タイズルスの落し子   作:ナゴン

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他作品そっちのけで執筆してしまった……


第二話 悖理なる繁殖の遺児

 硝煙の立ち込めるクレーターの底に、場違いなほど穏やかな声が響いていた。

 

 ルアン・メェイの口から発せられた言葉に対し、紫紺の王は即座に答えを返さなかった。ただ、深紫の複眼を微かに細め、眼前の脆弱な人間を静かに観察していた。

 

 王の【貪喰の主権】によって獲得された知識は、すでにこの女性の正体を弾き出している。先ほど喰らったスターピースカンパニーの男の記憶。その脳裏に深く刻まれていた、宇宙の全生命が畏怖と敬意を抱く、常識を超越した狂人の集団。

 

 天才クラブ会員番号81番、ルアン・メェイ。

 

 生命の法則を淡々と弄ぶ神をも恐れぬ学者。その正体を知るからこそ、王は彼女が放つ異常なまでの静謐さに得心がいっていた。何万のスウォームが消し飛んだ直後の死地において、彼女の呼吸は一切乱れていない。恐怖も、嫌悪も、敵意すらない。そこにあるのは、新種の梅の花でも見つけたかのような、平坦な学術的好奇心のみであった。

 

「……天才クラブ、ルアン・メェイ」

 

 王の喉から放たれた声は、硬質で、冷徹な静けさを湛えていた。

 

「私のことをご存知とは……」

 

 ルアン・メェイは自らの名を聞いても驚きを示さず、微笑を崩さぬまま、静かに歩を進める。彼女の足取りは、王の絶対領域である死のクレーターを恐れる風もなく、あまりにも自然だった。彼女が視線を巡らせると、空間の境界が微かに歪み、周囲の風景が彼女の私的な移動実験室の光景へと、いつの間にか上書きされていく。

 

「ここではお話の続きをするには、少し寒すぎます。新しく漬けた梅の花を使ったお菓子がありますが……いかがですか?」

 

 王は一瞬、自身の爪を見つめた。一振りで彼女の頭部を消し飛ばすことは容易い。しかし、それ以上に、この女性が口にした奇妙な問いと、その底知れぬ瞳が、王の脳の空白を刺激していた。

 

 王は無言のまま、彼女が差し出した椅子へと、引き寄せられるように腰を下ろした。

 

 

 実験室の中は、死星の荒野とは対極にある、静謐で洗練された空間だった。

 

 机の上には、彼女が言った通り、仄暗く発光する精緻な香菓子と、湯気を立てるお茶が並べられている。

 

 ルアン・メェイは自らの茶杯を傾け、囁くような声で問いかけた。

 

「生命とは、不可思議なものです。あなたは、なぜ自分が生まれて、なぜその同族たちを排除したのか……理解しているのでしょうか」

 

「私はタイズルスの遺産。個の極致として、あの泥の群れを統治し、貪るために生まれた」

 

 王の返答は淀みなかった。しかし、ルアン・メェイはその答えを聞くと、困った子供を見るように、微かに首を横に振った。その物腰はどこまでも柔らかく、優雅だったが、紡がれた言葉は、王の存在の根底を容赦なく抉るものだった。

 

「いいえ。あなたは、彼らを拒絶した。あるいは何より……あなたの遺伝子構造には、決定的な悖理(はいり)があります」

 

 ルアン・メェイの瞳が、王の紫紺の外殻を透かし見るように固定される。

 

「タイズルスは『繁殖』の星神。彼の運命にある者は、ただ増殖し、宇宙を自らの複製で満たすことだけを至高とする。けれど、私の観測が正しければ……あなたの肉体には、配偶子を形成する器官も、自己複製を行うための機能も、最初から存在しない」

 

 部屋の空気が、一瞬で凍りついた。

 

 王の脳内に、言葉にならない衝撃が走る。捕食した男から得た生物学の知識が、彼女の言葉の正しさを瞬時に証明してしまったからだ。

 

「あなたは繁殖の神から生まれながら、ただの一匹も子孫を残すことができない。生命を増やすための運命から、決して増えることのない『孤高の一匹』が創られた。これ以上の矛盾が、この宇宙にあるでしょうか?」

 

「……私が、無生(むしょう)だと?」

 

 王の喉から漏れた声は、実験室の精緻な空間をビリビリと震わせた。

 

 【貪喰の主権】のエネルギーが周囲の時空を歪ませ、ガラスの調度品に微かな亀裂を生じさせる。しかし、目の前に座るルアン・メェイは、その破滅的な兆候すら美しい自然現象として愛でるように、ただ静かに茶杯を置いた。

 

「……タイズルスは最期に、自らの運命を裏切るような生命を遺した。量ではなく質を求めた結果、増殖という本能を削ぎ落とされた、不完全で、だからこそ完璧な最高傑作」

 

 彼女はそっと立ち上がり、王の紫紺の外殻へ、躊躇なくその細い指先を伸ばした。触れられる寸前、王の身に纏う不可視の重力障壁が彼女の指を阻んだが、彼女はそれを不快に思う風もなく、穏やかな笑みを浮かべたままだ。

 

「もしこのままここに残れば、すぐにヘルタ(魔女)があなたを自身とそっくりな人形(パペット)の群れで囲い込んで、最高峰のサンプルとして標本にしてしまうかもしれません。スクリューガム(スクリュー星の王)の精緻な計算も、あなたという不確定要素を見逃すことはないでしょう。彼らに見つかって不自由な箱に閉じ込められる前に……私の個人的な温室へ、一緒に行きませんか?」

 

 ルアン・メェイは冷え切った空気の向こうから王を見つめた。その物腰はどこまでも穏やかだが、彼女の口から紡がれたのは、無生の謎を追う王の理性を明確に惹きつける『解』の提示だった。

 

「あなたが抱える無生の矛盾を解決する方法……知りたくはないですか?」

 

 王の複眼が、微かに収縮した。感情の波こそ生じないが、自身のアイデンティティの根幹に関わるその言葉を、王の知性が見落とすはずもなかった。無言のまま、ルアン・メェイの次の言葉を待つ。

 

「この宇宙に現存するあらゆる生命の法則を越えて、あなたという『個』のままにすべての因果を支配するんです。……数多の運命の因子を取り込み、あなたが新たな『星神(アイオーン)』となることで……」

 

 それは、神をも恐れぬ天才クラブの学者だからこそ口にできる、極上の狂気だった。

 

「私が貴方の望みを叶えましょう。私が貴方に全てを用意しましょう。私が貴方に全てを与えましょう……ですから見せてください。貴方が最後の最期に至るその瞬間を……」

 

 新たな神への昇格。それこそが、タイズルスの遺した呪いと祝福を完全に超越する、唯一の道。ルアン・メェイが提示した果てしない旅路の青写真に、王はただ冷徹に、自らの進むべき軌跡を重ね合わせるのだった。

 

 王は彼女の瞳を見つめ返した。捕食したカンパニーの男の記憶が、目の前の女性が『天才クラブ』という、宇宙の理を塗り替える狂人の一人であることを告げている。自らの身体に刻まれた「繁殖」の星神による呪い(祝福)をこの天才がどう扱うのか、王の高度な知性は深い興味を抱いていた。

 

「……拒む理由はない。案内するがいい、ルアン・メェイ」

 

 王の承諾を聞くと、彼女は満足そうに一度だけ頷いた。

 

 彼女が手元の端末に軽く触れた瞬間、移動実験室の壁面が一斉に透過し、外の景色が音もなく切り替わっていく。それは通常の空間跳躍(ワープ)ではない。星々の軌道から完全に隔離された、彼女だけの秘匿された座標への転移だった。

 

 

 流れる星々が光の帯となり、やがて視界が別の星へと固定されていく。透過した壁の向こうに広がったのは、息を呑むほどに巨大な人工の生態系だった。

 

 空には幾重もの淡い光の環が浮かび、地表には宇宙のあらゆる星々から集められたと思われる、見たこともない色彩の植物が咲き乱れている。大気には甘い花の香りと、高密度のエネルギー粒子が満ちていた。

 

 ルアン・メェイはハッチを開ける前、ふと思い出したかのように、滑らかな手付きで自身の服の裾を整え、王へと視線を戻した。その瞳には、穏やかで平坦な好奇心が宿っている。

 

「あなたのことを何と呼べば良いのでしょうか。あなたの『名前』を伺っても?」

 

 その問いに、王の思考回路が一瞬、停止した。

 

 複眼の奥の光彩が微かに揺れる。脳内にある人間の膨大な記憶のデータベースをどれほど超高速で検索しても、自身の個を指し示す「符号」が存在しなかった。

 

 タイズルスはただ自らの因子を遺しただけで、個としての名を授けてはいない。先ほどまで貪り喰らっていた虫たちにも名などはなく、ただ本能の集合体としてそこにいた。王は知性を獲得し、自らを一個の存在として定義した。しかし、他者から呼ばれるべき固有の名称を、持っていないことに今、気付かされたのだ。

 

「……私には、名前などない。必要がなかった」

 

 王の声は、感情の起伏を一切排した平坦なものだった。名などというものは、個々を識別しなければならない脆弱な群生生物が、利便性のために作り出した記号に過ぎない。宇宙にただ一匹しかいない孤高の存在に、識別子は不要。王の知性は即座にそう結論付けた。

 

 けれど、ルアン・メェイはその答えを聞くと、少しだけ嬉しそうに目を細めた。新種の命を、完全に自分の管理下に置いたことを実感したかのような、静かな愉悦がその微笑みには混じっていた。

 

「名前が無いのですか。それなら……私が一つ、あなたに名前をあげましょう」

 

 彼女は宇宙船の窓から見える、人工庭園の片隅に咲く、結晶化した美しい植物へと視線を向けた。その脳内で、彼女が愛する古典の詩や、生物学的な意味、そして眼前の王が背負う運命が静かに噛み合わされていく。

 

「――《アンテラ》」

 

 ルアン・メェイの唇から、春風のように穏やかな、しかし明確な響きを持った言葉が放たれた。

 

「繁殖の象徴、そして生命を育む器官の呼び名です。タイズルスの本能を脱ぎ捨て、たった一匹で完璧に純化されたあなたに、これ以上ない皮肉で、美しい符号はないでしょう」

 

 王は彼女が与えたその言葉を、自らの脳内で咀嚼した。

 

 アンテラ。人間の記憶にある、生命の営みの根源を示す学術の言葉。暴力的な響きは何一つない。だが、生命の根源を解き明かさんとする彼女から授けられたその名は、自身がタイズルスの残滓を越えた「新しい種」として登録された証のようでもあった。

 

「……悪くない。これより、私はアンテラと名乗ろう」

 

 王――アンテラは、感情を排した声で、自身の新しい符号を受け入れた。

 

「宜しくお願いします、アンテラ」

 

 ルアン・メェイが静かに扉を開くと、高密度のエネルギーに満ちた人工庭園の空気が一気に流れ込んできた。そして、生い茂る巨大なシダ植物の影、あるいは結晶化した岩肌の奥から、無数の歪んだ実験作たちの『視線』が、新しく名を得た王へと注がれ始めるのだった。

 

「ここは私のプライベートな箱庭です。誰の目も届かない、私だけの観察室」

 

 庭園へと降り立つ。アンテラもまた、その強靭な四肢で新しい大地を踏み締めた。

 

 その瞬間、アンテラの深紫の複眼が微かに動いた。

 

 生い茂る巨大なシダ植物の影、そして結晶化した岩肌の奥から、無数の『視線』が自分に注がれている。それは通常の生物ではない。ルアン・メェイが自身の実験のために生み出し、この隔離惑星に放し飼いにしている、歪んだ生命の創造物たちだった。

 

 あるものは「豊穣(ほうじょう)」の忌み子に酷似した不死の肉体を持ち、またあるものは「壊滅(かいめつ)」の反物質レギオンのエネルギーを不完全に宿している。どれもが強大な力を秘めながらも、自我を持たぬ異形の獣たち。

 

 彼らは、アンテラが放つタイズルスの残滓(ざんし)――「繁殖」の最高位たる王気の波長を感じ取り、縄張りを侵された野獣のように、喉を鳴らしながらゆっくりと姿を現し始めた。

 

「この子たちはみんな、私が創った実験作です。独自の形質と運命の波長を混ぜ合わせて、少しずつ形を整えてあげました……いかがでしょうか、貴方のお眼鏡に適うと良いのですが」

 

 ルアン・メェイは、まるで自慢のコレクションを賓客に見せつけるかのように、穏やかな声音でそう言った。一歩下がり、特等席から劇を観賞するようなその佇まいのまま王を見つめる。彼女の瞳には、アンテラの戦闘データの収集と、その「無生の王」が自身の創り出した命と接触した際に見せる、未知の変態への期待が淡々と湛えられていた。

 

 迫り来る異形の群れを見据える王の表情は、鉄の如く無機質だった。

 

 複眼の奥の光彩一つ変えず、ただ実験室に溢れ出た生命体たちの危険度、能力、そして【貪喰の主権】によって取り込むべき価値があるか否かを、冷徹に演算していく。そこには恐怖も、戦闘を前にした高揚すらも存在しない。あるのは、ただ目前の有象無象を効率的に処理するという、冷ややかな意思のみだった。

 

「……私の前に差し出す素材としては、悪くない」

 

 アンテラの喉から放たれた声は、平坦で、感情の起伏を一切排していた。

 

 紫紺の王の周囲で、再び空間の光が歪み始める。それは感情の(たか)ぶりによる暴走ではなく、精密に制御された【貪喰の主権】の重力波の解放だった。

 

 天才の飼育箱の中で、孤高の王による淡々とした選別と捕食の幕が、静かに上がろうとしていた。

 

 人工庭園のハッチが完全に開放された瞬間、張り詰めた沈黙を引き裂くように、無数の咆哮が轟いた。

 

 結晶化した岩肌を砕き、最初に躍り出てきたのは、全身を白銀の鎧で覆われた巨獣だった。その肉体には「壊滅」の反物質レギオンが持つ禍々しい反粒子エネルギーが脈動しており、一足ごとに周囲の植物を灰へと変えていく。時を同じくして、上空の光の環を遮るように、幾重もの接ぎ木を施された「豊穣」の忌み子に類する怪鳥たちが、肉厚な羽を羽ばたかせて襲いかかった。

 

 ルアン・メェイが自身の知的好奇心を注ぎ込んで創り出した、不完全ながらも強大極まる生命の習作たち。それらが、新たな王としての気配を放つアンテラを、排除すべき絶対的な侵入者と見なして牙を剥いたのだ。

 

 だが、襲い狂う異形の津波を前にしても、アンテラの深紫の複眼は静水のごとく凪いでいた。

 

 恐怖もなければ、昂ぶりもない。アンテラの脳内では、他系統の運命の因子を宿した実験作たちの構造が、瞬時に数値化され、選別されていた。

 

「……粗悪な創造物だ」

 

 アンテラの口から放たれた声は、絶対的な冷徹さを伴って空間に響いた。

 

 それはルアン・メェイの研究を蔑むための言葉ではない。生物としての純度、洗練の度合いを客観的に比較し、切り捨てたに過ぎない。

 

 次の瞬間、壊滅の巨獣がその巨大な爪をアンテラの頭上から振り下ろした。

 

 しかし、アンテラは一歩も退かず、ただ紫色の細い腕を淡々と突き出した。巨獣の質量と反粒子の爆鳴を、アンテラの手の平が完全に無音で受け止める。衝撃を完全に相殺された巨獣が硬直した刹那、アンテラの【貪喰の主権】が機械的な正確さで発動した。

 

 ドサリ、と巨獣が力なく崩れ落ちる。

 

 外傷は一切ない。ただ、巨獣を構成していた壊滅のエネルギーと、生命の根源たる配列データだけが、アンテラの手の平を通じて瞬時に吸い上げられたのだ。

 

 だが、ルアン・メェイの箱庭に蠢く実験作たちの本質は、単一の襲撃には留まらない。先陣を切った巨獣の消滅をトリガーとするように、人工庭園の奥深く、結晶の森が激しく鳴動した。

 

 地表の草木を薙ぎ倒しながら現れたのは、半透明の鉱石に覆われた大百足のような異形だった。その無数の節足からは、「壊滅」の極性と「巡狩」の推進力が不完全に結合した、高密度の光粒子が火花となって散っている。それらは地を這う弾丸となり、アンテラの死角へ向けて全方位から殺到した。同時に、上空からは豊穣の怪鳥たちがその肉厚な羽を激しく震わせ、大気中に「豊穣」の変異を促す胞子の雨を降らせる。吸い込めば内臓を異常増殖させて破裂させる、致死の毒霧だった。

 

 アンテラは視線すら動かさず、自身の周囲に展開する不可視の重力障壁の出力をミリ単位で微調整した。

 

 殺到した光粒子の弾丸が、アンテラの肉体に触れるより遥か手前で、歪んだ重力の檻に捕らえられて次々と軌道を捻じ曲げられる。地表を穿つ暴風のような衝撃波が吹き荒れるが、アンテラの美しい紫色の外殻には微風ほどの影響も与えない。頭上から降り注ぐ変異の胞子も、アンテラが身に纏う【貪喰の主権】の波動に触れた瞬間、その生命データを完全に剥ぎ取られ、ただの無機質な灰へと変えられていく。

 

 大百足の異形が、地響きを立ててアンテラの直下に潜り込み、大顎を開いてその細い四肢を噛み砕こうと突き上げてきた。

 

 アンテラはただ、静かに右足の爪先を地表へと下ろした。

 

 ――ズ、ン。

 

 ただの足踏み。しかし、アンテラの肉体から放たれた位置エネルギーは、周囲の重力定数を一時的に数千倍へと跳ね上げる質量兵器と化していた。大百足の強固な鉱石の外殻が、自重の暴走に耐えきれず、バリバリと凄惨な音を立てて内側から崩壊していく。

 

 異形が苦悶の声を上げる前に、アンテラはその背へと静かに片手をかざした。

 

 手の平の前に形成されたのは、光さえも歪める漆黒を帯びた紫色の極小の渦。

 

「いただこう……」

 

 冷徹な宣言と共に、渦が爆発的に膨れ上がった。

 

 それは周囲の生命を「物質」ではなく「情報」として咀嚼する、絶対的な統治の権能。大百足の巨体は瞬く間に光の粒子へと分解され、アンテラの手の平へと吸い込まれていく。「巡狩」の推進力と「壊滅」の崩壊極性。不完全だったルアン・メェイのパズルが、アンテラの完全なる肉体という器の中で、最も効率的な回路へと再構築されていく。

 

 上空の怪鳥たちが、地上の同胞の消滅を察知し、その異常な再生能力をさらに暴走させた。彼らは傷つくことすらなく、ただ自身の肉体を肉塊の弾丸として肥大化させ、自爆に近い質量攻撃を仕掛けようと、雲霞(うんか)の如く垂直降下してくる。

 

 アンテラは、迫り来る肉の壁をただ淡々と見上げていた。 

 

 一歩も動くことなく、アンテラの全身から無数の紫色の光の針が放射状に放たれた。それは【貪喰の主権】を針状に圧縮した「運命の捕食針」。降下してくる数百の怪鳥たちの額、心臓、エネルギー中枢へと、寸分の狂いもなくその針が突き刺さる。

 

 直撃の瞬間、怪鳥たちの猛烈な再生能力がピタリと停止した。

 

 彼らの肉体を繋ぎ止めていたルアン・メェイの計算式が、アンテラというより上位の知性によって上書きされ、その『命の主権』を完全に奪われたのだ。数百の巨体が空中で静止し、次々と光の霧へと還元され、雨のようにアンテラの全身へと降り注ぐ。

 

 喰らう、という行為に野蛮な咀嚼は不要だった。

 

 アンテラの権能は、対象の存在そのものを情報のレベルまで分解し、自らの統治領域へ強制的に同化させる。豊穣の忌み子が持つ、限界を知らぬ細胞の増殖力。壊滅のレギオンが宿す、物質を崩壊させる破滅の極性。それらの運命の因子が、アンテラの肉体の中で交錯し、タイズルスの遺した「繁殖」の因子と異常な化学反応を起こし始めた。

 

 ゴキ、バキ、とアンテラの体内で硬質な骨組みが鳴り響く。

 

 感情を排したまま、アンテラは自身に訪れる急激な『変態』を冷静に観察していた。

 

「壊滅」の因子はアンテラの肉体に組み込まれ、肌を覆う紫紺の外殻をより深く、光さえも吸収する漆黒を帯びた紫へと深化させた。次いで、莫大な「豊穣」のエネルギーがその身に浸透していく。

 

 だが――アンテラの体内で渦巻く豊穣の不滅の力は、その肉体に深く刻まれた「生殖能力の欠如」という深淵に触れた瞬間、何一つ作用することなく虚しく霧散した。

 

 どれほど強大な生命の因子を貪ろうとも、タイズルスが遺した呪縛は揺らがない。それは『繁殖』を司る神が最期に自らの運命を捻じ曲げて刻みつけた、絶対的な呪いであり、同時に他の一切の生命との同化を拒絶する至高の祝福。他系統の運命の因子をどれほど取り込もうとも、無生の悖理を克服することは叶わないのだ。

 

 それでもなお、アンテラの知性は冷徹に自らの状態を演算していた。

 

 増殖を伴う繁殖の道は、完全に閉ざされている。ならば、この豊穣の膨大なエネルギーは、他者を増やすためではなく、アンテラ自身という『唯一の個』の肉体維持と、損耗することのない自己補完能力の向上へとすべて割り振られる。

 

 子孫を残すための繁殖ではない。他者を喰らい、自らの中に複数の運命を蓄積することで、ただ一匹のままで果てなく最適化を繰り返すという、星神の法則さえも歪める独自の生存戦略。

 

 光が収まったとき、そこに立っていたのは、先ほどよりも一回り大きく、影を帯びた光彩を放ち、そして筆舌に尽くしがたいほどに冷徹な美しさを湛えたアンテラの姿だった。

 

「……私の予測を、遥かに越える実験結果です」

 

 庭園の傍らで、ルアン・メェイが静かに呟いた。

 

 自身の最高傑作たる実験作たちが瞬時に無へ還されたというのに、彼女の微笑みは変わらない。ただ、その瞳の奥にある平坦な好奇心は、今やインクを落とした水のように、他者を拒絶しながらも一人で進化を続けるアンテラという「永遠の個」への異常な執着で染まりつつあった。

 

 アンテラは自身の新しく最適化された腕を静かに見つめ、それからルアン・メェイへと冷ややかな視線を向けた。

 

「次の素材はどこだ、ルアン・メェイ。この程度では、私の飢えを満たすには程遠い」




次話は本当に本当に未定です。
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