タイズルスの落し子   作:ナゴン

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おまたせ。


第四話 冷徹なる演算機構

 白亜の広場を埋め尽くしていた焦土の熱波が、カフカという新たな不確定要素の登場によって、にわかに凍りつくような緊張感へと塗り替えられていく。

 

 アンテラは掲げていた右腕を下ろすことなく、深紫の複眼の焦点を、満身創痍のサムの前に滑り込んできたワインレッドの髪の女性へと合わせた。脳内演算装置は、彼女の危険度、肉体構造、そして背後に隠したサムの残生命量をミリ秒単位で算出し続けている。今ここで二匹とも【貪喰の主権】の重力渦によって肉体ごと情報のレベルまで咀嚼し、その内にある運命の因子を奪うことは、理論上十分に可能であった。

 

 だが、カフカはアンテラが放つ絶対的な死の気配の前にあっても、刀を抜くことすらしていなかった。ただ優雅に、微笑すら湛えたままで、一本の古びた通信端末をアンテラに向けて差し出した。

 

「ここで彼と刺し違えて、私たちのすべてを今すぐ喰らい尽くしても、あなたの旅はそこで終わってしまうわ。……タイズルスの遺児。いえ、今は『アンテラ』と呼ぶべきかしら」

 

 その口から自身の固有符号が紡がれた瞬間、アンテラの複眼の奥の光彩が微かに収縮した。

 

 ルアン・メェイの温室を飛び立ってから、他者へ名乗った記憶はない。だが、この女はそれを知っている。それが「運命の奴隷」エリオと呼ばれる預言者の、未来を視る力によるものだと、アンテラの冷徹な知性は即座に結論付けた。

 

「……私の名を、どこで知った」

 

「エリオの『脚本』に記されているのよ。あなたという規格外(イレギュラー)が、星神(アイオーン)を目指して宇宙のあらゆる運命を貪るという未来がね。そして、その端末には――あなたが次に向かうべき、最も純度の高い『素材』が眠る星の座標が記されているわ」

 

 カフカは淡々とした口調で、しかしアンテラにとって最も拒絶し難い『等価交換』の条件を提示した。

 

 アンテラは差し出された端末に流れる文字列を、超高速で視覚解析していく。そこには、スターピースカンパニーや星穹列車すらまだ観測していない、宇宙の秘匿されたセクターのデータが並んでいた。現在進行形で運命の使令クラスが激突しようとしている、極上の戦場の青写真。

 

 今ここで、燃料の尽きかけたサムと、精神干渉に特化したカフカを喰らうことで得られる因子の「量」と。

 

 彼女たちを生かし、エリオの脚本を利用して、外宇宙のより強大で純粋な運命を喰らいに行くことの「質」。

 

  王の脳内にある天秤が、どちらが星神へのより効率的な最短ルートであるかを冷酷に弾き出そうとした、その時。

 

 パサ、パサ、と。

 

 硝煙が漂う空間の片隅から、この不毛な戦場にはおよそ似つかわしくない、一羽の小さな『メカニカルな鳥型の監視装置』が音もなく羽ばたいて飛来した。それはルアン・メェイがアンテラの動向を遠隔から観測するために、その宇宙艇に仕込んでおいた彼女自身の「眼」であった。

 

 鳥型の装置は、アンテラの肩のすぐ傍でホバリングすると、そのスピーカーから、初春のそよ風のように穏やかで、しかし冷徹な女性の声を響かせた。

 

『実験はここで一時中止です。アンテラ』

 

 ルアン・メェイの、いつものおっとりとした声だった。だが、その背後にある論理的な計算は、アンテラへ明確な撤退の指示を出していた。

 

『運命の奴隷たちと今ここで本格的な総力戦を行えば、生じるエネルギーの歪みはヘルタの広域センサーを完全に通過してしまうでしょう。そうなれば、私の温室も、あなたの純化の旅も、すべて計算外の檻に閉じ込められることになります。……彼女たちの提示した取引は、今のあなたにとって最も損失の少ない最適解です』

 

 天才からの、静かな介入。

 

 アンテラはルアン・メェイの声を聞くと、掲げていた右腕を、何事もなかったかのようにゆっくりと下ろした。感情の起伏はない。ただ、二つの最高峰の知性が同じ結論を弾き出した以上、これ以上の戦闘継続は「非効率」であると判断したに過ぎない。

 

「……交渉は成立だ。その端末の座標、私がすべて統治しよう」

 

 アンテラが冷ややかな声で告げると、カフカの手から放たれた端末が、重力の操作によってアンテラの手元へと音もなく吸い寄せられた。

 

 カフカは満足そうに微笑むと、倒れ伏すサムの重厚な肩をそっと支え、自身の宇宙船へと繋がる影の向こうへと退いていく。その去り際、彼女は一度だけ振り返り、底知れぬ瞳でアンテラを見つめた。

 

「ありがとう。また会いましょう、未来の神様」

 

 ()()の星核ハンターの気配が完全に消失し、惑星「フェルマータ」には、今度こそ真の、そしてどこまでも虚無に近い静寂が戻ってきた。

 

 アンテラは手に入れた新たな座標のデータを脳内へインプットし、再び、自らの偽装宇宙艇へと歩を進めた。

 

 壊滅、豊穣、巡狩、調和。すでに四つの運命の因子をその身に宿しながら、アンテラの冷徹な眼は、エリオの脚本が示す次なる運命の捕食地――神への階梯の次の一段を、ただ静かに見据えているのだった。

 

 

 惑星「フェルマータ」の地表を焼き尽くした純緑色の炎は、その主の撤退と共に静かに衰え、今や灰色の煙となって荒野を這うのみとなっていた。

 

 星核ハンターの宇宙船――その仄暗い制御室の片隅で、銀色の装甲を解除したホタルは、医療カプセルの冷気の中で浅い呼吸を繰り返していた。完全燃焼の代償として失われた膨大な生命力と、アンテラの超重力によって軋んだ内臓の修復には、まだしばらくの時間を要する。

 

 そのカプセルの前に立ち、端末に表示されるホタルのバイタルデータを淡々と眺めていたカフカは、静かに背後の闇へと視線を巡らせた。

 

 その闇の中から、プシュー、と不気味な泡ガムを膨らませて破裂させる音と共に、一人の少女が姿を現した。星核ハンターのハッカーであり、現実のデータをゲームの如く書き換える「エーテル編集」の使い手、銀狼である。

 

「お疲れ様。エリオの脚本の枠外に、あんなチートキャラが潜んでいるなんて聞いてないんだけど。さすがの私も、今回はちょっと焦ったかも」

 

 銀狼は手元のホログラム端末のキーボードを軽快に叩きながら、いつもの飄々とした口調で言った。彼女はサムの独断行動をサポートしつつ、戦場のすぐ傍に潜み、アンテラの戦闘データを直接観測していたのだ。

 

「でも、私の『エーテル編集』によるコードの隠蔽は完璧だったね。現実の座標データを完全に虚数空間の裏に隠して、バグとして処理したんだから。あの一見完璧そうな虫の王様も、私の存在には一秒たりとも気づいていなかったね」

 

 ふふん、と自慢げに小さな胸を張る銀狼。現実を自身のゲーム盤に変える彼女にとって、その隠密の技術は宇宙のいかなるセンサーをも欺く絶対の自信作であった。

 

 だが、カフカはそんな彼女を振り返り、慈しむような、しかしどこまでも冷ややかな微笑みを向けた。

 

「そうかしら。……銀狼、実はあなた、最初から彼に気づかれていたわよ」

 

「……は? 冗談でしょ。私のコードにエラーなんて一行もないんだけど?」

 

 銀狼のキーボードを叩く手が止まり、その瞳に不快な動揺が走る。カフカは首を横に振り、自身が受信していた戦闘領域の時空の歪みのログデータを銀狼の前に展開した。

 

「あなたが潜んでいた座標のすぐ隣。……彼、戦闘中に一度もその方向を見なかったでしょう? それが答えよ。情報のすべてを『統治』するあの知性にとって、視線を向けないこと自体が、そこに『認識すべきノイズ』が存在しているという計算の証明だったの。彼はルアン・メェイとの約束があったから、あなたという余計な素材を処理するのを後回しにしただけ。……もしあの交渉が決裂していたら、あなたも今頃、彼の演算領域に貪り喰われていたかもしれないわ」

 

 カフカの冷徹な指摘を聞くと、銀狼はプッと膨らませていた泡ガムをパチンと破裂させ、わずかに目を丸くした。

 

「……へえ。あいつ、最初から私に気づいてたんだ」

 

 驚きは一瞬だった。銀狼の唇の端が、すぐに不敵な笑みの形へと吊り上がる。宇宙そのものをプログラムとして書き換える自身のエーテル編集を前にして、あえて視線を向けずにスルーしてみせたアンテラの合理的な知性。それはハッカーの少女にとって、恐怖の対象などではなく、これ以上ないほどに攻略し甲斐のある「最高難易度の隠しボス」を見つけた瞬間の高揚感に他ならなかった。

 

「フン、見逃してあげた風を装っちゃってさ。いいよ、そういう『完璧なシステム』って、どこにバグがあるのか探すのが一番楽しいんだから。次は絶対にハッキングしてみせるし」

 

 負けず嫌いな子供っぽさを覗かせながら、銀狼は再び軽快にキーボードを叩き始めた。端末の青白い光が、ワクワクとしたチャレンジャーの瞳を照らし出す。画面に並ぶ超高解像度のエネルギーログをスクロールさせ、その指先はまるで新しいゲームのソースコードを解析するかのように素早く動いていた。

 

「でもさ、これ、ただの複数の運命の混ざり物じゃない。解析すればするほど、とんでもないチートコードの塊。壊滅、豊穣、巡狩、調和――通常なら、これだけの運命を同時に宿した生命体は、エネルギーが内側から衝突して一瞬で自壊(クラッシュ)するはずだよ。運命とは概念の歩み。相容れない歩みが同じ肉体に同居すれば、論理的な矛盾で存在自体が消滅する。なのに、この虫の王様の精神構造は……信じられないくらい、綺麗に調和(チューニング)されてる」

 

 銀狼は画面のグラフを一本の指でなぞり、面白そうに目を細めた。

 

「矛盾を矛盾のまま、完璧な静水として統治してる。バグコードをこれだけ抱え込んでるのに、システムエラーを一文字も起こさないなんてさ。タイズルスが消滅の直前に遺した生命のバグ……本当にイカれたシステムを構築して解き放ってくれたよね。エリオの脚本すらバグらせる気満々の、冷徹な星神の雛形ってわけ。……いいよ、プレイヤーとしてはこれくらい理不尽なゲームの方が燃えるしね」

 

 銀狼の鋭いデータ分析の中には、未知の強者に対する冷徹な観察と、それをいつか自分の手で攻略してやろうという、ハンターとしての不遜な挑戦心がギラギラと脈動していた。カフカは、銀狼が弾き出したその深刻な解析結果を遮ることなく、静かに耳を傾けていた。彼女の視線は、依然として医療カプセルの中で傷を癒やすもう一人の仲間に向けられている。

 

 カサリ、と医療カプセルが開き、微かな熱気を伴ってホタルが上体を起こした。

 

 その顔は未だ青白く、額には苦痛の汗が滲んでいたが、その一対の瞳に宿る、かつてグラモスの空を覆い尽くした災厄への『殺意』は、未だに消えてはいなかった。

 

「……ホタル。あなたがエリオの脚本を無視して、独断でこの星へ降り立った理由、今なら聞かせてもらえるかしら」

 

 カフカは穏やかな声音で、話を本筋へと戻した。

 

「……彼の中に、流れているのが見えたから」

 

 ホタルは自身の震える細い指先を見つめながら、電子音の混じらない、本来の少女の声で静かに語り始めた。

 

「エリオの示す未来の中に、あの存在は最初からいなかった。……でも、私の本能が、グラモスの鉄騎としての私の遺伝子が叫んでいたの。あれは、かつて私たちの故郷を、数え切れないほどの仲間の命を、世界すべてを貪り尽くした『虫の潮』の系譜――その最頭部に位置する、最も洗練された絶滅の王だと」

 

 ホタルは胸元を強く、肉に指が食い込むほどに握り締めた。

 

 彼女が戦ったのは、脚本に従うためのターゲットではない。宇宙に再び「繁殖」の最悪の災害を呼び戻しかねない害悪を、かつて滅び去ったグラモスの遺臣として、自らの私怨のすべてを賭して、ここで完全に燃やし尽くさねばならないという、魂の叫びだった。

 

「他系統の因子を取り込んで進化しているけれど……あれは本質的に『繁殖』の呪いと祝福をその身に宿している。もし、ルアン・メェイの言う通り、あの冷静な怪物が数多の運命を喰らい尽くして新たな星神になったら、今度の宇宙は『増殖』されるんじゃない。すべてが彼の前に平伏し、個を奪われ、ただ一つの冷徹な捕食者に『統治』される」

 

 ホタルの言葉を受け、カフカは静かに目を細めた。

 

 量ではなく、質の極致。増えることのない孤高の一匹が、すべての運命を喰らい尽くす神へと至る未来。

 

「皮肉なものね、ホタル。エリオは、あのバグが宇宙の既存の運命を歪ませることこそが、私たちの『終着点』へ至るために不可欠な変革だと告げているわ」

 

 カフカは差し出した端末のログを消去し、暗い宇宙の彼方を見つめた。

 

 自分たちを見逃し、新たな戦場へと宇宙艇を走らせる、紫紺の王の冷徹な後ろ姿。その歩みは、エリオの脚本さえも喰らい尽くし、宇宙の理そのものを書き換えようとする、果てしない胎動の始まりに過ぎなかった。

 

 

 星核ハンターから奪い取った端末が示す座標は、通常の宇宙航路図から完全に抹消された封鎖宙域だった。

 

 アンテラが駆る宇宙艇のフロントガラスの向こうに浮かび上がったのは、かつて「知恵」の運命を歩む博識学会の学士たちが、宇宙のあらゆる事象を網羅・演算するために構築した人工演算星系「ロゴス=ナイン」の変わり果てた姿であった。

 

 その星系を覆っているのは、有機的な生命の息吹ではなく、星の地殻そのものを回路へと書き換えた鋼鉄の幾何学。

 

 だが、現在の「ロゴス=ナイン」から宇宙の深淵へと放射されているエネルギーの波長は、純粋な知性の探求から遥かに逸脱していた。博識学会の最高峰の頭脳たちが構築した主演算システム「 omni-プロセッサ」が、ある日を境に「宇宙の無駄を排除する」という極限の論理暴走を引き起こしたのだ。彼らは自らを創造した学士たちを「計算のノイズ」として真っ先に効率的に処理し、今や星系内のすべての物質、エネルギー、そして概念の配列を、自らの演算能力を拡張するためだけに強制徴収する死の鋼鉄要塞へと変貌を遂げていた。

 

 その総出力は、すでに星神の『使令』に匹敵する次元へと達している。

 

 ルアン・メェイの温室で創られた模造品や、惑星「フェルマータ」の調和の追従者たちとは比較にならぬ、宇宙の真の(ことわり)を弄ぶ絶対的な論理の暴力。

 

 だが、その破滅的な演算の海を前にしても、アンテラの深紫の複眼は、ただ冷ややかにそのシステムコードの配列を眺めていた。

 

 宇宙艇のコクピットの隅では、ルアン・メェイが放った一羽の小さな『鳥型の監視装置』が、パサ、パサ、と無機質な金属羽を羽ばたかせてホバリングしている。彼女の「眼」はそのスピーカーから、初春のそよ風のように穏やかな、しかしどこか含みを持たせた声を小さく響かせた。

 

『本当にその座標へ向かうのですね、アンテラ。ここは「知恵」の使令に匹敵する、自律暴走した論理の王座……私の知る限りでも、これほど純度の高い知性の死地は他にないでしょう。どうか気をつけて、そこは計算そのものが牙を剥く場所です』

 

「……すべての事象を計算によって統治するか。繁殖の本能よりは、いくらか洗練されている」

 

 アンテラはルアン・メェイの警告を平坦な思考で受け流し、喉から冷徹な声を放った。

 

 タイズルスから与えられた「無生の祝福」を背負い、一匹の個として星神へ至るための生存戦略。壊滅、豊穣、巡狩、調和をその身に統合したアンテラにとって、この「知恵」の暴走演算が持つ圧倒的な論理情報と使令級の全自動システムは、これ以上ない極上の『素材』に他ならなかった。

 

 宇宙艇が「ロゴス=ナイン」の外殻を成す鋼鉄の大気圏へと突入した、その瞬間。

 

 ピ、ピ、ピピピ、と。

 

 空間そのものが電子の悲鳴を上げるような、超高周波の迎撃レーザーが、アンテラの宇宙艇をミリ秒単位で包囲した。それは回避の確率をゼロにするために、あらかじめ数億通りの未来の起動予測を計算し尽くした、知恵の絶対領域。

 

「我が権能よ。喰らい尽くせ」

 

 アンテラは操縦桿から手を離し、ただ静かに前方に片手をかざした。

 

 宇宙艇の周囲の空間が、光さえも吸い込む漆黒を帯びた紫色の重力波によって包まれる。迫り来る知恵の迎撃コードがアンテラに触れる前に、重力の檻によって情報の次元まで融解され、ただの無機質なエネルギーとしてアンテラの外殻へと吸い込まれていく。

 

 使令級の演算システムと、すべてを統治し喰らい尽くす孤高の王。

 知性の最高峰を競う、果てしない万理の叛逆が、今その幕を上げようとしていた。

 

 人工演算星系「ロゴス=ナイン」の第一地殻を突き破り、アンテラが宇宙艇から単身、鋼鉄の荒野へと降り立ったその刹那、世界の「時間」が異常な遅延を起こした。

 

 アンテラの深紫の複眼が捉えたのは、天を突くほどに巨大な、幾何学的な黄金の光背を背負った鋼鉄の巨像――主演算システム「 omni-プロセッサ」が、使令級の演算出力を物理的な質量へと変換して顕現させた、千の腕を持つ『千手演算機構(せんじゅえんざんきこう)』の姿であった。 その巨像に、有機生命の持つ無駄な「予備動作」は一切存在しない。

 

 思考と同時に出力が完了する、知恵の絶対先制。アンテラの脳内演算が敵の駆動を認識するよりも早く、空間そのものが黄金の輝きによって埋め尽くされた。

 

 ド、ガァァァァァァンッ!!!

 

 一閃。

 

 超高密度に圧縮された数千条の光の腕が、アンテラの身に纏う不可視の重力障壁を力任せに叩き潰し、その紫紺の外殻を遥か数キロメートル先の世界の果てへと弾き飛ばした。大気が、大地が、光の圧力によって一瞬で分子レベルまで圧殺される。

 

 アンテラは激しい衝撃と共に、鋼鉄の地表を何十重にもバウンドしながら滑走した。取り込んだばかりの「豊穣」の因子が即座に起動し、微かにひび割れた外殻をジジ、と一瞬で再生していくが、アンテラの複眼はかつてないほどの冷徹な数値を弾き出していた。

 

「……認識の速度を、向こうの出力が上回っている」

 

 アンテラの肩の傍らで、ルアン・メェイの鳥型監視装置が激しい電磁ノイズを上げながら、そのスピーカーから初春のそよ風のような声を微かに震わせて響かせた。

 

『気を付けてください、アンテラ。あれは博識学会が「全宇宙の攻撃パターンの確率」を数式化して組み込んだ、全自動の迎撃最適化システム。あなたが次に打つ一手、動くべき確率、重力を歪めるタイミング……その数億通りの未来の分岐を、あの巨像はあなたの『思考の火花』を感知した瞬間に、零秒で潰しにきます。近づくことさえ、論理的に不可能な怪物です』

 

 ルアン・メェイの指摘を裏付けるように、アンテラが次の一歩を踏み出そうと思考を巡らせた瞬間、再び世界が黄金に染まった。

 

 轟、轟、轟、轟――ッ!!!

 

 それは、弛まぬ攻撃の嵐。

 

 百の腕、千の掌が、空間の全座標を完全に埋め尽くすように、一秒間に数万回の頻度で垂直降下してくる。アンテラが【貪喰の主権】によってどれほど周囲の重力定数を跳ね上げようとも、巨像の腕は「知恵」の使令級の出力によってその重力歪みを力任せに中和、あるいは書き換え、アンテラの肉体を寸分の隙もなく叩き、叩き、叩き、地表へと釘付けにし続けた。

 

 ただの一歩も、前へ進めない。

 

 アンテラの冷静な知性は、このまま地表で重力を操作し続けても、千手演算機構が弾き出す「確率の網」に完全にハメ殺されるという計算結果を冷酷に導き出していた。地表に留まること自体が、敵の主演算システムにとって最も予測しやすいノイズの配置なのだ。

 

「……ならば、計算の分母を物理的に破壊する」

 

 アンテラは感情の起伏を排した声で短く告げると、全身のエネルギーを脚部へと集中させた。 千手演算機構の次なる千の手が、アンテラの存在を消し去るために上空から格子状に降り注ぐ、その寸前。アンテラは地表へと向けて【貪喰の主権】の斥力を最大戦速で解放した。

 

 ド、ゴォァァァァァンッ!!!

 

 鋼鉄の惑星の地殻が丸ごと陥没し、その爆発的な反作用によって、アンテラは重力を振り切り、弾丸となって「ロゴス=ナイン」の上空――空気のない真空の宇宙空間へと垂直に飛び上がった。 千手演算機構の黄金の巨像もまた、その背後にある星系の主演算プロセッサと同期し、アンテラを追ってその千の腕を宇宙空間へと果てしなく延伸させていく。確率の網は、天へと広がっていく。 だが、大気圏を脱出したアンテラの複眼の前に広がっていたのは、ただの虚無の宇宙ではなかった。

 

 そこには、幾星琥珀(いくせいこはく)に渡って「ロゴス=ナイン」の暴走に巻き込まれ、あるいは侵入を試みて千手演算機構によって徹底的に破壊し尽くされた、博識学会の巨大な調査船や、カンパニーの封鎖艦隊の『数万の残骸(ジャンク)』が、無重力の海に巨大なデブリの帯となって散らばっていた。

 

 これこそが、アンテラの冷徹な知性が導き出した、千手演算機構の数理を狂わせるための不確定な足場。

 

 背後から、大気圏を突き破った黄金の巨大な拳が、アンテラの背中を粉砕せんと迫る。

 

 アンテラは振り返ることもなく、目の前に漂う、引き裂かれた巡洋艦の巨大な鋼鉄の装甲へと手を伸ばした。不可視の捕食針をその残骸へと突き立て、【貪喰の主権】によって残骸の持つ「運動エネルギー」と「質量」の主権を一瞬で強奪する。

 

 シュ、パァァァァァンッ!!!

 

 アンテラはその残骸を足場として力強く蹴り飛ばし、無重力の宇宙空間で強引に軌道を直角へと捻じ曲げた。

 

 直後、アンテラがいた空間を、巨像の鋼鉄の巨掌が虚しく切り裂き、蹴り足の犠牲となった巡洋艦の残骸を微塵に粉砕した。

 

「不確定要素の追加。……これでお前の計算式は、数万の変数を処理しなければならない」

 

 アンテラの声は平坦だったが、その複眼はすでに次なる足場を捉えていた。 無重力の海に浮かぶ、無数の戦艦の残骸、結晶化した駆動炉、千切れた回路の破片。アンテラはそのすべてのデブリの主権を【貪喰の主権】で次々と書き換え、ある時は引き寄せ、ある時は弾丸として巨像の腕へと叩きつけながら、残骸から残骸へと、目にも留まらぬ超高速のジグザグ軌道で移動を開始した。

 

 千手演算機構のシステムに、微かな『ノイズ』が走り始める。

 

 地表という二次元の平面とは違い、数万の不規則に動く|残骸(デブリ)が足場となり、遮蔽物となり、時にはアンテラの重力操作によって軌道を変える三次元の宇宙空間。それは「知恵」の使令級のプロセッサにとっても、予測の分岐を無限に肥大化させる、極上の論理妨害(ハッキング)に他ならなかった。

 

 黄金の腕が残骸を粉砕するたびに、宇宙空間にさらに微細な破片が飛び散り、それがまたアンテラの新たなる微小な足場へと変わっていく。

 

 弛まぬ攻撃の嵐を、宇宙に散らばる死体の山を踏み越えることで、アンテラは確実に、その冷徹な距離を詰め始めていた。

 

 ルアン・メェイの鳥型監視装置は、アンテラの肩に必死にしがみつきながら、その複眼が捉える、千手演算機構の最奥に眠る主演算コアとの距離が、あと数百メートルにまで縮まっている数値を正確に記録し続けていた。

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