『ONE PIECE:黒雷の流儀』 作:トート
未来島エッグヘッドの空に、突如として禍々しい『巨大な魔法陣』が浮かび上がった。
そこから溢れ出たのは、新世界のいかなる海賊の気配とも違う、おどろおどろしく濃密な死と絶望の気配だった。黒い炎が弾け、地面を大きく割りながら姿を現したのは、蜘蛛のような下半身に巨大な角を持つ、世界最高権力の化身――五老星の一角、ジェイガルシア・サターン聖。
「……虫ケラどもが。神の領域に土足で踏み入るとは、身の程を知らん」
サターン聖がその杖をトントン、と地面に突いた瞬間、目に見えない強烈な衝撃波が広場を襲った。
ルフィが険しい顔で身構え、周囲の海兵たちが息を呑む中、その冷酷な視線は、地面に手をついて必死に呼吸を整えているピンク色の髪の少女――ボニーへと向けられた。
「ジュエリー・ボニー。お前はバーソロミュー・くまという最高の人形を作るための、単なる『人質』に過ぎん。……用済みの虫ケラは、ここで踏み潰してくれる」
サターン聖の背後から、無機質な眼光を放つパシフィスタの群れが一斉に前進してくる。その中には、ボニーの幼い心を引き裂くように、彼女の父親であるくまの容姿をした個体が何体も混ざっていた。さらにサターン聖の強力な超常の力によって、ボニーの身体はまるで見えない鎖で縛られたかのように、その場から一歩も動けなくなってしまう。
「くっ……! 身体が……動かねぇ……!」
ボニーは迫り来る父親の姿をした銃口を前に、激しい怒りと、それ以上に深い絶望で大粒の涙を瞳に溜めた。
「おとう……! 撃ちてぇなら撃てよ! あたしは、世界政府の野郎どもになんか、絶対に屈しねぇ……っ!」
絶体絶命の危機。ボニーが恐怖に目を瞑ろうとした、その刹那だった。
ドォン!!! と地鳴りのような爆音と共に、サニー号から宙を駆けてきた大柄な男の身体が、ボニーの目の前へと猛烈な質量を伴って着地した。
ボロボロのコートを激しくなびかせ、深く被ったフードの隙間から不敵な口元を覗かせる男。――シルバだ。
「――おい、大食らい。そんな顔してたら、美味ぇ肉が不味くなるぞ」
シルバの声が低く、けれどこの世で最も頑強な盾のように、ボニーの震える心の真っ正面に響き渡った。
「シルバ……っ!? テメェ、なんで……! 動いちゃダメだ、あいつの力は異常だぞ!」
ボニーが涙を流しながら叫ぶが、シルバはいつものように彼女にそっぽを向けたまま、静かに、けれど鋼のように硬い右拳をポケットから引き抜いた。
「フン、関係ねぇよ。……おい、そこの不細工な蜘蛛のジジイ」
シルバはゆっくりと、自分の顔を隠していたフードを左手で乱暴に跳ね上げた。
長く伸びた黒い前髪の隙間から、世界を完全に支配せんとする狂暴な「王の眼」が、五老星サターン聖の醜悪な姿を真っ直ぐに捉える。
バリバリバリバリ、バリッ!!!!!
瞬間、エッグヘッド島全体の空気が、物理的な暴風を伴って一気に数十トン重くなったかのように激変した。シルバの放った『極限まで怒りに狂い咲いた覇王色の覇気』が、どす黒い漆黒の稲妻となって、周囲の地面や世界政府の軍艦を容赦なく叩き割っていく。
「な……何だ、この凄まじい覇気は……!? 政府のデータにない、この男は一体……!」
サターン聖の周囲に控えていた海軍の男の将校たちが、恐怖に顔を歪めて次々と絶叫を上げる。シルバがただ視線を走らせ、その凶悪な眼光で睨みつけただけで、何百人という精鋭海兵たちが一切の抵抗もできずに白目を剥き、バタバタと床や地面へと崩れ落ちていった。ただの一瞥で、政府の包囲網の半分が完全に沈黙したのだ。
「お前が世界最高権力だか何だか知らねぇが……」
シルバの右拳が瞬時に光を一切反射しない漆黒の硬度へと染まり、バリバリと覇王色の黒雷を纏っていく。触れることすら許さない、最強の流桜と覇王色の融合。
「俺の前で、その少女(未来)を泣かせた罪は――テメェの命丸ごとでも、払い切れねぇぞ」
「ほう……悪魔の実の能力も持たぬ人間の身でありながら、これほどの覇気を練り上げるとはな。だが、所詮は下界の羽虫の足掻きに過ぎん」
サターン聖は不気味な六本の脚を蠢かせ、シルバの放つ漆黒の雷光を真っ正面から浴びながらも、冷酷な薄笑いを崩さなかった。世界最高権力という神の座に君臨する男にとって、地上の人間がどれほどの覇気を持とうが、それはただの「珍しい虫」でしかなかった。
「シルバ、テメェ、本当にバカかよ……っ! あたしなんかのために、世界政府の最高権力に喧嘩売ってんじゃねぇ……!」
背後で身動きの取れないボニーが、大粒の涙を流しながら叫び声を上げる。だが、シルバは彼女に目もくれず、そっぽを向けたまま、その頑強な背中で世界の絶望をすべて受け止めるように立ちはだかっていた。
「……五老星サターン。テメェがどれだけ偉い神様だろうが、俺の知ったことじゃねぇ」
シルバの右拳が、バリバリと空間を引き裂くような覇王色の黒雷を、さらにその身へと吸い込んでいく。
無能力にして世界の頂点に立つ『黒雷のシルバ』。彼は女性には絶対に手を出さない。それは、彼女たちが世界の『未来』をその身に宿し、紡いでいく尊い存在だからだ。ならば、その未来を理不尽な暴力と世界の闇で踏みにじり、少女の涙を嘲笑うこの男の悪党(サターン聖)に対し、彼が振るうべき拳の理由は、すでにこれ以上ないほどに完成していた。
「男(野郎)が相手なら、俺は誰にも負けねぇと言ったはずだ」
シルバの巨体が爆音と共に床を蹴り、サターン聖の巨大な肉体へと一直線に肉薄した。
「身の程を知れ、羽虫が」
サターン聖の鋭い脚の爪が、見えない速度でシルバの胸元へと突き出される。だが、シルバはそれを避けることすらしない。
極限まで練り上げられた『武装色の覇気』が、シルバの全身を完全なる漆黒の金属へと変貌させていた。キィィィン!!! と凄絶な金属音がエッグヘッドの空に響き渡り、サターン聖の爪はシルバの皮膚一枚を傷つけることもできずに激しく弾け飛んだ。
「な……っ!? この硬度……ただの武装色ではないな!」
「遅ぇんだよ、ジジイ」
シルバが右拳を深く引き絞る。
その拳の周囲では、極限まで圧縮された「流桜」の衝撃波と、怒りに滾る「覇王色」が完全に融合し、世界を滅ぼさんばかりの巨大な黒い雷球を形成していた。
「『黒雷・一穿(こくらい・いっせん)』」
シルバの黒拳が、サターン聖の醜悪な顔面に向けて真っ直ぐに振り下ろされた。
実際には、シルバの拳はサターン聖の肉体に触れてすらいない。だが、その手前の空間で解き放たれた覇王色の衝撃波が、サターン聖の巨大な肉体を文字通り跡形もなく消し飛ばすほどの勢いで炸裂した。
ズガァァァァァァァァン!!!!!
島全体が崩壊せんばかりの、凄絶な大爆発が広場を包み込む。
サターン聖の蜘蛛の巨体は、シルバの一撃によって半分以上の肉体を文字通り消し炭のように粉砕され、遥か彼方の研究所の壁へと叩きつけられた。激しい衝撃の暴風がエッグヘッドを吹き抜け、周囲に残っていた海軍の男の将校たちも、その圧力の余波だけで次々と白目を剥いて倒れていく。
たった一発。悪魔の実の能力を持たず、ただ身一つとポリシーだけで五老星の肉体を粉砕してみせた、圧倒的な男の破壊の流儀。
「はぁ……はぁ……」
シルバは何事もなかったかのように着地すると、再び前髪を下ろし、世界を震わせたその両眼を深く隠した。脇腹の古傷が少しだけ痛み、コートの隙間から血が滲んだが、その佇まいはどこまでも涼しげだ。
「……すご……。テメェ、本当に……お父(とう)を泣かせた世界政府を、ブッ飛ばしやがった……」
サターン聖の異様な能力が解除され、ようやく動けるようになったボニーが、床に膝をついたまま、その不敵な瞳をこれまでにないほど激しく輝かせてシルバを見上げていた。
「フン、言っただろ。男が相手なら、俺は誰にも負けねぇよ」
シルバは不敵にニヤリと笑ってみせたが、ボニーが涙を拭いながら一歩近づいてきた瞬間、またしても顔を真っ赤にしてフイッと視線を逸らすのだった。
世界最高権力にその黒拳を叩きつけ、ボニーの絶望の未来を自らの力で切り裂き始めたシルバ。だが、五老星の真の恐怖は、どれだけ肉体を破壊されても一瞬で再生する不気味な不死の呪いにあった。ルフィの『ニカ』の光が目覚める中、シルバとボニーの運命の決戦は、さらに激しさを増していくことになる。