カビゴンが去り、遮るもののなくなった7番道路を西へと進むミソラたちの前に、見覚えのある少年たちの姿が現れた。図鑑埋めに情熱を燃やすトロバと、ダンスのステップを刻み続けるティエルノだ。
「あ、ミソラさん! 無事にカビゴンを起こせたのですね!」
トロバが嬉しそうに駆け寄ってくる。色白で柔らかな光を放つような美しい金髪をなびかせたミソラの姿は、旅慣れた道路でも一際華やかに目を引いていた。
ティエルノも「あそこの道を抜けたところにさ、すごく有名な『ポケモン育て屋』があるんだよ。みんなで行ってみない?」と親指を立てた。
案内されるがままに訪れたその建物は、広大な敷地を持ち、多くのトレーナーがポケモンを預けて楽にレベルを上げたり、強い技を覚えさせたりするための施設だった。
「ここに預ければ、自分で特訓しなくても勝手に強くなりますよ。効率的ですよね」
トロバが熱心に説明する。
しかし、柵の向こうで機械的に走り回されているポケモンたちを見つめるミソラの瞳には、戸惑いと、どこか寂しげな色が浮かんでいた。その姿は、主との絆や思い出を育むことなく、ただ「数字」を増やすためだけの場所に思えたからだ。
「……私は、遠慮しておくわ」
ミソラは我が子たちが守るように入っている手持ちのボールにそっと手を当て、穏やかに、けれどきっぱりと言った。
「え? でも、手持ちをここに預ければ、もっと簡単に旅が進みますよ?」
不思議そうに首を傾げるトロバに、ミソラは自慢の金髪をそっとなびかせ、我が子たちへの愛おしさを込めて微笑んだ。
「ありがとう、トロバ。でも、私の美学に反するの。苦しいことも、嬉しいことも、すべてこの子たちと共に歩んで、この子たちの努力をこの目で見届けてあげたいの。誰かも分からない他人に我が子を預けて、ただ強くなった数字だけを受け取るなんて、そんな寂しい真似、私はしたくないわ」
その嘘偽りのない深い愛情に、トロバとティエルノは圧倒されたように黙り込むしかなかった。ミソラにとって、大家族の絆はお金や効率でショートカットしていいものではなかった。
育て屋に背を向け、さらに進むと、川沿いにそびえ立つ古風な洋館――『バトルシャトー』が見えてきた。
「ここは伝統あるバトル施設で、勝つごとに『バロン』や『バイカウント』といった爵位がもらえるんですよ」とトロバが教えてくれる。
「爵位、ね……」
ミソラはふんわりと可憐に微笑んだ。勝敗で階級を決めるシステムにはあまり興味が湧かなかったが、格式ある建物を見て、我が子たちとのお散歩がてら、少し中を覗いてみようという純粋な好奇心が湧いたのだ。
これが、ミソラのバトルシャトーへの最初で最後の挑戦――デビュー戦にして、最終戦の始まりだった。
館内へ入ると、きらびやかな衣装を纏った、いかにもプライドの高そうな若き貴族トレーナーが、ミソラの前へと歩み出てきた。
「ふん、見慣れない格好の娘だな。私のような高貴な『バロン』に挑む栄誉を与えてやろう。行きなさい、我が華麗なるポケモン!」
相手が繰り出してきたポケモンは、いかにも高級な手入れをされているようだが、その瞳にはどこか元気がなく、トレーナーとの深い信頼の輝きも薄いように見えた。
「我がバロンの戦術の前に、ひれ伏すがいいたまえ!」
傲慢な言葉と共に、相手は教科書通りの指示を出す。
ミソラは困ったように眉を下げ、優しく声を掛けた。
「テールナー、行きなさい。まずは『サイケこうせん』で相手を幻惑するのよ」
「テールッ!」
男の子らしい力強さを秘めたテールナーが、尻尾の小枝を美しく振り抜いた。色鮮やかな光の輪が相手の目を眩ませ、敵の動きを完全に狂わせる。
「仕上げは貴方よ、ヒトカゲ! 『ひのこ』で一気に決めなさい!」
「ヒトカァーッ!!」
小さな体で元気いっぱいに飛び出したヒトカゲが、渾身の炎を放つ。その瞬間、ヒトカゲの全身が眩い進化の光に包まれた。
「あ……! 進化するんだ!」
トロバが驚きの声を上げる。
光の中で、ヒトカゲの体躯は一回り大きく、逞しく引き締まり、頭部には一本の凛々しい角が突き出した。燃え盛る紅蓮の光を切り裂いて現れたのは、誇り高き炎の戦士――リザード(オス)だった。
「リザァァァッ!!」
野生の雄叫びと共に、リザードはさらに威力を増した熱い炎を相手に叩き込む。相手の戦術は、ミソラの我が子たちがこれまでお互いを信じ合って培ってきた絆の前に、何の手応えもなく一瞬で崩壊し、相手のポケモンはあっけなく戦闘不能に陥った。
「な、何ということだ……私の完璧な計算が……!?」
頭を抱えてうろたえる若きバロン。館内の係員が「見事な勝利です! あなたに『バロネス』の爵位を――」と大仰にプレートを掲げて歩み寄ってくる。
しかし、ミソラはそれを柔らかく手で制した。
「いいえ、結構です。その肩書きは辞退させてください」
相手の傲慢な態度に怒ることもなく、ただ、あまりにも手応えのない戦いに少しだけ肩をすくめる。何より、勝った負けたで階級を決め、数字を競い合うこの場所の空気そのものが、ミソラの肌には全く合わなかった。彼女は決してバトル命のトレーナーではないのだ。
「私はただ、可愛いこの子たちとカロスを歩み、その成長を近くで愛でたいだけ。こういう場所で競い合うのは、私たちには少し荷が重いみたい」
お正月の晴れ着のように美しい金髪を揺らしながら、ミソラは一度も振り返ることなく、バトルシャトーの重い扉を押し開けて外へと出た。
「ミ、ミソラさん、もう行っちゃうんですか!?」
追いかけてきたトロバが声を上げる。
「ええ。ここに私の求める『美学』は無いわ」
シャトーの重厚な門をくぐり、完全に敷地の外へと出た瞬間、ミソラはそれまでの凛とした表情をガラリと崩した。まるで張り詰めていた糸が解けたかのように、その美しい顔いっぱいに、とろけるような甘い笑みを浮かべる。
「ああ……! 我慢したわ、本当によく頑張ったわね、私の愛しい宝物たち……!!」
ミソラはその場にふわりとしゃがみ込むと、両手を大きく広げた。その合図を待っていたとばかりに、手持ちのボールから光が弾け、男の子も女の子も、すべての我が子たちが一斉に飛び出してくる。
「リザァッ!」
「テールゥ!」
「みゃうっ!」
「ピカァッ!」
「まぁぁ! なんてカッコよくなったの、リザード! こんなに凛々しくなっちゃって、本当に素敵よ! テールナーもヒノヤコマも、男の子たちの連係、バッチリだったわね!」
ミソラは色白の頬を進化したばかりのリザードにすり寄せ、その頭を優しく撫でる。リザードは最初は少し照れくさそうに顔を背けたが、すぐに「リザ、リザ……」と嬉しそうに目を細めた。
そして、ミソラはすぐに足元で待っていた女の子たちへも両手を伸ばした。
「そしてエネコ、ルリリ! 待たせてごめんなさいね、貴方たちがいの一番に応援してくれたから、みんな頑張れたのよ! ほらほら、可愛いわねぇ、私の最高に愛らしい天使たち!」
ミソラはエネコをふわりと抱き上げ、ルリリを膝の上に乗せて、交互に頬ずりを繰り返した。ピカチュウもその腕の中に滑り込み、みんなでミソラの甘い香りと温もりを分け合う。
「テールナーもお耳のブラッシングをしましょうね。ヒノヤコマも、ほら、みんなで美味しいポフレを食べましょう!」
ミソラは夢中になって我が子たち全員をこれでもかと撫で回し、声を掛け、一匹も置いてきぼりにすることなく、底なしの愛情を注ぎ込んでいく。
さっきまでの気品溢れる美女の姿はどこへやら、今のミソラはただ、愛しい大家族に囲まれてデレデレになっている、世界で一番幸せな一人の人間だった。
「ミソラさん、本当にポケモンたちのことが大好きなのですね……」
少し遅れてシャトーから出てきたトロバが、そのあまりの豹変振りに目を丸くしながらも、微笑ましそうに呟く。
「ええ、当たり前じゃない。この子たちは私の命、私の大家族だもの」
ミソラは金髪を揺らし、我が子たち全員を優しく見つめながら、心底幸せそうに笑った。
バトル命のトレーナーなら狂喜乱舞するであろう施設を、ミソラはただの寄り道として切り捨てた。勝敗の数字なんかよりも、こうして我が子たちの成長を全員で祝い、その温もりを感じることこそが、彼女にとっての旅のすべてであり、唯一の真実だった。
「さあ、みんな。お腹いっぱい甘えたら、また私たちの楽しい旅を続けましょうね」
我が子たちを愛おしそうに引き連れながら、ミソラは再びその美しい容姿にふさわしい誇り高き足取りで、カロス地方の次なる大地へと、真っ直ぐに歩みを進めるのだった。