全に隠してしまったのだ。

 それだけではない。シルバは突き出される刃に対し、武装色の硬化を使うことも、その卓越した見聞色で躱すこともしなかった。完全に無防備な生身の姿のまま、その場に直立した。

 ザシュッ、と肉の裂ける鈍い音が響く。

 娘の放ったデタラメな突撃は、シルバの脇腹へと深く突き刺さっていた。鋭いナイフの刃が肉を捉え、ボロボロのコートを真っ赤な鮮血が染め上げていく。

「な……っ!?」

 驚愕し、目を見開いたのは、ナイフを突き刺した女性の方だった。

 周囲の化け物たちを一瞬で全滅させた男が、なぜ、自分の一撃をこれほど無抵抗に喰らい、血を流しているのか。彼女の理解は完全に追いついていなかった。

「……おい、お嬢ちゃん。そんなに震えてたら、狙いがブレるぞ」

 シルバは口元から一筋の血を流しながらも、痛がる素振りすら見せず、不敵にニヤリと笑ってみせた。

 これが、彼の流儀。

 悪魔の実を持たず、世界の頂点に君臨するほどの覇気を持ちながら、シルバが二年前の頂上戦争の直前に表舞台から姿を消した本当の理由――。それもまた、新世界の強力な女性海賊を前に、この「不戦のポリシー」を貫き通し、無抵抗のまま敗北を選んだからだった。

「女を睨みつける趣味も、女に拳を振るう度胸も、あいにく持ち合わせてねぇんだよ。……悪ぃな、驚かせた」

 シルバは刺さったナイフの柄を素手で掴むと、眉一つ動かさずにそれを引き抜き、床へと放り投げた。どれだけ自分が傷つこうとも、どれだけ世界から「敗北者」と嘲笑われようとも、この信念だけは死んでも曲げない。それが『黒雷のシルバ』という男の生き様だった。

 怯える女性にそれ以上目もくれず、シルバは再び髪の奥の眼を、背後で腰を抜かしている男の船長へと向けた。

「さて……。テメェの眼は、まだ死んでねぇようだな」

 シルバの右拳が瞬時に漆黒に染まり、バリバリと再び黒い雷が弾ける。

 二年の潜伏を経て、再び動き出した伝説の覇王。この後、傷を負った彼は港へと向かい、新世界を進む『麦わらの一味』の船――サニー号へと流れ着くことになる。

(第1話・了)

 

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