ヒヨクシティのポケモンセンターの一室。
カーテンを閉め切り、薄暗くなった部屋のベッドの端に、ミソラはただ静かに座り込んでいた。その両手には、アズール湾でボロボロに傷つき、今は静かに眠っているヒノヤコマのモンスターボールが握られている。
「……私のせいだ。私がアズール湾なんて、変な場所にみんなを連れて行かなければ……」
目を閉じれば、昨日のあの屈辱的な光景が鮮明にフラッシュバックする。でんじはで動きを止められ、チャージビームでジワジワと嬲られ、大空から真っ逆さまに落ちていったヒノヤコマの姿。そして、それを見下ろしてせせら笑うスカイトレーナーの男と、周囲のナンパ男たちの下卑た笑い声。
みんなを守るために強く賢くなる、そう誓ったはずだった。なのに、結局は自分の傲慢さのせいで、大切な家族を一番の危険に晒してしまった。自責の念が、ミソラの心を暗い底へと引きずり込んでいく。
(もう、旅を続けちゃダメなんだわ……。このままアサメタウンの静かな家に帰って、みんなと普通に暮らそう……)
本気で旅の中断を決意し、膝を抱えたその時だった。
バタンッッ!!!
「――おい、ミソラ! いつまでそうやって引きこもってるんだよ!」
部屋のドアが勢いよく開け放たれ、聞き慣れた力強い声が響いた。驚いて顔を上げたミソラの視線の先に立っていたのは、かつての幼馴染であり、唯一無二のライバルであるカルムだった。
カルムはミソラの返事も待たずに部屋へ踏み込むと、閉め切られていた窓のカーテンを力任せにシャッと開け放った。
「眩しいっ……! カルム、何するのよ……!」
「何するのよ、じゃないだろ。ジョーイさんから聞いたぜ。アズール湾のスカイバトルで、ヒノヤコマが酷い負け方をしたんだってな」
ミソラはバッと顔を背け、再び唇を噛みしめた。
「……だったら放っておいてよ。あなたには関係ないでしょ。私が未熟だったから、みんなを傷つけたの。私はトレーナー失格よ。だから、もう家に帰るわ……」
「本気で言ってるのかよ!」
カルムの鋭い一喝が、静かな部屋にパァンと響いた。カルムはミソラのベッドの前にドカッと腰掛け、普段の冷静な崩し崩しの態度を捨て、真剣そのものの瞳でミソラを真っ直ぐに見据えた。
「初めてバトルで負けた時、怖くて足が震えるのは誰だって同じだ。俺だってそうだった。だけどな、ミソラ。お前がいつだったか俺に言った言葉を、もう忘れたのか?」
カルムはスッと立ち上がり、窓の外、そびえ立つヒヨクジムの大きな大樹を指差した。
「『負けたこと自体が悪いんじゃない、次をどうするかが一番大事だ』……そうやって俺の背中を叩いたのは、お前だろ! アズール湾の連中は確かにクソだ。だけど、そんな奴らに笑われたくらいで折れて故郷に逃げ帰るのが、お前の目指した『大家族の旅』なのかよ!」
「カルム……」
「お前の後ろを見てみろよ。ルカリオも、イーブイも、みんなお前が夢を諦めて引き返すために付いてきたんじゃないはずだ」
カルムの言葉にハッとして振り返ると、部屋の隅で、ルカリオが腕を組んだまま、静かだが力強い眼差しをミソラに送っていた。足元では、イーブイやピカチュウ、オタチたちも、ミソラを励ますようにキュウと鳴いて、その手元にそっと身体を寄せてくる。
みんな、ミソラの笑顔を待っていた。傷つけられたプライドの痛みに耐え、もう一度前を向く主人の背中を信じていたのだ。
カルムは少し照れくさそうに頭を掻くと、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「……それに、フクジさんが退屈そうにしてたぜ。挑戦者が全然来ないから、ジムの植物の剪定ばかりして暇だってな。お前がそんなところでうじうじしてるせいで、ヒヨクジムはずっと待ちぼうけだ」
「……ジムリーダーがそんなこと言うわけないでしょ」
ミソラの口から、ようやく小さな苦笑が漏れた。
「さあな。だけど、俺とお前、どっちが先にフクジさんを破ってバッジを獲るか、もう一度勝負だ。……ミソラ、お前の強さを一番よく知ってるのは、アズール湾のくだらないスカイトレーナーなんかじゃない。この俺だ」
カルムの不器用で、しかし絶対的な信頼がこもった言葉が、ミソラの胸の奥で凍りついていた覚悟を、一瞬で熱く激しく溶かしていった。
「……バッジ、絶対に私が先に獲るからね」
「言ってろ。負けないからな」
カルムはニヤリと笑うと、満足したように背を向けて部屋を出て行った。
バタンとドアが閉まり、再び静かになった部屋。しかし、そこにはもう絶望の空気は微塵も残っていなかった。ミソラは大きく深呼吸をし、ベッドから力強く立ち上がった。手元のヒノヤコマのボールを見つめ、誓うように微笑む。
「みんな、心配かけてごめんね……。もう大丈夫。アズール湾での屈辱も、悔しさも……全部、ヒヨクジムの戦いで力に変えてみせるわ!」
「ルカァッ!」
ルカリオが待ってましたと言わんばかりに拳を打ち鳴らし、イーブイも元気いっぱいに飛び跳ねる。
立ち止まりかけた旅路に、ライバルが吹き込んだ最高の旋風。ミソラ旅団は今度こそ、本当の覚悟を胸に、ヒヨクシティの最奥――緑生い茂るヒヨクジムの門へと、一歩を踏み出すのだった。