「はぁ、はぁ、はぁ……っ! ちょっと、二人とも、ついてきてる!?」
「ブラッ、クッ!」
「アブッ!」
背後から迫る「モデル囲い込み」の異様な熱気から逃れるように、ミソラはブラッキーとアブソルを引き連れて、黄色い部屋のワープパネルへと飛び込んだ。
視界がぐにゃりと反転し、次に着地したのは冷たい青色の壁紙の部屋。だが、安堵する間もなく、隣のパネルが淡く発光し始める。
「嘘、もう追いついてきたの!? あいつら、この屋敷の構造を完全に把握してるんだわ……!」
バトルの戦略ならいくらでも頭に浮かぶ。どんな奇襲に対しても、22匹の大家族の頭領(ボス)として冷静に対処できる自信はあった。しかし、純粋な狂気とも言える「美への執念」で追いかけてくる人間を前にしては、ミソラの計算もことごとく狂わされる。
「立ち止まったら捕まるわ、次に行くよ!」
ミソラが叫ぶと、アブソルが鋭い身のこなしで先陣を切り、ブラッキーがその影に滑り込むようにして次のパネルを踏み抜いた。
青から紫へ。紫から格子模様の部屋へ。
幾度もの不規則な空間転送。三半規管が悲鳴を上げ、上下左右の感覚すら曖昧になっていく。ただ一つ確かなのは、ミソラの左右を固める二匹の相棒たちの温もりと、絶対にここでペースを乱されるわけにはいかないという強い意志だけだった。
「――これが、最後よ……っ!」
ミソラは半ば祈るような気持ちで、視界に飛び込んできた大きな金の装飾が施されたワープパネルへと滑り込んだ。
光が弾け、次の瞬間。
それまでの狭く圧迫感のある部屋とは、明らかに異なる空気がミソラの肌を刺した。
「え……?」
そこは、言葉を失うほどに広く、幻想的な大広間だった。
天井は遥か高く、四方の壁にはめ込まれた巨大なステンドグラスから、クノエシティの柔らかな木漏れ日が万華鏡のような極彩色の光となって床に降り注いでいる。おとぎ話の宮殿の最深部、あるいは妖精たちが住まう秘境の神殿に迷い込んでしまったかのような、静謐で圧倒的な空間。
「ブラッ……」
「アブ……」
先ほどまで荒くなっていた相棒たちの呼吸が、自然と静まり返る。しかし、その身体は一瞬たりとも弛緩していない。むしろ、この部屋の奥から漂う「本物の強者」の気配を察知し、ブラッキーの額の輪紋が警戒に細く光り、アブソルの赤い瞳が正面の帳(とばり)を鋭く睨み据えた。
「ようお越しやす。迷宮の案内人たちに、いささか手荒い歓迎を受けられたようやね」
ステンドグラスの光の向こう、一段高くなった畳の敷き詰められた舞台から、鈴の鳴るような、しかしどこか浮世離れしたはんなりとした声が響いた。
ゆっくりと姿を現したのは、大きな振袖をまるで美しい蝶の羽のように優雅に広げた女性。クノエジムの主――マーシュだった。
独自の美学で仕立てられたというその衣装もさることながら、ミソラを射抜いたのは彼女の「瞳」だった。白目がなく、深い漆黒と不思議な輝きだけで構成されたその両眸は、人間というよりも、ポケモンそのものの神秘性を宿している。
ミソラは乱れた衣服を正し、一歩、深く芝生を踏みしめるようにして床を進んだ。
恐怖はない。振袖たちに追いかけ回された動揺も、この瞬間にすべて霧散した。目の前にいるのは、超えるべき本物の壁だ。
「ジムリーダー、マーシュね。……あの子たちのスカウトには肝を冷やしたけれど、私の目的は最初から変わっていないわ」
ミソラは真っ直ぐにマーシュを見つめ、凛とした声を大広間に響かせた。
「私は、バッジを集めるコレクションのために旅をしてるんじゃない。……私の大切な22匹の『大家族』を、これから先どんな理不尽な脅威からも、傷一つつけずに守り抜ける本物の強さが欲しい。あなたがその力を試す壁になるなら、私は全力であなたを越えさせてもらうわ!」
その言葉は、冷徹な拒絶ではなく、家族を想う少女の熱く真っ直ぐな覚悟そのものだった。
マーシュはミソラの瞳の奥にある炎をじっと見つめていたが、やがて、吸い込まれそうな瞳を優しく、そして心底嬉しそうに細めた。ふわりと、彼女の大きな袖が宙を舞う。
「ふふ……うちの娘たちが着物を着せたくなるのも、よう分かります。あんたの立ち姿、凛としていて本当に美しい。……けれど、その美しさを支えているのは、うわべの飾りやなくて、家族を想うその熱く激しいお心なんやね。ポケモンの言葉を借りるなら、今のあんたは、誰よりも気高くて、強うて……とても綺麗やわ」
マーシュの手が、静かに腰のモンスターボールへと伸びる。
それと同時に、彼女の背後から、独特の甘い香りと共にフェアリータイプのポケモンたちが、まるでお伽話の使者のように滑り出てきた。部屋の空気が、一瞬にしてピリリと張り詰める。
「うちのクノエジム、妖精の国の戦い……。あんたのその覚悟、本物かどうか、うちのポケモンたちと一緒に確かめさせてもらいましょう。……いざ、尋常に」
「望むところよ! いくわよ、ブラッキー、アブソル! 私たちの積み重ねてきた絆の強さ、ここで彼女に証明するわよ!」
「ブラァァァッ!!」
「フゥゥーーーッ!!」
悪タイプの双璧が放つ、地を震わせるような咆哮が、静まり返った大広間に爆音となって炸裂した。
空間の歪みも、人間の熱狂も、すべてはこの一戦のために。ミソラと22匹の大家族の未来を懸けた、クノエジム・真の決戦が今、華やかに、そして激しく火蓋を切って落とされた。