そらのおとしもの -sigma-   作:effutod

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#15 余韻!!

サバイバルゲームの騒動が終わっても、祭りは続いていた。

 

いや、続いていることにされていた。

 

空を飛ぶ二人に町内会が制圧され、最後にはテキ屋のおっさんまで成仏しかけたのに、屋台の明かりは普通に灯っている。

 

太鼓の音も聞こえる。

 

焼きそばの匂いもする。

 

金魚すくいの水槽も、何事もなかったように光っていた。

 

「祭りって、強いな……」

 

俺が思わず呟くと、そはらが少し困ったように笑った。

 

「うん。たぶん、そういうものなんだと思う」

 

悠は、その横で静かに立っていた。

 

さっきまで空にいた紫の羽は、今はしまわれている。

 

けれど、完全に戻ったわけではない。

 

俺が「悠」と呼んでも、まだ返事はない。

 

それでも、さっき一瞬だけ見せた笑みが、俺の中に残っていた。

 

ほんの少しだけ。

 

本当に、ほんの少しだけ。

 

そこに悠がいた気がした。

 

その時、そはらが屋台を指さした。

 

「ほら、金魚すくいあるよ」

 

「金魚」

 

悠がそちらを見る。

 

「水生生物を紙製器具で捕獲する遊戯」

 

「言い方」

 

「捕獲後の維持環境は?」

 

「そこから入るの?」

 

「捕獲後の管理計画なし。非推奨」

 

「正論だけど、祭りで言うことじゃないよ」

 

そはらが苦笑する。

 

「じゃあ、見るだけにしよっか」

 

悠は金魚すくいの水槽を見つめた。

 

赤い金魚が、提灯の光を受けて泳いでいる。

 

水面が揺れるたび、赤と金色の光が細かく崩れた。

 

悠は、しばらく黙っていた。

 

「……海の中の光と似ています」

 

俺は反射的に悠を見た。

 

「今、何て?」

 

悠は水槽を見たまま答える。

 

「以前、海中で観測した光の揺らぎと類似しています」

 

記録として言っているだけかもしれない。

 

でも、それは悠が海で言った言葉に近かった。

 

非効率だけど、見えるものはある。

 

俺は一歩近づいた。

 

「それ、綺麗だと思うか?」

 

悠はすぐには答えなかった。

 

金魚。

水。

提灯の光。

 

それをじっと見ている。

 

「判断不能」

 

そう言われると思った。

 

けれど、悠は小さく続けた。

 

「でも、目を逸らす理由もありません」

 

「……そっか」

 

それだけだった。

 

でも、今はそれだけで十分な気がした。

 

そはらも、少しだけ表情を緩める。

 

「じゃあ、もう少し見てよっか」

 

「はい」

 

いつもの「了解しました」ではなかった。

 

ただの返事だった。

 

それだけの違いなのに、俺は少しだけ息を止めた。

 

悠は水槽を見続けた。

 

その横で、イカロスも金魚を見ている。

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「金魚は眠りますか」

 

「たぶん寝るんじゃないか?」

 

「水中で」

 

「そうだな」

 

イカロスは少し考えた。

 

「沈みますか」

 

「沈むっていうか、底の方でじっとするんじゃないか?」

 

「底で」

 

「たぶんだけどな」

 

イカロスは水槽の底を見た。

 

「沈んでも、問題ないのですね」

 

「金魚はそういう生き物だからな」

 

「私は沈みました」

 

「お前は羽が水吸ったからな」

 

「はい」

 

「そこで納得するな」

 

悠がイカロスを見る。

 

「対象イカロスは羽が水を吸収するため、浮力維持が困難です」

 

「解説しなくていい」

 

「事実です」

 

「知ってるよ!」

 

少しだけ、空気が軽くなった。

 

本当に少しだけだった。

 

けれど、悠はまだ水槽を見ていた。

 

泳ぐ金魚を、目で追っている。

 

効率を測っているだけではないように見えた。

 

そはらが、ふと思いついたように言った。

 

「でも、持って帰れないなら、すくっても戻せばいいんじゃない?」

 

悠がそはらを見る。

 

「戻す」

 

「うん。捕まえて、ちゃんと戻すだけなら、無責任じゃないでしょ?」

 

「捕獲後、同一環境へ即時返却」

 

悠は少しだけ考えた。

 

「生体維持に支障は少ないと判断」

 

「じゃあ、やってみる?」

 

そはらは冗談半分だったのだと思う。

 

けれど、悠は頷いた。

 

「試行します」

 

「え、本当に?」

 

金魚すくいの店のおじさんが、紙のポイを差し出した。

 

「はいよ。破れたら終わりだからな」

 

悠はそれを受け取る。

 

そして、水槽を見下ろした。

 

首筋の発光環が、ほんの少しだけ回る。

 

「水流、確認。対象移動速度、確認。紙面強度、確認」

 

「悠、祭りだからな?」

 

「認識しています」

 

「本当に?」

 

「不明です」

 

不明なのか。

 

悠はポイを水に入れた。

 

動きは、驚くほど静かだった。

 

水面がほとんど揺れない。

 

赤い金魚が一匹、すっとポイの上に乗る。

 

悠はそれを小さな器へ移した。

 

「一匹」

 

「うまっ」

 

そはらが声を上げる。

 

続けて二匹目。

 

三匹目。

 

四匹目。

 

金魚は逃げる。

 

けれど、悠は追いかけない。

 

先回りする。

 

金魚の進む先に、最初からポイを置いている。

 

「捕獲というより、誘導だな」

 

俺が呟くと、悠は水槽を見たまま答えた。

 

「追跡は負荷が高い。進路予測を使用」

 

「金魚すくいでそこまで気を使うやつ初めて見た」

 

「生体です」

 

短い答えだった。

 

でも、その言い方は少しだけ悠らしかった。

 

壊さないように。

 

怖がらせないように。

 

ただ勝つためではなく、相手に負荷をかけないように。

 

そこに、ほんの少しだけ悠がいる気がした。

 

気がつけば、器の中には金魚が増えていた。

 

赤。

白。

黒。

尾の長いもの。

小さく丸いもの。

 

店のおじさんの顔が、だんだん引きつっていく。

 

「お、おい嬢ちゃん……いや坊主……そのへんで……」

 

悠は水槽を見る。

 

「残存対象、七」

 

「数えなくていい!」

 

そはらが慌てて止める。

 

しかし、悠は止まらなかった。

 

「全対象の一時捕獲後、同一環境へ返却します」

 

「全部いく気だ!」

 

ポイは破れない。

 

いや、普通なら破れるはずだ。

 

けれど、悠は紙にかかる水圧を最小限にしているのか、まったく破れる気配がない。

 

最後の一匹まで、悠は淡々とすくった。

 

水槽の中から金魚がいなくなった。

 

店のおじさんが、空になった水槽を見て呆然とする。

 

「全部……」

 

「全対象、一時捕獲完了」

 

「金魚すくいって、そういう遊びじゃないからな?」

 

「返却します」

 

悠はそう言って、器の金魚を一匹ずつ水槽へ戻し始めた。

 

一気に流し込まない。

 

そっと水面に近づけて、金魚が自分で泳ぎ出すのを待つ。

 

一匹。

また一匹。

 

全部の金魚が、水槽へ戻っていく。

 

戻された金魚たちは、少し驚いたように水槽の中を泳ぎ回った。

 

悠はそれを見ていた。

 

「戻ったな」

 

俺が言うと、悠は小さく頷いた。

 

「はい」

 

それから、ほんの少しだけ間を置いた。

 

「よかった」

 

俺はまた、悠を見た。

 

「今、よかったって言ったか?」

 

悠は水槽を見たまま、首を傾げる。

 

「不適切でしたか」

 

「いや」

 

俺は首を振った。

 

「不適切じゃない」

 

そはらも嬉しそうに笑った。

 

「うん。不適切じゃないよ」

 

悠はそれ以上何も言わなかった。

 

けれど、金魚を見つめる目が、ほんの少しだけ柔らかく見えた。

 

その時だった。

 

遠くで、花火の試し打ちの音がした。

 

どん、と低い音が夜に響く。

 

悠の動きが止まった。

 

首筋の発光環が、一瞬だけ強く回る。

 

「エリュシオン?」

 

俺が呼ぶ。

 

返事はない。

 

周囲の音。

人の声。

太鼓。

屋台の呼び込み。

花火の音。

提灯の明滅。

 

全部が、悠の中へ一気に流れ込んだみたいだった。

 

「周辺情報量、急増」

 

声が硬くなる。

 

「音源多数。熱源多数。移動体多数。発光反応。不規則振動」

 

「おい、落ち着け」

 

「安全判定、未完了」

 

背中に、紫の羽の輪郭が浮かぶ。

 

俺は息を呑んだ。

 

まずい。

 

ここで出たら、祭りどころじゃない。

 

「エリュシオン!」

 

反応はある。

 

でも、止まらない。

 

「防御展開準備」

 

「違う! これは花火だ!」

 

「花火」

 

「攻撃じゃない!」

 

そはらが慌てて前に出る。

 

「ユゥ、違うの! 綺麗なやつ! 見るもの!」

 

ユゥ。

 

その名前には、まだ反応しない。

 

けれど、悠の瞳がわずかに乱れた。

 

「見るもの」

 

イカロスが静かに言った。

 

「対象音源、敵性反応なし」

 

悠の視線がイカロスへ向く。

 

「根拠は」

 

「マスターが逃避行動を取っていません」

 

「……」

 

「そはらも、恐怖反応より制止反応が優先されています」

 

悠は周囲を見る。

 

人々は騒いでいる。

 

けれど、逃げてはいない。

 

むしろ、空を見上げている。

 

次の花火が上がった。

 

夜空に、光が開く。

 

赤。

青。

白。

 

悠は、それを見上げた。

 

紫の羽の輪郭は、まだ消えていない。

 

けれど、展開は止まっている。

 

「発光現象」

 

「花火だ」

 

俺は言った。

 

「夏祭りの花火」

 

悠は空を見ていた。

 

「燃焼時間が短い。音も大きい。使用後に消失する。保存性が低い」

 

「まあ、そうだな」

 

「非効率です」

 

また、それかと思った。

 

けれど、悠はすぐには視線を外さなかった。

 

「でも」

 

悠は空を見たまま言った。

 

「人間は、これを見るために集まる」

 

「そうだ」

 

「理由は不明」

 

「不明でいい」

 

俺は小さく息を吐いた。

 

「今は、見てろ」

 

悠は少しだけ黙った。

 

「命令ですか」

 

「違う。頼んでる」

 

「依頼として受諾します」

 

少し前なら、それだけで終わっていた。

 

けれど、悠はそこで一度、言葉を切った。

 

そして、小さく付け足した。

 

「……見ます」

 

花火がもう一つ上がった。

 

今度は大きかった。

 

夜空に広がる光を、悠はじっと見ていた。

 

その横顔は、まだ完全には悠ではない。

 

けれど、完全に機械だけでもない気がした。

 

そはらが小さく呟く。

 

「綺麗だね」

 

悠は答えない。

 

でも、視線は空から離れなかった。

 

しばらくして、悠がぽつりと言った。

 

「すぐ消えるのに」

 

俺は悠を見る。

 

「残ります」

 

「何が?」

 

悠は少しだけ首を傾げた。

 

自分でも、言葉を探しているようだった。

 

「……今、見たものが」

 

それは、説明としては足りなかった。

 

けれど、記録とか、観測とか、そういう言い方ではなかった。

 

俺は何も言えなくなった。

 

そはらも、少しだけ笑った。

 

イカロスは静かに空を見ている。

 

夜空に、また花火が咲いた。

 

宿題なんて、今はまだ無理だ。

 

でも、もしかしたら。

 

こういう分からないものを、一つずつ見せていくしかないのかもしれない。

 

効率でも、命令でも、必要性でもないもの。

 

悠が、悠として見ていたものを。

 

もう一度、悠に見せていくしかない。

 

夜空に、また花火が咲いた。

 

悠はまだ、それを見ていた。

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