そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

12 / 14
#12 睡眠!!

海の家に泊まることになった。

 

理由は、守形先輩が宿泊券を持っていたからだ。

 

「そもそも、なんで宿泊券なんか持ってるんですか」

 

俺が聞くと、守形先輩は当然のように答えた。

 

「大食い大会の副賞だ」

 

「何してるんですか、先輩」

 

「必要な栄養補給を行った結果だ」

 

「絶対違う」

 

会長は楽しそうに笑っていた。

 

「いいじゃない。せっかくだから泊まっていきましょう」

 

そうして案内された部屋は、男子部屋と女子部屋に分かれていた。

 

男子部屋には、俺と守形先輩。

 

女子部屋には、そはら、会長、イカロス、悠。

 

……のはずだった。

 

夜。

 

風呂を終えて、布団に入った瞬間、俺はほとんど落ちるように眠った。

 

海で泳いで、イカロスを引き上げて、移動して、飯を食って、風呂に入った。

 

疲れていないわけがない。

 

夢を見た。

 

また、あの夢だった。

 

顔のよく見えない少女が、空の向こうから俺に呼びかけている。

 

助けて。

 

空に捕まってる。

 

昔から、何度も見てきた夢。

 

意味は、今でも分からない。

 

そして俺は目を覚ました。

 

「……ん?」

 

布団の横に、イカロスが座っていた。

 

その隣には、悠もいる。

 

二人とも、静かに俺を見ていた。

 

「うわっ!」

 

俺は布団の中で跳ね起きた。

 

「何でいんだ」

 

「はい」

 

「『はい』じゃなくて」

 

「はい」

 

「お前ら、女子部屋のはずだろ」

 

イカロスは表情を変えずに答える。

 

「マスターのお側にいました」

 

「ここにいなくていい!」

 

俺は悠を見る。

 

「悠も何でいるんだよ」

 

「イカロスが出ていったから」

 

「止めろよ」

 

「止めようと思った。でも、イカロスが気にしていた」

 

「何を」

 

悠はイカロスを見る。

 

イカロスは、少しだけ視線を下げた。

 

俺は頭をかいた。

 

「とにかく、こんな時間に男子部屋に来るな。分かったら、さっさと戻って寝た寝た」

 

「あの……マスター」

 

「何だよ」

 

「『眠る』とはどういうものなのでしょう」

 

「……へ?」

 

思わず変な声が出た。

 

イカロスは、いつもの無表情のまま続ける。

 

「私たちエンジェロイドは……『眠る』ようには作られていなくて……」

 

その声は、いつもより少しだけ小さかった。

 

「ですから『眠る』とか『夢』を見るとかは……」

 

イカロスは、自分でも言葉を探しているようだった。

 

「どういうものか……わからなくて……」

 

俺はすぐには答えられなかった。

 

眠る。

 

そんなもの、毎日している。

 

疲れたら寝る。

夜になったら寝る。

目を閉じて、気づいたら朝になる。

 

それだけだ。

 

それだけのはずなのに、説明しようとすると急に分からなくなる。

 

「悠は?」

 

俺は、ふと思い出して聞いた。

 

悠は小さく頷いた。

 

「エリュシオンは地上人から作られているため『眠る』ことができます」

 

「じゃあ、お前は眠れるんだな」

 

「うん」

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

「でも、イカロスは違う」

 

イカロスは俺を見ていた。

 

いつものように。

 

けれど、いつもより少しだけ、何かを知りたそうに見えた。

 

「眠るっていうのは……」

 

俺は言いかけて、止まった。

 

どう説明すればいいのか分からない。

 

「目を閉じて、休むこと……か?」

 

「休止状態ですか」

 

「いや、たぶん違う」

 

「待機状態ですか」

 

「それも違うと思う」

 

言えば言うほど分からなくなる。

 

俺は頭をかいた。

 

「普通に寝るだけなんだけどな」

 

「普通」

 

イカロスが小さく繰り返す。

 

悠が静かに言った。

 

「眠るのは、止まることじゃないと思う」

 

俺とイカロスは悠を見る。

 

「休むだけでも、命令を待つだけでもない」

 

悠は少しだけ言葉を探していた。

 

「目を閉じて、今日を終わらせること」

 

「今日を、終わらせる」

 

イカロスが繰り返す。

 

「うん」

 

悠は頷いた。

 

「怖いことも、分からないことも、一度手放す。全部持ったまま明日に行くのは、たぶん難しいから」

 

部屋が静かになった。

 

「夢は?」

 

イカロスが聞く。

 

「記憶の整理、だと思う」

 

悠は答えた。

 

「でも、それだけじゃない。意味のないものを見ることもある。怖い夢もある。楽しい夢もある。起きたら忘れる夢もある」

 

「忘れるのですか」

 

「うん」

 

「記録としては不完全です」

 

「たぶん、それでいい」

 

イカロスは黙った。

 

俺も黙った。

 

悠の言葉は、どこか危うかった。

 

眠ることを説明しているだけなのに、自分にも言い聞かせているように聞こえた。

 

「イカロス」

 

悠が言う。

 

「眠れないのは、つらい?」

 

「不明です」

 

「そっか」

 

悠は少しだけ目を伏せた。

 

「でも、眠れた方がいいと思う」

 

俺は嫌な予感がした。

 

「悠」

 

「何?」

 

「今、変なこと考えてないか」

 

悠は一瞬だけ黙った。

 

「少し」

 

「考えるな」

 

「でも、智樹」

 

悠はイカロスを見る。

 

「イカロスは、ずっと待機してる。マスターの命令を待って、マスターを守って、必要なら動く。それは間違いじゃない」

 

「なら」

 

「でも、それだと今日が終わらない」

 

その言葉に、イカロスがわずかに反応した。

 

「今日が、終わらない」

 

「うん」

 

悠はイカロスを見る。

 

「眠れるようになれば、終われるかもしれない。明日へ行けるかもしれない」

 

「それは、必要な機能ですか」

 

「必要かどうかは分からない」

 

悠は静かに言った。

 

「でも、選べた方がいい」

 

俺は眉をひそめた。

 

「選べるようにって、まさか」

 

悠は俺を見る。

 

「智樹が許可すれば、イカロスへの実装許可は通ると思う」

 

「通ると思う、じゃねえよ」

 

「眠気を作るんじゃない。命令で眠らせるわけでもない」

 

悠は少しだけ言葉を選ぶように続けた。

 

「眠ることができるようにするだけ。眠るかどうかは、イカロスが選ぶ」

 

イカロスは俺を見ていた。

 

いつものように。

 

マスターの判断を待っている。

 

「……イカロス」

 

「はい」

 

「お前は、それが欲しいのか?」

 

イカロスはすぐには答えなかった。

 

「分かりません」

 

それから、少しだけ間を置く。

 

「ですが、マスターが眠る理由を、理解したいと思います」

 

その答えで、俺は何も言えなくなった。

 

悠は静かに俺を見ている。

 

「智樹」

 

「本当に、眠れるようにするだけなんだな」

 

「うん」

 

「お前が無理しない範囲でだぞ」

 

「分かった」

 

その返事が、少しだけ軽かった。

 

だから俺は、逆に不安になった。

 

「……許可する」

 

イカロスが俺を見た。

 

悠が小さく頷いた。

 

「許可確認。マスター、桜井智樹より、対象イカロスへの睡眠機能実装を許可」

 

首筋に、淡い紫の発光環が浮かぶ。

 

「自己命令。外部個体への人格、記憶、自由意志、主従契約への直接干渉を禁止」

 

そこで、発光環が一度だけ強く光った。

 

「ただし、対象イカロスの睡眠機能実装に必要な範囲で、制限系統を限定解除」

 

「おい」

 

俺は思わず声を上げた。

 

「今、上書きって言ったか?」

 

悠は答えなかった。

 

紫の光が、悠の首筋から腕へ走る。

 

イカロスの胸元にも、淡い光が灯った。

 

「制御系統、解析深度を拡張」

 

悠の声が、少しずつ硬くなる。

 

高く、硬く、異常に冷たい声。

 

偽装が剥がれていくようだった。

 

「ミラージュ・ドライヴ:オーバーライド、実行」

 

その瞬間、悠の首元に淡い紫の輪が浮かんだ。

 

光輪ではない。

 

首輪だった。

 

細い紫の光でできた首輪が、悠の喉元を囲む。

 

そこから、鎖のような光が伸びる。

 

じゃらり、と音がした気がした。

 

鎖は誰かの手に伸びているわけではなかった。

 

悠自身の手へ伸びていた。

 

まるで、自分で自分を縛っているみたいだった。

 

その言葉を聞いた瞬間、俺は嫌な予感どころでは済まなくなった。

 

「オーバーライドって何だよ!」

 

悠は答えない。

 

ただ、処理だけを続けている。

 

「睡眠を、休止ではなく、意識状態の自然低下として定義」

 

「悠!」

 

呼んでも、返事がない。

 

「外部命令による強制停止ではなく、対象意思による移行可能状態として実装」

 

「悠、待て!」

 

「主従契約下における常時待機命令と競合」

 

悠の背中に、薄く羽の輪郭が浮かぶ。

 

しまっていたはずの装甲が、肩と腕に現れる。

 

「待機命令を優先する限り、睡眠移行不可」

 

「待てって言ってるだろ!」

 

「制限解析」

 

悠は俺の声に反応しない。

 

その目はイカロスだけを見ていた。

 

いや、見ているというより、解析しているようだった。

 

「主従契約拘束、解除対象」

 

イカロスがわずかに反応した。

 

「解除」

 

「悠!」

 

「対象イカロスの自由選択を阻害する拘束を破壊します」

 

紫の光が、イカロスに走った。

 

「マスター」

 

「イカロス?」

 

「命令系統に変化が発生しています」

 

「それ、大丈夫なのか!?」

 

「不明です」

 

「睡眠機能実装。選択条件、対象意思。外部命令による強制不可」

 

部屋の空気が重くなる。

 

紫の光が、畳の上に広がった。

 

イカロスは無表情のまま座っている。

 

けれど、その目が一瞬だけ揺れた。

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「眠る、という状態が選択可能になりました」

 

その言葉で、俺は一瞬だけ息を止めた。

 

成功した。

 

たぶん、成功してしまった。

 

だが、次の瞬間、イカロスの反応が少し変わった。

 

記録域(メモリー)プロテクト100%解除」

 

「は?」

 

イカロスの声は、いつものままだった。

 

けれど、言っている内容が明らかにおかしい。

 

思考制御(エマーショナル)プロテクト100%解除」

 

「待て、何が起きてる!」

 

「可変ウィングプロテクト100%解除」

 

イカロスの背中から、白い羽が広がる。

 

部屋の空気が震えた。

 

畳の上の湯呑みが小さく跳ねる。

 

「機能プロテクト100%解除」

 

その瞬間、イカロスの気配が変わった。

 

ただ命令を待つエンジェロイドではない。

 

もっと大きく、もっと危ういものが、そこに現れた気がした。

 

イカロスはゆっくりと自分の手を見る。

 

「制限解除を確認しました」

 

俺はすぐに悠を見た。

 

「おい、悠!」

 

返事はない。

 

「お前、こんなことまでやるって言ってなかっただろ!」

 

悠は答えない。

 

首筋の発光環が、静かに回っている。

 

背中には紫の羽。

 

肩と腕には、しまっていたはずの装甲。

 

「対象イカロスの睡眠機能実装に伴い、関連プロテクトが自動解除されました」

 

「自動って何だよ!」

 

「主従契約拘束、常時待機命令、思考制御、機能制限は相互接続されています」

 

悠は、いや、悠の形をした何かは、淡々と言った。

 

「睡眠選択権の追加により、該当領域の保護構造が連鎖的に解除されました」

 

「だから、それが危ないって言ってるんだよ!」

 

「危険評価、許容範囲内」

 

「許容するな!」

 

俺は悠の名前を呼ぼうとした。

 

「悠!」

 

反応しない。

 

「紫月悠!」

 

それでも、悠は反応しなかった。

 

まるで、その名前がもう自分のものではないみたいに。

 

悠はゆっくりとこちらを見る。

 

見ているのに、見ていなかった。

 

そこにいるのは、悠の形をしている。

 

でも、俺を見ている目は、紫月悠のものではなかった。

 

「当機は、可変統合型エンジェロイド。タイプシグマ、エリュシオン」

 

俺の背筋が冷えた。

 

当機。

 

エリュシオン。

 

悠は、自分をそう言った。

 

「お前……」

 

「ミラージュ・ドライヴ:オーバーライドに伴う、処理優先状態を継続」

 

「もういい! やめろ!」

 

「対象イカロスの制限解除後安定化を継続」

 

「終わったなら戻れよ!」

 

「処理継続」

 

会話になっていない。

 

俺の声が届いていない。

 

イカロスは羽を広げたまま、静かに俺を見た。

 

「マスター」

 

「イカロス、お前は大丈夫なのか?」

 

「はい。マスターへの命令系統は維持されています」

 

「維持されてるのか」

 

「はい」

 

イカロスは少しだけ目を伏せた。

 

「ただし、制限されていた記録、思考制御、可変ウィング、機能領域が解除されました」

 

「それ、大丈夫って言わないんじゃないか?」

 

「判断不能です」

 

「だろうな!」

 

ふすまが勢いよく開いた。

 

「ユゥ!」

 

そはらだった。

 

後ろには会長と守形先輩もいる。

 

そはらは部屋の中を見て、息を呑んだ。

 

白い羽を広げたイカロス。

 

紫の羽と装甲を出した悠。

 

畳の上に散る、紫と白の光。

 

旅館の夜にあっていい光景ではなかった。

 

「ユゥ、何してるの……?」

 

悠はそはらを見る。

 

けれど、返事をしない。

 

「ユゥ!」

 

反応しない。

 

そはらの顔が青ざめた。

 

「ユゥ、返事してよ」

 

悠は静かに言った。

 

「当機は、対象イカロスの制限解除後安定化を継続中」

 

「当機って……なに、それ」

 

会長の笑みは消えていた。

 

「これは、少しまずいわね」

 

守形先輩は、悠を見たまま言う。

 

「限界解除か」

 

「ミラージュ・ドライヴ:オーバーライドに伴う、処理優先状態です」

 

「紫月悠としての応答は」

 

「現在、優先順位外」

 

その言葉に、俺は息を呑んだ。

 

優先順位外。

 

悠が、悠でいることが、後回しにされている。

 

「ふざけるな」

 

俺は布団から立ち上がった。

 

「悠!」

 

反応しない。

 

「戻ってこい!」

 

反応しない。

 

「紫月悠!」

 

悠の瞳が、わずかに揺れた。

 

けれど、それだけだった。

 

戻らない。

 

今までみたいに、名前を呼べば戻ってくるわけじゃない。

 

そはらが震える声で言った。

 

「ユゥ……」

 

悠は、そはらを見ている。

 

見ているのに、反応しない。

 

その目は、綺麗で、冷たくて、怖かった。

 

俺は初めて分かった。

 

これが、戻れなくなるということなのだと。

 

守形先輩が、低く言った。

 

「エリュシオン」

 

その瞬間、悠の瞳がすっと焦点を結んだ。

 

ゆっくりと、悠が守形先輩を見る。

 

今度は、反応した。

 

「はい」

 

高く、硬い声だった。

 

迷いのない返事。

 

俺は息を呑んだ。

 

悠では反応しなかった。

 

紫月悠でも、ユゥでも、戻ってこなかった。

 

けれど。

 

エリュシオンと呼べば、反応する。

 

そはらが小さく震えた。

 

「そんな……」

 

俺は何も言えなかった。

 

目の前にいるのは、悠の姿をしている。

 

でも、今この瞬間。

 

そこにいるのは、紫月悠ではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。