少女、黒。   作:へるてぃ

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勘違い

 ほんの少し肌寒い程度の柔らかい風が、アスファルトを踏みしめる俺の頬を優しく撫でていく。

 暑くも寒くもない時季は、やはり過ごしやすい。かといって春は桜を見ると学生時代の苦い思い出が必ず脳裏を過るので、一番好きな季節と問われれば少し悩んで『秋』と答えるのが俺。次が冬、そして春。夏は最下位以前に論外と言える。

 先ほど外出する前に例の大きなバッグの中を確認してみれば、それは本当に本やCDなどの、まとめて売れば多少はお金になりそうなものばかりだった。ところが、生活においては肝心の衣服がまったく無かったのだ。

 よって、取り敢えずはまずこの子、黒の服を買ってやらなくてはならない。

 

 以上の理由から、現在俺と黒は、服を買いに近くのショッピングセンターへと歩を進めているのであった。

 

 

 

・・・三話 『勘違い』

 

 

 

 澄んだ秋空の下、俺は一歩また一歩と道を歩いていた。赤くもしくは黄色く色づいた街路樹は、見る者に秋らしさを感じさせてくれる。やはり俺は秋が好きだ。

 そういえばコイツはどの季節が一番好きなのだろう。ふとどうでもいい疑問が脳内に浮かび、俺はやや斜め後ろを歩く黒に視線を向けた。黒は俺にぴったりとくっつき、アスファルトの地面を見つめながら俺の後を付いて来ていた。その手は、俺のシャツの裾を握りしめている。

 そして時折何かを思い出すように、黒は微かにビクッと体を震わせていた。訊くまでもなく、俺はその理由が理解できた。

 本人が言うには、黒は両親が自分の目の前で死亡したところをはっきりと見ていたのだ。そこに居た『なにか』が、白目を剥いて倒れた両親を連れ去って行くところを、ただ傍観するしかなかったのだ。

 得体のしれない『なにか』によって両親が死んでいく様を見た子供は、その出来事に対して、なんの感情も持たずにいられるだろうか。あまりにも突飛すぎた出来事を、故意に記憶から抹消できるだろうか。

 できる訳がない。少なくとも子供の頭には、その出来事は"トラウマ"として記憶されるし、人が殺される様子を見た子供は、恐怖という感情を持つだろう。そして招かれるのが、得体のしれない恐怖に呑み込まれた事による混乱。

 それによって記憶の一部を失ってしまった子供を、誰が笑い飛ばせるだろうか。中には子供の戯言だと馬鹿にする大人、人間もいる。記憶喪失なんて嘘だと、必死に訴える子供の言葉をすべて虚言だと思い込む人間もいる。

 俺はそんな事をして、黒を泣かせたり落ち込ませたりはさせたくない。

 だからこそ俺は、黒の言葉を信じる事はせず、そして疑う事もしなかった。話でしか聴かなかった現状では、これが最善。黒もそれは分かってくれている筈だ。

 

 休日だってのに考え事はよくない。ましてや中に"死"や"記憶喪失"など、聞けば決して気分は良くない内容の考え事など、悩むだけ気が滅入るだけだ。

 黒が目撃したあの出来事が、事件または事件もしくはそれ以外の何かであるにしろ、この問題は普段以上に頭が回る時にゆっくりと解き進めていくに限る。時が経てばもしかしたら、黒の記憶が戻ることだってあるかもしれないのだ。

 

 一度軽く息を吐いて思考を止めた俺は、ずっと腰に引っ付いてきている黒に話しかけてみる。

 

「黒」

「…………………………?」

「お前さ、どの季節が好きなんだ?」

 

 俺の質問に、黒は少し思案するように俯いたのち、顔を上げて答えた。

 

「…………………………ふゆ」

「どうして?」

「…………………………おふとんが、きもちいいから」

 

 雪が好きなのかと思えば、それは違った。どうやらこの子は三度の飯よりも二度寝が好きらしい。

 まぁ、たしかに気持ちいいよね。冬の布団。中々離れさせてくれないような魔力があるよね。

 頷いて同感する俺は、次は逆に、「どの季節が嫌いなんだ」と尋ねた。

 これについては、黒は即答した。即答とは言っても、いつもの謎の間があるが。

 

「…………………………あき」

「……それは、どうして?」

 

 一応なんとなくは理解している。この質問が、今の黒の心境を無視した、気を兼ねるという言葉など知らないような図々しい質問である事も重々承知済みだ。

 しかし敢えて、訊かねばならない気がした。何故そう思ったのかは、自分でもわからない。

 黒はまた顔を陰で覆うように俯き、そして答えた。

 

「…………………………あんなことがあって、おとうさんもおかあさんも、しんじゃったから」

 

 相槌は打たない。

 ましてや、『俺が助けるから』や『お父さんもお母さんも、どっかに連れて行かれただけで死んでないよ』なんて、持つだけ無駄な期待外れの希望も持たせはしない。

 先ほどの質問より、むしろそのような慰めの方が図々しく、相手の気持ちを考えていない言動である事を、俺はちゃんと分かっているから。

 小さい頃は無駄に壮大な夢や希望を何個も持ち、そして大きくなって相応の挫折を味わった俺は、自分が希望を持って自分に自信をつける事もしなければ、他人に希望を持たせて他人に無駄な期待を煽るような事もしないのだ。学校で『この世はそんなもんだ』と、これでもかというほど教えられたから。

 

 かといって、自分はそんな人間だと俺自身が暴露しただけで、河野楓は最低の人間だと思い込む奴がいるのなら、俺はソイツを殴り飛ばす。そんな単純な発想しかできない馬鹿は、もう少し勉強して想像力と聴解力を身に着けるべきだ。

 俺は人に希望も期待も持たせないとは言ったが、助けないとは言っていない。救わないとも言っていないのだ。

 例えば失恋した奴がいたとする。ある日、俺はソイツに『失恋した』という相談を受けた。なら俺は、ソイツに慰めの言葉は掛けずに希望や期待も煽らない。

 代わりに、しばらく傍に居て真剣に話を聴いてやる。そうすれば言葉は無くとも、俺という"話を聴いてくれる"存在自体が、ソイツにとって"失恋"という挫折を味わった自分の心の支えとなる。同情する事もなければ、慰める事もない。でも傍に居るだけで、ソイツは幾分か心を救われる。

 貫徹なんかより挫折の方がよっぽど多い人生において、人間同士が寂しがって"家族"だの"友達"だの"親友"だの呼び合っているだけの結局は他人同士の間での慰めなど、その程度で良いのだ。申し訳程度、雀の涙、それくらいで十分。

 実際にそうやってそうやられても、人生を道から外れる事なく歩んで来れた俺が言えば、多少の説得力はあるだろう。異論は認める。

 しかしそれも結局は、『これからもズッ友ダヨ』なんてとても阿保らしくておめでたい事を、メールでしか言い合えない人間の筋の通らない反論でしかない。

 しっかりと、ちゃんとした、人間らしい人生をめげずに歩んできた俺にとって、スマホ片手にLINE交換しようなんてほざいて、メールの間でのちょっとした勘違いだけで大喧嘩繰り返す奴らは、その程度の馬鹿でしかないのだ。

 

「…………………………かえで、なんだかこわい」

「……あぁ、いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」

 

 黒が俺の顔を見上げ、妙に強張っている俺の表情を少し震えた瞳で見つめていた。

 危ない危ない、また学生時代を振り返って、過去の自分に嫌悪感を抱くところだった。考え事は止そう。ながら歩行は危険だ。

 

 自分が名乗らないのはおかしいと思い、家にいる間に俺が自分の名を教えたところ、黒は早速俺を下の名前で呼び捨てにしていた。その程度で子供相手にムキになるのも阿保らしいので、別に構わないが。

 そんな事より、両親が『なにか』に殺害されるという生涯ないであろう恐怖を目にした黒は、どうやら"恐怖"というものに敏感になっているようだった。

 今も俺が少々眉間に皺を寄せてしまったというだけで、彼女の瞳には恐怖の色が見えていた。澄んでいたはずのオッドアイが、濁っていた。

 ある意味残酷な状況に居合わせていたとなれば、そうなるのも致し方ない。俺も出来るだけ、彼女が怖がるような言動はしないようにしよう。そして出来る限り、黒に恐怖を与えるような存在や出来事は、彼女から遠ざけるようにしよう。考えるまでもなく、それが最善の筈だ。

 

 俺がそう決意したところで、眼前には目的地。毎回しみじみ思うのだが、自宅から歩いて行ける距離に商店街があるというのは、本当に便利なものである。

 俺に続いて、黒もショッピングセンターに足を踏み入れた。エレベーターの前まで来ると、俺は壁に取り付けられた店内マップで本屋とCDショップのある階と場所を調べた。

 はやく黒の服を買ってやりたいのも山々ではあるが、まずはこの半端なく重い荷物を軽くしなければならない。そのうえ尋常じゃない大きさに膨らんだバッグを担ぐように持つ俺は、ショッピングセンターに入る以前から異様な存在感を発していた。

 まるで変人を見るかのような目で俺に視線を向けてくる通りすがりの人の視線からさっさと逃げたい一心で、俺はこの重さに耐えていた。

 昨晩、黒がどうやってあの場所までこの荷物を運んだのか、正直謎だ。持つ限り、これは到底子供が持ち上げられるような重量じゃない。

 

「……ったく、これなら何分割かして売りにくる方が良かったか?」

「…………………………かえで、えれべーたー」

「…………分かってるよ」

 

 到着して扉が開かれるエレベーターに、俺は少々時間を掛けて乗る。その間、黒はエレベーターの開くボタンを押してくれていた。

 さすがにエレベーターの最大許容荷重を超えてはいないらしく、なんかブザーが鳴ったりなんて事はなかった。本屋のある階のボタンを押されたエレベーターは、俺が抱える荷物の重さなどものともせず上へと上がって行く。

 しばらくして、エレベーター内にチーンといういかにも機械的な音が鳴り響くと、扉が開いた。

 

「…………………………かえで、ついた」

「…………分かってるっての」

 

 報告する暇があるならアンタも手伝ったらどうだい。

 

 

 

・・・

 

 

 

 全ての中の荷物を売却したために萎んだバッグを背負った俺と、売却分のお金を仕舞った財布を持った黒は、店を後にする。

 

 結果的に言おう。結構な額だった。それはもう、結構な額だった。

 実際に中身を売る際、もちろん黒には確認した。「本当に売っていいのか?」と。

 黒が売ってお金にするために持ってきた荷物とはいえ、これは形見ともいえる親の遺物達。黒自身にはそれらに対して愛着は無くても、少なくとも黒の親はそれらに対して愛着を持っていた、れっきとした父と母の形見なのだ。

 しかしそれでも黒は、首を縦に振った。それはもしかすれば、あの時の恐怖を思い出してしまうような代物は、さっさと自分の周りから消し去ってしまいたいという思いからなのかもしれない。

 親と居た最後の記憶が楽しい思い出か恐怖のトラウマかで、遺族の行動はここまで違うのかと俺は思った。

 

 だが黒の親へのせめてもの手向けに、このお金は黒のために、黒のためだけに使うとしよう。自分達の遺物を売って替えられたお金が、まさか見も知らない他人に使われたとなれば、亡くなった黒の両親はさらに報われない事だろう。

 だからこのお金は、黒のためだけにしか使用しない。それが楽しい事かもしくはそれ以外の事でも、黒の両親の遺物を売却して得たこのお金は、何があっても黒の物。黒にしか使えない、大事なお金。

 

「さて、服買いに行くか。黒の、な」

 

 まずは黒の衣服を買うために。

 

 黒は俺の言葉に頷くと、エレベーターのボタンを押しに歩いて行った。今度は俺が、その後ろを付いて行く。

 これからは"両親の死"という記憶を背負って生きていかねばならないであろう、小さな少女の小さな背中を見つめながら。

 

 

 

・・・

 

 

 

 黒の衣服などが入った袋を持って両手が塞がれている為に、俺は黒に玄関の扉を開けてもらって家に入る。一旦リビングに荷物を置いて電気を点けると、昨晩と同じように俺は壁に背を付けて座った。

 手、腕、腰。そのどれもが悲鳴を上げていた。

 原因は勿論、まだ中身がびっちりと詰まっていた頃のバッグである。大人の人間を一度に数人抱えているようなものだった。会社で力仕事をしていなければ、ましてや毎日筋肉トレーニングをしている訳でもない俺には、中身があった時のバッグを背負っている時間はまさに地獄だった。

 確実に明日は筋肉痛になってるだろうな、と呻く俺に、

 

「…………………………おつかれさま、かえで」

 

 黒はそんな労いの声を掛けてくれた。

 いや俺がお疲れだと思ってたならなんで手伝ってくれなかったんだよ。あの重さの荷物が子供一人の力で運べるとは思わないけど、二人で協力して持ってたら多少は楽だったよきっと。

 心の中では色々な愚痴や文句が溢れるが、俺の口から発せられたのは、労いに対する感謝の言葉。

 

「……あぁ、ありがとう」

 

 そのまましばし休むと、俺は立ち上がって風呂場へ向かった。

 今日こそはシャワーを浴びてさっぱりしたい。出来る事なら風呂を沸かして湯船に浸かりたいところではあるが、今日の俺にはもうそんな余力さえ残っていない。

 

「俺、シャワー浴びてくるけど、晩飯はその後でいいか?」

「…………………………うん」

 

 黒が小さく頷いたのをしっかりと見てから、俺は風呂場に入った。

 全く、休日だというのになんでこんなに疲れているのか。理由は明確だが、それを口に出さない俺は偉い。

 一度溜め息を吐くと、俺はシャツを脱ごうとする。

 ここで『脱ごうとする』にまで留まったのは、すぐ後ろに小さな存在があったからだった。

 俺はその小さな存在の名を呼ぶ。

 

 

「…………黒」

「…………………………?」

 

 黒は『なに?』とでも言いたげに首を傾げた。

 俺は至って冷静に質問する。

 

「何か、用でも?」

「…………………………かえでのせなか、ながそうかなって」

「……それは、俺一人でもできるんだけど」

「…………………………ちがう。わたしをひろってくれた、おれい」

 

 こちらも至って冷静、いつものトーンで回答してくる黒の腕には、着替えらしき服が抱えられていた。

 

 洗面台の鏡には、オッドアイの黒髪少女と、もう一人。

 少々女顔よりの、中性的な顔立ちをした大人が映し出されていた。

 

 一応、俺はある重要な事実を伝えてやる。

 

「──……分かってるだろうけど、俺は男」

 

 黒の反応は、いつも以上に遅れた。

 

「……………………………………………………えっ?」

 

 …………………………なんでそこで疑問符なんだ。

 やめろよ。自分は女みたいな名前してる上に、女みたいな顔してる事は確かに自覚してるけど、まさか勘違いされてるとは思わなかったよ。確かに声も中性的ではあるけどさ。

 やめろよ。俺、ちゃんと一人称"俺"を使ってたよね? なのになんで今更、女だと思われてるの?

 …………………………やめろよ。嘘だと言ってよ。

 

 数十秒ほどの時間を置いて、黒は首を傾げた。

 

「…………………………かえで、うそついちゃ、だめ」

「──嘘じゃねェよッッッ!!!!!」

 

 もういい、今日はもうお前の晩飯作ってやんない。


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