『ONE PIECE:黒雷の流儀』   作:トート

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第3話:『サニー号の猛獣たちと、開けない眼』

サニー号が新世界の夜の海を滑るように進む頃、甲板は静まり返っていた。

 ルフィとボニーはサンジの作った特大の肉料理を巡ってひとしきり大喧嘩を繰り広げ、すっかり腹を満たしてそれぞれの部屋で爆睡している。

 シルバは月明かりだけが冷たく照らすマストの影にどっかりと腰掛け、昼間にボニーに掴まれた胸ぐらを思い出すように、自分の衣服の襟元を退屈そうに見つめていた。

(ジュエリー・ボニー……。あの大食らい、なんで俺の目を真っ正面から見て平気な顔をしてやがった……)

 思い出すだけで、またじわりと顔が熱くなるのを感じ、シルバはあえて冷たい夜風を深く吸い込んだ。男の怪物どもなら、あの至近距離で目が合えば恐怖で五臓六腑がひっくり返り、命乞いを始めるはずだ。彼女の胸にある「何か」の強さに、シルバの調子は昼からずっと狂いっぱなしだった。

「ひえぇぇ……。おいチョッパー、あいつ本当に2年前のあの『黒雷のシルバ』なのか……? 目を合わせたら一瞬で俺の『八千人の部下』も全滅しちまうって噂の……」

「ウソップ、大声を出すなよ! 起きてこっちを睨んだらどうするんだよぉ!」

 少し離れた樽の陰から、ウソップとチョッパーがガタガタと震えながらシルバの様子を窺っている。シルバの持つ、組織に属さない単独犯としては破格の『八億四千万ベリー』という二年前の懸賞金は、彼らにとって十分に恐怖の対象だった。

「――ねぇ。いつまでそうやって、コソコソ隠れてるつもり?」

 鋭く、張り詰めた声が静寂を破った。

 シルバが顔を上げると、そこにはオレンジ色の髪の航海士――ナミが、両手を腰に当てて立っていた。その手には、2年前のシルバの古い手配書が握られている。彼女の目はルフィたちのような歓迎の色ではなく、明らかな警戒の色を含んでいた。

「……何の用だ、オレンジ頭。俺に近づくなと言ったはずだ」

 シルバはすぐさまフードを深く被り、ナミから完全に視線を逸らした。

「近づくなと言われて『はいそうですか』って引き下がるわけないでしょ、ここは私の船よ!」

 ナミはツカツカと足音を荒くしてシルバに歩み寄る。

「ルフィやサンジくんはあんたの『女を殴らない』なんて言葉を信じて気に入ったみたいだけど、私は騙されないわよ。2年前とはいえ単独犯で『八億四千万』? そんな世界政府から最高危険度を指定されてる爆弾を、このままタダで乗せておくわけにいかないの。あんた、本当の目的は何なのよ? 隠さずに言いなさい!」

「目的だと? ……言っただろ、傷が癒えるまで飯を食わせてもらう、ただの密航者だ」

 シルバは頑なに首を横に向けたまま、低い声で応じる。

「それ以上こちらに来るな。俺の眼は、カタギの人間じゃ耐えられねぇ。お前が俺と目が合ったら、その瞬間に脳ミソが恐怖で焼き切れて倒れるぞ。大人しく下がってろ」

 シルバとしては、ただ純粋にナミを気絶させまいと、彼なりの不器用な配慮で警告したつもりだった。

 だが、そのぶっきらぼうで傲慢とも取れる言い回しは、ナミの逆鱗に触れるには十分すぎるほどの火種だった。

「……はぁ? 脳ミソが焼き切れる? 白目を剥く?」

 ナミの額に、青筋がピキピキと浮かび上がる。持っていた手配書をギリリと握りつぶし、もう片方の手に持つクリマ・タクトに、怒りの力がこもった。

「人の顔も見ないで、上から目線で偉そうに……。あんた、ナメるのも大概にしなさいよ……っ!!」

ナミから放たれる怒りのオーラは、すでにある意味で新世界の並の海賊たちの覇気を遥かに凌駕していた。サニー号の生態系の頂点に立つ者の気配に、マストの影の空気がじりじりと熱を帯びていく。

「おいウソップ! ナミが怒らせちゃいけない化け物をさらに怒らせてるぞ!」

「ひえぇぇ〜! シャボンディで見たレイリーのおっさんや、ルフィの話に出てくるシャンクスと同じだ! 目を合わせたら一瞬で俺たちも全滅しちまう〜っ!!」

 樽の陰で抱き合ってガタガタと震え上がっているチョッパーとウソップの悲鳴など、今のナミの耳には全く届いていなかった。

「おい、やめろ、それ以上近づくな――」

 シルバは迫り来るナミを制止しようと手を伸ばした。しかし、相手は女性だ。彼の手は、彼女を突き放すための武装色の覇気を纏うことも、力任せに押しのけることもできない。完全に無抵抗のままで、ズルズルと後退するしかなかった。

「話すなら、人の目を見て話しなさいよーーーっ!!」

 ナミが猛烈な勢いでシルバの襟首を掴み、その勢いのまま、顔を隠していたフードを一気に剥ぎ取った。さらに、長く伸びていた黒い前髪が彼女の指先に絡まり、ずるりと左右に割れる。

 月明かりの下、シルバの世界をひれ伏させる狂暴な「王の眼」が、完全にナミの正面へと露出してしまった。

(抑え込め、間に合わねぇ――!!)

 シルバは最悪の事態を想定し、脳裏で叫んだ。至近距離で自分の眼を見たナミが、ショックで失神するか精神を叩き割られると思い、咄嗟に自身の覇王色を力技で限界以下まで抑え込もうとした。しかし、あまりにも突発的なアクシデントに、漏れ出る力を完全に遮断しきれない。バリバリと空間に微かな黒い稲妻が走り、シルバの鋭い眼光がナミの瞳に突き刺さる。

 だが。

「……あん? なによその目は。文句でもあるの?」

 ナミは白目を剥くどころか、さらに顔を近づけて、シルバをギロリと激しく睨み返した。

 ナミ自身に覇気などない。しかし、ルフィを筆頭とする一味の怪物たちを毎日拳一つで従え、数々の死線を修羅場に変えてきた航海士としての規格外の精神力は、シルバの漏れ出た覇王色すら力技で無視してみせたのだ。

「な……っ!? お前、なんで平気で……」

 今度はシルバが驚愕する番だった。昼間のボニーに続き、自分の眼を見て、気絶するどころか平然と怒鳴り散らしてくる女性が二人も現れたのだ。新世界のどんなバケモノを前にした時よりも、シルバの理解は完全に停止した。

 動揺し、完全にカカシのようになったシルバの隙を、ナミは見逃さなかった。

「この船に乗せて欲しかったら、少しは愛想良くしなさいよーーーっ!!」

 ドガァァァン!!!

 ナミの繰り出した、覇気もクソもない、ただの『純粋な怒りの拳』がシルバの顔面にクリーンヒットした。

 女相手に防御も回避も一切しない(できない)シルバは、その強力な一撃を真っ正面からまともに喰らい、サニー号の芝生の甲板を激しく何回転も転がっていった。そのままマストの根元に頭を激突させ、頭の上に巨大なたんこぶを作って完全に気絶する。

「あはははは! シルバが白目剥いて倒れたぞ! おっかしいなー!」

 騒ぎに気づいて甲板に出てきていたルフィが、地面を叩いて大爆笑している。

「おいおい……八億四千万の賞金稼ぎが、ナミのパンチ一発でノックアウトかよ。世話がねぇな」

 ゾロが呆れたように刀の柄から手を離してため息をつき、サンジは「さすがナミさん、容赦ねぇ暴力の美しさ……!」と目をハートにしてウットリしている。

「ふふ、本当に面白い人ね。私たちの前では、その自慢の『眼』も形無しみたい」

 ロビンが甲板の隅で楽しそうにクスクスと笑い声を響かせた。

「おい、生きてるかー!? 八億の化け物が死んじまうぞー!」

 チョッパーが慌てて包帯を持って駆け寄ってくるが、シルバは完全に夢の中だった。

/ 気を失い、芝生の上に転がったシルバは、薄れゆく意識の奥で静かに思っていた。

(麦わらの一味……。男もバケモノだが、女はそれ以上の修羅の集まりかよ……)

 無能力にして最強の覇王シルバ。彼の輝かしい威厳は、サニー号の上では早くもボロボロに崩れ去るのであった。

(第3話・了)

 

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