シャドー公爵の傲慢な怒鳴り声を背に、ミソラとサナ、そして6匹の家族たちが足を踏入れたのは、パルファム宮殿の裏手に広がるあまりにも広大なフランス式庭園だった。
美しく刈り込まれた生け垣が十字に、円状に、幾何学的な迷路となってどこまでも続いている。
「うわあ……これ、まともに歩いてたら絶対に迷子になっちゃうよ……!」
サナが左右にそびえ立つ緑の壁を見上げて途方に暮れたように声を上げる。
しかし、ミソラの瞳に諦めの色はなかった。
「大丈夫よ、サナ。私たちには、この子たちがいるわ」
ミソラが合図を送ると、まず動いたのは上空を静かに旋回していたヒノヤコマだった。鋭い眼光で広大な緑の迷宮を俯瞰し、トリミアンの白い毛並みが動くわずかな気配を察知して、鋭く「ヒノッ!」と鳴いて進むべき方向を指し示す。
地面では、エネコとピカチュウが優れた嗅覚と聴覚を働かせ、生け垣の隙間をすり抜けながら先導していく。
効率を求めるトレーナーなら「こんな無駄に広い庭を歩くなんて時間のロスだ」と愚痴をこぼすだろう。だが、ミソラにとっては、この苦労さえも我が子たちの意外な特技や頼もしさを再発見する愛おしい時間だった。ハクダンシティで震えていたエネコが、今では先陣を切って草むらをかき分けている姿を見るだけで、胸が熱くなる。
幾重もの角を曲がり、庭園の最奥にある大きな噴水広場にたどり着いたその時、生け垣の影に丸まって、小さく震えている白いポケモンを見つけた。
シャドー公爵が「自分のステータス」と豪語していた、風変わりなカットを施されたトリミアンだった。
「見つけた……!」
サナが思わず駆け寄ろうとするが、ミソラはそっとその手を押さえた。トリミアンは人間への不信感からか、ウウッ、と低く唸り、怯えた瞳でこちらを警戒している。無理もない、あの公爵にモノのように扱われて傷ついていたのだ。
ミソラはゆっくりと膝をつき、目線をトリミアンと同じ高さに合わせた。
「驚かせてごめんなさいね。貴方、あのお部屋がとても怖くて、悲しかったのね」
ミソラが優しく語りかけると、足元からピカチュウとルリリがトコトコと前に出た。二匹は戦う意志がないことを示すように、トリミアンの前で小さくステップを踏み、ヒトカゲも尻尾の炎を穏やかに揺らして、温かい空気をその場に広げていく。
「私は貴方を縛り付けるために来たんじゃないわ。ただ、みんなが困っているの。貴方のその綺麗な命を、あんな男の道具にさせておくのは、私も絶対に嫌。だから、まずはここを出ましょう。私たちが、貴方を絶対に傷つけさせないから」
ミソラの偽りのない、命への誠実な響きを持った言葉。そして、彼女を取り囲むポケモンたちの、一切の邪気がない純粋な瞳。
トリミアンの張り詰めていた緊張が、お湯が溶けるようにスーッと引いていくのが分かった。トリミアンは静かに立ち上がると、ミソラの手のひらに、そっと冷たい鼻先を寄せて甘えるように鳴いた。
「よかった……! 通じ合えたんだね、ミソラちゃん!」
サナが感激して涙ぐむ。ミソラはトリミアンの美しい毛並みを優しく撫せ、その誇り高き命をそっとエスコートするように歩き出した。
――しかし、宮殿のロビーに戻った瞬間、その平穏は破られた。
「おお! 私の最高級品! よくぞ戻った!」
シャドー公爵が醜い欲望を剥き出しにして、汚れを嫌うかのように太いマジックハンドのような捕獲棒を従者に持たせ、トリミアンを強引にケージへと押し込めようとしたのだ。
トリミアンが恐怖に怯え、短く悲鳴を上げる。
「やめなさい!」
鋭い一喝と共に、ミソラは迷わずトリミアンの前に割って入った。同時に、テールナーが尻尾の小枝を毅然と構えて男の前に立ち塞がり、ヒノヤコマが鋭い嘴をカチリと鳴らす。ピカチュウ、ヒトカゲ、エネコ、ルリリも一歩も引かずにミソラの足元を固めた。
文字通り、ミソラと6匹の家族たちが頑強な盾となってトリミアンを完全に背後に庇い、公爵の強硬手段を力で遮断したのだ。
「ひっ、ひいいっ!? な、なんだお前たちは! 邪魔をするな!」
「邪魔をしているのは貴方の方です、シャドー公爵」
ミソラは冷徹な眼差しで、怯む公爵を真っ向から見据えた。
「この子がなぜ逃げ出したのか、その貧しい想像力で少しは考えたらどうですか? ポケモンは貴方の富を誇示するための飾りでも、乱暴に扱っていい道具でもありません。これ以上、この子を恐怖で縛り付けるというのなら……カロスリーグの規約に基づき、トレーナーとしての不適格性を正式に告発いたします。それに、私の後ろにいるこの子たちの実力は、先ほどの並木道で実証済み。力ずくで奪えると思わないことです」
凛とした正論と、6匹の家族たちから放たれる一糸乱れぬバトルの気迫。法律と実力の両面で完全に退路を断たれた公爵は、ガタガタと震え、従者の後ろに隠れることしかできなかった。
背後で守られたトリミアンは、ミソラのコートの裾にそっと頭を預け、心からの安心を得たように安堵の息を漏らした。
公爵は恐怖とバツの悪さを誤魔化すように、狂ったように近くのレバーを引いて叫んだ。
「わ、分かった! もういい、好きにしろ! おい、私のトリミアンの帰還を祝して、今すぐ特大の花火を打ち上げろ! 景気良くやれ!」
公爵が勝手に騒ぎ立てたその直後、宮殿のバルコニーの向こう、夜の帳が下りたカロスの夜空に、凄まじい音と共に光の玉が打ち上がった。
ズドォォン……!
夜空に咲いたのは、金や銀、そして七色にきらめく大輪の美しい花火だった。遮るもののない宮殿のベランダから見上げるその光景は、息を呑むほどに贅沢で、幻想的だった。
「すごーいっ! 綺麗……!」
サナが歓声を上げ、ピカチュウやエネコも瞳をキラキラと輝かせて夜空を見上げている。テールナーとヒノヤコマは、ミソラの左右に寄り添い、その美しい光を静かに分かち合っていた。
効率主義の人間は、花火を見る時間すら無駄だと言うかもしれない。けれど、こうして家族全員で同じ美しい景色を眺め、感動を共有することこそが何よりも尊いのだとミソラは知っている。公爵の身勝手な狂騒が生んだ副産物とはいえ、この美しい輝きは、頑張った我が子たちへの最高の癒やしだった。
ひとしきり夜空が煌めいた後、ミソラは未だにトリミアンにウットリしている公爵の前に、スッと冷徹に立ち塞がった。
「公爵。貴方の満足のいく結果になったのですから、こちらの用件を済ませていただきましょう。ショボンヌ城の宝である『ポケモンのふえ』を、今すぐこちらへ」
ミソラの放つ圧倒的な威圧感と、後ろに控えるテールナーの鋭い一瞥に、流石の公爵も現実に引き戻されたように頬をひきつらせた。
「ふ、ふん! あんな古い笛など、トリミアンが無事に戻った今となってはどうでもよいわ! 持って行くが良い!」
従者が恭しく持ってきた木箱をミソラは受け取る。
蓋を開けると、そこには古風だが美しい装飾が施された、一本の静かな横笛が収められていた。――これこそが、カビゴンを眠りから覚ますことができる、本物の『ポケモンのふえ』だった。
「やっと取り戻したわ。あるべき場所へ、あるべき筋を通すために」
ミソラは笛を胸に抱きしめ、夜空を見上げた。
ボックスでお留守番をしているプラスルとマイナンにも、この勝利を早く伝えてあげたい。
我儘な富豪の宮殿を後にするミソラたちの足取りは、確かな達成感と共に、夜の並木道をどこまでも力強く進んでいくのだった。