少女、黒。   作:へるてぃ

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蚊帳の外から

 縁とは不思議なもので、縁どうしが廻りめぐって絡まりあってもしぶとく切れないものである。とはいえそれも、縁を糸と例えたとして、その糸がよほど丈夫な場合の話なのであって、細い糸で繋がった薄い関係なら、それはいつ途絶えてもおかしくない他人同然の縁なのである。

 俺と黒は、どうなのだろう。

 少なくとも、出会った以上、その時点で縁は生まれていて、切る可能性も切れない可能性も考えられる。断ち切るとすれば、それは断ち切れるだけの力を持つ俺次第といえるのかもしれない。今さら、俺の持つ鈍った鋏ではそんなことも叶わないのだが。

 そして黒とのそれではなく──唯一の俺と別の相手との縁であって、しかし俺次第で断ち切ることが不可能なしぶとい縁も、実は存在するのだ。

 そいつは、俺との絶縁など微塵たりとも考えない図々しい人間だった。

 

 

 

 ──六話『蚊帳の外から』

 

 

 

「──かはッ、は……」

 

 喉が多量の息を一気に吸い込んだと同時、眼球が光を覚えた。動きだす前に、俺は自身の容態を冷静に把握する。

 心臓は静かに鼓動を打っている。呼吸は正常にできているし、四肢も思い通りに動く。視界は物の輪郭をはっきりと捉えていて、見たくないものを探すように見回すと、見たくないものが俺の顔を覗き込んでいた。

 

「やあ、おはよう」

 

 ひたすら穏やかな印象を受ける垂れ目。眉間に皺の跡も見られないほど緩んだ眉。形のよい小鼻はやたら口に近くて、上品な薄い唇は自然な微笑を浮かべている。それらを黄金比に収める輪郭は一片の贅肉も無いのに秀麗なカテナリー曲線を描いている。大きく開かれた瞼に居座っている大きな瞳は、射止めるような正確さで俺を映していた。

 艶のある黒褐色の三つ編みのおさげを肩より前に垂らしたそいつは、顔の雰囲気より数段幼い声色で挨拶を唱えた。

 

「……なんで、お前がここに」

 

 見たくないどころか、会いたくもなかった相手。

 高校生時代にして親を失くし、祖父母に引き取られて親の故郷を訪れた俺。転校生としてもてはやされることもすっかりなくなってからというもの、校門に別れを告げるまで俺に絡み続けていた唯一の同級生が、奴。

 

「やだなあ、名前で呼んでよ」

 

 丁酉霞。

 

「嫌なのは俺だ。苗字ならまだしも」

「じゃあ苗字で結構」

「……なんで、ここにいるんだよ」

 

 丁酉は当時、校内でも五本指の座を保持するほどの美人だった。それどころか、今でも群を抜いた容姿は衰えない。顔は既述の通り。スタイルの方も、太すぎず細すぎず、また胸も実っていて、絶妙に男の劣情を煽るような完成されたもの。そのうえ有智高才と、秀外恵中を絵に描いたような人間なのである。また常人よりひとまわり大きな人格と器を持っていて、頼られれば一切を拒まず、己に嫉妬を抱く人物すら納得させるほどの包容力がある。

 まさに、非の打ち所が無い。人の理想に足る、完璧な人物像。

 一見、嫌う要素など無い。

 しかし、俺はどうしても、こいつが嫌いでならない。

 強いて理由を挙げるのならば、丁酉も親の顔を忘れた身なのである。生まれて間もなく、親に育児を放棄されたのだ。道端にダンボールを見つけた老夫婦が、その中で毛布に包まれて泣いている赤子を拾った。自分達の苗字と霞という名を与え、温もりを以って育てたのだという。

 そんな物語を、霞はなぜか俺だけに語ったのだ。

 いくら丁酉に迫られようと、俺は過去について語ったことは無い。俺が口を滑らせるまでもなく──偶然、初めて目が合ったその瞬間、丁酉は俺という人間を性根まで見透かしたのだ。

 あくまで、丁酉には非など塵ほども存在しない。むしろ非があるとすれば、将来はここまで立派になる彼女を、毛布一枚という申し訳程度の人情に包んで捨てた親。

 いずれにせよ、運命であるからには避け様のなかった運命。しかしながら俺としては、家族を失った事実が、河野楓と丁酉霞の大きな欠点であり、汚点であり、そして非なのである。

 人より劣った俺。また、同じ苦しみを知り、なお俺どころか人の手の届かない優位に立っていた丁酉。

 丁酉と俺は同じ境遇を経験した同族である。ゆえに、丁酉は俺に固執する。反対に、同族でありながら自分とはかけ離れた存在を、俺は憧れるより疎んだのだ。

 それを嫌というほど自覚した上で、やはり俺は、こいつが──丁酉霞という女性が、苦手なのである。

 

「そりゃもちろん、楓くんに用があってきたわけさ」

 

 じゃっかん外見には似合わない口調だが、これが常時の丁酉である。

 

「これといった目的も無くて楓くんのもとへ来てみれば、楓くんと一緒に天使が寝てたもんだからあらびっくり」

 

 前後の発言にわざと矛盾を設けてボケたつもりでいるのも、常時の丁酉。

 可愛い生物であれば何でもかんでも天使と称するところも。

 接点は俺のほうから断ち切ったはずなのに、構わず気まぐれに数年以来の顔を見せにくるその神経の太巻き具合も、まさに俺の嫌いな丁酉そのものであった。

 

「──そうだ、黒ッ!?」

 

 あれは夢だったのだろうか。

 どちらにせよ、死の危険に立たされていたように見えた以上は、拾い子の安否が心配になり、とっさに身体を起こす。

 

「あだぁっ!?」

 

 その際に丁酉と額同士を衝突させたのも気にせず、テレビの前あたりで横たわっている黒を探し当て、近寄り、名を連呼しながら細い肩を揺らす。

 

「黒、黒!」

 

 ほどなく、息を吹き返すかのように大きく息を吸って、黒は目覚めた。

 

「……ッ、──ッ!?」

 

 目覚めた途端、黒ははなはだしく身震いしたかと思うと、ひどく怯えた様子で自分に触れる手から逃げようとする。しかし放そうとしないその手が俺のものだと気付くと、胸に飛び込んできて、嗚咽混じりに号泣し出した。

 やはりあれは、現実だったのだろうか。

 だとすれば、無理もない。あのようなことに出くわせば。

 露骨な殺意に、身を晒されては。

 

「いたた……。ずいぶん怯えてるみたいだけど、何かあったのかい?」

 

 たしかにあった。

 何かが、あった。

 俺と黒は、得体の知れない何かに遭ったのだ。

 

「……さあな。あったのかもしれないし、なかったのかもしれない」

 

 しかし、それを語るだけの確立された情報が無い。

 黒も俺も、たまたま同じ悪夢にうなされただけなのかもしれない。たしかに遭ったというのは、あくまで夢の中での出来事なのであって──だとすれば、それは鼻で笑うにすら値しない、他愛の無い現実になってしまう。

 それが怖い。

 語るに語れない。

 ただ、そんな夢かもしれない悪夢がやたら現実味を帯びていた事実に、確証の無い恐怖を植えつけられたのだ。

 黒も、俺も。

 

「……お前、いつからここに?」

 

 胸の中でなおも震え続ける黒の背中を抱き、頭を撫でながら、俺の肩から顔をのぞかせる丁酉に尋ねる。

 丁酉は、黒を抱える俺を羨ましげに見つめながら、答えた。

 

「ついさっきだよ。楓くんが目覚める直前」

「本当か?」

「ほんとほんと。ご無沙汰ってことで、楓くんを朝からびっくりさせちゃおうと思って」

「……朝?」

「うん」

 

 窓の外を見やる。

 四角い景色は眩い日光に照らされていて、空は絵の具で塗りたくられたような青一色に染まっている。耳を澄ますと、朝の訪れに喜びを示すかのように、小鳥が軽快に囀っていた。

 無論、月は見えない。

 不気味なほど丸く、黄色かったあの満月は。

 満月に浮かび上がっていた、あの影も同様。

 陰も形も無かった。

 思わず──ほっと、安堵する。

 同時に、懐疑心も膨む。

 無意識に、上唇が歯に引っ張られる。

 丁酉は、それを見逃さなかった。

 

「何かあったのかい、昨日の夜?」

「……どうなんだろうな」

 

 信憑性は薄れるばかり。

 俺と黒は、今朝まであの悪夢を見ていたというのか。それとも、あの一幕があってからというもの、一晩ぢゅう気絶していたのだろうか。

 困惑しかできない俺。嫌でも記憶に残る恐怖の余韻に血を凍らせることしかできない黒。

 そんな俺たちの様子を目の当たりにした外部者は、とうとう痺れを切らしたようだった。

 

「ああ、もう!」

 

 丁酉が叫び、立ち上がる。

 俺も泣いていた黒も驚き、丁酉を見上げる。

 

「私は今から、親友と天使に朝ごはんを振る舞います!」

 

 縁と縁が刺し違えても、黒はそんなご大層な存在じゃないし、俺にとってのお前は悪友だぞ。

 

「それを食べたら、二人はこれまでの経緯の一切合財を私に話すこと!」

 

 話したところで、お前のような頭のいい人間が信じてくれるかどうか。

 そんな思考をねじ伏せるほどの気迫で、丁酉は仁王立ちで俺達を見下げて同意を求めた。

 

「いいね?」

 

 物言わさぬ態度に、俺たちは頷かざるを得なかった。


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