『ONE PIECE:黒雷の流儀』 作:トート
「おーい! 島が見えてきたぞー! おもしれぇ形の島だ!」
サニー号の物見櫓から、ルフィの弾んだ声が響き渡った。
水平線の向こうに見えてきたのは、まるで巨大な歯車がいくつも噛み合っているかのような、奇妙な断崖絶壁を持つ新世界の島だった。ナミのログポースが示す通り、磁気は安定しているが、新世界の海に「安全な島」など一つも存在しない。
「よし、上陸するわよ! ただし、今回は海軍の動きも怪しいから、みんな数人のグループに分かれて行動すること! いい?」
ナミが甲板の全員に見事な仕切りで指示を出す。
「お、おいルフィ……俺はちょっと体調が悪くてな、島には残る……」
「ウソップ! 嘘つくな! 一緒に行くぞ!」
「ひえぇぇ〜!」
そんな賑やかな一味の様子を、シルバはいつものマストの影から静かに見つめていた。脇腹の傷はチョッパーの手当てのおかげですっかり塞がっており、体のキレは完全に二年前の全盛期へと戻りつつある。
「……おい、黒雷」
不意に、背後から声をかけられた。
シルバが前髪の隙間から振り返ると、そこにはリュックを背負い、短いジーンズのポケットに両手を突っ込んだボニーが立っていた。彼女の不敵な瞳は、まっすぐにシルバの顔を捉えている。
「あァ? 何の用だ、大食らい」
「ナミのやつがグループ分けを決めたんだよ。ルフィとゾロは勝手に飛び出しちまうし、サンジはナミとロビンにべったりだ。……消去法で、あたしはテメェと同じグループになった」
「……何だと?」
シルバは思わず声を裏返した。バッと視線を逸らすが、ボニーはめげずに顔を覗き込んでくる。
「なんだよ、嫌そうな顔すんな! あたしだってテメェみたいな陰気な奴と一緒なのは御免だけどよ、島に行きゃ美味ぇもんがたくさんあるってルフィが言ってたんだ。だから行くぞ!」
ボニーはシルバのボロボロのコートの袖をグイと引っ張り、強引にサニー号のタラップへと歩き出した。
(クソ、ナミのやつ……わざとやりやがったな……)
シルバは遠くでロビンが「ふふ、いってらっしゃい」と優雅に手を振っているのを見つけ、完全にハメられたことを悟った。だが、相手は女性だ。力任せに振り払うこともできず、シルバは顔を赤くしたまま、ボニーの後ろを大人しく付いていくしかなかった。
上陸した島は、活気に満ちた交易都市だった。
だが、その活気の裏には、新世界特有のドス黒い暴力の気配が満ち満ちていた。
「美味ぇ! この串焼き、最高じゃねぇか!」
街の露店で、両手に大量の食べ物を持って頬張るボニー。その姿はサニー号の食堂と何も変わらない。シルバはフードを深く被ったまま、彼女の少し後ろを、周囲の「男たちの気配」を警戒しながら歩いていた。
その時、シルバの研ぎ澄まされた見見色の覇気が、周囲の路地裏から急速に近づいてくる数十人の重い足音を捉えた。
「――おい、大食らい。食うのをやめろ」
「あァ!? なんだよ、人が気持ちよく食って――」
「囲まれてるぞ」
シルバが低く呟いた瞬間、路地裏から武器を手にした無骨な男たちが一斉に飛び出し、二人を完全に包囲した。その数、およそ五十人。一味のサニー号を狙う、この島の悪名高い賞金稼ぎや海賊の混成部隊だった。
「ひゃははは! 見つけたぞ、最悪の世代のジュエリー・ボニー! それと……その隣の、前髪の長い男は……もしや『黒雷のシルバ』か!?」
「十八億と一億超えがセットで歩いてやがった! 運がねぇなァ、まとめて首を政府に売ってやるよ!」
男たちが下劣な笑みを浮かべ、一斉に刃や銃口を向けてくる。
ボニーは口の中のものをゴクリと飲み込むと、鋭い蹴りのポーズを構え、シルバの背中へと自分の背中をぴったりと預けてきた。
背中越しに伝わる、少女の確かな体温と、命を恐れない強い鼓動。
「おい、シルバ。テメェの自慢の『拳』、出し惜しみすんなよ!」
「……言われなくても分かってる。野郎(男)が相手なら、俺は誰にも負けねぇよ」
シルバの右拳が瞬時に漆黒の硬度へと染まり、バリバリと黒い雷光が弾けた。二人の初めての共同戦線が、新世界の街角で幕を開ける。
「……ひゃははは! 運がねぇなァ、まとめて首を政府に売ってやるよ!」
下劣な笑い声を響かせながら、一斉に飛びかかってくる男の悪党ども。新世界の街角に、凄まじい刃の嵐と銃撃の音が交錯する。
だが、シルバの背中にぴったりと身を預けたボニーの瞳には、微塵の恐怖も浮かんでいなかった。
「おい、シルバ! 左はあたしがやる! テメェは右だ、足引っ張んなよ!」
ボニーの叫び声と同時に、彼女のしなやかで強靭な脚が空を大きく薙いだ。
ドガァン!!! と激しい肉声が響き、襲いかかった大柄な男の海賊が、ボニーの強烈な上段蹴りを真っ正面から喰らって派手に吹き飛んでいく。街のレンガの壁に激突し、一撃で意識を失うほどの威力を秘めた足技。これぞ『最悪の世代』の一角として新世界を渡り歩いてきた少女の実力だった。
「――っ、はは! いい蹴りだな、大食らい!」
背中越しに響いた彼女の戦いぶりに、シルバはフードの奥で獰猛に口元を歪めた。
男の敵が相手であるならば、今の彼に一切の躊躇も、手加減の必要すら存在しない。
「だが、俺のスピードに置いていかれんじゃねぇぞ」
シルバが低く呟いた瞬間、彼の右拳から、バリバリバリッと空間を引き裂くような黒い雷光が爆発的に弾けた。極限まで練り上げられた武装色の覇気が、シルバの拳を完全なる漆黒の硬度へと染め上げていく。
「『黒雷・一閃(こくらい・いっせん)』」
シルバが右拳を軽く突き出した、ただそれだけの行為だった。
しかし、拳が敵に触れるよりも数メートル手前の空間で、極限まで圧縮された「流桜」の衝撃波が解き放たれ、前方から迫っていた十数人の賞金稼ぎたちを、文字通り一網打尽にして吹き飛ばした。
「ぎゃあああああああ!!?」
「拳が、触れてもいねぇのに……なんだこの威力はァ!!」
吹き飛んだ男たちが、まるで紙屑のように街の建物の壁へと叩きつけられ、次々と白目を剥いて失神していく。悪魔の実の能力を持たず、ただ身一つと覇気だけで頂点に立つ男の真骨頂。
「おいおい……マジかよ。テメェ、本当に化け物じゃねぇか……!」
ボニーは次々と男を蹴り飛ばしながらも、シルバが放つ圧倒的な破壊力の余波に、思わず目を見開いて感嘆の声を漏らした。だが、驚いている暇はなかった。
「ひゃははは! 後ろが無防備だぞ、ジュエリー・ボニー!!」
ボニーの死角である左後方から、一人の卑劣な男の海賊が、鋭い大刀を振りかざして彼女の背中へと肉薄した。ボニーの蹴りの硬直を狙った、完璧な不意打ちだった。
「――ボニー、動くな」
シルバの声がした。
ボニーがハッとして息を呑んだ瞬間、シルバの大きな身体が彼女の目の前を遮るようにして、滑り込んできたのだ。
キィィィン!!!
高い金属音が響き渡る。
男の放った渾身の斬撃は、ボニーの身体に届く直前で、シルバが突き出した左手の人差し指一本によって完全に受け止められていた。指先は漆黒の覇気で硬化されており、大刀の鋭い刃を微動だにせず真っ正面から押し留めている。
「な……っ!? 指一本で、俺の剣を……!」
「お前、今……俺の背中(後ろ)にいる女に、刃を向けようとしたな?」
シルバの長く伸びた前髪の奥から、冷酷極まりない「王の眼」が、男の海賊を真っ直ぐに射抜いた。
「――ひっ!!?」
男は叫ぶことすら許されなかった。
シルバの放った絶大すぎる覇王色の圧力を至近距離で浴びた男は、ショックで顔を歪めると、次の瞬間には白目を剥いて床へと崩れ落ち、泡を吹いて完全に気絶した。
「ふぅ……。終わったか」
シルバは拳の覇気を解くと、不機嫌そうに息を吐き、再び前髪でその鋭い両眼を深く隠した。周囲を見渡せば、五十人いた男の悪党どもは、一人残らず地面に転がって意識を失っている。
「……おい、シルバ」
ボニーが、少し息を弾ませながらシルバの前に歩み寄ってきた。彼女の勝気な瞳は、まっすぐにシルバの顔を捉えている。
「あァ? なんだよ大食らい、まだ肉の食い足りねぇ顔して――」
「さっきは……ありがとな。テメェ、女は殴らねぇくせに、女を守る時はいい拳一発入れるじゃねぇか」
ボニーはフッと、悪戯っぽく、けれどどこか嬉しそうな笑顔をシルバに向けた。目が合っても一切怯まない、彼女の強く輝く瞳が、至近距離でシルバの視界をジャックする。
(な……っ!?)
その瞬間、シルバの心臓が、耳の奥で爆音を立ててドクンと跳ね上がった。
急激に顔が熱くなるのを感じ、シルバは完全に狼狽(ろうばい)して、バッと乱暴に視線を逸らしてそっぽを向いた。
「……ふん、勘違いするな。俺はただ、目の前の男の野郎が気に入らなかっただけだ」
声を震わせないようにするのが、精一杯だった。
「あははは! テメェ、また目を逸らしやがったな! 本当にわかりやすい奴!」
ボニーは楽しそうに笑いながら、シルバのボロボロのコートの袖を再びグイと引っ張った。「さぁ、まだ食い足りねぇから次の店に行くぞ! テメェの奢りな!」
「おい、待て大食らい……! なんで俺が払わなきゃいけねぇんだ……!」
顔を真っ赤にしたまま、ボニーの後ろを大人しく付いていくシルバ。
初めての共同戦線を経て、二人の不器用な距離は、ほんの少しだけ縮まっていた。だが、彼らがサニー号へ戻る頃には、新世界をさらに揺るがす「次の目的地」への航路が、静かに開かれようとしていた。