そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#11 潜水!!

電車に揺られていた。

 

なぜこうなったのかを説明すると、少し長い。

 

俺とそはらが、日帰り旅行のペア券を当てた。

しかも、なぜか二組。

 

つまり四人分。

 

俺とそはら。

イカロス。

そして悠。

 

ここまでは分かる。

 

問題は、向かいの席に守形先輩と会長が座っていることだった。

 

「会長」

 

「なにかしら、桜井くん」

 

「ペア券は四人分だったはずなんですけど」

 

「そうね」

 

「六人います」

 

「増えたわね」

 

「増えたわね、じゃないです」

 

会長は楽しそうに笑った。

 

「せっかくだから、新大陸発見部で行きましょう、という話になったのよ」

 

「なってません」

 

「足りない分は私が出したから問題ないわ」

 

「そういう問題でもないです」

 

守形先輩は窓の外を見たまま言った。

 

「海なら観測に向いている」

 

「旅行ですよね?」

 

「観測だ」

 

駄目だ。

 

この人は旅行に行く気がない。

 

イカロスは、俺の隣に静かに座っていた。

 

「イカロスは何か言うことないのか」

 

「マスターが移動するため、同行します」

 

「ですよね」

 

そはらの隣には、悠が座っていた。

 

悠は膝の上に手を置いて、窓の外をじっと見ている。

流れていく景色を、まばたきも少なく見つめていた。

 

「悠」

 

「何?」

 

「電車、珍しいのか?」

 

悠は少しだけ考えた。

 

「珍しくはない」

 

「そうなのか?」

 

「紫月悠としては、乗ったことがある」

 

それから、悠は窓の外へ視線を戻した。

 

「でも、久しぶり」

 

その言い方に、俺は少しだけ黙った。

 

三年前。

 

その言葉が、頭の中をよぎる。

 

悠は続けた。

 

「ただ、移動手段としては非効率」

 

「非効率?」

 

「飛んだ方が早い」

 

「それは言うな」

 

俺は思わず突っ込んだ。

 

そはらも小さくため息をつく。

 

「ユゥ、普通は飛ばないの」

 

「分かってる」

 

悠は小さく頷いた。

 

「だから、今は電車」

 

「そう。今は電車」

 

「時間がかかる。揺れる。人が多い。移動経路も固定されている」

 

「悪口みたいになってるぞ」

 

「悪口じゃない。評価」

 

「評価が辛い」

 

悠は、もう一度窓の外を見る。

 

建物の隙間から、少しずつ空が広くなっていく。

 

「でも、やっぱり非効率」

 

「そこに戻るのかよ」

 

「うん」

 

悠は真面目に頷いた。

 

「飛ぶ方が早い。でも、飛びたいわけじゃない」

 

その言い方に、そはらが少しだけ表情を変えた。

 

「ユゥ」

 

「分かってる。そう考えること自体、少し変だと思う」

 

悠は窓の外を見たまま続けた。

 

「人間は空を飛べない。だから、電車に乗るのが普通」

 

「なら」

 

「でも、移動手段として見ると、やっぱり非効率」

 

「そこは変わらないんだな」

 

「うん」

 

悠は小さく頷いた。

 

「感覚がまだ追いつかない」

 

そはらが少し困ったように笑った。

 

「今日は旅行だから」

 

「旅行だと、非効率でもいい?」

 

「いいの」

 

悠は少し考えた。

 

「難しい」

 

会長がくすりと笑った。

 

「紫月くん、旅行は目的地だけじゃなくて、途中も楽しむものなのよ」

 

「途中」

 

悠は窓の外へ視線を向けた。

 

「それは、まだ分からない」

 

「分からなくてもいいわ。今日は見ていればいいの」

 

「観察」

 

「そう。観察」

 

悠は少しだけ頷いた。

 

「分かりました」

 

守形先輩が、窓の外を見たまま言った。

 

「海が近い」

 

その言葉に、悠も窓の外を見る。

 

建物の隙間から、青い光がちらついた。

 

海だった。

 

そはらが嬉しそうに身を乗り出す。

 

「見えた!」

 

「海です」

 

イカロスも静かに言った。

 

「潮風成分を検知しました」

 

「まだ窓閉まってるだろ」

 

「微量です」

 

「検知するな」

 

会長は楽しそうに笑っている。

 

守形先輩は、いつの間にか手帳を開いていた。

 

「海岸線、風向、雲量。悪くない」

 

「だから旅行ですよね?」

 

「観測だ」

 

俺はため息をついた。

 

悠は、窓の外の海を見たまま動かなかった。

 

「非効率だけど」

 

「まだ言うか」

 

「でも、景色は変わる」

 

悠はぽつりと言った。

 

「飛ぶと、たぶん見落とす」

 

俺は少しだけ言葉に詰まった。

 

悠はそれ以上何も言わなかった。

 

ただ、流れていく海の光を、静かに見つめていた。

 

-----

 

海が見えた瞬間、そはらが感嘆の声をあげた。

 

白い砂浜。

青い海。

照りつける日差し。

 

電車の中で見えていた海とは違う。

 

目の前に広がっているそれは、いかにも日帰り旅行という感じだった。

 

会長は楽しそうに笑っている。

 

守形先輩は、海岸線と空を見比べながら何かを手帳に書き込んでいた。

 

「先輩、旅行ですよね?」

 

「観測だ」

 

「まだ言うんですか」

 

イカロスは、海をじっと見つめている。

 

「海です」

 

「見れば分かる」

 

「水量が多いです」

 

「それも分かる」

 

悠も、波打ち際の方を見ていた。

 

水着姿の悠は、学校で見た男子制服の時より、さらに線が細く見えた。

 

俺は一瞬、言葉に詰まった。

 

「……いやいや」

 

思わず小さく首を振る。

 

悠は悠だ。

 

三年前まで一緒にいた幼馴染で、もともとは男だった。

 

分かっている。

 

分かっているのに、今の悠は、昔の悠とはあまりに違っていた。

 

髪も、身体も、立ち方も。

 

制服を着ている時はまだごまかせていた違いが、水着になると妙にはっきり見えてしまう。

 

「智樹?」

 

悠がこちらを見た。

 

「何でもない!」

 

俺は慌てて顔を逸らした。

 

そはらが、じっと俺を見る。

 

「トモちゃん」

 

「違う! 今のはそういうのじゃない!」

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

「言われる前に否定しただけだ!」

 

「それ、だいたい怪しいやつだよ」

 

「違うって!」

 

次の瞬間、そはらの手刀が俺の脳天に落ちた。

 

「ぐおっ!」

 

砂浜に膝をつく。

 

「まだ何もしてないだろ!」

 

「目が怪しかった!」

 

「目だけで死刑!?」

 

「未遂でも駄目!」

 

「何の未遂だよ!」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「智樹、危険だった?」

 

「危険じゃない!」

 

そはらは俺を指さした。

 

「ユゥは気にしなくていいの。トモちゃんが悪いから」

 

「まだ何もしてない!」

 

「今後のため!」

 

「予防処置で殺人チョップするな!」

 

悠は自分の姿を少し見下ろした。

 

「変?」

 

「変じゃない!」

 

俺は頭を押さえながら即答した。

 

「ただ、見慣れないだけだ」

 

「見慣れない」

 

悠は少しだけ考える。

 

「そっか」

 

その声が少しだけ不安そうに聞こえて、俺は慌てて言い直す。

 

「悪い意味じゃない。まだ慣れてないだけだ」

 

「うん」

 

悠は小さく頷いた。

 

けれど、その視線はすぐに海へ戻った。

 

海を怖がっているというより、何かを確認しているようだった。

「入っていい?」

 

悠が聞いた。

 

「泳げるのか?」

 

「うん」

 

答えは普通だった。

 

普通すぎて、少し安心した。

 

そはらは近くの貸しボートの方を指さした。

 

「じゃあ、私ちょっとボート借りてくるね」

 

「ああ」

 

そはらが走っていく。

 

俺はその後ろ姿を少しだけ見送った。

 

本当に、ほんの少しだけだった。

 

次に海へ視線を戻した時、イカロスと悠がいなかった。

 

「……あれ?」

 

波打ち際には、二人分の足跡だけが残っている。

 

俺は嫌な予感がした。

 

「イカロス?」

 

返事はない。

 

「悠?」

 

返事はない。

 

代わりに、少し沖の方に、見覚えのある上着が浮かんでいた。

 

イカロスが着ていたものだった。

 

「……おい」

 

俺は慌てて海に入った。

 

足が届くところを越える。

 

さらに進むと、急に深くなった。

 

俺は息を吸って、水の中へ潜った。

 

海の中は、思ったより暗かった。

 

少し下の方に、白いものが見える。

 

イカロスだった。

 

羽を広げたまま、海底の方でじっとしている。

本人は慌てるでもなく、抵抗するでもなく、ただ沈んでいた。

 

魚が周りを泳いでいる。

 

いや、見るからにおかしい。

 

俺はさらに潜ろうとした。

 

けれど、深い。

 

手を伸ばしても届かない。

 

胸が苦しくなる。

 

息が続かない。

 

俺は仕方なく水面へ戻った。

 

「ぷはっ!」

 

水面に顔を出して、必死に息を吸う。

 

「深すぎるだろ……!」

 

もう一度潜ろうとした時、水の中で何かが動いた。

 

悠だった。

 

悠は、俺よりずっと深い場所にいた。

 

水中なのに、動きが乱れていない。

髪が海の中でゆっくり広がり、紫の影みたいに揺れている。

 

イカロスのそばまで潜り、状態を確認しているようだった。

 

俺は思わず水中で目を見開いた。

 

その時、悠がこちらを見た。

 

俺に気づいたらしい。

 

悠は少しだけ首を傾げるような仕草をした。

 

けれど、俺の方はもう限界だった。

 

息が続かない。

 

俺はまた水面へ戻るしかなかった。

 

「悠!」

 

水面で叫んでも、悠はすぐには上がってこない。

 

一秒。

 

二秒。

 

三秒。

 

普通なら、もう顔を出してもいい。

 

けれど、悠は出てこない。

 

十秒を過ぎても、水面は静かなままだった。

 

「おい、長くないか!?」

 

俺が本気で焦り始めた時、少し離れた場所で悠が水面から顔を出した。

 

息は乱れていなかった。

 

髪から海水を滴らせながら、悠は普通に言った。

 

「イカロスは沈んでる」

 

「見れば分かる!」

 

「かなり深い」

 

「それも分かる!」

 

「この深さだと、智樹の息が続かない」

 

「だから連れ戻せ!」

 

「分かった」

 

悠はまた水中に沈んだ。

 

今度も、ほとんど水しぶきは立たなかった。

 

しばらくして、水面が大きく揺れる。

 

悠がイカロスの腕を引いて浮上してきた。

 

イカロスは無表情のまま、羽から大量の水を滴らせている。

 

俺は二人をどうにか砂浜まで引き上げた。

 

イカロスは濡れたまま、砂の上に座っている。

羽からは、まだ大量の水が滴っていた。

 

「マスター」

 

「何だよ」

 

「羽が水を吸って重くなってしまうので……どうしても……」

 

「分かってるなら入るな!」

 

イカロスは表情を変えずに、濡れた羽を少しだけ動かした。

 

ばしゃ、と水が飛ぶ。

 

「冷たっ!」

 

「排水中です」

 

「人に向けて排水するな!」

 

一方、悠は何事もなかったように海から上がってきた。

 

水着も髪も濡れている。

けれど、息はまったく乱れていなかった。

 

「悠も大丈夫か?」

 

「うん」

 

「本当に?」

 

「水中行動は問題ない」

 

「その答えがもう問題なんだよ」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

「泳げる」

 

「泳げるの意味が違うんだって」

 

「七百二十時間くらいなら潜れる」

 

「単位がおかしい!」

 

「でも、泳げる」

 

「だったらせめて人並みに浮かんでみせろ!」

 

悠は少し考えた。

 

「浮く必要がある?」

 

「ある! 今はある!」

 

俺が頭を抱えていると、少し離れたところから声がした。

 

「トモちゃーん、ボート借りてきたよー!」

 

そはらが、貸しボートの方から戻ってくる。

 

そして、砂浜に座り込んでいるずぶ濡れのイカロスと、海水を滴らせている悠を見て、足を止めた。

 

「……何してるの?」

 

「一人沈んで、一人潜ってた」

 

「説明が雑すぎる!」

 

そはらは慌てて駆け寄ってきた。

 

「イカロスさん、大丈夫ですか?」

 

「問題ありません。浮力が不足していました」

 

「それは問題あると思います!」

 

そはらは次に悠を見る。

 

「悠は?」

 

「大丈夫」

 

「本当に?」

 

「うん。連れ戻せた」

 

「そこじゃなくて、悠自身が大丈夫か聞いてるの!」

 

悠は少し考えてから、小さく頷いた。

 

「大丈夫。水は、そんなに嫌じゃない」

 

そはらは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

それから、濡れた悠の髪を見て、少し困ったように息を吐く。

 

「もう……目を離すとすぐこれなんだから」

 

「目を離したのは俺じゃないぞ」

 

「トモちゃんも見てて!」

 

「無理言うな!」

 

会長は少し離れた場所で、その様子を楽しそうに見ていた。

 

「ずいぶん賑やかね」

 

「会長、笑ってないで手伝ってください!」

 

「桜井くん、こういうのも旅行の醍醐味よ」

 

「絶対違います!」

 

守形先輩は、濡れたイカロスの羽と、平然としている悠を交互に見ていた。

 

「興味深いな」

 

「先輩も観察してないで!」

 

「水中適性に差がある」

 

「今それを分析する場面じゃないです!」

 

悠は海の方を振り返った。

 

さっきまで沈んでいた場所は、もう何事もなかったように波だけが揺れている。

 

「深かった」

 

「だろうな」

 

「智樹の息は続かなかった」

 

「言われなくても分かってる」

 

「でも、景色は綺麗だった」

 

その言葉に、俺は少しだけ黙った。

 

悠は、濡れた髪を押さえながら続ける。

 

「海の中。魚がいた。光が揺れてた。音が遠かった」

 

そはらが少しだけ表情を緩める。

 

「……そっか」

 

「うん」

 

悠は小さく頷いた。

 

「非効率だけど、見えるものはある」

 

それは、さっき電車で言っていたことの続きみたいだった。

 

俺は濡れたイカロスを見て、深くため息をつく。

 

「まあ、見えるものがあるのはいいけどな」

 

「うん」

 

「次からは勝手に深いところまで行くな」

 

「分かった」

 

「イカロスもだ!」

 

「了解しました、マスター」

 

本当に分かっているのかは怪しかった。

 

けれど、とりあえず全員、陸には戻ってきた。

 

イカロスはまだ羽から水を滴らせている。

悠は海を見つめている。

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