少女、黒。   作:へるてぃ

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 一人暮らしの俺が住むアパートは古く、部屋を仕切る壁も薄いが、駅が近く家賃も割と安い。部屋は狭いものの、一人で暮らすには十分な広さのために、不動産屋に足を運んだ時の俺は真っ先にこのアパートを選んだのだった。商売上手の店員は言葉巧みにこれより家賃がやや高めのオススメ物件を勧めてきたが、そんなのお構いなしにとここを選んだ数年前の自分を、今の俺はまったく後悔しちゃいない。

 ただ、このアパートは一階の二階が存在し、上の方を選んでしまった事を除いて。

 

「畜生……、この中、一体、何が入ってるんだよ……」

「…………」

 

 錆びついてはいるものの、まだ頼り甲斐のある丈夫さを持っているアパートの外階段。段数はせいぜい十数段程度しかないのだが、俺はその一段一段に十秒ほど掛けて二階を目指していた。

 憎たらしい事に、先に二階へ運んだダンボール少女がそのオッドアイでまるで見下すように俺を見下ろしている。お前も手伝えよ、これお前の荷物だろうが。

 

「…………」

 

 俺が心の中で愚痴を垂らしたところで、この少女は微動だにしない。伸びた前髪から覗かせた不思議な瞳で、階段中腹にて息を荒げている俺を見つめていた。

 子供相手に罵声を浴びせるのも気が退けるので、俺は何も言わずに背中に背負っていた荷物を両腕に抱え直し、残りの階段を一気に駆け上がる。途中、一瞬だけバランスを崩しかけた時は本気で死ぬかと思った。

 

 決死の思いで階段を上りきり、大荷物を置く俺を少女は感謝の一言も言わずに見つめる。微かに口が開いているので、一応感心はしてくれているのだろう。

 そんな訳で、俺は自宅の眼前で、背中に荷物抱えて山を登る登山者の気持ちを知る事が出来たのだった。

 

 山、登ってないけどな。

 

 

 

・・・二話 『話』

 

 

 

 古びた玄関の扉を開けて中に入ると、俺は脇のスイッチを押して部屋の電気を点ける。二足歩行で自ら歩こうとしない少女に目をやりため息を吐いてから、俺は彼女が入ったダンボールを部屋の隅へと運び、移動させた。ついでに大荷物もヒーヒー言いながらダンボールの真横に置く。

 それから俺は正面で少女と目が合う位置に、壁に背を預けて座り込む。ダンボール少女と大荷物を運搬した自分の腕を見てみると、情けない事にまるで限界だとでも訴えるようにプルプルと震えていた。この状態で鉄棒でもしようものなら、逆上がりどころか前回りもできずに地面に尻餅を着く事になりそうな気がする。

 

「す~……、す~……」

 

 ちょっとくらい鍛えないとなぁ、とまた溜め息を吐く俺の耳に、小さな寝息が聞こえた。ふと少女に視線を向けると、彼女は規則正しい寝息を微かに立てて眠りに落ちていた。ダンボールの中で体育座りをしながら就寝できるとは。

 近くにあった目覚まし時計の針が指し示す時間は、十時過ぎ。

 道端でこの少女を発見したのは九時頃。まさかあれから一時間も経っているとは、予想外だった。

 

「……明日は早いだろうし、俺も寝るか」

 

 少女の事で、色々とやらねばならない事がある。

 

 俺は重い腰を上げて立ち上がり、就寝準備を始めた。風呂に入ってさっぱりしたいのは山々だが、もう今日は遅い。

 とりあえず自分の布団は敷いたが、この子の分も敷いておくべきだろうか。今のところはダンボールの中で寝てるけど、夜中に寒くなって起きた時のために一応もう一枚敷いておこう。意地でもダンボールが良いというのなら、それはそれでどっちでも良いのだが。

 

 一度トイレで用を済ませてからリビングに戻ってみると、意外なことに既に俺が敷いた布団に少女が身を滑りこませていた。まだ浅い眠りだったのが俺の布団を用意する音に目が覚め、俺がトイレへ行っている間に潜り込んだらしい。

 そんな彼女に俺は微笑を浮かべると、部屋の電気を消し、少女に「おやすみ」と言った。

 

 部屋は暗かったが、コクンと静かに頷いた少女が、微かに微笑んでいたのは見えた。

 

 

 

・・・

 

 

 

 朝。

 

 窓から差し込む眩しい日差しで、俺は目を覚ました。日差しから逃れるように寝返りを打つと、そこにはまだ静かに寝息を立てている少女の顔があった。

 瞼が閉じられているためにオッドアイが隠れているその顔は、本当に綺麗だった。彼女がダンボールではなく風情ある木の椅子にでも座っていれば、それはさぞ絵になる事だろう。不思議な事に、俺にはその姿が容易に想像することができた。妄想ではない。

 

「……俺も、なんで受け入れたんだか」

 

 ここは俺の家、俺の部屋。本来一人暮らしをしていた筈の俺の部屋に、ある日の真夜中、オッドアイの少女がやって来た。

 友人にでも話そうものなら、「妄想はほどほどにしろ」と小突かれるような話。ラブコメじゃないんだから、フクションじゃないんだから。んな事は分かっている、重々承知だ。

 しかしいくら自分の頬を抓っても壁に頭をぶつけてみても、簡単に覚めてくれるような夢ではないようだった。なぜなら、これはれっきとした現実だから。ノンフィクションだから。

 実際に、少女はここに実在しているのだから。

 

「さて、朝飯でも作るか。この子も腹減ってるだろうしな」

 

 一度ぐ~っと伸びをしてから、俺は自分の布団を畳んで押し入れに仕舞うと、キッチンに構えた。朝飯を作り終えるまでは、少女はこのまま寝かせておこう。

 親の制止を振り切って一人暮らしを始めてから早数年。体に悪い不規則な生活は送りたくないと、不器用ながらできる限り自炊していれば、料理のスキルもとっくに身についてしまっていた。かといって金銭的な余裕はさほどないために、豪華な食事を取るのは極々稀なのだが。

 そのうえ彼女が居ないので、夜の食事はいつも独りぼっち。運命の人を、切実に、募集中です。ちなみにロリコンではないので、布団の少女は論外です。

 

 などとごちゃごちゃほざいてる間に、二つの目玉焼きは完成していた。俺はそれをフライパンから二枚の皿に移すと、きっちりと整理された冷蔵庫から袋を取り出し、その中から数本のソーセージをあらかじめ油を引いておいたフライパンの上に置いた。ソーセージに火が通るまでに、俺は次に冷蔵庫から取り出したキャベツを千切りにし、それもそれぞれの皿に分けて盛っておいた。

 そして焼けたソーセージを目玉焼きの横に置けば、完成。あとは簡単な味噌汁と温めて解凍した冷凍ご飯を茶碗に盛り、それらをリビングの真ん中の卓袱台に置いて朝食の準備は完了。

 

「おい、起きろ。朝飯だぞ」

 

 未だ寝ていた少女の肩を軽く揺すり、声を掛けてみる。すると少女はパッと目を覚まし、すぐ近くの卓袱台の上に並べられた朝食を見つめた。

 

「…………………………ごはん?」

「おう」

 

 なんだ、俺が家に泊まりに来た子供にはご馳走しないような非情な人間にでも見えたのか。家出した君を家に入れて上げただけでも、お兄さんは相当優しい人だと思うんだけど。それにちゃんと君の分の朝ご飯も用意してますし。

 

 卓袱台にある二人分の朝食を目を丸くして眺める少女を俺が怪訝な面持ちで見ていると、彼女はまた微かに口を開いてこう訊いてきた。

 

「…………………………たべて、いいの?」

「食べさせる気が無かったら、まず二人分も用意してない」

「…………………………いただきます」

 

 少女は卓袱台の前に座りなおすと、胸の前で手を合わせてから朝食にがっつき始めた。案の定、家出してから空腹だったようだ。

 しっかりと背筋を立てて姿勢よく箸を進める少女を満足げに眺めてから、俺も自分の分の朝食を食べ始める。

 

 今日は休日。さっさと朝食を食べて

 

「あ、そういえば、お前の名前って何なんだ?」

 

 俺が思い出したように訊くと、少女はお約束となった間を置いてから、はっきりと口に出した。

 

「…………………………ない」

 

 その回答に、俺は耳を疑った。

 

「な、『無い』って……。いや、あるだろ普通」

「…………………………ない」

「それじゃあ、やっぱ酷い親に捨てられたのか?」

 

 卓袱台に身を乗り出した俺の質問に、少女は小さく首を振る。

 

「…………………………おとうさんとかおかあさんとか、しんじゃったから」

 

 家出という事実に対する俺の驚きを遥かに超越した、驚愕の衝撃発言。

 両親は死んだと俺に告白した少女は、手に持っていた茶碗と箸を卓袱台に置き、正座した膝の上に両手を置いて俯いてしまう。そんな彼女の表情は、見えているのに、見えなかった。

 まるで暗い影が、少女の顔を覆ってしまっているかのように。

 

「…………………………このまえ、わたしのめのまえで、しんじゃったから」

「目の前、で……?」

「…………………………うん」

 

 俺は朝食を食べる事も忘れ、俯く彼女をただ驚愕の表情で見つめていた。

 それでも尚、彼女は小さな口を動かし続ける。ゆっくりと、ゆっくりと。

 

「…………………………みんなであそんでたら、おとうさんとおかあさんのうしろに、なにかがでて」

「…………………………でも、おとうさんとおかあさんはきづかなくて」

「…………………………なにかが、おとうさんとおかあさんにぶつかったら」

 

「──…………………………おとうさんと、おかあさんが、しんじゃった」

 

 少女の話に、俺は絶句するしかなかった。

 言葉で聞く限りは、あまりにも突飛な話。いや、それを実際に目の当たりにしたこの子が、その突飛な出来事を一番突飛に感じた事だろう。

 

 彼女が言うには、その『なにか』にぶつかられた両親は倒れ、倒れた際の両親の様子は全身の肌が青白く、目も白目が剥き出しだったという。その両親の変わり果てた姿を見て、彼女は両親が死んだ事を悟ったらしい。

 しかし両親が亡くなっても、その『なにか』は、少女の目の前から去ることはなかった。

 

 ──自分も同じ事になるんだ。

 

 いち早く未来を悟るも、あまりの事態に怯えた彼女は足が竦んでしまった。

 ところがその『なにか』は彼女を襲う事はせず、すでに亡くなった両親の遺体を包み込むように覆い、そして消え去ったという。

 それも、両親の遺体と共に。

 

「…………………………それから、こわくなって、いえからとびだして、よるになって」

「んで、帰宅途中の俺に拾われた、と」

 

 少女は静かに頷く。

 あまりにも突飛すぎる。さすがに信じられない。

 しかし彼女の様子からして、今の話が虚偽だとも思えない。実際に彼女が家出をしていて、真夜中のダンボールに入った姿で道端に居たのは確かなのだ。俯き、暗い影をつくる少女が、そんな嘘をつくとは思えない。

 

「でも、そこまで成長してて名前が無いのはおかしいだろ」

「…………………………おぼえて、ない」

 

 ついには膝を抱えて蹲ってしまった彼女の訂正に、俺は頭を抱えた。

 彼女が言った話は、下手すればホラー映画にありそうな展開だ。主人公の家族が、主人公の目の前で謎の物体に襲われて死亡。不思議な事にその謎の物体は主人公だけは殺さず、家族の遺体だけを連れてどこかへ消え去る。

 俺は想像力が乏しいためにその先の展開は想像すら出来ないが、それは本当にB級ホラー映画にでも取り上げられそうな突飛すぎる出来事だった。

 本人が嘘を吐いているような態度ではないために信憑性を感じてしまうが、出来事が出来事なためにどうしても信じられない。

 俺は少女に疑いの眼差しを向けながら、先ほどの話が真実であるかどうかを確認する。

 

 これはあくまで確認。彼女が首を縦に振ろうと横に振ろうと、信じるつもりもないし信じないつもりもない。

 

「──本当、なのか?」

 

 俺が疑っていると察したらしい少女は、俯いていた顔をゆっくりと上げて、俺の目を見据えた。

 澄んでいるようで、どこか、闇を抱えたように濁った、赤色と青色の瞳。

 二つのオッドアイは、うっすらと涙を浮かべていた。

 

 辛い過去を思い出すように、少女は、はっきりと、頷いた。

 

「…………………………ほんとう」

「……そうか」

 

 彼女の返答を聴くと、俺は箸を持ち、朝食を再開した。

 少女は、それを驚いた様子で眺めてくる。もしかして信じてくれないのか、とでも心配するようだった。

 

 仕方なく、俺はまた箸を置く。

 箸を離した俺の手が向かう先は、少女の頭。

 

「…………………………っ?」

 

 俺に頭を撫でられた少女は、「どうして」とでも言いたげに目を丸くして俺を見る。俺は優しい笑みを浮かべると、彼女に対して頭を下げた。

 

「ごめん」

「…………………………え?」

「悪かったな、辛い過去聴き出して。お前をここに居候させる代わりに訊いたつもりだったけど、過ぎた真似だったな」

 

 俺の謝罪を黙って聴いていた少女は、俺が過ぎた真似をしたと謝ったところで、首を振った。

 

「…………………………わたしも、だまってここにいるのは、だめだとおもったから」

「そうか。それじゃあ、お相子だな」

「…………………………うん」

 

 彼女は俺の言葉に頷くと、静かに瞼を閉じ、頭を撫でる俺の手に自らを委ねてきた。優しい手つきでしばらく少女の頭を撫でてから、俺は再度箸を取る。

 何故か名残惜しそうに俺の手を見つめてくる少女に、俺はこう促した。

 

「早く食べろよ、(くろ)。腹減ってるんだろ?」

「…………………………く、ろ?」

 

 箸を進める俺の横で、少女は驚きの表情をしていた。

 俺は少女に向かって微笑み、答えた。

 

「お前の名前。お前黒髪だし、人の名前なんて考えた事もない俺には、これが限界。

あ、嫌ならなんとか別のを考えるぞ?」

 

 インターネットで人気の名前ランキングとか調べて。

 

 しかし"(くろ)"は、異なる色の瞳を輝かせた満面の笑みを浮かべていた。

 

「…………………………なまえ、うれしい。まえのなまえ、わすれちゃったから」

 

 それはおそらく、記憶喪失だろう。目の前で亡くなった家族が『なにか』に連れ去られていく現場を目撃すれば、そうなるのも仕方ない。そんな非現実的な現状を目の当たりにして冷静でいられる人間の方が、よっぽどおかしい。

 しかし一度は名前を失った少女も、また新しい名前を手に入れる事が出来た。それがネーミングセンスゼロの名前であっても、彼女は名前が貰えるという事実自体に歓喜していた。

 

 黒は俺の隣で、朝食を再開した。

 小さな両手で茶碗を持ち、味噌汁を啜る黒を横目に、俺は部屋の窓から眩しい空を見上げた。

 ……しかしその窓の脇に置かれた大荷物が目立ち過ぎていて、どうしても目線がそっちに行ってしまう。

 ついに痺れを切らした俺は、パンパンに膨らんだ巨大バッグの中身を、黒に訊くことにした。

 

「なぁ黒、ところでアレは何なんだ?」

「…………………………ほんとか、おかねになりそうなもの」

「──売れってのかよ!!?」

 

 案外しっかりしてんな!!

 

 

 

 

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