「……で、最後はこうして、影が僕のベッドの下に……って、ええ?」
館の老人が語り終えた物語は、あまりにも支離滅裂で、どこかで聞いたような安っぽい怪談の寄せ集めだった。
部屋に沈黙が流れる。サナはきょとんとし、ティエルノは失礼にならないよう必死に笑いをこらえ、ミソラに至っては「……で、次はどうなるの?」と素直に聞き返してしまったほどだ。
「以上だ。……さて、代金をもらおうか。一人につきチップとして、50万円だ」
老人が不敵にニヤリと笑った。
「はぁ!?」
サナの悲鳴のような声が室内に響く。ティエルノもトロバも顔を見合わせ、言葉を失う。
「50万って……! そんなの、法外ですよ!」
トロバが震える声で訴えるが、老人は冷ややかに鼻で笑った。
「ここは怖い家だ。怖い話を聞いた以上、恐怖の対価は払ってもらう。払わんというなら……出口は塞がせてもらうぞ」
老人が指を鳴らすと、洋館の壁がガタガタと震え始め、影からいくつもの不気味な瞳が浮かび上がった。ゴース、ゴースト、そして不気味に笑うシャンデラたち。どうやら、この家そのものが野生のゴーストポケモンたちの巣窟となっていたようだ。
「……なるほど。脅して金を巻き上げるのが、この屋敷の『真の恐怖』ってわけね。面白くないわ」
ミソラはノートをバッグに放り込み、腰のベルトのボールへと手をかけた。先ほどのカルム戦で傷ついたマフォクシーと、ゴースト相手には相性の悪いルカリオのボールには触れず、残る信頼の主力たちを呼び出す。
「みんな、こんなインチキ屋敷に一円だって払う必要はないわ。さっさと出口をこじ開けて出るわよ! ――全員、戦闘配置!」
ミソラの手から放たれたボールから、相性有利な4体の精鋭たちが狭い室内に次々と姿を現した。
「フゥーッ!」
最前線に滑り出たのは、悪タイプのエース・アブソルと、カルムの猛攻を凌ぎきった強固な盾・ブラッキー。さらに、大きな翼を広げるリザードン、妖精の力を宿すタフなマリルリがバトルフィールドを完全に固めた。
「ひるむな! 奴らを包囲して引き裂け!」
老人の号令で、ゴーストたちが一斉に『シャドーボール』や『ナイトヘッド』を放ち、数の暴力で襲いかかってくる。狭い室内での一斉射撃。
「ブラッキー、みんなの前に出て『まもる』!!」
ブラッキーが鋭く吼えると同時に、背後のマリルリやサナたちを包み込むように巨大な光の障壁が展開された。ゴーストたちが放った無数のシャドーボールが障壁に激突し、激しい火花を散らして霧散していく。完璧な防衛。
「守ってばかりじゃジリ貧よ! 攻撃を受けたなら、倍にして返しなさい! ブラッキー、『しっぺがえし』!」
相手の攻撃をあえてその身に受け流し、後攻となったブラッキーの身体の輪紋がギラリと不気味に発光する。溜め込まれた闇のエネルギーが爆発的なカウンターとなり、突撃してきたゴーストたちを強烈に弾き飛ばした。効果抜群の一撃が炸裂し、ゴーストたちが次々と床へ転がる。
「アブソル、追撃よ! シャンデラへ『つじぎり』! マリルリは『じゃれつく』で残りを抑えて!」
アブソルが影をも切り裂く漆黒の爪でシャンデラを一閃。同時にマリルリがそのタフな体躯で突撃し、フェアリーのオーラを纏った猛攻で周囲のゴーストたちを圧倒していく。ゴースト技を無効、あるいは半減にする二体の悪と妖精の耐久力が、前線で完璧な壁となっていた。
「これでトドメよ! リザードン、部屋全体を焼き払いなさい!『かえんほうしゃ』!」
「グオォォーーーッ!!」
リザードンの口から放たれた爆炎が渦を巻いて激しい熱風となり、狭い洋館の室内を完全に支配した。ミソラの的確な指揮により、逃げ場を失ったゴーストたちはその圧倒的な火力の前に一網打尽となり、次々と戦闘不能になっていく。
最後のゴーストが炎の渦に呑まれ、力なく消え去った――その瞬間だった。
不意に、目の前の視界がブレるように歪んだ。
「……え?」
サナの声が妙に遠く聞こえる。
耳鳴りのような静寂が走り、次の瞬間、バチバチと燃えていたリザードンの炎の光が、まるで最初から存在しなかったかのように掻き消えた。
冷たい風が、ミソラたちの肌を撫でる。
「……あ、あれ? おじいさんは……?」
ティエルノが辺りを見回すが、さっきまでいたはずの老人の姿は、どこにもなかった。それどころか、絨毯も、豪奢な家具も、壁に飾られていた絵画も、すべてが綺麗さっぱり消え失せている。
気がつけば、ミソラたちが立っていたのは、床板が腐り落ち、天井から不気味な青白い月明かりが差し込む、何年も、何十年も放置されていたような、ただの荒れ果てた廃墟だった。
「う、嘘……。私たち、さっきまで誰と戦っていたの……!?」
サナが怯えたようにティエルノの腕にしがみつく。トロバも青い顔をして、砂嵐を映し出す図鑑を見つめていた。
ミソラはゾクりと背中に走った悪寒を振り払うように、静かに息を吐いた。
「……さっさと出ましょう。これ以上ここにいたら、本当に何かを持っていかれそうだわ」
飛び出すように廃墟を脱出すると、湿地帯を包んでいた深い霧が、嘘のように引き潮のごとく晴れていった。日の光が差し込み、すぐ目の前には、おとぎ話に出てくるようなクノエシティの美しい街並みが広がっている。
「ふぅ……! 助かったぁ……! マジで生きた心地がしなかったよ!」
ティエルノが大きく伸びをして、ようやくいつもの笑顔を取り戻す。
ミソラがリザードンたちをボールへと労うように戻していると、サナが自分のミニリュックをきゅっと握り直して、ミソラを真っ直ぐに見つめた。
「ミソラ、助けてくれてありがとう。やっぱりミソラは、私たちの自慢の友達で、すっごくかっこいいトレーナーだよ!」
「ううん、みんなが無事でよかったわ。ちょっとびっくりな寄り道になっちゃったけどね」
ミソラが微笑むと、トロバも眼鏡を押し上げて一歩前に出た。
「霧も完全に晴れましたし、クノエシティはもう目の前です。……ミソラさん、僕たちはここで、一度それぞれの目的地へ向かおうと思います」
「ええ、そうね」
ミソラは深く頷いた。
クノエシティには、ミソラが目指すフェアリータイプのジムがある。けれど、サナにはサナの、ティエルノにはティエルノの、トロバにはトロバの、それぞれがこのカロス地方の旅で見つけ、追い求めている「それぞれの夢と道」があった。カルムが一人で先を急いだように、彼らもまた、自分の足で前へ進んでいる。
「ミソラはジム戦、絶対に勝ってね! 応援してるから!」とサナが手を振る。
「俺は新しいダンスのステップのヒントを街で探してくるよ!」とティエルノがステップを踏む。
「僕は図鑑の記録を充実させてきます。お互い、頑張りましょう!」とトロバが小さく一礼した。
「ありがとう。みんなも自分の道を楽しんでね。――また後でね!」
それぞれの目的を胸に、懐かしい仲間たちは街の雑踏へとそれぞれの歩みを進めていく。
一人になり、静かになった道中。ミソラは腰のボールにそっと手を触れた。カルムとの決着、そしてクノエジムでの新たな戦い。21匹の大家族の頭領(ボス)として、彼女の戦盤(ステージ)は、この華やかなクノエの街でさらに熱く燃え上がろうとしていた。