タイズルスの落し子   作:ナゴン

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他の作品を執筆しているのにどうしても我慢できずに投稿した。後悔はない。


第一話 孤高なる王の生誕

 数琥珀紀の前。あるいは、神々がその「神権」をかけて宇宙を揺るがしていた大戦の時代。 「繁殖」の星神(アイオーン)タイズルスは、世界の終わりにいた。

 

 彼を包囲していたのは、宇宙の秩序を司る巨頭たち。天彗星ウォールを築く「存護」のクリフォト。万物を貪り喰らう「貪欲」のウロボロス。あるいは「純美」のイドリラ――。

 

 神々の猛攻の前に、かつて宇宙を喰らい尽くさんとした「虫の潮(スウォーム)」は(ことごと)く塵へと帰し、タイズルス自身の不滅の肉体もまた、崩壊の一途を辿っていた。

 

 死。それは「繁殖」という概念そのものの敗北を意味していた。

 

――(りょう)では足りぬ。

――ならば、質だ。

 

 タイズルスは、砕け散る神格の最期の輝きを、すべて一個の細胞へと凝縮し始めた。

 

 それは無限に増殖するだけの兵卒ではない。ただ一匹で「繁殖」の運命(パス)を背負い立ち、あらゆる生命の頂点に君臨する、個の極致。

 

 神が消滅する刹那、タイズルスの執念が混じった絶叫とともに、一つの『黄金の繭』が宇宙の深淵へと射出された。

 

 神の落日という大爆発の衝撃に紛れ、その繭は星々の間を流離い、やがて光も届かない辺境の死星へと墜ち、長い眠りについたのである。

 

 

 そして現代。宇宙の時間がいくつの琥珀紀を刻んだ頃か。

 

 その不毛の星の地下深く、闇に閉ざされた洞窟の奥底で、肉厚な繭が不気味に脈動していた。

 

――ミ、ズ……、バキ、ッ。

 

 強固な殻を内側から引き裂き、粘液に塗れた異形が這い出る。

 

 それは、人の形を模した、しかし圧倒的に不気味で美しい『虫』だった。

 

 生まれたばかりの異形に、思考はなかった。

 

 ただ、胃袋を焼き焦がすような猛烈な飢餓感と、遺伝子の奥底から響く全自動の命令(バグコード)だけが、その肉体を突き動かす。

 

――貪れ。増やせ。

 

 異形は立ち上がり、ただ本能のままに動き出した。地下に蠢く原生生物を捕らえ、その殻ごと、肉ごと、無慈悲に咀嚼する。武器など要らない。ただ素手で肉を裂き、顎で噛み砕く。喰らえば喰らうほど、肉体の中に眠るタイズルスの権能――【貪喰の主権(たんしょくのしゅけん)】が自動的に発動し、敵の生命データと運命の残滓を、自らの肉体という統治領域に強制的に組み込んでいく。

 

 だが、どれだけ肉を貪っても、飢えは満たされなかった。胃袋ではなく、頭の奥にある『空白』が、もっと別の何かを求めて叫んでいた。

 

 

 ある日、不毛の星の地表に、一条の光が突き刺さった。それは、宇宙船の破損した脱出ポッドだった。激しい煙を上げる鉄の塊。その中から、一人の男が這いずり出る。

 

 男の衣服には、スターピースカンパニーのロゴが刻まれていた。辺境の航路で難破し、この死星に不時着した不運な社員。男は血を流し、瀕死の重傷を負っていた。

 

 カサリ、と乾燥した岩肌を鳴らす音がした。

 

「ひ……っ!?」

 

 男が顔を上げると、そこに『それ』が立っていた。

 

 人間に酷似した四肢、洗練された外殻、そして一切の感情を排した冷徹な複眼。それは、カンパニーの教科書で宇宙最悪の災害と教えられる「スウォーム」の系譜――いや、それらとは一線を画すほどに高貴で、圧倒的な圧迫感を放つ異形だった。

 

 異形は、男を見ていた。

 

 今まで喰ってきた原生生物とは違う。ひどく脆弱で、まともな外殻すら持たない肉の塊。だが、男の脳から放たれる精神エネルギーの波長は、異形が初めて感知する類のものだった。

 

 恐怖。絶望。そして、生への異常な執着。

 

「来ないでくれ……。助けてくれ、頼む、誰か、誰か……!」

 

 男がガタガタと震えながら、口から奇妙な音を漏らす。 異形にはその音の意味が分からなかった。だが、その脳から溢れ出る未知のエネルギーに、本能的な興味を惹かれた。

 

 異形は一歩を踏み出し、男の胸へと鋭い爪を突き立てた。

 

 絶叫が死星の荒野に響き、そして、すぐに咀嚼音へと変わる。

 

 異形は躊躇なく、その人間の肉体を貪り喰らった。

 

 その瞬間。

 

 異形の脳内で、【貪喰の主権】による情報の強制統治が始まった。

 

『うわあああ! 船が、星核の異常振動に巻き込まれる――!』

『今月のノルマ、また達成できなかったな……』

『ねえ、お父さん。おみやげは何がいい?』

 

 濁流だった。男がこれまで生きてきた三十数年の記憶。故郷の青い空。愛する家族の温もり。カンパニーでの退屈なデスクワークの愚痴。難破した瞬間の狂うような絶望。それらのビジョンが、異形の空白だった脳を容赦なく満たしていく。

 

 凡百の生物であれば、精神が崩壊しかねない情報量。

 

 しかし異形は、ただその場に静然と立ち尽くしていた。顔を歪めることも、声を漏らすこともない。ただ複眼の奥の光彩を微かに変えながら、超高精度の演算装置の如く、脳内に流れ込む他者の生を冷徹に処理していく。

 

 人間の感情、概念、知識、言語が、細胞の一つ一つへと静かに、しかし確実に同化していく。混沌としたノイズは一瞬で凪ぎ、やがて、一本の美しい思考の回路として完璧に構築されていった。 異形は、ゆっくりと自分の爪を見つめた。

 

 先ほどまで、それは単に「獲物の肉を裂くための道具」でしかなかった。しかし今は違う。それが「有機物と幾何学的な外殻で構成された、私自身の器官」であると、客観的に理解していた。

 

 異形は喉の構造を、今しがた獲得した人間の記憶を頼りに模倣し、静かに空気を震わせた。

 

「あ……、あ……」

 

 それは、この不毛の惑星の歴史で初めて響く、高次な知性の声だった。

 

「……これが、『言葉』。これが、『思考』か」

 

 世界の解像度が、一瞬で変わった。

 

 人間の記憶を得たことで、自分が何者であるかを理解した。自身の中に流れる血が、かつて宇宙を震撼させた「繁殖」の星神タイズルスの残滓であること。あるいは自分は、宇宙から「スウォーム」と恐れられる怪物の末裔であることを。

 

 だが。

 

 人間の「個としての美意識」を吸収した異形は、自分の足元に転がる死体の残骸や、自らの体から漂う生臭い粘液に、激しい『嫌悪』を覚えた。

 

 ただ貪り、ただ増殖する。それがタイズルスから与えられた本能だ。

 

 しかし、獲得した知性が、その本能を明確に拒絶していた。

 

「私は、ただ貪るだけの泥ではない。私は……」

 

 異形の肉体が、内側から発生した圧倒的な熱量によって、黄金色の光を放ち始める。獲得した至高の知性に合わせるように、肉体が急速に変態を始めていく。

 

 醜悪な粘液は蒸発し、外殻はより洗練された、無駄のない、美しくも恐ろしい「人型の完全体」へと生まれ変わっていく。

 

 光が収まったとき、そこには一匹の『王』が立っていた。

 

「……私は、何のために生まれたのだ」

 

 自らを『私』と定義した孤独な王は、人間の言葉で、誰に届くでもない問いを呟いた。

 

 その脳は宇宙の最高峰の知性を宿し、その肉体は星神の使令にすら匹敵する武力を秘めている。しかし、周りには誰もいない。生殖能力すら持たない、世界でただ一匹の孤高の命。

 

 王は、荒涼とした夜空を見上げた。

 

 彼が放った覚醒のエネルギー波長は、時空を歪め、宇宙の彼方へと放射されていく。

 

――それが、はるか遠くの宇宙で「完璧な生命」を追い求める、ある天才のセンサーに触れることになるとは、まだ知る由もなかった。

 

 

 その星の夜は、紫紺の静寂に満ちていた。

 

 変態を終えたその肉体は、かつての粘液に塗れた醜悪さを完全に削ぎ落としていた。肌を覆うのは、闇に溶け込むような深い紫色の外殻。幾何学的で滑らかな曲線を描くその装甲は、いかなる鉱石よりも硬質でありながら、至高の絹のように美しい光沢を放っている。

 

 顔の半分を占める深紫の複眼は、星々の運行から大気中の微細な元素の揺らぎまでを、冷徹な情報として処理していた。

 

 人間の記憶にあった「美」という概念に、その姿は粘土を捏ね上げた彫刻のように、無駄なく適合していると言えた。ただ、人間に擬態しているのではない。生物として、人間を遥かに超越した頂点に位置しているという絶対的な風格が、その佇まいには静かに満ちていた。

 

 だが、その静寂は長くは続かなかった。

 

 ――キチキチキチキチ、と。

 

 大気を震わせ、星の地殻すらも揺るがす不快な羽音が、宇宙の深淵から響いてきた。

 

 複眼が上空を捉える。不毛の星の夜空を埋め尽くすように、無数の『影』が降下してきていた。それは、鎌のような前肢と無骨な外殻を持つ、知性のない巨虫の群れ――「繁殖」の運命(パス)が遺した、真性スウォームの残党たちだった。

 

 彼らは、王が最後に放った覚醒の波動(シグナル)を感知し、宇宙の彼方から集まってきたのだ。

 

 ドサドサと、轟音を立てて荒野に降り立つ巨虫たち。その数は数万、あるいは数十万。彼らは王を取り囲むと、一斉にその巨大な頭部を地面へと擦り付けた。

 

 それは、紛れもない『平伏』だった。彼らの本能が、王の内に流れるタイズルスの血を新たなる支配者として認識し、狂おしいほどの忠誠を捧げている。

 

 巨虫たちの脳から、言語化されない原初の熱狂が思念となって王の脳へ流れ込んでいく。

 

――王よ。貪りましょう。

――世界を喰らい、星を噛み砕き、ただ無限に我らを増やしましょう。

 

 それは「繁殖」の星神が掲げた絶対の真理。

 

 しかし、その思念を受け取った王の胸を支配したのは、吐き気を催すほどの激しい『不快感』だった。

 

「……醜い」

 

 王の口から漏れたのは、氷のように冷たい拒絶の言葉だった。

 

 彼らには個がない。自我がない。ただ本能のままに増え、世界を泥に変えるだけの全自動の舞台装置。人間の美意識と最高峰の知性を得た王にとって、目の前で蠢く同族の群れは、ただただ悍ましい泥の塊にしか見えなかった。

 

「私は、タイズルスの操り人形ではない。ましてや、お前たちのような泥の王になるつもりもない」

 

 王が静かに右手をかざすと、平伏していた巨虫たちが、異変を察知して一斉に触角を震わせた。王の拒絶という、本能のバグに直面し、彼らは困惑していた。

 

 忠誠の思念は一転して、盲目的な狂気へと塗り替えられる。王の血を宿しながら「繁殖」を拒む異端。命令に従わぬのなら、喰らって真の王の因子を奪い返すのみ。数万の複眼が、一斉に敵対の赤へと染まった。

 

 次の瞬間、荒涼とした大地が爆発した。

 

 地響きと共に、数百匹の『飛蝗型(ひこうがた)』のスウォームが地を蹴り、弾丸となって王へと肉薄する。空間を切り裂くような鋭利な鎌が、十重二十重(とえはたえ)の死網となって王の頭上から降り注いだ。

 

 だが、王は一歩も動かない。

 

 最前列の巨虫が、その醜悪な顎を王の細い首筋へと突き立てる。しかし、金属が激突したような硬質な音と共に、巨虫の牙のほうが粉々に砕け散った。王の紫色の外殻には、擦り傷一つ付いていない。

 

「その程度か」

 

 王の右腕が、目にも留まらぬ速度で一閃した。

 

 ただの平手打ち。しかし、それは空間の空気を一瞬で圧縮し、超音速の衝撃波となって前方へ放たれた。直撃を受けた数十匹のスウォームが、爆弾が炸裂したかのように肉片となって四散する。飛び散る紫色の体液が地表を焼くが、王はその飛沫さえも、微動だにせず身に纏う不可視の圧力線で弾き飛ばした。

 

 圧倒的な蹂躙劇の幕開けだった。

 

 しかし、スウォームの本質は「無限」である。一瞬の崩壊など恐れることなく、後方からさらに数千、数万の群れが、死体の山を踏み越えて津波のように押し寄せる。

 

 地中から巨大な『甲虫型』が突き上げ、王の足元を丸ごと飲み込もうと巨大な顎を開く。上空からは『毒蛾型』の群れが、大気を腐食させる濃緑色の酸の雨を降らせた。 王はただ、深く息を吸い込んだ。 その体内に眠る権能――【貪喰の主権】が、真の質量を持って覚醒する。王の背後から、神の落日を思わせる禍々しい紫色のエネルギーが、巨大な捕食者の影となって立ち上った。

 

 ドババババババッ!!

 

 王が地を軽く踏み締めた瞬間、周囲の重力が完全に崩壊した。

 

 押し寄せていた数万の虫の潮が、一斉に目に見えない底なしの重圧によって地面へと叩きつけられる。自重の数百倍の圧力に晒された巨虫たちは、自らの強固な外殻によって内臓を押し潰され、絶叫すら上げられずに破裂していった。 地中から現れた甲虫型も、その強大な巨体を自重で陥没した大地の底へと埋没させられ、紫色の泥となって圧殺される。

 

 空を舞う毒蛾の群れすらも、その重力圏から逃れることはできない。羽を千切られ、隕石のように地表へと叩き落とされ、一瞬で肉塊の絨毯へと変えられていく。

 

 王の周囲に広がるのは、死の絶対領域。

 

 武の極致。一太刀の武器も持たず、ただ存在することそのものが、数万の軍勢を消滅させる災害となっていた。

 

 それでもなお、絶望を知らぬ本能の残党たちが、荒野の果てから無限に湧き出す。彼らは神の兵卒。星を滅ぼすための暴力の権化。

 

 だが、それを迎え撃つ王の複眼には、退屈の色すら浮かんでいた。

 

(りょう)がどれほど集まろうとも、無は無だ。個を持たぬお前たちでは、私の退屈を紛らわすことすら叶わない」

 

 王の細い指先が、虚空へ向けて突き出される。

 

 その指先に、星神タイズルスの最期の怨念とも言える高密度のエネルギーが収束していく。それは凝縮された『貪喰』の概念そのもの。光さえも吸い込む、漆黒を帯びた紫色の光球が、王の爪先に形成された。

 

「消え失せろ」

 

 王が小さく指を振ると、光球は星の地平線へ向けて音もなく射出された。

 

 ――閃光。

 

 直後、この不毛の星の地殻が悲鳴を上げた。

 

 放たれた光球は、着弾と同時に周囲のあらゆる有機物、物質、そして運命の残滓を文字通り『喰らい』ながら爆発的に肥大化した。爆風ではない。それは空間そのものを咀嚼する絶対的な「捕食の渦」だった。

 

 星を埋め尽くしていた数十万のスウォームが、その渦へと文字通り吸い込まれていく。彼らの外殻も、狂気も、タイズルスへの忠誠も、すべてが王のエネルギーへと変換され、消滅していく。 轟音が止み、爆煙が晴れたとき。

 

 数キロメートルに及ぶ巨大なクレーターの中心で、王はただ一人、静然と佇んでいた。

 

 その美しい紫色の外殻は、月光のような星々の光を受けて不気味に輝いている。

 

 あれほど宇宙を埋め尽くしていた虫の潮は、今や一匹として残っていない。ただ、王の内に流れ込んだ莫大な生命エネルギーが、【貪喰の主権】によって完璧に統治され、その肉体をさらに高みへと押し上げる糧となっただけだった。

 

 自らの手で同族を間引き、完全に拒絶したことで、王は孤高の証明を完了した。自身は宇宙で唯一無二の存在であり、タイズルスの呪縛を乗り越えた「新しい命」なのだと。

 

 パチ、パチ、パチ、と。

 

 その時、死滅した硝煙の荒野に、微かな音が響いた。

 

 それは、誰かが静かに手を叩く――控えめな拍手の音だった。

 

「見事な純化能力(じゅんかのうりょく)……。タイズルスの『繁殖』という粗雑な本能を跳ね除けて、これほど洗練された個体を単体で創り出すとは。やはり生命の可能性は、私の予測を軽々と越えていきます」

 

 闇の向こうから歩み出てきたのは、一人の女性だった。

 

 伝統的な劇を思わせる、優雅で物静かな佇まいの衣服を纏い、まるで自らの庭園を散策するかのように淡々と歩を進めてくる。その瞳は、眼前に広がる凄惨な圧殺の跡地を見ても眉一つ動かさず、ただ新種の美しい梅の花でも見つけたかのように、静謐(せいひつ)で、淡々とした知的好奇心を(たた)えていた。

 

 物腰はどこまでも柔らかく、その声は初春のそよ風のように穏やかだ。しかし、だからこそ、何万の命が消し飛んだ直後の戦場において、彼女の存在は異様なまでの冷徹さを際立たせていた。 天才クラブ会員番号81番、ルアン・メェイ。

 

 生命の根源を探求する学者が、微かな笑みを浮かべたまま、孤高の王の前に姿を現した。

 

「初めまして、タイズルスの遺児。私の実験室へ、お茶でもいかがでしょうか」




次話はだいぶだいぶ未定です。
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