タイズルスの落し子   作:ナゴン

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ほんまごめん。まだ出す。


第三話 調和を喰らう紫紺と燃ゆる鉄火の余燼

 数多の運命の因子を取り込み、新たなる星神(アイオーン)となる。

 

 ルアン・メェイが口にしたその究極の命題は、アンテラの冷徹な知性にとって、唯一合理的で、かつ実行に値する『生存戦略』として刻み込まれた。タイズルスの呪縛を越え、無生の矛盾を完全に支配するためには、この宇宙の理そのものを自らの手で書き換える他ない。

 

 しかし、そのためには圧倒的に素材が不足していた。

 

 アンテラの深紫の複眼が、人工の光が降り注ぐ温室の庭園を見据える。ルアン・メェイが創り出した精密な実験作たちは、確かに優れた遺伝子と因子の配列を持っていた。だが、それらはどこまで行っても彼女の計算式という箱の中で培養された「模造品」に過ぎない。

 

 神へ至るための純化には、本物の運命が激突し、血を流し合っている生の宇宙の戦場が必要だった。

 

 アンテラの声は、静寂を取り戻したクレーターに平坦に響いた。

 

 自身の肉体を確認する。壊滅や豊穣、あるいは巡狩の因子をかすかに掠め取った外殻は、今や光さえも吸い込む漆黒を帯びた深紫へと完全に最適化され、無駄のない駆動を終えている。

 

「……この温室の泥は、すべて選別し終えた」

 

 これ以上の純化は、ルアン・メェイという一人の天才の脳内から出力された箱庭の生命体だけでは不可能な領域に達していた。神の座へ昇るためには、まだ見ぬ他の運命、例えば「知恵」の神がもたらす純粋な論理情報や、宇宙の秩序そのものを調停する「調和」のエネルギーなど、より多角的な運命の概念をその身に統合していく必要があった。

 

「ルアン・メェイ。外へ向かう。私の飢えを満たすに足る、真の戦場の座標を提示しろ」

 

 ルアン・メェイは微笑を崩さぬまま、小さく顎を引いた。アンテラが自らの提示した解を受け入れ、人工の箱庭に満足することなく、外の世界へ目を向けたという事実。それは彼女の実験が、いよいよ次の段階へ移行したことを意味していた。

 

「ええ、もちろんです。せっかく生まれた完璧な『個』を、こんな狭い鳥籠の中に閉じ込めておくのは、生命に対する冒涜ですので」

 

 彼女が細い指先で空間の端末に触れると、アンテラの脳内データベースへと、莫大な量の外宇宙の情報が直接、光信号となって転送されてきた。

 

 スターピースカンパニーの航路図。星穹列車が往く開拓の軌道。そして現在進行形で、宇宙の各セクターを脅かしている災厄の最前線――。

 

 そこには、「調和」の祝福を拒絶して自壊の道を歩む隔離世界、あるいは「知恵」の学士たちが構築したまま暴走し、全有機生命を拒絶する自律演算星系など、数多の異なる運命の波長が渦巻いていた。

 

「どこへ向かっても、あなたを歓迎する因子(おやつ)は事足りないでしょう……ただし、気を付けてください。外の宇宙には、私の他に、様々な者たちの目もありますから。彼らにあなたという極上のサンプルが見つかれば、私たちの実験を邪魔しにやってくるでしょう」

 

 ルアン・メェイは、アンテラを他の天才たちの目から隠蔽するための特殊な偽装処理を施した小型の宇宙艇を、静かにその座標へと召喚した。

 

 アンテラは提示された数多の戦場のデータを、超高速で演算していく。

 

 どこへ向かい、どの運命を最初に喰らい、自らの肉体をどう組み替えるべきか。その冷徹な計算の果てに、アンテラは一つの座標を確定させた。そこは、本物の運命の激突と、未知なる生命の熱量が交錯する、真の戦場であった。

 

「……では、行く」

 

 アンテラは感情を排した声で短く告げると、ルアン・メェイが用意した宇宙艇へと、音もなく足を踏み入れた。

 

 ハッチが閉まり、船体が人工温室の大気圏を突き抜けて、果てしない暗黒の宇宙へと解き放たれる。

 

 タイズルスの最期の最高傑作であり、無生のバグを抱えた孤高の王。

 

 新たな神としての胎動を始めたアンテラの冷徹な眼が、無数の星々が輝く外宇宙の深淵を、ただ静かに捉えていた。

 

 

 ルアン・メェイの温室を飛び立った宇宙艇は、果てしない暗黒を切り裂き、とある隔離星系の宙域へと到達していた。

 

 アンテラの深紫の複眼が、窓の向こうに浮かぶ美しい惑星を捉える。その星の名は「フェルマータ」。かつて「調和」の運命を歩む調停者たちによって、あらゆる争いが根絶され、永遠の平穏を約束されたはずの音楽都市惑星であった。

 

 しかし、現在のその星から放射されているエネルギー波長は、アンテラの冷徹な知性にとって、看過し得ない歪みを孕んでいた。

 

 精神の同化と平等の救済を掲げる「調和」のエネルギーが、過剰な自浄作用を起こして暴走している。その星では今、個人の意志や感情、果てはわずかな思考の差異すらも「不協和音」として排斥され、すべての生命体が強制的に一つの巨大な『合唱(コーラス)』に組み込まれるという、精神の監獄へと変貌を遂げていた。

 

 自らの手で同族を間引き、絶対的な「個」の美を重んじるアンテラにとって、個を抹殺して巨大な一つになろうとする「調和」の暴走は、タイズルスの粗雑な増殖本能とはまた異なる、悍ましい泥のスープに見えた。

 

「……私の個を侵すか、調和の歌よ」

 

 アンテラは感情の起伏を排した声で短く呟いた。

 

 宇宙艇が惑星の大気圏へと突入し、かつて優雅な劇場や音楽堂が立ち並んでいたとされる、白亜の都市へと音もなく着陸する。

 

 ハッチが開き、アンテラがその紫紺の四肢を大地へと下ろした瞬間、大気そのものが震えるような重層的な歌声が、全方位から押し寄せてきた。

 

 それは耳で聞く音楽ではない。精神の防壁を直接すり抜け、脳の最深部へと割り込もうとする、狂信的な調和の精神波。

 

――『一つになりましょう、偉大なる調和の賛歌の元に』

――『あらゆる不協和音(ノイズ)を排し、美しき一音に溶け込みましょう』

 

 凡百の知性であれば、その歌声を一瞬浴びただけで、自我を削られ、微笑みを浮かべたまま調和の奴隷と化すであろう絶大な精神圧。

 

 だが、アンテラの脳内では、【貪喰の主権】が超高速の演算装置として機能していた。押し寄せる調和の歌声を、ただの「波形データ」と「精神の配列情報」として冷徹に分解し、自らの精神領域からミリ単位の誤差もなく完全に遮断、排除していく。

 

 その白亜の広場の奥から、歌声の主たちが現れた。

 

 かつて人間であったはずの住人たち。しかし、その瞳からは個人の意思が完全に消失しており、全員が全く同じ、穏やかで不気味な微笑みを浮かべている。彼らの肉体は「調和」のエネルギーによって半ば光の粒子と融合しており、手にした楽器のような器官から、次々とアンテラを同化させようとする光の縛鎖(ばくさ)を放ってきた。

 

「選別を開始する」

 

 アンテラは視線すら変えず、自身の周囲に極小の重力反転圏を展開した。

 

 殺到する調和の縛鎖がアンテラの外殻に触れる前に、歪んだ重力の檻によってへし折られ、光の塵となって霧散する。

 

 アンテラにとって、この星は絶好の実験場だった。

 

 「壊滅」や「豊穣」のような、肉体的な破壊や生存に寄与する因子はすでに手に入れた。だが、精神そのものを変質させ、群れを統治する「調和」の因子を咀嚼し、自らの知性の栄養素として統合できれば、星神(アイオーン)へと至るための精神的基盤はより強固なものとなる。

 

 不協和音を拒絶する調和の軍勢と、個の極致としてそれを喰らい尽くさんとする孤高の王。 偽りの歌園の中で、アンテラの新たなる選別と、運命の捕食が幕を開けようとしていた。

 

 白亜の広場を埋め尽くす調和の軍勢は、寸分の狂いもない足並みでアンテラへと押し寄せていた。

 

 彼らが手にした音叉(おんさ)や管弦を模した半有機的な器官から放たれるのは、空間そのものを共振させ、あらゆる物質の分子構造を「調和」の波形へと強制的に再配列する破壊的な旋律。大気が震え、都市の石畳が歌うように細かく砕け散る中、アンテラはただ紫紺の四肢を静然と佇ませ、迫り来る音波の波形を冷徹に観測していた。

 

「……精神の均一化を目的とした共鳴現象。生命の多様性を否定する、非効率なシステムだ」

 

 アンテラの喉から放たれた声は、極低温の氷の如く平坦だった。

 

 先陣を切った数千の調和の追従者たちが、一斉に楽器を打ち鳴らす。次の瞬間、アンテラの全方位から、可視化された純白の光の障壁――個人の意志を圧殺し、巨大な一つの精神へと融解させる「調和の聖域」が急速に収縮し、その肉体を丸ごと押し潰そうとした。

 

 だが、アンテラは眉一つ動かさない。

 

 その体内に眠る権能――【貪喰の主権】が、精神的な捕食回路として機械的に起動した。アンテラの深紫の複眼から、光を吸い込むような漆黒を帯びた紫の波動が放射状に放たれる。

 

 ドバ、バババババッ!!

 

 衝突は無音だった。

 

 アンテラを包囲していた純白の聖域は、その外殻に触れるより遥か手前で、紫の波動に触れた瞬間から凄まじい速度で「解凍」され始めた。それは物質的な破壊ではない。調和の聖域を構成していた膨大な精神エネルギーと運命の配列情報が、アンテラというより強大な上位のシステムによって一瞬で分解され、情報の奔流となってその手の平へと吸い込まれていく。

 

 聖域を維持していた住人たちの瞳から、一斉に光が消え失せた。

 

 彼らの肉体を支えていた調和のエネルギーは、今や【貪喰の主権】によって完璧に掠め取られ、アンテラの肉体維持と演算領域の拡張へとすべて割り振られていた。力なく崩れ落ち、光の塵へと還元されていく住人たちの残骸を、アンテラは一考だにせず見下ろす。

 

 だが、惑星「フェルマータ」の暴走した防衛システムは、一箇所の不協和音の消滅を許さない。 広場の中央にそびえ立つ白亜の巨大な大聖堂の鐘楼が、地鳴りのような音を立てて鳴り響いた。それは星の地殻そのものを共鳴させる、最大出力の調和の咆哮。上空の光の環が激しく明滅し、都市全体の大気が凝縮されて、一尊の巨大な『擬似的な調和の使者』の形を成していく。

 

 それは無数の顔と翼を持つ、光の巨像だった。個の感情を完全に否定し、すべてを平坦な安寧へと沈めるための、運命の具現。

 

 巨像がその巨大な光の手腕を振り下ろし、アンテラの精神領域を丸ごと消し去ろうと、絶対的な調和の波を叩きつける。

 

 アンテラはただ、深く息を吸い込んだ。

 

 他者の精神を拒絶し、自らの絶対的な知性へと組み替える、真の捕食シーケンスの開始。

 

「私の個は、いかなる調和(おと)にも染まらない」

 

 アンテラが右腕を天へと掲げた瞬間、その指先から漆黒の紫を帯びた、光さえも歪める極小の重力渦が形成された。

 

 押し寄せる巨像の光の波が、その渦に触れた瞬間、バリバリと時空が引き裂かれるような異音が響く。巨像が放つ「すべてを一つに融解させる精神波」は、アンテラの脳内で超高速の演算によって一瞬で論理的に論破され、ただの純粋な「精神的栄養素」へと変換されていく。

 

 巨像の顔が、初めて困惑を模したように歪んだ。調和の運命を歩む者が、逆に「個」のシステムによって強制的に統治され、喰らわれようとしている。

 

 アンテラが静かに指を鳴らす。

 

 漆黒の重力渦が爆発的に膨れ上がり、光の巨像の巨体を、その運命の配列ごと根底から咀嚼し始めた。巨像を構成していた「他者の精神を統合・統治するシステム」が、アンテラの脳内へと濁流の如く流れ込み、既存のデータベースと融合していく。

 

 ゴキ、とアンテラの頭部の外殻が微かに鳴り響く。

 

 感情を排したまま、アンテラは自らに訪れる精神的な『変態』を冷静に観察していた。

 

 他者の精神を否定し、それを自らの絶対的な知性の階梯へと組み替える。調和の因子を取り込んだことで、アンテラの思考の処理速度と、他者の精神防壁を強制的にハッキングして情報を統治する能力が、爆発的に向上していた。子孫を残すための繁殖ではない。他者の精神すらも喰らい尽くし、ただ一匹のままで果てなく高みへと最適化を繰り返すという、生存戦略の進化。

 

 光の巨像が完全に消滅し、白亜の都市に再び静寂が戻ったとき、アンテラの深紫の複眼は、先ほどよりもさらに深く、底知れぬ知性の光を宿していた。

 

 壊滅、豊穣、そして調和。数多の運命の因子が、アンテラという唯一の器の中で、冷徹な調和を保ちながら完璧に統治されている。

 

 アンテラは自らの美しい紫の外殻を静かに見つめ、それからまだ星の奥深くから微かに聞こえる暴走した旋律の残響へと、冷ややかな視線を向けた。

 

「まだだ。この星の不協和音を、すべて私の知性の糧とする」

 

 

 惑星「フェルマータ」を統治していた暴走せる調和の歌声は、完全に途絶えていた。

 

 白亜の音楽都市に転がっていた数万の住人の残骸、あるいは星の核から湧き出していた精神エネルギーの奔流に到るまで、そのすべてがアンテラの【貪喰の主権】によって情報のレベルまで分解され、咀嚼し尽くされたからだ。

 

 静寂が支配する荒涼とした広場の中央で、アンテラはただ静然と佇んでいた。

 

 自身の内面を走る回路を冷徹に演算する。壊滅、豊穣、巡狩に続き、他者の精神を否定し己の知性へと組み替える「調和」の因子を完全に統合したことで、アンテラの精神防壁と演算領域は、以前とは比較にならぬほど強固に最適化されていた。他者を増やさぬ「無生の祝福」を抱えたまま、一匹の個として星神への階梯を淡々と登る生存戦略は、確実に実を結びつつある。

 

 だが、アンテラが次なる跳躍の座標を確定させようとした、その刹那――。

 

 ――ゴォ、オオオオオオッ!!

 

 大気圏を割って突き刺さる、圧倒的な『熱量』を複眼が感知した。

 

 それは調和の精神波とも、ルアン・メェイの温室にいた実験作たちの生命波動とも異なる、ただ純粋な、万物を焼き尽くすためだけに練り上げられた地獄の劫火。

 

 ドゴォォォォォンッ!!

 

 凄まじい衝撃波と共に、白亜の広場の地表が爆散した。割れた石畳から天を突くほどの溶岩状の炎が噴き上がり、大気が一瞬で狂おしい熱波へと塗り替えられていく。

 

 もうもうと立ち込める過熱された煙の向こう側、激しく燃え盛る炎を割りながら、一つの『鉄の異形』が静かに立ち上がった。

 

 全身を重厚な銀色の装甲で固め、胸部と関節の隙間から不気味な緑色の焼却の炎を噴出させている機械の兵士。その頭部からは、冷徹な一対の光彩が、アンテラの紫紺の肉体を正確にロックオンしていた。

 

 アンテラの脳内データベースが、その符号を瞬時に引き出す。

 

 宇宙の各セクターで星核を強奪し、カンパニーから天文学的な賞金首として追われている、運命の奴隷の仲間。

 

「――星核ハンター、サム」

 

 アンテラの喉から放たれた声は、周囲の熱波を逆撫でするように平坦だった。

 

 目の前の鉄の巨兵から放たれる殺気は、これまで対峙したどの原生生物や実験作とも一線を画している。そこにあるのは、エリオと呼ばれる預言者の『脚本』に従った機械的な義務ではない。この銀色の装甲の内に宿る生命そのものが、かつてグラモスの青空を覆い尽くし、すべてを奪い去った「繁殖」の運命に対して抱く、底無しの、そして純粋な『殺意』そのものであった。

 

 サムは名乗ることもなく、ただ胸部の装甲から緑の炎を一段と激しく噴射させた。繁殖の星神タイズルスの後継、宇宙に再び虫の災厄を呼び戻すかもしれない害悪を、自らの私怨のすべてを賭して、ここで完全に燃やし尽くす。その絶対的な決意が、地獄の如き熱波となって周囲の石畳を溶かしていく。

 

 「……ターゲットの排除を開始する。私は、お前をここで燃やし尽くす」

 

 電子的に変調された重苦しい声が荒野に響き渡ると同時に、サムの全身から放たれた熱量が大気を陽炎のように歪ませた。

 

 エリオの脚本を外れ、完全なる自らの意志のみでこの地に降り立った、グラモスの遺臣。その圧倒的な殺意の炎を見据えながらも、アンテラの深紫の複眼はただ冷徹に、自らの【貪喰の主権】の出力を最大戦速へと引き上げるのだった。

 

 白亜の広場は、一瞬にして地獄の底へと変貌を遂げていた。

 

 星核ハンター・サムの全身から噴き出す緑色の炎は、惑星「フェルマータ」の冷え切った大気を強引に加熱し、周囲の建造物をドロドロとした硝子状の液体へと融解させていく。だが、その凄まじい熱波の渦中にあっても、アンテラは微動だにしていなかった。身に纏う不可視の重力障壁が熱エネルギーをミリ単位の誤差もなく偏向させ、紫紺の外殻には煤一つ付いていない。

 

 アンテラの深紫の複眼は、目の前の鉄の巨兵をただ冷徹に観察していた。

 

 エリオの脚本を完全に逸脱し、ただ過去の怨嗟と純粋な殺意のみで動く機械の兵士。その装甲の奥に潜む生命が、かつてタイズルスが宇宙に撒き散らした「虫の潮(スウォーム)」によってすべてを焼かれたグラモスの遺臣であること。捕食したカンパニーの記憶から引き出したその歴史的断片が、目の前の敵が放つ狂おしいほどの敵意の正体を正確に裏付けていた。

 

「……グラモスの鉄騎。滅び損ねた過去の残骸か」

 

 アンテラの喉から放たれた声は、周囲の熱波を切り裂くように平坦だった。

 

 その言葉はサムの殺意の導火線に、容赦なく火を点けた。

 

「――協定採択…焦土作戦実行……」

 

 サムの電子音声が、大気を爆動させるほどの重低音となって響き渡る。

 

 次の瞬間、サムの胸部装甲が左右へと展開し、その奥に秘められた心臓部から、これまでとは次元の違う、まばゆいほどの死の光彩が溢れ出た。噴き出す炎は緑から、すべてを灰へと還す終末の、苛烈極まる純緑色へと染まる。背後には、炎によって形成された巨大な『火生(かしょう)(はね)』が広がり、地表の石畳を丸ごと蒸発させていく。

 

 完全燃焼状態。自身の生命維持装置を文字通り燃料へと変え、ただ目の前の敵を滅ぼすためだけに特化した、サムの真の決戦形態。

 

 ドゴォォォォォンッ!!

 

 視界が爆発した。

 

 サムの姿がかき消えたとアンテラの脳内演算が認識した刹那、すでにアンテラの頭上には、巨大な鉄の脚が迫っていた。超音速の推進力に、完全燃焼の熱量が加わった一撃。

 

 アンテラは回避を選択しなかった。ただ無機質に右腕を突き出し、【貪喰の主権】の重力反転圏を最大出力で展開する。

 

 ズ、ガァァァァァァンッ!!

 

 広場を中心に、半径数キロメートルの空間が歪んだ。

 

 サムの蹴撃が放つ破壊エネルギーと、アンテラが操作する絶対重力が正面から衝突し、空間そのものが悲鳴を上げる。衝撃波によって周囲の廃墟が粉々に砕け散り、大気に満ちていた「調和」の残響さえも完全に消し飛ばされた。

 

 だが、サムの猛攻はそこで終わらない。

 

 重力の檻に捉えられながらも、サムは胸部から緑の火炎流を至近距離で放射した。大気をプラズマ化させるほどの高熱が、アンテラの重力障壁を力任せに押し潰し、その紫紺の顔面に迫る。

 

 アンテラは初めて、その外殻に微かな『熱』を感じた。

 

 取り込んだばかりの「調和」の因子が即座に起動する。アンテラは自身の精神波を調律し、サムが放つ炎の「破壊的共鳴」を相殺するための、逆位相の波動を瞬時に放出した。緑の炎の勢いが一瞬だけ削がれる。

 

 その僅かな隙を、アンテラの冷徹な知性が見逃すはずもなかった。

 

 アンテラの細い指先が、サムの銀色の装甲へと音もなく突き出される。【貪喰の主権】を針状に圧縮した「運命の捕食針」が、サムの関節の隙間を正確に貫こうと放たれた。直撃すれば、サムを構成する壊滅のエネルギーと、その生命データは瞬時にアンテラに吸い上げられるはずだった。

 

 しかし、サムは自らの肉体が侵食される恐怖など、疾うの昔に忘却していた。

 

 捕食針が装甲の隙間に突き刺さる激痛を無視し、サムは力任せにアンテラの腕を掴み取った。鉄の強奪。緑の炎がアンテラの腕を直接焼き始める。

 

「ここで……お前を、終わらせる!」

 

 サムの背面にある火生の翅が爆発的に燃え上がり、二匹の怪物は弾丸となって上空へと打ち上げられた。

 

 雲を突き抜け、惑星「フェルマータ」の成層圏へと達する。周囲の酸素が希薄になる中、サムの完全燃焼はさらにその輝きを増していく。周囲の空間すべてを巻き込む、巨大な炎の流星群。

 

 アンテラは、自身の右腕の外殻が、サムの高熱によって微かに溶解し始めているのを、極めて冷静に観察していた。

 

 痛覚はない。ただ、自身の肉体という統治領域が侵されているという事実に対し、脳内の演算装置が『最適化の必要性』を弾き出している。

 

「……これ以上の肉体損耗は、非効率だ」

 

 アンテラの深紫の複眼から、光を吸い込むような漆黒の波長が解き放たれた。

 

 【貪喰の主権】の真の解放。アンテラはサムに掴まれたまま、周囲の空間の重力定数を一時的に数万倍へと跳ね上げた。成層圏の大気が一瞬で圧縮され、目に見えない巨大な鉄槌となってサムの重厚な装甲へと叩きつけられる。

 

 ギ、チ、チ、チ……と、サムの銀色の装甲が悲鳴を上げ、内側の生命維持装置が異常数値を叩き出す。

 

 だが、グラモスの兵士の瞳に宿る殺意は、その程度の重圧では微塵も揺らがなかった。むしろ、自身の死期を悟ったかのように、サムは胸部のエネルギーコアを完全に限界突破させた。

 

超重星爆(スーパーノヴァ・オーバードライブ)――!!」

 

 それは、自爆をも辞さない、完全燃焼の終極の技。

 

 サムを中心に、太陽の表面温度にも匹敵する純緑色の巨大な火球が形成され、成層圏の夜空を昼間の如く照らし出した。

 

 ド、ゴォォォォォォォォォンッ!!!

 

 惑星の全土を震わせるほどの、大爆発が起きた。

 

 成層圏に広がっていた雲海が一瞬で消滅し、衝撃波は地表の海さえも干上がらせるほどの威力を伴って四方に吹き荒れた。

 

 爆煙の渦中から、二つの影が引き剥がされ、それぞれの軌道を描いて地表へと墜落していく。

 

 ズ、シィィィィンッ。

 

 白亜の広場へと着地したアンテラの足元から、激しい砂煙が舞い上がる。

 

 その姿は、先ほどまでとは異なっていた。サムの決死の超高温によって、自慢の紫紺の外殻の数箇所が赤く焼け爛れ、体内からは紫色の体液が微かに蒸気となって漏れ出している。しかし、アンテラはただ静かに自身の傷口を見つめ、捕食した「豊穣」の因子を回路へと循環させた。

 

 ジジ、と音を立てて、焼け爛れた外殻が瞬く間に再生していく。

 

 タイズルスの呪いと祝福による生殖能力の欠如は克服できずとも、他者を喰らい、自らの『個』を維持するためだけに転用された豊穣の力は、アンテラに無限の戦闘継続能力を与えていた。

 

 一方、数百メートル離れたクレーターの底。

 

 激しく煙を上げるサムの銀色の装甲は、完全燃焼の反動とアンテラの超重力によって、至る所が変形し、内部の緑の炎は今や消えかけの灯火の如く弱々しく明滅していた。

 

 サムは満身創痍の身体を軋ませながら、なおもアンテラへ向けて一歩を踏み出そうとする。その一対の光彩は、未だ衰えぬ殺意で燃えていた。

 

 だが、その肉体はすでに限界を迎えていた。機械の関節から激しい火花が散り、その場に膝を突く。

 

 アンテラは足音を立てず、ゆっくりとサムの元へと歩を進めた。

 

 その複眼は、目の前の強敵を「仕留めるべき最高の獲物」として冷徹にロックオンしている。サムが宿す「壊滅」の真の因子、そしてその強靭な魂の配列を【貪喰の主権】によって完璧に咀嚼できれば、星神への階梯はさらに数段、跳ね上がる。

 

「……お前の意志と壊滅の火、私がすべて統治しよう」

 

 アンテラが静かに右腕を掲げ、漆黒の重力渦を形成したその時。

 

 カサ、と。

 

 誰もいないはずの戦場に、別の『足音』が響いた。

 

「そこまでにしてもらえるかしら、繁殖の美しいお人形さん」

 

 不意に、アンテラの脳内演算の死角から、妖艶で、しかし心臓を直接掴まれるような錯覚を覚えさせる、冷ややかな声が鼓膜へと滑り込んできた。

 

 アンテラの複眼が即座に音の主を捉える。

 

 そこに立っていたのは、一人の女性だった。ワインレッドの髪を揺らし、手には一本の奇妙な武器を携えている。その瞳は、眼前に広がる焦土の惨劇を愉しむかのように、怪しい光を湛えていた。

 

 星核ハンター、カフカ。

 

 サムの危機、そしてエリオの脚本の枠外に現れた未知の異形を前に、もう一人のハンターが、ついにその姿を現した。




次話はマジでガチで未定。
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