そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#10 部活!!

場所を移して、新大陸発見部。

 

午後の授業は、省略していいと思う。

 

何もなかったわけではない。

悠が体育で反応を抑えきれずにボールを避けかけたり、現国で文章の感情分析を始めかけたりした。

 

けれど、数学に比べれば全部軽い。

 

少なくとも、黒板に数学を再建するよりは軽い。

 

そう自分に言い聞かせながら、俺は悠を連れて部室へ向かった。

 

そこにいたのは、守形先輩と会長だった。

 

悠は一歩だけ前に出る。

 

そして、静かに頭を下げた。

 

「守形先輩、会長、初めまして。ボクは紫月悠です」

 

その瞬間、部室の空気が少し止まった。

 

守形先輩は、椅子に座ったまま悠を見た。

 

会長は、いつもの笑みを浮かべている。

 

笑っている。

 

けれど、目だけは笑っていなかった。

 

「初めまして?」

 

会長が、ゆっくりと繰り返した。

 

「ええ。初めまして、なのかしら」

 

悠は少しだけ瞬きした。

 

「違いましたか」

 

「部員名簿には、あなたの名前があるわ」

 

会長は、机の上のファイルを指で軽く叩いた。

 

「紫月悠。学年、クラス、連絡先。ちゃんと書いてある」

 

俺の背中に嫌な汗が流れた。

 

やっぱり、そこまで補正されている。

 

「でもね」

 

会長は笑みを崩さないまま続けた。

 

「紫月くんがこの部室に来た記憶が、妙に薄いの」

 

悠は黙った。

 

守形先輩が、静かに言った。

 

「名簿にはある。だが、活動記録にはほとんどない」

 

守形先輩はノートを開く。

 

「部員として存在していることにはなっている。だが、ここで何をしたかを追おうとすると、記録が曖昧になる」

 

「ええ」

 

会長が頷く。

 

「いた気はする。でも、会話を思い出そうとすると霧みたいになる。変よね」

 

俺は何も言えなかった。

 

クラスメイトたちは軽く流していた。

 

教師たちも、多少の違和感はあっても日常の中へ押し込んでいた。

 

けれど、この二人は違う。

 

特に会長は、違和感を違和感のまま楽しむ人だ。

 

守形先輩も、ただ黙っているだけで、何も気づいていないわけがない。

 

悠は、少しだけ視線を下げた。

 

「補正の影響です」

 

「補正」

 

守形先輩が言う。

 

「記憶操作か」

 

「厳密には、記憶の上書きではありません」

 

悠は答えた。

 

「学校生活に必要な認識と記録の整合補正です。強い感情接続を持つ対象への上書きは禁止しています」

 

「つまり、桜井や見月は対象外か」

 

「はい」

 

守形先輩は俺を見た。

 

俺は頷くしかなかった。

 

「俺とそはらは、覚えてます」

 

会長が笑みを深くする。

 

「じゃあ、私たちは?」

 

悠は少しだけ黙った。

 

「本来なら、補正対象です」

 

「本来なら」

 

「でも、今の反応を見る限り、完全には入っていません」

 

「どうしてかしら」

 

「分かりません」

 

悠は正直に言った。

 

「ただ、補正は万能ではありません。対象の記憶構造、観察力、違和感への耐性、既存の情報量によって揺らぎが出ます」

 

会長は口元に手を当てた。

 

「あら、私ってそんなに面倒な対象だったの?」

 

「はい」

 

「即答ね」

 

「はい」

 

「面白いわ」

 

面白がらないでほしい。

 

俺は心の中でそう思った。

 

守形先輩は、机の上に置いてあったノートを閉じた。

 

「紫月悠」

 

「はい」

 

「お前は三年前に消えたはずだ」

 

部室の空気が重くなる。

 

悠は逃げなかった。

 

「はい」

 

「だが、俺の記録では、お前はこの学校に在籍し、この部にも名前がある」

 

「はい」

 

「その二つは矛盾している」

 

「はい」

 

「どちらが真実だ」

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

それから、ゆっくり答えた。

 

「三年前に消えた方が真実です」

 

俺は息を止めた。

 

そはらも、隣で小さく肩を強張らせた。

 

会長の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

 

守形先輩は表情を変えない。

 

「では、在籍し続けているという記憶は」

 

「復帰のための仮置きです」

 

「仮置き?」

 

「はい。紫月悠として地上生活へ戻るための最低限の補正です。真実を知った相手には、段階的にほどけるようにしています」

 

「今がその段階か」

 

「おそらく」

 

悠は自分の胸元を押さえた。

 

「完全な偽の思い出は入れていません。だから、違和感を持つ人には、薄い記憶として見えるはずです」

 

会長が言った。

 

「たしかに、変ね」

 

「変?」

 

「紫月くんがいた気はする。でも、具体的な場面を思い出そうとすると、霧みたいになる」

 

悠の肩が小さく揺れた。

 

「それで正常です」

 

「正常というには、ずいぶん気持ち悪いわね」

 

「すみません」

 

悠はすぐに謝った。

 

「不快にさせるためではありませんでした」

 

「責めているわけじゃないわ」

 

会長は柔らかく笑った。

 

「ただ、私は気になることをそのままにしておくのが嫌いなの」

 

「分かります」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「たぶん」

 

会長は楽しそうに笑った。

 

守形先輩は悠をじっと見ていた。

 

「お前は、何者だ」

 

その問いに、悠は少しだけ間を置いた。

 

学校では、紫月悠として振る舞っていた。

 

男子制服を着て、髪色を偽装し、声も低くしている。

 

でも、ここで誤魔化しても意味がない。

 

たぶん、この二人には。

 

悠は静かに言った。

 

「ボクは、可変統合型エンジェロイド」

 

その言葉と同時に、首筋に淡い紫の発光環が浮かぶ。

 

部室の空気が変わった。

 

「タイプシグマ。エリュシオン」

 

会長は目を細めた。

 

守形先輩は、少しだけ身を乗り出す。

 

「エンジェロイド」

 

「はい」

 

「イカロスと同じ空のものか」

 

「同系統です。ただし、ボクは地上生活体の記憶を基礎に再構成されています」

 

「紫月悠としてか」

 

「はい」

 

悠は一度言葉を切った。

 

「でも、完全には分かりません」

 

「何がだ」

 

「ボクがどこまで紫月悠で、どこからエリュシオンなのか」

 

部室が静かになった。

 

さっきまで面白がっていた会長も、その言葉にはすぐに返さなかった。

 

悠は続けた。

 

「だから、記憶補正も怖いです。便利すぎるから」

 

「便利すぎる?」

 

「望めば、たぶん、もっと自然にできます」

 

悠は小さく言った。

 

「三年間いなかったことも、最初からなかったみたいにできます。ボクが普通に学校にいたことにできます。みんなが笑って、怒って、話していた記憶を作れます」

 

そはらが息を呑んだ。

 

悠はそはらを見なかった。

 

見たら、言えなくなると思ったのかもしれない。

 

「でも、それは嫌です」

 

守形先輩が聞く。

 

「なぜだ」

 

「盗むことになるから」

 

悠は即答した。

 

「ボクのいなかった三年間を、他人の記憶で埋めることになる。そはらが探してくれたことも、智樹が覚えていることも、全部、別の形に変えてしまう」

 

会長が静かに言った。

 

「だから、薄い補正にした」

 

「はい」

 

「真実を知れば、ほどけるように」

 

「はい」

 

悠は頭を下げた。

 

「不快なら、解除します」

 

俺は思わず悠を見た。

 

「悠」

 

「でも、そうすると学校にいられないかもしれない」

 

悠の声は小さかった。

 

「それでも、嫌なら解除します」

 

守形先輩は何も言わなかった。

 

会長も黙っている。

 

二人とも、悠を見ていた。

 

普通なら、ここで拒絶されてもおかしくない。

 

記憶をいじられたかもしれない。

 

そう言われて、平気でいられる方がおかしい。

 

俺は、何も言えなかった。

 

そはらも黙っていた。

 

やがて、守形先輩が口を開いた。

 

「解除は不要だ」

 

悠が顔を上げる。

 

「いいんですか」

 

「現時点ではな」

 

守形先輩は淡々と言った。

 

「俺の中にある違和感は、今の説明で整理できる。むしろ、補正を消される方が情報が欠ける」

 

「情報」

 

「そうだ」

 

守形先輩は悠を見る。

 

「お前が何で、空で何が起きているのか。その方が重要だ」

 

会長がくすりと笑った。

 

「英四郎らしいわね」

 

「それに」

 

守形先輩は続けた。

 

「新大陸発見部としては、空の未知存在は調査対象だ」

 

「調査対象」

 

悠が少しだけ固まる。

 

俺は慌てて言った。

 

「先輩、言い方!」

 

守形先輩は気にしていない。

 

「安心しろ。解剖はしない」

 

「当たり前です!」

 

会長が楽しそうに笑った。

 

「でも、部員としては歓迎するわ」

 

「部員?」

 

悠が聞き返す。

 

「ええ。紫月くんは、補正上はこの学校にいる。なら部活に入っていてもおかしくないでしょう?」

 

「おかしくは、ないかもしれません」

 

「それに、あなたは空を知っている」

 

会長は笑う。

 

「新大陸発見部には、ぴったりじゃない」

 

悠は答えられなかった。

 

俺は少しだけ嫌な予感がした。

 

この人は、優しさだけで言っているわけではない。

 

たぶん、面白がってもいる。

 

でも、今の悠にとって、それが完全な悪意ではないことも分かった。

 

守形先輩が言った。

 

「紫月」

 

「はい」

 

「お前が学校に戻るなら、ここを使え」

 

悠は目を瞬かせた。

 

「ここを?」

 

「必要なら、情報整理でも、休憩でも、隠れ場所でもいい」

 

「隠れ場所」

 

「学校の中で、普通を装い続けるのは負荷が高いだろう」

 

悠は少しだけ黙った。

 

「はい」

 

その返事は、かなり素直だった。

 

守形先輩は頷く。

 

「なら、ここに来い」

 

「命令ですか」

 

「提案だ」

 

悠はその言葉を聞いて、少しだけ表情を緩めた。

 

「提案なら、受けられます」

 

悠は少しだけ間を置いた。

 

「入部したいです」

 

「そうしろ」

 

「よろしくお願いします。守形先輩、いえ、部長」

 

会長がにこりと笑う。

 

「私は歓迎するわ。ね、桜井くん?」

 

「そこで俺に振らないでください」

 

「だって、幼馴染でしょう?」

 

「そうですけど」

 

「なら、見守ってあげないと」

 

俺は悠を見た。

 

悠は部室の中を見回している。

 

壁に貼られたよく分からない地図。

棚に置かれた資料。

守形先輩のノート。

会長の笑顔。

窓から見える空。

 

その全部を、まるで初めて見る場所のように見ていた。

 

いや、実際には初めてなのだ。

 

補正の上では、ここに来たことがあるのかもしれない。

 

でも、悠本人にとっては初めての場所だ。

 

悠は小さく言った。

 

「ここも、覚え直せるかな」

 

そはらがすぐに答える。

 

「覚え直せばいいでしょ」

 

その言葉に、悠は少しだけ笑った。

 

「うん」

 

守形先輩は、もう一度ノートを開いた。

 

「では、最初の議題だ」

 

「議題?」

 

俺が聞く。

 

守形先輩は真顔で言った。

 

「紫月悠が知る空の情報について」

 

「早い!」

 

「必要だ」

 

悠は少しだけ困った顔をした。

 

「話せる範囲なら」

 

会長が笑う。

 

「無理はしなくていいわよ。でも、隠し事をされるのは好きじゃないわ」

 

「分かりました」

 

悠は頷いた。

 

「隠す必要があることは、隠すと言います。まだ分からないことは、分からないと言います」

 

「いい返事ね」

 

俺は、ようやく少しだけ息を吐いた。

 

また、悠の真実を知る人が増えた。

 

けれど、同時に。

 

悠を今の悠として見てくれる人も増えたのだ。

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